Entry

日向神話~ウガヤフキアヘズの誕生~

※隼人と隼人舞に関しては下の記事に書いておりますので、ご興味のある方はご参照ください!

さあ!豊玉姫出産話です!
兄を服従させたホヲリ(山幸彦)のもとに、妻の豊玉姫が綿津見の宮からやってきました。

ここに、海の神の(むすめ)豊玉(とよたま)毘売(びめ)命、自ら(ホヲリのもとへ)()ゐ出でて(まを)ししく、

(あれ)は、(すで)妊身(はら)みぬ。今、産む時に臨みて、これを(おも)ふに、天つ神の御子は、海原に生むべくあらず。(かれ)()ゐ出で到れり」

とまをしき。

豊「できちゃった(照れ)」
山「マジで!?やったぁ!」
豊「天つ神様の御子だから、やっぱり海で生むわけにはいきませんものね。だから陸にきちゃいました」

妻の訪れを喜ぶホヲリ(予想)。
父の轍は踏みませんでした。
さっそく子どもを生むための産屋を作ることにします。
しかし、ここで事件が。

(しか)くして、即ちその海辺の波限(なぎさ)にして、()()(もち)て(屋根を()く)葺草(かや)()て、産殿(うぶや)(つく)りき。
ここに、その産殿を未だ()()へぬに、()(はら)(には)かなるに()へず。
故、産殿に()()しき。

山「もう少しで産屋が完成しそうだね」
豊「うっ」
山「え?」
豊「産まれる」
山「ええええ!!!」

なんと産屋がまだ完成していないのに豊玉姫が産気づいてしまいました!
仕方ないので未完成の産屋に入ることに。
ここで、豊玉姫はホヲリにお願いをします。

(しか)くして、まさに産まむとする時に、その日子(ひこ)(=ホヲリ)に(まを)して()ひしく、

(およ)(あた)し国の人は、産む時に臨みて、本つ国の形を(もち)産生()むぞ。(かれ)(あれ)、今本の身を以て産まむと()(ねが)ふ、(あれ)を見ること(なか)

といひき。

豊「あなた、私のような国が違う者たちは、子を産む時に元の姿に戻ってしまいます。だから、私が産屋にこもっている間は決して中を覗かないでくださいね
キター!
もう分りますよね。
こんなこと言われたら、絶対覗きます。
フラグってやつですね。
見るなと言われたら見るんです。
言うなと言われたら言うんです。
食べるなと言われたら食べるんです。
日本神話だけではありません。
世界中の神話・物語でそれはもう決定付けられています。(一般に「見るなのタブー」と言われることがあります)
もうこれは避けられない運命なのです!

ここに、(ホヲリは)その(こと)(あや)しと思ひて、ひそかにそのまさに産まむとする(様子)を(うかが)へば、八尋(やひろ)わにと()りて、腹這(はらば)ひもごよひき。
即ち(ホヲリは)見驚き(かしこ)みて、逃げ退()きき。

腹這(はらば)ひもごよひき・・・腹這いで体をくねらせていた
山「(豊玉姫はあんなこと言ってたけど、やっぱり心配だよね。ちょっと覗いてみよう)(ゴソッ)ね、ねぇ、大丈夫かい?」
―とても大きいワニが腹ばって身をくねらせているのを発見―
山「(バサッダッ)おれは何も見ませんでした☆」

やっぱり見ちゃった!
どうせそうだと思ってたけど!
そして、「見るなのタブー」の決まりとして、もう一つ。
見たことは確実に相手にバレます。

(しか)くして、豊玉毘売命、その伺ひ見るを知りて、心(に)(はずか)しと思ひて、(すなは)ちその御子を生み置きて、(ホヲリに)(まを)さく、

(あれ)は、(つね)(うみ)(みち)を通りて(地上世界に)往来(かよ)はむと(おも)ひき。(しか)れども、()が形を伺ひ見つること、これ(いと)(はずか)し」

とまをして、即ち海坂(うなさか)を塞ぎて、(ヒメは自分の国へ)返り入りき。

山「や、やぁ豊玉姫!無事に生まれて何より・・・」
豊「見たわね」
山「え」
豊「見たわよね(怒)」

やっぱりバレたー!
豊「ひどい・・・これからも海の道を通ってこようと思ってたのに・・・」
山「ご、ごめ・・・」
豊「あなたにはもう二度と会いたくないわ!さよなら!(バッ)」
山「豊玉姫ー!」
子「おぎゃー」

大国主の元を去る八上姫もそうでしたが、ここでも夫の元を去る妻は子どもは置いていきます。
この時代(古事記が書かれた時代)は随分と男系制が浸透してきていましたが、子どもは母親の元で育てられるのが一般的でした。
それゆえ、普通の感覚なら母親は子どももいっしょに連れていってしまうはずなのです。
なぜ子どもを置いていくのか?
いろいろ検討の余地がありそうです。
とりあえず続きを見てみます。

ここを以て、その産める御子を(なづ)けて、(あま)津日(つひ)(たか)日子(ひこ)波限(なぎさ)(たけ)鵜葺草(うかや)葺不合(ふきあへずの)(みこと)()ふ。

生まれた子どもは、産屋の屋根の葺草がまだ葺き終わらないうちに生まれてしまったという意味の「ウガヤフキアヘズノ命」と名づけられた。
ウガヤフキアヘズ!
これで日向三代全員登場しましたね!
「ニニギ」「ホヲリ」「ウガヤフキアヘズ」の三代をあわせて日向三代と呼んでいます。
この後、海に帰った豊玉姫は、やはり夫への思いを断ち切ることができず、妹の玉依姫に歌を託します。
玉依姫は姉の思いを携えて、陸へやってきます。
ホヲリは玉依姫から受け取った歌に心を込めて返歌をしますが、二人が再び会うことはなく、ホヲリは580歳でこの世を去ります。
御陵は高千穂の山の西とのみ、古事記には記されています。
スゴイ年齢だ!とお思いかもしれませんが、実は上巻で唯一記されている天つ神の死の記述です。
ご存知の通り、天つ神は死にません。
しかし、コノハナノサクヤ姫とニニギの結婚のところで出てきたように、これ以降の代は寿命を持つことになります。
段々と人に近づいていくのです。

さて、本文は本当はここまでの予定だったのですが、折角なのであと1回だけごく短いものを書きます。
上巻最後の締めとなります。
中巻冒頭の英雄にして初代天皇とされる神武天皇の誕生です。

日向神話こぼれ話~隼人と隼人舞~

海幸彦(ホデリ)の子孫とされている隼人(阿多隼人)と隼人舞について、いろいろな方のご意見を載せてみました。

<山田永さん>
隼人は海洋民族です。
ホデリはウミサチビコなのです。
ということは、泳ぎは得意なはずです。
それなのに溺れさせられたのは、ホデリにとって屈辱的なことでしょう。
ならば、その仕草を隼人がずっと「今(古事記成立当時)」に伝えるのはなぜでしょうか?
自分の得意業を前面に出すことが自己アピールにつながります。
ところが、隼人はまるで逆の事を考えたのでしょうか。
得意分野での失敗(溺れること)を演じ続けるのです。
私は以下のように考えます。
この話は明らかに、ホデリがホヲリに降伏した場面です。
隼人が長い間朝廷に屈しなかったという歴史的事実はともかくとして、隼人が皇室に対して行う大事なことは、「祖先神ホデリがそうしたように服従し奉仕します」と示すことなのです。
隼人の仕事は、天皇が溺れた時に得意の泳ぎで助けることではありません。
だから、自分の得意業ではなく、滑稽さを示すことでアピールしたのではないでしょうか。
サルタビコの条でお話したように、これはやはり滑稽な所作なのです。
海洋民族なのに溺れるといういわば弱点を相手に示すことは、「敵意は全くありません。誠心誠意あなた様にお仕えします」ということの表れだと思うのです。


<三浦佑之さん>
隼人が服属儀礼として天皇の前で演じる舞は「隼人舞」と呼ばれて宮中に伝えられていた。
隼人に限らず、服属した一族は、定期的に大君(天皇)の前で服属のいわれを語ったり演じたり、贄を献上したりすることによって、服属の誓いを再確認しなければならない。
それが服属儀礼である。
隼人の服属は比較的新しかったのではないかとみられており、七世紀後半の天武天皇の時代あたりから、こうした儀礼が行われ、天皇の行幸の際には犬の遠吠えをしたりして仕えたということが記録に残されている。



<西郷信綱さん>
この神話は隼人が宮廷守護の役につくに至った因縁をいったものだが、その中身が問題である。(略)
日本書紀一書に「汝に事へまつりて奴僕(ヤッコ)と為らむ」とあるごとく、それは実は下僕の役に任ずることであった。
同じ一書にまた次のようにある、「火酢芹命の苗裔(ノチ)、諸の隼人等、今に至るまで天皇の宮墻(ミカキ)(モト)を離れずして、(ヨヨ)吠ゆる(イヌ)して奉事(ツカヘマツ)る者なり」と。
これを「狗人(イヌヒト)」ともいう。(略)
大伴氏ひきいる親衛隊が武人であるとすれば、隼人は番犬に近い。
そして元旦即位とか大嘗祭とかにさいしては応天門で、また行幸の駕が国界や山川道路の曲り角に来た時など、隼人はこの吠声を発した。
それが印象的なものであったことは、万葉に「隼人の、名に負ふ夜声、いちしろく」とあるによっても分る。
おそらくその異様な声が悪霊を払う呪力をもつとされていたのだろう。
だがむろん、隼人は奴隷とは範疇を異にする。
隼人の祖のホデリ(日本書紀ではホスセリ)はホノニニギの子であり、ホヲリの兄とされているが、奴隷がこのように系譜づけられるはずがない。
雄略天皇の葬りにさいし、「隼人、昼夜陵の側に哀号(オラ)ぶ。食を与へども食はず。七日にして死ぬ」という記事があり、(略)これは隼人が文字どおり天皇のヤッコ(家つ子)であった消息を語っている。(略)
神話は現実の制度や習俗や信仰の由ってくるところを起源的に説明しようとする働きをもつ、とよくいわれる。
これをしかしたんに因果的と解してはならぬ。
その関心はかつてあったことにではなく、むしろある諸関係に向けられる。
というのも、ある諸関係はそれぞれイハレがあったからで、つまりそのイハレが神話なのだ。
古事記じたい、それはある王権という秩序を、神代以来の不易なもの語ろうとするものである。
ここで隼人の服属を「今に至る云々」というのも、その関心はに向けられていたはずである。
奈良朝にも隼人が氾濫して大隅国国司を殺すというような事件が起きている。(略)
そういう隼人の服従のイハレが神代にあり、しかもその祖ホデリ(またはホスセリ)は皇孫ホヲリの兄弟に他ならぬゆえんを語ったのがこの海幸・山幸あるいは海宮訪問の話である。
しかし、隼人舞がそもそも「その溺れ苦しびし状」をまねて作られたものかどうかは疑問である。
(略)フンドシ姿になり、掌や顔に赤土を塗ったのを、日本書紀では「吾、身を汚すこと此の如し」としているが、これは踊りのための変身を、かく解釈したまでであろう。
以下、「初め潮、足に漬く時には、足占をす。膝に至る時には足を挙ぐ。股に至る時には走り廻る。腰に至る時には腰を捫ふ。(以下略)」は、この踊りがきわめて道化たものであることを示しているが、これも特定の国ぶり踊りをかく解釈し、かく解釈することによってそのしぐさが溺れるさまを現にまねたものであるかのように固定していったものと思われる。
何れにせよ、これが宮廷に対する隼人の服従のしるしであることは間違いない。
服従には何かのしるしが必要であった。
隼人の場合それは、天皇の代替わりごとの大嘗祭で隼人舞を奏するという形で表現されたのである。
そしてそれは王と道化の関係として祭式化されているといえる。

なお、(略)いわゆる天孫降臨が偏狭の南九州の地になされたのは、少なくともそこに隼人が蟠踞していたことと無関係でないとする私の持論は、天皇が誕生する大嘗祭という儀式の場で、隼人服従のしるしであるこの隼人舞が演じられることを一つの根拠としていることをいっておく。


ちょっと西郷さんだけ長すぎましたでしょうか。
これでもかなり省略しています。
本文はかなり詳細に説明されておりますので、よろしければ「古事記注釈第四巻」をご参照ください!

それでは、次はトヨタマ姫の出産話です!

日向神話~海幸彦と山幸彦~兄の服従

前回海神を味方につけて、兄への報復を万全に整えたホヲリ(山幸彦)です。
陸に戻ってきてどうしたかというと・・・。

(もち)て、(ホヲリは)つぶさに海の神の(をし)へし(こと)のごとく、その()(あた)へき。

山「兄さんただいま!釣り針を見つけたよ!」
海「ホヲリ!おまえどこ行ってたんだ三年も。てっきりもう・・・」
山「はいこれ兄さんの釣り針」
海「おお、よかった、見つかっ・・・て、おまえ何で後ろ向いてるわけ?」
山「『この針はぼんやり針・すさんだ針・貧しい針・愚かな針』」
海「ちょ!おま!なんてこと言うんだ!」

三年ぶりに帰ってきた弟にいきなりひどいことを言われた兄ホデリ(海幸彦)。
大事な釣り針はかえってきたけど・・・。

三年ぶりに兄弟は再会しましたが、元の通りに生活をするというわけにはいきません。
続きを見ます。

(かれ)、それより以後(のち)は、(ホデリは)(やをや)(いよ)よ貧しくして、さらに荒き心を起して()()たり。
(ホデリが)()めむとせし時には、(ホヲリは)塩盈(しほみち)(のたま)()だして(おぼほ)れしめき。
それ(うれ)()へば、(しほ)乾珠(ひのたま)()だして救ひき。

(やをや)(いよ)・・・徐々に
(うれ)()へば・・・苦しんで助けを求めたら
本文でさらに荒き心を起して」というところから、もともとホデリ(海幸彦)は荒い心だったということが分かりますね。
ホデリの要求は確かに筋は通っていましたが、どうしても少しやり過ぎのところがあった感は否めないかもしれません。
まあ弟の方がもっとやり過ぎのような気もしますが。
こうして兄は、ついに弟に服従します。

かく(なや)(くる)しびしめし時に、(ぬか)()きて(まを)ししく、

(やつかれ)は、今より以後(のち)汝命(なむちがみこと)昼夜(ひるよる)守護(まもり)(びと)として(つか)(まつ)らむ」

とまをしき。

海「・・・く、私が悪かったです。これからはあなたの昼夜の守護人となってお仕えいたしますので、どうかお許しください」
山「分かればいいのさ」

兄の服従の誓いにより、二人の争いは終わりました。
そしてこれは、ホデリ(海幸彦)の子孫である隼人がホヲリ(山幸彦)の子孫である皇室の護衛として仕えることになった起源譚でもあります。

(かれ)、今に(いた)るまでその(おぼほ)れし時の種々(くさぐさ)(わざ)絶えずして、(皇室に)仕へ(まつ)るぞ。

それゆえ(ホデリの子孫である隼人族は)、今に至るまで(ホヲリの子孫である天皇の前で)この時の溺れた時の時の様々な仕種を演じ、たえず仕えているのである。
ご存知の方も多いかもしれませんが、隼人は南九州に縁をもつ海洋民族出身の集団といわれています。
勇猛さで知られ、古事記が編纂された当時は相当な力をもっていたようです(※幾度か天皇の妃を輩出している)。
この神話は隼人の起源譚でもあるわけですね。
南九州の勇猛な一族といえば、一番に思い浮かぶのはヤマトタケル伝説に出てくる「熊襲」という方もいらっしゃるかもしれませんね。
「熊襲」は一般的には地域名からつけられた名前のようです。
「隼人」は勢力名あるいは集団名として使われているようです。
元をたどれば同じ一族なのかもしれませんが、詳しいことは分かりません。(スミマセン・・・)
それにしても、隼人は武勇で名を馳せている集団でその上海の民でもあるのに、溺れるしぐさなどという屈辱的な動作を演じるなんてちょっと違和感があるような気がします。
ここで何度か書きましたが、「神話は現在の保証」のために語られるものです。
当然、ホデリとホヲリの話が先にあったのではなく、あくまでも「隼人」という集団があって、その保証のために、この神話が古事記に載せられたのです。
この時代に力をもっていた隼人の神楽なら、もっと勇壮で格好イイしぐさを演じるものなのでは?と思ってしまうわけですが、逆にそういう人たちが滑稽な姿を演じることによって皇族への忠誠を誓う姿勢がより一層際立つのではないかという見方もあります。

これにて兄弟のお話は終わりです。
長かった日向神話もおそらくあと1~2回で終わります。
次回はホヲリとトヨタマ姫の子どもが生まれる話です。

Page

Utility

簡易メニュー

薄紅語り
(過去の日記の薄紅天女の妄想語り一覧)
古代史語り
(過去の日記の古事記とか万葉集とか他)
Web拍手
(お気軽に頂けると嬉しいです)
拍手は別窓、語りは同窓で開きます。

日記内検索

カレンダー

< 2024.11 >
S M T W T F S
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
- - - - - - -

コメント一覧