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古事記発表

いろいろ書いていたら愚痴っぽくなってしまったので、さらっと削除してさらっと書くことにします!

今日の古事記発表はそこそこ成功でした!
時間内に用意していたことは喋れたし(さらっと掻い摘んででしたが)、質問も幾つかいただけて、答えることもできたし(←満足な内容だったかどうかはさておき)、私にしてはもういいじゃないか、がんばったよ、と言っておきたい。
そんな感じでした。

しかし。

( ^_^ )「兼倉さん、お疲れ様」
( ゜∀゜)「ひゃいっ」
( ^_^ )「じゃ、次もよろしくね
( ゜∀゜)「!?
( ^_^ )「磐姫とか軽皇子とか」
(;゜∀゜)「・・・!?
( ^ー^ )「あ、ヤマタノオロチとかヤマトタケルとか」
(;゜∀゜)「・・・!?・・・!?
( ^ー^ )「あ、一回で終わらせようとしなくていいから。あせらなくていいよ~」
( ^_^ )「じゃあお疲れ様~」

・・・っていうじゃないよね!?
なんということだ・・・。
ホント私今回でもう全気力を出し切ったつもりでしたよ・・・。

というわけであの・・・お暇がある方、もうちょっとだけ私と古事記に付き合ってやっていただけますでしょうか。
ネタは上記の通り「ヤマタノオロチ」「ヤマトタケル」「磐姫」「軽皇子」です。
「磐姫」については以前H野さまにちらりとネタ振りしていただいたことがあったので、いつか語ろうと思っていたんですが、他は始めから練らないといけないネタです。
まぁ幸いどれも古事記の中では比較的有名どころで注目している研究者の方も多いので、その辺りから引っ張ってきたいと思います。
しかしこのネタ全部やるのにどれくらい掛かるんだろう・・・。

因みに今回の発表のネタですが、ここで語ったほど濃い内容は語ってません。
全部掻い摘んでちょっとだけ紹介するというだけで、質問が出た場合のみ少し詳しく喋ってみるというスタンスでした。
というか、掻い摘んで喋るだけでもバックではあれくらいの内容を持っていないと怖くて喋れないわけですよ・・・。
最高に小心者です。
しかし次回からやらなければならないものは、恐らくここで語るのと同程度の濃さで資料を作らないといけない雰囲気です。
私の底がどんなに浅いかバレてしまう・・・!

オホナムチとスクナヒコナ(補足)

さて、古事記の作者には意図的に(?)消されてしまったオホナムチとスクナヒコナの活躍を、当時の他の書物から抜粋してみようと思います。
万葉集は前々回ご紹介しましたので、ここでは風土記の記述をご紹介します。
・・・とはいえ、私は風土記の書き下し文が載っている資料が1冊しかなく、その1冊もかなり省略されてしまっているのでここでは現代語訳のみご紹介させていただきます。(現代語訳だけの本も1冊しかないのですが・・・)
その旨ご了承下さい。(風土記の原文や書き下し文が載ってるおススメの資料がございましたら是非ご一報下さい!)

播磨はりま国風土記>
・ハニ岡の里の地名起源説

ハニ岡の里。土品は下の下。
昔、大汝おほなむち命と小比すくなひ命が、言い争って
「ハニ(粘土)の荷を肩にかついで遠くに行くのと、くそをしないで遠くに行くのと、この二つのうちどちらがやり通せるだろうか」
とおっしゃった。大汝命は
「私は屎をしないで行こう」
といい、小比古尼命は
「私はハニの荷を持っていこう」
といった。そしてこんなふうに争っていたが、数日過ぎて大汝命は、
「私はもう我慢できない」
とおっしゃった途端、その場にしゃがんで屎をなさった。その時、小比古尼命が笑っておっしゃったことには
「そのとおりだ。私も苦しかったのだ」
とおっしゃって、これまたそのハニをこの岡になげつけられた。だから、この岡を「ハニ岡」と名付けた。(後略)

(一口メモ)
この里の土は粘土で「土品は下の下」とあるように、農耕には適さない。しかし、土器を作るのには適しており、工芸品製作がここの大切な産業であった。最後に賭けに勝つのが粘土を負う神であることは、粘土の荷を負って歩く苦しさを体で知っている村人ならばこその誇らかな感情が読み取れる。

稲種いなだね山の地名起源説

大汝命と小比古尼命の二柱の神が神前かむさきの郡のハニ岡の里の生野いくのの峰にいて、この山を望み見て、
「あの山には稲種を置くことにしよう」
と仰せられ、ただちに稲種をやってこの山に積んだ。山の形もまた稲積に似ている。だから名づけて稲種山という。

<出雲国風土記>
多禰たねの郷の地名起源説

多禰たねの郷 ここは郡役所に続いている。
天の下をお造りなされた大神大穴持おほあなもち命が須久奈比古すくなひこ命と天の下を巡って歩かれたとき、稲の種をここでこぼされた。だから種という。(神亀三年に字を多禰と改めた。)

<風土記逸文>
※現在風土記ふどき常陸ひたち・播磨・出雲・豊後ぶんご肥前ひぜんの五国しか残っていません。
しかも完本として残っているのは出雲国風土記のみで、他の国の風土記はその一部のみが今に伝わっています。
また、上記五国以外の風土記は、他の文献にその引用という形でその存在を確認できるだけです。
風土記逸文とは、その引用されたものを出来る限り集めて復元を試みたものです。(完全に復元できるものはありません)

<伊予国風土記逸文>
伊社尓波いさにわの岡の温泉説話

こおり
大穴持おほあなもち命が後悔するほどはずかしめられ失神していたところ(失神・死に至るまでの前文が省かれている)、宿すく奈比古那なひこな命が、大穴持命を蘇生させるために、大分おおきだの国の速見はやみの湯(別府温泉)を暗渠あんきょを通して伊予まで持ってきて(道後温泉の由来)、宿奈比古那命が大穴持命に温泉浴させたので、少しの時間の後に蘇った。そうして、声を引いて「暫くの間、寝たことよ」と口ずさんだのであった。蘇って雄たけびし踏みつけた跡は今も温泉の中の石の上に残っている。(略)

(一口メモ)
道後温泉は当時から都人に知られた温泉の一つ。冒頭にはスクナヒコナの治療神・蘇生神としての性格と温泉の効能とが活写されている事物の起源譚である。

伯耆ほうき国風土記逸文>

粟嶋あわしまの地名起源説

伯耆国風土記にいう、――相見あふみの郡。郡役所の西北方に余戸あまりべの里がある。粟嶋がある。すくな日子ひこ命が粟を蒔いてよく実ったとき、そこで粟に乗って常世の国に弾かれて渡りなされた。それ故に粟嶋という。

他にもありそうなんですが、とりあえずこんな感じで。
さらっと見ただけでもかなり広範囲にわたってたくさんの説話がありました。
本当に当時は広く親しまれていたんでしょうね。
たくさん面白いことが分かって楽しかったです!(自己満足・・・)
あ、上の中の一口メモは植垣節也さんの「風土記」から引用してます。

約二ヶ月間かなり神話に偏った日記になってました。
それも今週の水曜日の古事記発表のための下準備という部分がありました。
流石に今回は飛ばされないだろうとは思うのですが、どうでしょうね。
とりあえず、お付き合い下さった方は本当にありがとうございました。
これに懲りず、また古事記や他の古代史で面白そうなネタがあったら語ってしまうかもしれませんが、その時はまたよろしくお願いします。

オホナムチとスクナヒコナの出会い(後編)

さてさて!
台風に負けず続きいきますよ!
前回スクナヒコナの正体が分かった大国主(オホナムチ)。
運命の出会いの行方は・・・!?

かれしかくして、神産巣日かむむすひのおやのみことに(大国主が)まをげしかば、答へてらししく、

「此は、まことが子ぞ。子の中に、我が手俣たなまたよりくきし子ぞ。かれなむち

葦原あしはら色許男しこをみこと兄弟はらからりて、其の国を作り堅めむ

とのらしき。


前回カカシの久延毘古くえびこによって正体不明の神様は神産巣日神の子「スクナヒコナ」と判明しました。
大国主はスクナヒコナを連れて高天原の神産巣日神のところへ上っていきます。
そこで神産巣日神は「これは確かに私の子だ。手から零れ落ちてしまった子だよ」と答えます。
子どもが手から零れ落ちるって!
よっぽど神産巣日神が大きいのかスクナヒコナが小さいのか。
一応定説では後者が専らですが、人によっては「オホナムチ」と「スクナヒコナ」のセットの名前というだけで、身体の大きさによる名前ではない、といっている人もいます。
三国志に出てくる有名な美人姉妹「大喬」と「小喬」も「姉」と「妹」という意味の大小ですから、分かる気もします。
で。
神産巣日神はさらに凄いことを言いますよ。

「折角だからお前(スクナヒコナ)は葦原あしはら色許男しこをみこと(大国主の別名)と兄弟になって、一緒に国造りをしなさい」

物凄いことをついでみたいにさらっと言いましたよ!!
国造りってあれです!
イザナキとイザナミが途中までやってたやつですよ!
イザナミの死によって中断していましたが、それの続きをやりなさいって言われてるんですよ!
ひーえー。
大国主は既にこの前の段階でスサノヲから国造りをしろと命令されているのですが、スクナヒコナまで加わることになりました。
イザナキとイザナミは夫婦だったので、国土や神様を「出産」という形で、国造りをしていましたが、それではこのでこぼこコンビは一体どんな国造りをするのでしょうか!?
かなり気になりますよ!
続きを見てみましょう!

故爾かれそれより、おほあな牟遅むぢ少名毘古那すくなびこな二柱ふたはしらの神、相並あいともに此の国を作り堅めき。
しかくしてのちは、其の少名毘古那神は、常世国とこよのくにわたりき。

オホナムチとスクナヒコナは二柱で共に国造りをした。
その後スクナヒコナは常世の国に渡った。


( ゚Д゚)「・・・」
二行・・・だと・・・?

信じられないことにオホナムチとスクナヒコナの活躍は二行で終わりました。
イザナキとイザナミの国造りはあんなに長々と書いていたのに!
実は古事記にはこれだけの記述しかないのですが、万葉集や風土記には色々な記述が残っています。
次の記事でその一部をご紹介しますね。
では、最後の締めです。

故、其の少名毘古那神をあらはまをしし所謂いはゆ久延毘古くえびこは、今には山田の「そほど(=カカシ)」ぞ。此の神は、足はかねども、ことごとあめしたの事を知れる神ぞ。

ここ!
久延毘古の紹介部分ですが、本当に格好いいですね!
特に最後が痺れる!
「この神は歩けないが、世界中のことを何でも知っている神である」
格好いいなぁもう!
この続きは、この間語った大物主の話へと続いていきます。

と、いうわけで。
万葉時代ではかなり広く親しまれていたと思われるオホナムチとスクナヒコナですが、古事記ではその二神の活躍は殆ど描かれていないという意外な事実が分かりました。
実をいうと、今回のこの話を書くことを思い立ったきっかけは、西條勉さんの本の記述を読んだからでした。
以下にその内容を引用します。

古典ライブラリー
「古代の読み方」神話と声/文字
著:西條勉

「スクナヒコナの忘却」

(古事記の中で)オホナムヂ(オホクニヌシ)が出雲の三穂崎にいると、蛾のぬいぐるみを着て、カガイモの殻に乗りながら波頭を伝ってやってくる神が登場する。名前を聞いても答えないので、付き従う神たちに尋ねたところ、誰も知らない、という。そこにヒキガエルが現れて案山子かかしならしっているはずだというので、案山子に聞いたところ、ようやく、それがスクナヒコナであると分かる――というくだりがある。
 この場面はとてもユーモラスに語られている。読者は語り口の面白さに乗せられて、なるほど、そんなへんてこな神なら誰だって知らないはずだ、とついつい納得させられてしまうところである。けれども、ちょっと考えてみてほしい――スクナヒコナは、それほど無名の神だったのだろうか。この神のことを「皆、知らず」というのは、いささか腑に落ちないところがあるのではないだろうか。というのも、この神は、古事記が作られた頃は、おそらくもっともポピュラーな神だったはずだからである。「播磨はりま国風土記」や「出雲国風土記」、それに逸文の「伊予国風土記」などで、オホナムチ・スクナヒコナのコンビが活躍することはよく知られており、また、「万葉集」にもこの二柱の神を詠み込む歌がある。(略)
 オホナムチ・スクナヒコナを創成神とする神話は、当時の民衆にとってかなり馴染み深いものであったはずなのである。ところが、古事記では誰も知らないまったくの無名の神になっている。いったい、これはどういうことなのであろうか。
 まず、よく言われることだが、古事記の神話が民間神話をそのまま書き取っているわけではない、という事実が確認できる。しかも、それはたまたま生じたズレといったものではないようだ。「皆、知らず」という言い方には、なにか民間神話を故意に無視したい底意が見え隠れする。そもそも、オホクニヌシがスクナヒコナのことを知らないというのが不審であろう。民間神話で、この二神はいつも行動を共にしていたのである。そこで、あらためて記紀の神話を鳥瞰してみると、そこでは<オホナムチ・スクナヒコナの神代>という観念そのものが否定されていることに気づく。記紀神話でこれに相当するのは、いうまでもなく<イザナキ・イザナミの神代>である。ところが、この神話が広く民間のあいだに流布していたという証拠はどこにもないのだ。たぶん、そんな神話は存在しなかったであろう。<イザナキ・イザナミの国土創成>は記紀のなかではじめて作り出された神話で、伝承的な基盤などはまったくなかったと見て間違いない。
 そうすると、古事記にスクナヒコナを無名の神とするのは、イザナキ・イザナミを創成神に仕立て上げるために、どうしても必要な措置であったことが分かるのである。つまり、「皆、知らず」という言い方の裏には、この著名な神を意図的に無視しようとする書き手の意図が隠されていたわけである。しかも、オホナムチさえもしらないとすることで二神のコンビを解消させ、民間の創成神話を巧みにバラしてしまったのだ。その結果、スクナヒコナは正真正銘、無名の神になりさがってしまった。かつてあれほど広く親しまれていたのに、今では、日本神話に関心を抱いて古事記を卒論に選択する学生ですら、スクナヒコナのことを知っているものはほとんどいない有り様である。そのかわり、イザナキ・イザナミの二神は、老若男女を問わず、圧倒的な知名度を誇る。書き手の意図はまんまと成功したわけである。

はー!
なるほどなるほど。
全てを鵜呑みにするのは若干危険なような気もするのですが、だからといって、私のような神話初心者の凡人には反論の余地もありません。
さて、古事記のオホナムチとスクナヒコナの話はこれで終わりです。
次回はこの二柱の神の補足。
いろんな国の「風土記」に足跡を残すオホナムチとスクナヒコナの活躍を見てみたいと思います。

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