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お返事です・その154

萩野さま

ようこそお越しくださいました萩野さま!!
お待ちしておりました!!
[苺大福&抹茶プリン]うわあああおいしそうなものをありがとうございます!!
ではこれで一緒に萌え談義を・・・つ[せん茶]<新たなマイブームの兆し・・・

>日記の藤太&苑上語りでじーんと来ました。
>苑上と藤太はそれぞれ立ち位置が違うけれど、どちらも阿高にとっては重要な存在なんだな、というのを実感できます。


お読み頂きありがとうございます!!
妄想度合いが高いので嬉し恥ずかしですがやっぱり嬉しいです。
私の中で、阿高にとって苑上と藤太はある意味では失った母と父のポジションを埋める象徴のような存在だったのではないかというイメージをずっと持っていました。
それでは、その母と父の存在とはいったいどんなものなのかと考えた時、「共感」と「勇気」という言葉に行きつきました。
まだまだ結論というほど頑固に決めつけているものではないのですが、阿高が失ったもの・欠けていたものをどのように埋め合わせていくのかというのは、私が創作する際にはとても重要な要素でした。
また、ついでですが、風神秘抄の草十郎は、阿高と比べるとまったくといっていいほど影が見えないのも合わせて考えています。
まず、「人から離れていた」というところが注目したいポイントの一つです。
阿高はよくも悪くも常に人に囲まれていて、だからこそ人との違い(両親の死のタブー視)がより身につまされて感じられたのかもしれないです。
せめて両親が単なる事故や病気で死んだのだとしたら、阿高もあそこまで孤独を募らせることはなかったかもしれません。
しかし、草十郎はそういう比較する人すらもいないので、立場だけ見ると阿高に近いけれど、精神的には「孤独」を知らない藤太に近いのかもしれないと思っています。
後は「笛」の存在も欠かせないですね。
草十郎は草十郎でまたいろいろ考えていることがあるので、機会があればいつの日か語りたいです。

>現実の苑上にあたる人(平城・嵯峨の同母の妹)は父には愛されたものの若くして亡くなってしまっているので、孤独を知る苑上の分析が非常に胸に響きました。

高志内親王ですね。
私もこの人の存在は少し意識しています。
確か腹違いの兄に嫁いだあと、21歳で亡くなられたということを読んだ気がします。
名前もおそらくは越国(北陸)出身の釆女が乳母だったからついた名前かと思うので、本名は分からないんですよね。
確か某日本武尊サイトの管理人様が、若くして死んだことにして実は武蔵に・・・と書いておられましたが、とてもにやりとできる妄想だと思いました!
「愛された」というのも、彼女にとって満足のいくものだったのかどうかも想像し甲斐のある話だと思います。
苑上も父親から直接声をかけてもらったり、心配して伊勢に避難させてもらおうとしていたりしていましたから、これもみようによっては後の人が「とても愛された」と解釈してもおかしくないのでは・・・とか。
それをどう受け取るかは結局本人自身の問題かもしれません。
桓武天皇はある意味では勝ち組(笑)の人なので、必要以上にいい帝だったということにしたくてそういう記述をしている可能性もありますしね。(これはちょっとうがち過ぎですが)
考えれば考えるほど苑上に重ねようとして歴史を歪曲してしまいます!!
私ってやつは本当にダメだ!!(ホントにスミマセン・・・)

>兼倉様の分析が実は私好きなので(告白)、これからも語っていただけたらありがたいです!

ありがとうございます!!本当にありがとうございます!!
あさっての方向ばっかりに飛んでいる妄想ばっかりでさぞ皆様鼻で笑っていらっしゃるか、もしくはこぶしを握って「違うよ!」と叫びたい思いをなさっていることだろうと拝察いたします(経験談)
それなのに暖かいお言葉をかけて頂いて、私は本当に幸せ者です。
国語が得意な人ほど、全体を感性で理解されていると思うので、私みたいな頭の固い人間がちょっとしたところで躓いてオロオロしているのを見て、ああそんなところで躓く人もいるのか、とちょっとでも目を向けるきっかけにでもなれていれば、それ以上望むことはありません。
私の国語へのトラウマは非常に根が深いので、ぜひ心ある方の添削・解説を心から望んでおります。切実に。
何を書いても自信がありません。
むしろ自信があると思ったものほど実際とはかけ離れていると知っているので、何もかもダメなんです私は・・・(死)
今後もまた「なんでそこで・・・」みたいなところで躓いて盛大に叫びまくったりするかもしれませんが、どうか正しい道へ進むためのヒントをそっと差し出してやっていただけると嬉しいです。
どうかよろしくお願いします。
・・・半分冗談かと思っておられますか?全部本気ですよ!

>萩野は一つ大きな試験を乗り越えなければならず、夏ごろまであまりネットをしてばかりいられない状況に陥りまして…

なんと!
お疲れ様です(T_T)
お会いできないのはとても辛いですが、無事乗り越えられますよう心から願っております。
私も春くらいから始動しようと思っていたら同僚が急に退職することになって、春から1.5人分の仕事をすることになってしまって、逆に復活から遠のいてしまいました。
ままならないものです。
忙しい中でも、心の潤いだけは確保しつつ、お互いがんばりましょうね!

コメント本当にありがとうございました!
お忙しい中でも、気晴らしくらいのお役にたてることがございましたら、お気軽にいらっしゃって下さい。
萩野さまのまたのお越しを心よりお待ちしております!

お返事です・その153&ありがとうございます!!!

糸村和奏さま

ようこそおいでくださいました和奏さま!!
お待ちしておりました!!
まずはこれをどうぞ・・・つ[レモネード]<会社では最近忘れられがちになってきているレモネード。私一人飲んでます。

>この間はわざわざご連絡いただいてありがとうございました!

こちらこそ急に変更してしまってスミマセンでした。
間に合ってよかったです。
そしてこのため日向神話語りの開始が2月くらいに早まりそうです。
勉強が追いつかない・・・!(ピンチ)

>いっそ双子だったら良かった、というのは最初の方で美郷姉さんも言ってますよね。とても印象的だったのを覚えています。
>人と自分が違うというのを認めて、その上で全て肯定するのって、実はすごく難しいことだと思うのです。家族だとか、近い存在であればこそ余計に。


実はお恥ずかしながら、この美郷の「いっそ双子だったらよかったのに」という台詞の意味が暫く全然分からなかったんです。
阿高と藤太は兄弟じゃないけど、遠子と小俱那と違って血は繋がっているわけだから、別に必要はないんじゃないのかな?とのんきに考えていたんです。
でも今回これを書くにあたって、ちゃんと腰を据えて読んでみると、こんなに大事な意味があったのかと驚きました。
双子って血縁とか兄弟とかだけの意味じゃなくて、もっと比喩的な意味も込められていたんですね!
表面的なことしかわかってなかった自分が恥ずかしくなりました。
多分ほとんどの方はこの意味がちゃんと分かっていらっしゃったと思うのですが、私みたいな一つ一つ丁寧に見てみないと分からない奴が一生懸命取り上げてみることで、改めて「そういえばそうだったね」と思い出してもらえるきっかけにでもなれていたらいいなぁと思います。
・・・学生時代に国語が鬼のように出来る友達がいましたが(今も友達です)、その人からはしょっちゅう「どうしてそんなことが気になるのか」と言われていました。
まあ質問したら丁寧に答えてくれるのでとても助かっていたのですが。(口は悪いのに態度が凄く優しい人です。明らかにツンデレ・・・!)
私は昔からたった一行で書いてあることを二十行ぐらいにしてもらってやっと理解できるという極度の国語オンチでした。
そのころからの弊害で今でも普通の人なら分かっているようなことをだらだらと書いてしまいます。
私にはこのくらい書いてないと分からないんです(涙)
軽く鼻で笑ってやってください・・・!

>阿高はもちろん、藤太も内心それを認められなくて、だからましろの存在をずっと隠していたのかな、と。

!!!!!!
新見解!これは新見解です!なるほどー!!!!!!
そういう可能性も大いにありますね!
心のメモ帳に太字で書き込んでおきます。
貴重なご意見誠にありがとうございます。
薄紅理解がこれでさらに深まりました。

>そして前編にあった「存在を知らなければ見る(認識する)ことは出来ない」とのお言葉、とても深いですね。人と自分の違いに気づくというのも、この言葉につながっていると感じます。

この辺りが苑上と藤太の一番の違いかな、と思っています。
ずっと一心同体だと思っていた藤太と阿高は実はまったく別の人間だった。
ずっとまったく違うものを見てきたはずの阿高と苑上は実は同じ痛みを知っていた。
違う人間だからこそ、お互いがお互いに刺激しあい、尊重しあうこともできる。
同じ痛みを知っているからこそ、傷を見つけて手を伸ばすことができる。
どちらもかけがえのない大事な存在だと思います。

>藤太は阿高と離れ離れになったことで、今まで認識していなかったものが存在していたことに気づき(抽象的ですみません)、丸ごと受け入れたのでしょう。それが阿高にとって大きな救いになった。
>阿高はこのお話を通じて大きく成長したけれど、それは藤太も同じだったのだな、と兼倉さまの考察を読んで思いました。


藤太は今まで阿高のことは何でも知っていると思っていたけれど、藤太が見ていた阿高はきっと見えない壁の先の阿高で、藤太は今回阿高との間にそういう壁が存在していたことを知ったと思います。
そしてその壁は越えることができない種類のものであり、その上で、その壁があっても自分と阿高との友情にはいささかの障害にもならないと考えたのではないでしょうか。
「たとえおまえがおれのことを見限っても、ほかのどんなものになっても、おれは願うのをやめないだろう」という藤太の台詞は、阿高との違いを思い知って、それでもそれを受け入れてこれからも一緒にいたいという決意がとても伝わってきます。
今回の考察もどきを通してとても好きになった台詞の一つです。
また、今回は阿高を中心にして阿高との関わりで書いていますが、広梨や茂里や千種も、それぞれが今回の試練で大きなものを得たのだろうと想像します。
読めば読むほどいろんなことが深まります。
薄紅天女は本当に素晴らしい物語ですね!(いつもの結論)

>苑上編も楽しみにしておりますが、ご無理はなさらないようにしてくださいね。お互い、社会人にとっては辛いところですよね(苦笑)
>それでは乱文失礼いたしました。


ありがとうございます!!
そのお言葉が励みになります!!
昨日は早く寝て朝起きようかと思ったらそのまま朝まで爆睡してしまいました・・・。
やはり私は夜型人間のようです。
身体と相談しながら、好きなものを長く続けられるようにしたいと思います。

コメントありがとうございました!!
和奏さまのまたのお越しを心よりお待ちしております!!
25日の22時台と本日7時台と14時台に拍手を下さった方ありがとうございます!!!
後少しで今回の話題はけりがつきそうです。
次の「阿高の心の死と再生」についてはもっと簡潔に書けるように頑張りますので、ぜひそちらもよろしくお願いします!
拍手ありがとうございました!!!

お返事です・その152&ありがとうございます!!

みんさま

ようこそお越しくださいましたみんさま!
お待ちしておりました!
これをどうぞ・・・つ[梅昆布茶]<たくさん飲みすぎると気持ち悪くなるんですが、たまに飲むと堪らなくおいしいと思います。

>恐れ多くもRie様のサイトでキリ番を踏んでしまい、リクエストをどうしようか悩んで悩んでまだお願いしていない次第です(笑)

マジですか!
おめでとうございます!
それはぜひ、練りに練ったお題をお見舞いして差し上げてください!
私は青田彦の嫁取りが気になって仕方ありません。(青田彦=かみなぎ@オリジナル)
いつの日か青田彦の嫁となって科戸王の姑になるのが私の理想の未来です。(聞いてないよ)
薄紅リクもかなりおいしいですが、Rieさまなら何でもおいしく料理してくださると思います。
みんさまのリクエストが私も楽しみです。

>薄紅考察大変楽しませてもらってます!それで原作読み返してみましたが(中2からかれこれ7年ほど何十回も読み返しているのでもうヨレヨレです笑)やっぱり苑上は魅力的だなーと思います。

お読みくださってありがとうございます!
できるだけ早く書き上げたいと思っていますので、何卒よろしくお願いします。
私も苑上はとても魅力的だと思います。
その魅力に出来る限り迫ってみたいです。

>一生懸命さ、人への思いやり、周りの意見に惑われず人の本質を見ようとするところ、責任感のつよさ、全部大好きだし憧れです。本当に強い人は何かに真っ直ぐな人ではなくて、柔軟で曲がっても折れない人と聞いたことがありますが苑上はまさにその柔軟さがあると思います。真っ直ぐな人はその道がダメになると折れてしまうけど、柔軟な人は窮地に追い込まれてもそこでどうするか考え行動することができる。いつだって苑上は自分に出来る限りのことを行動にしていますよね。苑上のそんなところが一番好きです。兼倉さんの考察内容とは全く違う内容ですが(笑)
原作読み返すと色んな発見がありますよね!


苑上の魅力は本当に語りきれないほどありますよね。
違ってても気にしないでください!
好きなものを好きと伝えて貰えるのが嬉しいです。
私も自分の好きなものを全力で好きと叫びたい!と思っています。
「柔軟さ」そうですね。
パスカルの「人間は考える葦である」にも通じるものがあると思います。
葦は風が吹けば倒れてしまう弱々しい存在だけど、風が過ぎ去ったらまた必ず立ち上がってくる。
そういう柔軟な強さが人としての理想の強さですね。

>考察楽しみにしています!毎日お邪魔しています〜(笑)

ありがとうございます!
少しでも面白がっていただけたら凄く嬉しいです!

コメントありがとうございました!
みんさまのまたのお越しを心よりお待ちしております!
Rieさま
ようこそお越しくださいましたRieさま!
お待ちしておりました!
これをどうぞ!つ[だいがく芋]<芋料理のレパートリーが増えてきました

>藤太は阿高に「孤独を忘れさせてくれる」存在で、苑上は阿高の「孤独を癒す」存在…。原作を読んで、阿高は藤太にずいぶん救われているなあと思っていました。忘れさせてくれていたのかと思うと、藤太のいろいろな行い(女の子がらみも含む)も肯定できそうな気がします(!?)

苑上の表現は少し変えてしまいました。
「癒す」というのは、阿高が強さを得てからかなぁと思い直したのです。
癒されるのは、阿高が癒されることを望んでいないといけないような気がしました。
立ち直りたいという前向きな気持ちになってこそ、初めて癒されることを受け入れられるのではないかと。
まだまだ十分練りきれてなくてスミマセン(^_^;)
藤太は本当に阿高を救っていると強く思います。
藤太はいいやつだ!というひとことをひねり出すために、長々と語る予定です。
藤太の女の子がらみも阿高一人なら絶対に関わらない事柄だと思うので、阿高は本当に藤太にいろんなことを体験させられていますね。
そのあたりを後々鈴に活かしてもらいたいものです。
そうなる前に、まず阿高は乗り越えなければならないことがあるわけですが。

>孤独を知るものしか孤独は癒せない…名言ですね!
>痛みを知るものしか、本当の意味で共感・理解はできないのかもしれないと思いました。


そういうことがいいたいわけです!
汲み取っていただけてて良かった!(感涙)
癒されるにはやっぱりそれに目を向ける勇気が必要です。
だからこそ、一緒にそれを見てくれる(共感・理解してくれる)人の存在がとても力になるのではないかと思います。
このあたりをもう少しネチネチ語らせてもらう予定です。

コメントありがとうございました!
Rieさまのまたのお越しを心よりお待ちしております!


23日の21時台と23時台に拍手を下さった方ありがとうございいます!!
もう少しで結論までたどりつけそうです!
ぐだぐだになってきててスミマセン・・・後ほど推敲などなどこっそりやってしまうと思いますが、言いたいことには始めからブレはないので、どうか見守ってやって下さいませm(__)m
拍手ありがとうございました!!

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