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日向神話~天孫降臨~(番外編:猿女の君)【完成版】

間が空いてしまいました。
とはいえ、キリのいいところだったのであまり気になった方はいらっしゃらないかもしれないですね。
「天孫降臨」の次はいよいよ「ニニギの結婚」です。
でも、実はこの間に挿入されている話があります。
それは猿女(さるめ)(きみ)の話です。
誰のことかわかりますか?
猿・・・と書いてあるから、もしかして猿田毘古か?と思われた方、近いです!
でも猿田毘古は男神だと思われます。
猿「女」の君なので、女性です。
猿田毘古と関わる女性といえば・・・そうです!ウズメさんです!
なぜ彼女が猿女の君と呼ばれるかというと・・・

故爾(かれしか)くして、(ニニギは)天宇受売命に詔ひしく、

()の、御前(みさき)に立ちて仕へ(まつ)れる猿田毘古(さるたびこの)大神(おほかみ)は、(もは)(あらは)(まを)せる(なむち)、(帰り道を)送り(まつ)れ。
また、その神の御名(みな)は、汝、()ひて仕へ奉れ」

とのりたまひき。
是を以て、(アメノウズメの子孫である)猿女君等、その猿田毘古之男神の名を負ひて、(をみな)猿女君(さるめのきみ)と呼ぶ事、是ぞ。

ニ「ばぶー、ばぶー」
ウ「はい、ニニギ様、お呼びでございますか」
二「ばぶー、ばぶー」
ウ「はい、確かにあれなる猿田毘古神の正体を問いただしたのはわたくしでございます」
ニ「ばぶー、ばぶー」
ウ「彼を故郷の伊勢まで送り届けるのですね。畏まりました」
ニ「ばぶー、ばぶぶー」
ウ「送り届けた後に彼の神の名をわたくしが負うのですか。・・・・・はい、御心のままに」

オ「・・・ね、ねえ、クメちゃん」
ク「いうなオシヒ。おまえの言いたいことは分っているが、おまえの欲している答えは私も持ち合わせておらぬ」
オ「おれには今だに主がばぶーと言っているようにしか聞こえないよ」
ク「私もだ。ウズメはいったいどういう耳をしているんだろうな」
オ「それにしてもクメちゃん、あの派手な神さ、男神だろ。その名前をウズメが負うってことはさ、つまり・・・」
ク「ああ、答えは二つに一つ」
オ「奪うか、捧げるか」
ク「殺して伊勢ごと手に入れるか、彼の神の妻となるか」

オ「ウズメどうすんだろね・・・え、あれ?クメちゃん?どうして暗い顔してんの?え?もしかしてきみウズメのこと・・・」
ク「馬鹿者!勝手な憶測で軽々しく恐ろしいことを言うな!言っておくがそれだけは断じてない。おれはただあの派手男が長い帰郷の道中をウズメのような恐ろしい女とともにしなければならないなどという最悪の悲劇に同情してだな・・・」
オ「クメちゃん、クメちゃん!」
ク「なんだオシヒ、うるさ・・・ガフッ」
ウ「楽しそうね二人とも」
オ「う、ウズメ!おれはなにも言ってないよ!クメちゃんが全部悪いよ!」
ク「オシヒがウズメのことを『クソばばあ』と言っていた・・・ガハ・・・」
オ「ちょっとクメちゃん!おれの命を左右するレベルの大嘘を遺言にしないでくれる!?」
ウ「二人まとめて黄泉の国へおくってやる!この愚か者ども!!」


スミマセン。
本当にスミマセン。
遊びが過ぎました。
この部分は正直分らないことが多すぎて、取り扱うとどうしても遊びたくなります!(コラ)

ウズメはどうして猿田毘古の名を負うことになったのか?(ニニギはどうしていきなりそんなことを言い出したのか)
そもそも名を負うとはどういうことか?(上では「殺して手に入れるか、妻となるか」とか書きましたが、単に平和的に名乗ることにしたのかもしれません)

神話は現在の保証ということは以前書きました。
では、これも何かの保証になっているはずです。
実はこの猿女の君、何を隠そう「稗田阿礼(ひえだのあれ)」のご先祖様なのです!(これはご存知のお方もいらっしゃるかもしれませんね)
稗田阿礼とは、古事記の編纂に大きく関わったとされる超重要人物。

そのとき、一人の舎人がいた。姓は稗田、名は阿礼。年は28歳。聡明な人で、目に触れたものは即座に言葉にすることができ、耳に触れたものは心に留めて忘れることはない。すぐさま(天武)天皇は阿礼に「『帝皇日継』(ていおうのひつぎ。帝紀)と『先代旧辞』(せんだいのくじ。旧辞)を誦習せよ」と命じた。(by ウィキペディア)

この人が覚えた事柄を太安万侶が書き留めたものが古事記です。
なので、古事記の内容は全部(便宜上は)稗田阿礼が語ったものです。
つまり、稗田阿礼は自分で自分のご先祖様の由来を語って古事記に記載してもらったわけですね。
でもやっぱりいろいろ疑問は解消されません。

ウズメはどうして改名したのか(始めから猿女の君という名前で登場してはいけなかったのか)

古事記には起源説話として記載されているので当然その理由など載っていないです。

疑問ばかりでスミマセン。
とりあえず西郷信綱さんの説を載せておきます

・猿田毘古が天孫を先導した理由
猿田毘古がかく天孫降臨を先導するという話は、伊勢神宮の創立にからんで伊勢の土豪――下に見るようにそれは具体的には宇治土公である――が宮廷に服従し、忠誠を誓うに至ったいわれを記念するものに相違ない。
大嘗祭において、猿女が中臣・忌部らとともに大嘗宮に出入りする天子に「前行」するというのも、その祭式的沈殿であろう。
そしてこの伊勢の土豪の祖先を、宮廷側から神話化したのがすなわち猿田毘古に他ならぬ、という図柄になっていると目測される。
※補考※「伊勢神宮と地主神」
宇治土公(ツチギミ)の神は、大土御祖神社という名のもとに伊勢神宮の摂社として、今も五十鈴川の、神宮と同じ右岸のやや川下の林のなかにわびしく残っている。
伊勢の天照大御神といえど、何もないさら地にやってきたわけではなく、地方土豪のいつく神を吸収し、再組織し、それを乗っとるという形で鎮座するに至ったはずである。その地主神にあたるのが宇治土公のいつく神に他ならぬ。(※いつく・・・斎く、奉る)
そして「儀式帳」にはその神を石体なりと記しているが、石体の神と鏡である神の文化的落差に注目したい。
後者が前者に優位しているのは明白である。
いわゆる国つ神は、石や岩や水を以て象徴されるのが一般であった。
そこに鏡を神体とする神がやってきたのだから、それがいかに新しい威力をもつものであったか想像にかたくない。
(中略)
何れにせよ伊勢神宮の鎮座を、片道だけで考えてはならない。五十鈴の川上には土着の神がすでにいたわけで、神宮はそれを同化することによって聳えた、いわば今来の神であった。
その土着の呪力が猿女という形で宮廷に貢納された次第は、次に見るとおりである。

・名を負うということの意味
(前略)
前に触れた伊勢の土豪・宇治土公のことが、ここで想起されねばならない。
猿田毘古は宇治土公の遠祖であり、そしてウズメもやはりこの伊勢の土豪から服従のしるしとして宮廷に貢された巫女であったと私は考える。
大化の改新の詔に、郡の小領以上(つまりかつての土豪)の姉妹及び子女の形容端正なるを釆女に貢すべしとあるのはよく知られている。
猿女も広い意味での釆女制の特殊な形と見られなくもない。
だが猿女は美女ではない。
釆女が後宮の女官となったのにたいし、猿女は鬼道に仕えるシャーマンとして宮廷信仰のなかに組みこまれた。
それは、天照大神が伊勢に鎮座するに至ったことと表裏一体の関係にあった。
伊勢の土着の呪力を奪い、それを宮廷化することによって始めて天照大神は伊勢に鎮まることができたといえる。

・ウズメが猿女の君と名乗るにいたった事情
男神猿田毘古の名を負い女を猿女君と呼ぶに至ったというわけだが、額面どおり正直に受けとるわけに行かない。
これはあくまでも起源説話である。
そしてあらゆる起源説話の場合にそうであるように、両者の関係はむしろ逆であって、猿田毘古の名よりは猿女という称の方が先にあったと考えねばなるまい。
先にあったといっても、それが伊勢伝来のものであったはずはない。
猿女の「猿」は猿楽の「猿」、つまり「()る」であり、宮廷神事において職掌としてワザヲキ(俳優)を演ずるのにもとづく名だと思う。
猿女というこの宮廷の呼称が先にあり、猿田毘古の名はいわばその説話的こだまとして生じたのである。
猿女君の「君」が宇治土公の「公」と連続していることも、ほぼ疑えない。
そのへんの消息を古事記は、「是を以ちて猿女君等、其の猿田毘古の男神の名を負ひて、女を猿女君と呼ぶ事是れなり」と起源説話風に語ったまでである。
何れにせよ猿女と猿田毘古の背後に存する歴史的勢力は宇治土公であり、そして猿女と猿田毘古の話は、神宮鎮座にからんで、土着的呪力の分離がこの土豪に課せられた記憶に繋がるものに相違あるまい。


な、なるほど・・・と納得させられるのですが、しかしどうしても古事記の内容そのものからの乖離が大きいような気がしてしまって(古事記に書いていないことがたくさんあるので)、ちょっと私の中で消化しきれない感じです。
確かに凄く面白い説とは思うのですが・・・。

猿女の君に関してはあまり深入りせずこれで終わっておこうと思います。
・・・とはいえ結構な重量がありますね。(番外編なのに)
次に猿田毘古が溺れる話をさらっとやる予定です。
コノハナサクヤヒメはもう少しお待ちください・・・!

【追記】

9日の10時台と16時台に拍手を下さった方々ありがとうございます!!!!!
>残念系オタクを絶賛指示します。 byりんこ
千「応援ありがとう。これからもますます頑張るわね」
藤「・・・な、何を頑張るつもり?」
千「何を頑張ろうかしら。藤太は何を頑張ってほしい?」
藤「!おれの意見は採用してもらえるの!?」
千「もちろんよ。夫婦だもの。お互いの考え方を尊重するのは当たり前よ」
藤「さすが千種!じゃあおれに『愛してる』と言ってください」
千「愛してるわ藤太、このゴミ出してきて」
藤「!!!もちろん!いってきます!(ガチャ、バタン)」
千「・・・はぁ、どうして藤太ってこんなにちょろいのかしら。心配になるわ」

中学までの藤太はちょっとチャラ男っぽかったけど、千種と出会って以降は千種の教育によりチョロ男に進化したのだ!(藤太チョロ男説の提唱
りんこさま、今後ともよろしくお願いします!
拍手ありがとうございました!!!!!

コロチ・・・!!!

Pさまの日記に名前を出していただいたため急激にハイテンションになってその勢いでいろいろさまよっていたら、凄いものを見つけてしまった・・・!
コロチ・・・!!(爆笑)




なかなかカラフルなオロチです!
ジオラマ好きとしては外せない企画です!
そしてコロチというネーミングを考えた人は天才かと思いました・・・!
コロチ!コロチ・・・!(←気に入った)
ぜひとも拝見しに行かねば!
写真撮ったらここにUPしますね!
そういえば昔に撮りためたジオラマ画像もUPしたいと思っていたんだった!(忘れるな)
日向神話語りつつ暇を見ていつもどおり出雲も推していきたいと思います。

参考
神話博しまね
・・・の中の神話ジオラマ展
【展示期間】7月21日~11月11日
【展示時間】午前9時~午後6時(10月)/午前9時~午後5時(11月)
【観覧料】無料

日向神話~天孫降臨~(その三)【画像あり】

それでは続きです!
先導してくれる神様もきてくれたので、これでいよいよ天降る・・・と、その前に。
アマテラスから孫への餞別があります。
何だと思いますか?

(アマテラスは)(ここ)に、そのをしき八尺(やさか)の勾玉・鏡と(スサノヲが献上した)(くさ)()(ぎの)(つるぎ)(略)を()(たま)ひて(のりたま)ひしく、

「此の鏡は、(もは)()御魂(みたま)()て、()(まへ)(をろが)むがごとく、いつき(まつ)れ」

アマテラスがニニギに与えたのは

・八尺の勾玉八尺瓊(やさかに)勾玉)(アマテラスが生まれたばかりの時にイザナキから与えられた)
・草那芸剣(ヲロチの尾から出てきた)
・鏡八咫鏡(やたのかがみ))(天の石屋戸神話でアマテラスの姿を映した)

の三つです。
これはすなわち・・・そうです!三種の神器です!
うおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!
天孫降臨神話の中でも大変盛り上がってしまうシーンです!!
あの、三種の神器が渡されたのはここだったのかああああああ!!!
現在「八尺の勾玉」は皇居に、「草那芸剣」は熱田神宮に、「八咫鏡」は伊勢神宮に安置されているといわれています。
これですよ!神話!
少し前にも書きましたが、もう一度書きます。
「神話」と「昔話(御伽噺)」の違いは、「神話」は今に繋がっている(今を保証している)というところです。
「昔話(御伽噺)」は話そのもので完結です。
だから話の始まりが「むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんが・・・」でよいのです。
しかし「神話」は今に繋がっていないといけません。
だから「いつの時代」「どこで」「誰が」「現在(話が書かれた当時)はそれがどうなっているのか」がはっきりと書かれているんです。
また、上では省略しましたが、アマテラスは三種の神器のほかにもアメノウズメを含むお供の神様をたくさんニニギに与えました。
そのほとんどの神様が古事記が書かれた当時の大豪族や勢力を持っていた職業集団の祖神となっています。(これも神話が今を保証する機能の例ですね)

なお、参考までに記載いたしますが、古事記には「三種の神器」という言葉はありません。
それどころか、この勾玉・剣・鏡がその後の天皇の即位時に継承されたという記述もないのです。
よって最近の学説では「古事記は三種の神器を王権の象徴としては語っていない」という立場が主流となっているようです。
でもだからって盛り上がっちゃいけないってわけじゃないですからね!
「三種の神器」うおおおおおお!!ってなるのは自由ですから!(自分がなりたいだけ)

さて、準備万端整いました。
いよいよニニギが天降ります。

故爾(かれしか)くして、(あま)津日子番能邇々芸(つひこほのににぎ)命に(アマテラスは「天降れ」と)(のりたま)ひて、(ニニギは)(あめ)石位(いはくら)を離れ、(あめ)八重(やへ)のたな(ぐも)を押し分けて、いつのちわきちわきて、天の浮橋(うきはし)に、うきまじり、そりたたして、竺紫(つくし)日向(ひむか)(たか)千穂(ちほ)久士布流多気(くじふるたけ)天降(あまくだ)()しき。

ついに天降りました!!!
というわけで、ここをお読みのお方々はご存知のことと思いますが、去る3月16日に行ってきました!南九州宮崎県は高千穂町!!高千穂神社!!!
↓↓証拠写真↓↓(クリックすると少しだけ大きくなります)
①高千穂神社の鳥居
ファイル 818-1.jpg
うわあああ!!!遂に来てしまった高千穂神社!!!!
鳥居大きいです!うおおおおお!!!!!

②拝殿
ファイル 818-2.jpg
周囲の木の立派なこと!
まるで偉大な自然に守られているかのようにして高千穂神社はありました。
雨の中で凄く緑の匂いが濃く漂っていました。

③本殿
ファイル 818-3.jpg
拝殿の奥にある本殿です。
大変凛々しい趣きです。

結構雨が激しく降っていたのですが、参拝客は凄くたくさんいらっしゃいました。
流石は高千穂神社!
宮司さんや巫女さんもとても丁寧に対応してくださいました。
分らないことを聞いたら、とても優しく教えてくださり、その上いくつもの貴重な資料をくださいました。
宮崎の人はなんて優しいんだ!!ありがとうございました!!

④国見ケ丘からの眺め
ファイル 818-4.jpg
ここは実はニニギの伝承と直接結びつく場所ではないのですが、雰囲気満点だったのでついつい心の中で天孫降臨ごっこです。
物凄い霧ですが、古代において雲や霧などのもやもやしたものには霊力が宿るとされていましたから、ニニギが天降ったときもきっとこんな光景が広がっていたのではないかと思います!
・・・とかやってたら

⑤ニニギの像
ファイル 818-5.jpg
ニニギの像があった!!
説明文を読んでみると、どうやら日向国風土記逸文から着想を得て記念の像をつくったようです。
やっぱり私と同じこと考える人もいるんだ!
でも気持ちは分りますよ!だって本当に凄く凄く雰囲気有りましたから!
ちなみに雨が降ってなかったらここから見える光景はそれはそれは素晴らしかったと思います。
名前のとおり、国中が見渡せるのではないかと思えるくらい見晴らしのいい場所だったに違いありません。
天孫降臨ごっこにはうってつけの光景でしたが、やっぱり晴れたときにも見てみたいと思いました。

今回は読み解きよりも私の九州旅行回想録みたいになってしまいました。
たまには肩の力を抜いてボケっと写真でも眺めてみてやってください。

今回はここまでです。
次はニニギの婚姻譚を語ろうと思います。
・・・実を言うと、今日の話の直後にサルタビコが海で溺れる話なんかも挟まっているんですが、ちょっと解釈がややこしい上にその後の展開には大きく影響しないので飛ばします(語れる情報を仕入れられたら後で語るかもしれません)。

<次回予告>
赤ん坊で降臨したニニギでしたが、それから時が経ち、恋の出来るくらいの年頃に成長したもようです。
成長したニニギは、ある日美しい娘に出会います。
ニニギは思わず名を問いました。
皆様ご存知ですね!
古代において名を問うことの意味。
そしてそれに応えて名を告げることの意味。

【追記】
飛ばすつもりが結局語ってしまいました!
行き当たりばったりでスミマセン!
でも楽しかったです・・・!(楽しければ何でもいいと思っているのか兼倉)

それでは次回へ!

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