番外編:鈴は阿高を好きなのか
木々の合間から光が降り注いでいる。
追っ手を撒くためにあえて道なき道を歩む四人は、森の中の川沿いをひたすらに進んでいた。
「そろそろ休もうか」
前を行く藤太が後ろ三人を振り返って言った。
「そうだな。見たところ奴らも随分引き離せたようだ。良かったな阿高、疲れただろう」
広梨が更に振り返って阿高を小突いた。
阿高は背に鈴を負っていた。
鈴はこの獣道を歩むことを早々に諦めていたのだった。
「別におれは疲れてなんかないさ。おまえ達のほうが重いはずだろ」
「人間を背負うのと単なる荷物を背負うのとじゃ気の遣い方が違うさ。ま、おまえがそう言うなら別にいいけどな」
藤太と広梨は四人分の食料と路銀とその他の旅道具を分担して背負っていた。
都を出る時は三頭の馬に乗っていたが、追っ手をかわす途中の道の木に手綱を結んで置いてきたのだった。
人目を避けながら馬で先を急ぐのには限界があるためだ。
しかし、だからといってただ放しただけではせっかく賀美野が用意してくれた馬たちが道に迷ってそのまま飢え死にしてしまう危険もある。
自分たちの足跡を知らせることになるのを承知で、阿高たちはあえて馬を追っ手の目に付きやすいところに残してきた。
あれなら迷うことなく彼らに保護されるだろう。
馬は何よりも貴重な財産だ。
見つければ間違いなく都へつれて帰る。
馬を大事にする坂東の者らしい判断だった。
「後少しだな」
阿高は鈴をその場に下ろすと、少し感慨深げに独りごちた。
「鈴」
藤太は一人で清流に足を浸している娘に声を掛けた。
「なに、藤太」
娘は振り返って笑顔で応じた。
「鈴に聞きたいことがある」
藤太は娘の隣に腰掛けた。
今、阿高は獲物を探して森の中を徘徊している最中、広梨は少し離れた場所で集めた薪に火をつけているところで、藤太と鈴は二人きりだ。
「鈴は阿高をどう思っている」
「どう、とは」
藤太は思い切って言った。
実は少し前から少々疑問に思っていたことだった。
伊勢にいる間に甥の気持ちは何度も聞いた。
阿高は確かにこの娘に恋をしているようだった。
いや、恋というほど生易しいものではないかもしれない。
執着、没頭、傾倒、固執、思慕、憧憬、・・・それら全てを兼ねるような、しかしそれでいてそれらとは確かな何かを異にしているような。
(結局それは「恋」と呼ぶしかないのかもしれないけれど)
甥は確かにこの娘へ想いを向けていた。
それは武蔵での恋を知らない無垢な彼を知る者からするととても信じられない変化だった。
そして、藤太ははたと気付いた。
恋を知らなかったのは、この娘も同じではなかったかと。
宮の奥の奥にまるで隠されるようにして育てられた娘。
この娘が、恋を知っていたとは思えない。
実際、出会った時からして男の裸を目にしても顔色一つ変えず、あまつさえ自分が男に見られていると本気で思っていた娘だ。
男と女の違いが分かっているかどうかも甚だ怪しい。
さらに、後になって聞いた話では阿高と藤太と三人で徘徊している時に「おなかが空いた」だの「足が痛い」だの「疲れた」だの「のどが渇いた」だのと言っていたのは、なんと彼女なりの男になりきった仕草だったというのだ。
面食らった阿高が理由を問いただすと、娘は真顔で仲成から「男とはわがままなものだ」と教わったからだと答えた。
藤太はますます不安になった。
ここまでしておきながら、実は相棒の片恋だったなどということになったら目も当てられない話だ。
一方聞かれたほうの娘はきょとんとして問われた言葉を反復した。
その表情からは何も読めない。
藤太は少し考え直した。
「じゃあ、別の質問をするよ。鈴、君は武蔵での阿高がどんなだったか気にならないか」
「武蔵の阿高?」
「そう、あいつが武蔵でどう過ごしていたのかだよ」
「気になるわ」
「じゃあ教えよう。阿高とおれは二連と呼ばれていた。歳も同じ、背格好も殆ど同じ、いつも一緒に同じ事をしていた」
娘は興味津々といった様子で藤太の話を熱心に聞いている。
藤太は続けた。
「おれや広梨に武蔵に恋人がいるというのは前に話したね。阿高はどうだったと思う」
「阿高?」
「阿高は随分人気があったよ。なんせおれが惚れる女の子の半分は阿高が好きだったから」
「まぁ、藤太は気が多かったのね」
(そっちじゃなくて)
藤太は思わず声に出そうとして思い留まった。
娘の表情からはまだ何も読み取れない。
そこで藤太は小さな決心を固めた。
「実は阿高の奴は女の子に全然興味を持ってなかった。どんな女の子に言寄られても全くの無反応。そんなことより鼻歌歌って雲を眺めている方が楽しそうだったよ。まったく我が甥ながら呆れた話さ」
「阿高らしいわ」
「まあね。でも、だからこそ」
藤太は娘に向き直った。
「鈴は特別なんだ。阿高だけでなくおれたちにとってもね」
娘は藤太を見返した。
意味が分かっていないらしく、小首を傾げている。
藤太は苦笑して言葉を継いだ。
「だって阿高の奴は竹芝の女の子たちには全く関心がないんだぞ。これで万が一鈴に振られるようなことがあったら、きっと阿高は一生恋なんて出来ないんじゃないかと」
「藤太」
名を呼んだのは目の前の娘ではなかった。
今までにだれも聞いたことがないような低い低い地を這うが如くどすのきいた声。
二人がゆっくりと振り返ると、そこには二人の青年がいた。
一人は引きつった笑みを浮かべている広梨。
そしていま一人は。
「藤太!許さないぞ、とっちめてやる!」
「あ、阿高、待て、誤解だ!うわ!」
「逃げるな藤太!」
二人はまるで転げるようにして走り去っていった。
それを見詰める広梨と鈴。
「まったくあいつらは何をしているんだか。ありゃ当分戻ってこないぞ」
呆れた声音でそう言って広梨は鈴を見る。
鈴は二人が走り去った方角を見ながらぼそりと零した。
「あぁ、藤太に阿高を取られてしまったわ」
(・・・え)
広梨は内心軽く驚いた。
それは正しく二連に心を奪われた竹芝の娘たちが常日頃口にしている言葉だった。
鈴はきっと分かっているに違いない。
本当の恋敵は竹芝の女の子たちではなく、藤太その人だということが。
(阿高の奴、まったく愛されてやがるな)
「鈴、あいつらは放っておいて、おれたちだけで先に腹ごしらえをしてしまおう。待ってやる必要なんてない。あいつらのことだ、どうせ腹が減ったらもどってくるさ」
「それもそうね」
娘は笑って広梨の後に付いていった。
一方二連たちのほうはといえば。
「あ、ほら、阿高、大変だ。鈴が広梨にかどわかされた!」
「え」
阿高の目には広梨と笑って奥へ消えていく鈴が映る。
「・・・・・・・・・・」
なんともいえない表情になった阿高を見て、藤太は内心で大笑いした。
(おまえ、広相手にまでそんな顔をするのかよ)
竹芝にもどったらこんなものじゃないだろう。
鈴の容姿は正直、すぎているほど整っている。
ぬばたまの黒髪、大きく黒目がちな瞳、三日月を思わせる眉、雪のように白い肌、白魚のような指先、そして桜の実のような若く瑞々しい唇。
その人間離れした、まるで何かの明確な意図でもって誂(あつら)えられたのではないかと思ってしまうほど非の打ち所のない美しさを藤太は以前「人形のよう」と評したことがある。
果たして武蔵の男衆には鈴がどう映るのか。
「ほら阿高、そろそろもどろう。せっかく盗んできたのに横から攫われては意味がないだろう」
「おれは別に広を疑ってなんかいない」
そういいながらもどる方角へ足を向けている相棒に、藤太の笑いはいよいよ収まらなくなってきた。
「おい、なにを笑っているんだ」
「笑ってなんていないさ」
「笑っているだろ」
その後。
もどった阿高がさりげなく鈴と広梨の間に座ったことを藤太は後々まで笑い種にした。