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日向神話~海幸彦と山幸彦~兄の服従

前回海神を味方につけて、兄への報復を万全に整えたホヲリ(山幸彦)です。
陸に戻ってきてどうしたかというと・・・。

(もち)て、(ホヲリは)つぶさに海の神の(をし)へし(こと)のごとく、その()(あた)へき。

山「兄さんただいま!釣り針を見つけたよ!」
海「ホヲリ!おまえどこ行ってたんだ三年も。てっきりもう・・・」
山「はいこれ兄さんの釣り針」
海「おお、よかった、見つかっ・・・て、おまえ何で後ろ向いてるわけ?」
山「『この針はぼんやり針・すさんだ針・貧しい針・愚かな針』」
海「ちょ!おま!なんてこと言うんだ!」

三年ぶりに帰ってきた弟にいきなりひどいことを言われた兄ホデリ(海幸彦)。
大事な釣り針はかえってきたけど・・・。

三年ぶりに兄弟は再会しましたが、元の通りに生活をするというわけにはいきません。
続きを見ます。

(かれ)、それより以後(のち)は、(ホデリは)(やをや)(いよ)よ貧しくして、さらに荒き心を起して()()たり。
(ホデリが)()めむとせし時には、(ホヲリは)塩盈(しほみち)(のたま)()だして(おぼほ)れしめき。
それ(うれ)()へば、(しほ)乾珠(ひのたま)()だして救ひき。

(やをや)(いよ)・・・徐々に
(うれ)()へば・・・苦しんで助けを求めたら
本文でさらに荒き心を起して」というところから、もともとホデリ(海幸彦)は荒い心だったということが分かりますね。
ホデリの要求は確かに筋は通っていましたが、どうしても少しやり過ぎのところがあった感は否めないかもしれません。
まあ弟の方がもっとやり過ぎのような気もしますが。
こうして兄は、ついに弟に服従します。

かく(なや)(くる)しびしめし時に、(ぬか)()きて(まを)ししく、

(やつかれ)は、今より以後(のち)汝命(なむちがみこと)昼夜(ひるよる)守護(まもり)(びと)として(つか)(まつ)らむ」

とまをしき。

海「・・・く、私が悪かったです。これからはあなたの昼夜の守護人となってお仕えいたしますので、どうかお許しください」
山「分かればいいのさ」

兄の服従の誓いにより、二人の争いは終わりました。
そしてこれは、ホデリ(海幸彦)の子孫である隼人がホヲリ(山幸彦)の子孫である皇室の護衛として仕えることになった起源譚でもあります。

(かれ)、今に(いた)るまでその(おぼほ)れし時の種々(くさぐさ)(わざ)絶えずして、(皇室に)仕へ(まつ)るぞ。

それゆえ(ホデリの子孫である隼人族は)、今に至るまで(ホヲリの子孫である天皇の前で)この時の溺れた時の時の様々な仕種を演じ、たえず仕えているのである。
ご存知の方も多いかもしれませんが、隼人は南九州に縁をもつ海洋民族出身の集団といわれています。
勇猛さで知られ、古事記が編纂された当時は相当な力をもっていたようです(※幾度か天皇の妃を輩出している)。
この神話は隼人の起源譚でもあるわけですね。
南九州の勇猛な一族といえば、一番に思い浮かぶのはヤマトタケル伝説に出てくる「熊襲」という方もいらっしゃるかもしれませんね。
「熊襲」は一般的には地域名からつけられた名前のようです。
「隼人」は勢力名あるいは集団名として使われているようです。
元をたどれば同じ一族なのかもしれませんが、詳しいことは分かりません。(スミマセン・・・)
それにしても、隼人は武勇で名を馳せている集団でその上海の民でもあるのに、溺れるしぐさなどという屈辱的な動作を演じるなんてちょっと違和感があるような気がします。
ここで何度か書きましたが、「神話は現在の保証」のために語られるものです。
当然、ホデリとホヲリの話が先にあったのではなく、あくまでも「隼人」という集団があって、その保証のために、この神話が古事記に載せられたのです。
この時代に力をもっていた隼人の神楽なら、もっと勇壮で格好イイしぐさを演じるものなのでは?と思ってしまうわけですが、逆にそういう人たちが滑稽な姿を演じることによって皇族への忠誠を誓う姿勢がより一層際立つのではないかという見方もあります。

これにて兄弟のお話は終わりです。
長かった日向神話もおそらくあと1~2回で終わります。
次回はホヲリとトヨタマ姫の子どもが生まれる話です。

日向神話こぼれ話~ワニの正体~

本文の中に書いていましたが、長すぎるので別の記事に分けました。

先日から話題になっていたワニの正体について、またいろんな方々の説を載せてみます。

三浦佑之さん
前に、稲羽のシロウサギの神話にも出てきたが、ワニは、フカやサメをいう語
方言としても残るし、鰐淵など「鰐」という字の付く地名や苗字もこのワニに由来するだろう。



山田永さん(ワニの語注より)
海に住む霊獣
ほかに、鰐説、鮫説など。
ワニはほかの神話にも多く登場し、その描写からすると鰐とも鮫とも決めかねる。
神話上(想像上)の動物とすべきか。
原文「和邇(わに)」は「遠呂知(をろち)」と同じ音仮名。

(解説より)
選ばれた「一尋わに」は、泳ぎがはやいから鮫のように思えます。
背中に刀状の背びれが立っている銀鮫だという説も、この話だけから判断すると正しいようにも思えます。
でも、イナバノシロウサギ神話のそれともあわせると、「わに」はやはり神話上の霊獣とすべきかと考えます。



西郷信綱さん
爬虫類のワニではなく、(ふか)や鮫の類だろうといわれる。
「出雲国風土記」にはワニに娘を食い殺された語臣(かたりのおみ)猪麻呂(ゐまろ)の話が出ており、「肥前国風土記」にも次のような話を伝えている。

『この川上に石神あり、名を世田姫といふ。
海の神鰐魚(わに)を謂ふ年(ごと)に、流れに逆ひて潜り上り、この神のところに到るに、海の小魚(さは)に相従ふ。
あるいは人、その魚を畏めば(まが)なく、あるいは人、捕り食へば死ぬることあり。
すべてこの魚等、二三日(とど)まり、還りて海に入る』

と。
「今昔物語」に「鰐ノ、目ハかなまりノ様ニ見成テ、大口ヲ開テ、歯ハ(やいば)ノ如ク」とあるのによって、ワニの姿を知ることができる。


いろいろな説がありますが、大別したら「サメ(フカ)」・「ワニ(爬虫類)」・「神話上の霊獣」ということになりそうですね。
フカは大型のサメのことです。
西日本で広く使われている言葉のようです。
私としてはサメ説が一番親しみがあるのですが、他の説もそれぞれに魅力がありますね。
「サメ(フカ)」の説は、私が読んだ本の中では一番多く支持されていました。
一番の根拠は今でもサメの事を「ワニ」と呼ぶ言葉が残っているから。
次に多い根拠が、現在の海辺の地域に「サメ」に関する多くの伝承や祭祀が残っており、昔から神聖な動物として扱われていた痕跡が見て取れるから。
と、いうことのようです。
ちなみにイルカも神聖な動物として扱う伝承や地域が多いです。
詳しくは谷川健一さんの「神・人間・動物―伝承を生きる世界―」にとても詳しく出ています。
谷川健一さんは民俗学の大家です。
Amazonでは残念ながら品切れですが、少し大きめの図書館なら必ず置いてあると思うので、ご興味をもたれた方は是非ご一読をおススメします!
「ワニ(爬虫類)」の説は、私の読んだ本の中では特に推薦している方はいませんでした。
大抵が、一応説としては存在する、という紹介程度だったので、根拠らしい根拠はご紹介できないのですが、調べてみたところどうやら「比較神話学」の分野が特にこの説をよく取り上げているようです。
スミマセン…比較神話学はまだまともに手をつけていません。
唯一持っている本が「神話と民俗のかたち」なのですが、まだ積読本状態です。
簡単にいえば、日本の神話にはいろんな国々の神話の影響を受けたと思われる箇所がたくさんあるのです。
以前ニニギとコノハナノサクヤ姫の婚姻で、石長姫を娶らなかったために寿命が木ノ花のように儚くなってしまった、という神話を「バナナ型」とご紹介させていただいたことがありました。
こんな風に海外の神話を様々に比較検討するのが「比較神話学」という分野です。
この「ワニ(爬虫類)」も日本よりももっと南方の地域から渡ってきた人たちが受け継いでいた(もしくはもたらした)神話が基になっているため、日本にいない動物がでてきても不思議は無いという根拠のようです。
簡単な説明でスミマセン。今後の課題にさせてください。
最後の「神話上の(海の)霊獣」の説は、山田永さんが主張していらっしゃいますが、山田さんの立場はそもそも「古事記を文学として読み解こう」というものです。
この立場では古事記を利用して歴史を読み解くのではなく、あくまで古事記を一つの作品として読み解くという立場です。
ここでも何度か同じようなことを書きましたが、私の現在目指しているテーマの一つです。
そして、この立場からすると「和邇」の正体は現実に存在する生き物でなくてもいいのです。
無理に現実の生き物に当てはめずに、神話を神話として語る上で最も効果的な解釈を行います。
その結果、「和邇」の正体を「海の霊獣」と読み解くことにしたわけです。
この神話が例えば元は南方から渡ってきたものだったとか、現在サメの事をワニと呼ぶ地域があるだとか、そういった「古事記の範囲を超えた知識」は極力使わず、「古事記から直接分かる範囲の読解」を行った結果の結論といえるでしょう。

いつものように、ここでも特に結論は出しません。
それぞれおもしろいなと思っておきます。

日向神話~山幸彦の綿津見の宮訪問~後編

※書き終えました※拍手コメントへのお返事はこの下の記事にあります。

続きです!

三年経って、やっと綿津見の宮へ来た目的を思い出したホヲリ(山幸彦)さん。
山「そうだ!釣り針を無くして兄さんを怒らせてたんだったよ!三年も経っちゃった・・・もう絶対見つからないよ。どうしよう・・・(泣)」

ここに、火袁理(ほをり)命、その初めの事を思ひて、(おほ)きに(ひと)たび(なげ)きき。
(かれ)豊玉(とよたま)毘売(びめ)命、その(なげ)きを聞きて、その父に(まを)して言ひしく、

()(とせ)住めども、(つね)(なげ)くこと無きに、今夜(こよひ)(おほ)き一つの(なげ)きをしつ。もし何の(ゆゑ)かある」

といひき。
(かれ)、その父の大神、その婿(むこ)を問ひて()ひしく、

「今朝、我が(むすめ)が語るを聞くに、()ひしく『()(とせ)()せども、(つね)(なげ)くこと無きに、今夜(こよひ)(おほ)(なげ)きしつ。』といひき。もし(ゆゑ)ありや。また、ここに到れる(ゆゑ)はいかに」

といひき。
(しか)くして、(ホヲリが)その大神に語ること、つぶさにその()の失せたる()(はた)りし(かたち)のごとし。

最後の一文が少し意味が取りづらいかもしれないので、語注を補っておきます。
つぶさに・・・ありのままに
(はた)りし(かたち)・・・(兄が)責め立てた様子
海神「婿殿よ、なぜそんなに嘆いているのか。娘も心配しておる」
山「実は・・・(かくかくしかじか)・・・というわけなんです。うぅ(泣)」

やっと釣り針のことを思い出したホヲリさん。
海神に事情を説明しています。
海神の台詞に「今朝娘が『この三年間いつも元気だったのに、今夜は大きなため息をしていたのです』ということだったが・・・」とあります。
今朝の娘が今夜の事を言うってどういうことだ?と疑問に思われた方もいらっしゃるでしょう。
実は古代においては、一日は日没から始まると考えられていたようなのです。
なので、現代の感覚で訳せば、ホヲリがため息をついていたのは『昨夜』のことということになります。
ちなみに、嘆き(歎き)の語源は「長(なが)」+「息(いき)」といわれています。
「はぁ」とため息をつくような感覚だと思われます。

さて、婿の嘆きの理由を聞いた海神は・・・。

ここを(もち)て、海の神、(ことごと)く大き小さき(うを)を召し集め、問ひて()ひしく、

「もしこの()を取れる(うを)ありや」

といひき。
(かれ)(もろもろ)(うを)(まを)ししく、

(このごろ)は、鯛、『(のみと)にのぎたちて(魚の骨が刺さって)、物を食ふこと得ず』と(うれ)()へたり。(かれ)、必ずこれを取りつらむ」

とまをしき。
ここに、鯛の(のみと)を探れば()あり。(略)

山「あったあああああああああああ!!!」
なんと探していた釣り針は鯛の喉に引っかかっていたようです。
鯛は三年もものが食べられずに災難でしたね。
それにしてもホヲリは初めての釣りで鯛を釣り上げるところだったのかと思うと、かなりすごいことですね。
ここでも語源の話を一つ。
「喉」は今では「ノド」と発音しますが、これはもともと古代語の「ノミト」が縮まった言葉といわれています。
「ノミト」とは「飲み戸」のことで、戸は入り口を意味するので「飲みこむ入り口」という意味なのだそうです。

では続き。
見つかった釣り針をお兄ちゃんに返したら一件落着だね!という話しかと思ったら・・・

綿(わた)()()大神の(ホヲリに)教へて()はく、

「この()(もち)てその()(たま)はむ時に言はむ(かたち)は、『この()は、おぼ鉤・すす鉤・(まづ)鉤・うる鉤』と云ひて、(しり)()(たま)へ。
(しか)くして、その()(たか)()を作らば、()(みこと)(ひき)()(つく)れ。その兄下田を作らば、汝が命は高田を営れ。
然せば、吾、水を掌るが故に、三年の間、必ずその兄、貧しくあらむ。
もしその(しか)する事を恨みて攻め(たたか)はば、塩盈(しほみち)(のたま)()だして(おぼほ)せよ。もしそれ(うれ)()はば、塩乾珠(しほひのたま)()だして()けよ。
かく悩み苦しびしめよ」

と、()ひて、塩盈珠・塩乾珠を併せて両箇(ふたつ)授けて、

長いので一旦区切りました。
海神は婿のためになにやら怪しげな策を教えています。
海神「婿殿よ、この釣り針を兄に返す時に『この針はぼんやり針・すさんだ針・貧しい針・愚かな針』と言って『背を向けて』お渡しなさい。そして、兄が高いところに田を作ったら、婿殿は低いところに田を作りなさい。兄が低いところに田を作ったら、婿殿は高いところに田を作りなさい。そうすれば私は水を操ることができるので、兄は三年で貧しくなるでしょう」
前半は呪いの言葉です。
言葉の力が今よりも重視されていたこの時代において、しかも神から授かった言葉を使うわけですから、効果は絶大でしょう。
後半は田の作るところの指示をしています。
海神が操るのは海水だけではないのです。
水そのものを操る力があるので、田の作るところを指示して、ホヲリの田に水を優先的に引いてやろうというわけです。
このエピソードは、私が読んだ絵本では「兄が釣り針を返しても意地悪をするようなら」という前提で話していましたが、少なくとも古事記ではそういうことは言っていません。
最初から兄に報復をすることを前提としてホヲリは陸へ帰るのです。
海神は兄の仕打ちがよほど酷いと思ったのか、持てる力を全て使って懲らしめてやろうとしているようです。
さらに海神はホヲリに塩盈(しほみち)(のたま)塩乾珠(しほひのたま)という宝まで与えます。
その名の通り塩の満ち引きを操る珠です。
貧しくさせられた兄がそれを恨んで戦を仕掛けてきたら、これで溺れさせてしまうというわけです。
海幸彦はもともと海の幸を獲って生活していたのだから、溺れてしまうというのは違和感がしますが、始めの釣り針の呪いで泳ぎ方を忘れるほど「愚か」になってしまったということかもしれません。

何はともあれ、兄への報復準備を二重三重に整えました。
来るときはシホツチの神が用意してくれた「隙間なく竹を編んだカゴ」に乗ってやってきましたが、さて帰りはというと・・・。

(すなは)(ことごと)くワニを召し集め、問ひて()ひしく、

「今、(あま)津日(つひ)(たか)御子(みこ)虚空津日(そらつひ)(たか)(うは)つ国に出幸(いでま)さむとす。(たれ)幾日(いくか)に送り奉りて(かへりこと)(まを)さむ」

といひき。
(かれ)(おのおの)(おの)が身の尋長(ひろたけ)(まにま)に、日を限りて(まを)す中に、一尋(ひとひろ)ワニが(まを)ししく、

(やつかれ)は、一日(ひとひ)に送りて即ち(かへ)り来む」

とまをしき。
故爾(かれしか)くして、その一尋(ひとひろ)ワニに(海の神は)()らさく、

(しか)らば、(なむち)、送り奉れ。もし海中(うみなか)を渡らむ時には、(ホヲリが)おそり(かしこま)らしむることなかれ」

とのらして、即ちそのワニの(くび)に乗せて送り出だしき。
(かれ)(ちぎ)りしがごとく、一日(ひとひ)の内に送り奉りき。
そのワニ返らむとせし時に、()ける(ひも)小刀(かたな)を解きて、その頸につけて返しき。
故、その一尋ワニは、今に佐比(さひ)持神(もちのかみ)といふ。

海神「天津神の御子が陸へお帰りになる。おまえたちは何日で送り届けて戻ってこられるか」
(魚たちは身の丈の大きさによって送り届けられる日が違うのだ!)
一尋ワニ「私ならば、一尋(ひとひろ)ですから、一日(ひとひ)で往復できます」
海神「それならばお前がお送りいたせ。だが、(あんまり早く泳ぎすぎて)御子を恐がらせないようにな」

陸と綿津見の宮はどのくらい隔たっているのでしょうか。
来るときは(省略してしまいましたが)、潮の流れに乗って来ました。
それを考えると、帰りは潮の流れに逆らうことになるはずなので、ワニのような力のある魚でなければ送り届けられないのかもしれませんね。

ワニの正体について
長くなりすぎたので、記事を分けました。
この次の記事に書いています。

ホヲリを送り届けたワニはホヲリから紐のついた小刀を頸にかけて貰って佐比(さひ)持神(もちのかみ)という名前の神様になりました。
「サヒ」とは刀のことで、このワニは刀持ちの神様となったのです。
この話も、稲羽のシロウサギ神話やヤマタノヲロチ神話など、神話にありがちな起源譚で締めくくられています。

次は陸に戻って兄弟対決です。

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