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日向神話~天孫降臨~(その二)

4月になってしまった・・・!
遅くなってしまってスミマセン!日向神話再開します!

まず前回のあらすじから。

アマテラスは息子のオシホミミに葦原中国を治めるように言いましたが、オシホミミは葦原中国には野蛮な国津神がたくさんいるため行きたがりませんでした。
アマテラスは神々と話し合い、何とか国津神の最高神大国主命を隠居させました。
これで安心とオシホミミに再度葦原中国に行くように言うと、なんとオシホミミは生まれたばかりの息子ニニギを自分の代わりに葦原中国に遣わすべきと言い出したのです。
アマテラスはその意見を受け入れ、ニニギに葦原中国を統治するよう宣言しました。


「おれはけっして行きたくないわけじゃなかったんだよ。ただ、息子のニニギのほうが相応しいと思ったからそう言ったんだ。ホント、行きたくないわけじゃなかったんだよ!信じてね☆」(オシホミミさん談)

怪しいものです。

さて、そんなこんなでニニギの天降りが決まりました。
続きを見てみます。

(しか)くして、日子番能邇々芸(ひこほのににぎ)命の天降(あまくだ)らむとする時に、(あめ)()(ちまた)()て、

(かみ)は高天原を(てら)し、
(しも)は葦原中国を(てら)す神


(ここ)に有り。

なんか物凄いド派手な神様が出てきました!
高天原から葦原中国まで光が届くなんて相当凄いことではないのか!?
怪しいと思わないほうが無理というものです!

故爾(かれしか)くして、天照大御神・高木神の(みこと)(もち)て、天宇(あめのう)()売神(めのかみ)(のりたま)ひしく、

(なむち)は、手弱女人(たわやめ)にあれども、いむかふ神と(おも)()つ神ぞ。(かれ)(もは)(なむち)()きて()はまくは、『()御子(みこ)天降(あまくだ)らむと()る道に、(たれ)ぞかくして()る』ととへ」

とのりたまひき。

アマテラス「ねぇウズメちゃん、あなたは女神だけど、どんな神とにらめっこしても勝てる神よ。あなたならあの怪しい神も平気よね。お願いよ、『どうしてニニギの天降ろうとしている道にいるの?』って聞いてきて」

無茶振りもいいとこだよね!
ウズメさんはオー人事に電話しても許されるレベルだと思うのですが、学者先生方はそうはおっしゃいません。(当たり前)
なぜここでウズメさんが選ばれたのか。
面勝つ神とは?
いくつかの説を引用してみます。

(山田永さん説)
光は強烈です。
それに立ち向かえるのはアメノウズメしかいないというのも、これまた面白い話です。
なぜ、あの美しいアメノウズメが、と思ってしまいます。
「面勝つ神」とは、「にらめっこしても負けない神」という意味ですが少し補足します。
アメノウズメは、笑わない神だとか相手よりもすごい形相だというわけではありません。
強烈な光にも目をそむけることのない、正対して正視できる神だと思われます。
アメノウズメは、アマテラスが天の石屋にこもった時に踊った神でした。
暗闇の中でも踊れる神。
また、アマテラスが戸を少し開けた時に、「アマテラス様より尊い神様がいらっしゃいますよ」と告げた神です。
アマテラスと最も近い距離でしゃべった神です。
アメノウズメは、暗闇の中でも強烈な光に対しても大丈夫な目を持っていたのかもしれません。
それがアメノウズメが選ばれた理由だと私は想像します。


(三浦佑之さん説)
(面勝つ神とは)にらめっこをして絶対に負けない神。
裸体をさらし妖艶な踊りで神々を魅了したアメノウズメが、一方では、得体の知れない神の妖気をはね返してしまうほどの力を顔面に持つ女神だというのは興味深い。
おそらく、相手を魅了する肢体と相手を圧倒する顔面がウズメの二面性であるとともに、両者はじつは同じものだということもできる。
相手を圧倒する力とは、相手をこちら側に屈伏させることであり、それは、肉体によって魅了してしまうのと同じだからである。
そこにウズメのシャーマン性が窺えるはずである。


(西郷信綱さん説)
(面勝つ神とは)面と向かって敵に勝つ神。
日本書紀には「汝は是、人に()()つ者なり」とある。
シャーマンの目はきらきらと異常に輝いているといわれるが、アメノウズメも鋭い面貌の持ち主であったことが、これで分る。
(略)悪霊にたいし「目勝つ」こと、「面勝つ」ことは、シャーマンたるものの資格であったといえよう。


ほー!
いろんな捉え方がありますね。
三浦さんと西郷さんは結論にウズメがシャーマンであることを持ってきていますが、立場自体は違っているような気がします。
三浦さんはウズメが「屈伏させること」=「魅了してしまうこと」と、相手を取り込んでしまう(思い通りに動かす?)力があるのではと考えておられるようですが、西郷さんのウズメは敵の力を撥ね退けるような印象を受けます。
結局どちらもウズメが優位に立つ力があるといっていると考えれば同じともいえるかもしれませんが。
それに対して、山田永さんの説は相変わらず面白いですね。
アメノウズメがアマテラスを天の石屋戸から出すときに踊っていたり近くで会話していることに注目して、「暗闇の中でも強烈な光に対しても大丈夫な目を持っていたのかもしれません」と語るとは。
人によっては、それがシャーマンと結論付けるかもしれませんね。
それも有りです。
しかし、山田永さんはあくまでも古事記を物語として読むという姿勢を大事にしておられます。
古事記から実際の歴史や他の何かを読み取るのではなく、古事記を一つの文学作品としてその物語性を読み解くことを重視するという姿勢です。
こんな姿勢もとても面白いと思っています。
もちろん古事記を読むことで当時に思いを馳せるのが悪いというわけではありません。
学者の先生方はそれぞれ個性的な立場や意見があるんだということが、私にとってはとても面白く感じられるのです。

さて、話が逸れてしまいました。
続きです。
無茶振りされたウズメさん(笑)
怪しい神様の正体は分かるのでしょうか?

(かれ)、(アメノウズメが)問ひ(たま)ひし時に、(この光る神は)答へて(まを)ししく、

(やつかれ)は、国つ神、名は(さる)田毘古(たびこ)ぞ。()()所以(ゆゑ)は、『(あま)(かみ)御子(みこ)(が)天降(あまくだ)()す』と聞きつるが(ゆゑ)に、()(さき)(つか)(まつ)らむとして、()(むか)へて(はべ)り」

とまをしき。

怪しい神「私は国津神です。名前はサルタビコ。天孫様が天降っていらっしゃると聞いたので、道案内をさせていただこうと参ったのです」

怪しい神様の正体が分りました!
なんと国津神のサルタビコさんがニニギの道案内に来てくれたというのです!
思いっきり怪しいと思ってたら、実は親切な神様でした。疑ってごめんね!
ちなみに、サルタビコさんがこんなに光り輝いている理由の一つには、「サル」の顔やお尻が紅いからではないかといわれています。(こじつけ、か?)


さて、今回はここまでにしておきます。
天降るところまでいけなかった・・・!
次回はいよいよニニギが天降る場面です。
高千穂の写真を貼ります!

起されて 出雲の王様 語りだす@出雲弥生の森博物館

出雲弥生の森博物館のご紹介をいたします!
なんとこの博物館は無料で見学できます!



この博物館は2010年4月29日に開館したばかりのとても新しい博物館です。
この写真は開館直後の2010年5月2日に撮影したものです。
開館したばかりの上にゴールデンウィーク中とあってとてもたくさんの人でにぎわっていました。

入り口をはいると、正面には子どもの遊ぶスペースが用意されています。
また右側にグッズ販売コーナーと、その向かい側に作業室があります。
左側には自由に閲覧できる図書スペースもあって、並んでいる本はどれも面白そうなものばかりです。
この博物館で講座を受けるときは、受付時間まではよくこのスペースで時間をつぶしています。

左に進むとすぐに二階に上る階段が左手側にあります。
展示室は二階にあるんです。

階段を上ったところ。


写真でおばさんが立ってるあたりが展示室の入り口なのですが、このおばさんがなぜここで立っているかというと、この入り口付近でちょっとした映像が流されているんです。
この映像も結構好きです。

中に入るとすぐこんな展示が見えます。



近づいてみると・・・





王の証・・・!?
勾玉・・・なのか、これ?
写真の画質が悪くてスミマセン・・・。
実物は凄くきれいです。
ガラスの勾玉なのですが、ご覧のとおり穴が二箇所に開いています。
とても珍しい形のようです。
たしか、ここでしか発見されていないと書かれていたと思います。(うろ覚え)

さらに進むとすぐに広いスペースに出ます。
そこにあるのは・・・



周囲にもいろんな展示があるのですが、まず何より始めに目に飛び込んでくるのがこのジオラマです。
四隅突出型墳丘墓の祭祀を再現しています。
私はいつもこういうジオラマが大好きで、夢中でカメラのシャッターをきってしまいます。

ここから怒涛のジオラマ写真攻撃が続きますので覚悟してください(笑)



さらにアップで撮ってみたり。

出雲王の葬儀に他の地域からの使者がいらっしゃったようです。
そのもてなしをしているところでしょうか。




その上ではまだ墓が建設中。




みんなで頑張って柱のようなものを立てています。




その向かいでは王の親族?や使者の中でも位の高いと思われる方々が葬祭儀礼に参加しています。




これは次の王になる夫婦のようです。




亡くなった王の遺体を埋めています。


墓の下でもいろんな人が働いています。

腕になんだか模様が見えますね。
刺青をしているようです。
この刺青の模様でどの部族に属しているかなどが分かるようです。
以下いろんな刺青の写真。






ジオラマの写真だけでこんなにスペースとってしまってスミマセン。
ジオラマはもう本当に楽しくて楽しくてここに載せている以外にもまだまだ写真があります。

ここで。

このジオラマに、実は館長さんのちょっとしたこだわりポイントがあるんです。
以前訪れた際、館長さんご自身が来賓の方を案内されているところに偶然遭遇したことがありまして、そこで話しておられるのをこっそり聞いてしまったんですよ。
そのこだわりポイントの写真がコチラ。



四隅突出型墳丘墓の突出している角の部分です。
分かるでしょうか?
四隅突出型墳丘墓にはその特殊な形のほかにもいろいろな特徴があります。
その一つが「はり石」です。
お墓の周りに石を貼り付けているんです。
この写真だとちょっと画質の問題で分かりにくいかもしれません。(ごめんなさい)
実際に復元されている四隅突出型墳丘墓(この博物館のすぐ近くにあります)のほうが分かりやすいかもしれません。



お分かりですか?
石が一箇所だけまるで中に導くように低く置かれています。
ジオラマのほうは確か手前の3つくらいが低めに置かれていたと思います。
実際に見てみると分かると思います。
これはジオラマにも復元墳丘墓の石碑にもまったく説明されていません。
というのも、実はこの四隅突出型墳丘墓には謎が多く、この突出している部分もなぜ突出しているのかよく分かっていないのです。
館長さんは数多くの四隅突出型墳丘墓を発掘された上で、石の置かれている状態などを検証して「墓へのぼる通路だったかも」という仮説を立てていらっしゃいました。
そのこだわりがこのジオラマに反映されています。
実際に行かれた際はぜひこのこだわり部分にも注目してみてください!
他にも学芸員の方が男性と女性の髪形にもかなりこだわったとおっしゃっておられました。
この時代の習俗の例としてよく引用されている京都の国立博物館にある再現人形の髪型とは違います。
「魏志倭人伝の記述とハニワを忠実に再現するとこうなるんです!」とのことです。
比べてみると面白いと思います。

また、壁に描かれている絵にも注目です!




この絵を描かれたのは復元画家の「早川和子」さんです。
本当によく研究してあります!
古代の復元画といえばこの人、と私は思っています。
イラスト集も出ています。
「よみがえる日本の古代」
古代出雲歴史博物館に所蔵されていたのを目にしたときからのファンです!イラスト集も即買ってしまいました!
見ているだけで時を忘れて幸せになれます。
古代好きな方にはおススメです。
イラストだけでなく、いろんな説明も書かれていてとても参考になります。

さて、中のご紹介はこれくらいにして(ホントはもっと他にもいろんな展示品がありますのでご期待ください!)、折角なのですぐ近くの四隅突出型墳丘墓の再現コーナーにも足を運んでみましょう!
駐車場から階段があります。
博物館を背にしてのぼりましょう。






階段を上ると・・・


何か見えてきた!



こ、これは!四隅突出型墳丘墓の突出部分ではないのか!?おおお!



こっちはのぼれるようになっている!のぼってみよう!





祭壇的なものも復元されています。

隣の墳丘墓たち。




私の浮かれっぷりが写真から伝わるでしょうか?
かなり楽しいです!
私がのぼっているのは「西谷3号墓」という、西谷墳墓群の中でも一番大きな墳丘墓の復元されたものです。
ホントにかなり大きいです。(ちなみに「西谷2号墓」は中に入れるようになってます)
この西谷墳墓群には大小たくさんの墳墓が作られています。
何より注目すべきなのは、四隅突出型墳丘墓の大きさトップ5のうち、最も大きいものを含む4つがこの西谷墳墓群に密集しているということです。

以前書いたかもしれませんが、古代には「巨大建造物を崇拝する習俗」がありました。
これは日本だけではなく世界的に見られます。
そして、その巨大な建造物が作られる時期というのはそこが最も繁栄している時ではなく、むしろ衰退する直前の時期に多く見られるそうです。
ゆえに、この西谷墳墓群に見られる巨大な四隅突出型墳丘墓は、まさに繁栄を謳歌した出雲王国が最後に渾身の力を振り絞った断末魔ともいえる存在なのかもしれません。

大きな墳丘墓を作った当時の出雲王は「どうだ、見たか!これがわれらの力だ!」と、何よりも誇らしく思ったことでしょう。
まるで多くの人々に見せ付けるかのような、威嚇するかのような大きさなのです。
それは逆にいえば、威嚇しなければならない危険な存在がいたかもしれないことを暗示しています。
一つの時代の終わり、新たな時代への転換期。
そんな時代に思いを馳せる遺跡です。
古代出雲王国を語るなら絶対に見ておかなければならない遺跡です!!!

以上、出雲の注目遺跡と博物館についてのご紹介でした。
少しは参考になるものがあったでしょうか?
なかなか時間の関係上全部に行くのは難しいかもしれません。
特にこの二つの遺跡は神話にしか興味のない方には少し退屈に思われるかもしれませんが、ちょっとでも古代の考古学や当時の人々の実際の生活なんかに興味がある方には最高に楽しい遺跡と博物館だと思います。
興味のある方は出雲においでになった際ぜひ足を運んでみてくださいね!

【追記】
そうそう最後に。
一昨日ご紹介させていただいた荒神谷遺跡で発掘された358本の銅剣や他銅鐸・銅矛などの復元が「古代出雲歴史博物館」に所蔵されていますと書きましたが、その写真をご紹介させていただきます。





ご覧になられましたか?
実物は言葉もないほど美しいです。
出雲においでになった方はぜひ「古代出雲歴史博物館」へも足をお運びください。
出雲でどうしても時間がない場合、「出雲大社」と「古代出雲歴史博物館」の二つには絶対に行くべきです。
この二つに行かなければ出雲に行ったことにはならないと個人的には思っています。
ぜひよろしくお願いします。

起されて 出雲の王様 語りだす@荒神谷遺跡

出雲観光大使を目指して日々出雲に通いつめている兼倉ですこんにちは!(その割りに絶望的な方向音痴)
出雲といえば出雲大社、そしてその隣にある古代出雲歴史博物館がもっとも熱いスポットとして有名ですが、出雲はそれだけではありません。
出雲の遺跡に関心のある方、弥生時代の王国にときめきを覚える方には是非ご覧頂きたい出雲の遺跡と博物館があります!
それが今回ご紹介する荒神谷遺跡博物館出雲弥生の森博物館(西谷墳丘墓群)」です!
ちなみに題名になっている「起されて 出雲の王様 語りだす」は弥生の森博物館の川柳で入賞していた作品です。

まずは荒神谷遺跡博物館からご紹介。
この博物館は高速道路のインターから結構近い場所にあるのでとても行きやすいんですが、周りに何もない場所なので初めての方はちょっと不安になるかもしれません。
大丈夫です。カーナビを信じて進んでください。
博物館の前に小さな駐車場があり、普段はほとんど人も来ないので十分停められますが、講座などがある場合はすぐに埋まってしまうので博物館の少し手前にある大き目の駐車場に停めることになります。
講座に参加するのはおじいちゃんやおばあちゃんがほとんどなので、その中では若者に入る私は離れた場所に停めるんですよ!(※大して離れてません)

博物館の入り口はこんな感じ。


ちなみに周りの風景はこんな感じ。

何もない!でも静かでとてもいい雰囲気です。私は大好きです。

入り口をはいるとすぐ右手側に受付があります。
人がいない場合もあるのですが、奥の方にいるだけなので声をかけると出てきてくれます。
ここでチケットを購入して中を見学します。
なお、受付の脇に小さく販売スペースがあります。
※中は写真撮影禁止なのでここから写真がありません。

まず、総評として。

この博物館は展示のスペースこそ狭くて内容も少ないです。
でもがっかりしないでください!
それぞれがかなりこだわった濃い内容の展示をしているんです!

細かいところのみどころを書いてみます。

始めの通路には出雲の歴史年表が壁に書かれています。(確か)(うろ覚えでスミマセン・・・)
そして中では荒神谷遺跡発掘のドキュメント映像が大画面で流しっぱなしになっています。
結構感動的に作ってあります。
友達はしらっとしてましたが、私は結構ぐっと来ました。
弥生時代の遺跡が好きかどうかで印象が違うかもしれません。
映像が流されていたスペースの周りには展示物がいろいろ置いてあります。
この荒神谷遺跡で出土した大量の銅剣や銅鐸や銅矛などの実物はここではなく「古代出雲歴史博物館」に納められているのですが、それだけではなくこれらの出土品の製作当時の姿を忠実に再現した複製品もいっしょに飾られています。
かなり圧巻です。ぜひご覧頂きたい。
その再現をするに当たってどんなにこだわって作られたかというドキュメント映像が脇の方で流されています。
こちらも見ているととても面白いです。
また、その下のほうには穴のようなものがあって、覗くと弥生時代の生活の一部を再現したジオラマがあります。
こういうジオラマが大好きな私としては本当に堪らないです!楽しいです!何時間でも眺めていたい!
また、引き出し式になっている展示も狭いスペースを有効に活用していて、考案した方々の熱い思いが伝わってくるようです。
狭いくせに全部きちんと見ようとすると意外と時間が掛かるかもしれません。

さて、ここからが本番です。

実はこの博物館の外には荒神谷遺跡の発掘当時をそのまま再現している場所があるんです!
そこをぜひご覧頂きたい!
ここから写真入で書きます。

まず博物館を背にして眺めると、右手側に水田のような池のようなものが見えます。
歩いていってみると看板が。



二千年ハス?
実は二千年前のハスの種が植えられているんです。
詳細は現地の立て札で!
ちなみに写真は二年前の4月に撮影しています。
ハスどころか何も見えませんでした。
時期が悪かったのかもしれません。
それともハスの池は別の場所だったのか。

ハスの池(仮)を右手にしてどんどん進んでいくと何か見えてきます。


近づいてみます。

これですよ!
この発見が当時の考古学界の出雲というものの概念を大きく変えたといわれています。(詳しくは博物館内のドキュメント映像をご覧ください)
当時は日本全国あわせて約300本くらいしか出土していなかった銅剣が、この荒神谷一箇所でなんと一気に358本も見つかったというから、当時の考古学者たちの衝撃は計り知れません。
確かこの近くに階段のようなものがあったはず・・・(うろ覚えでスミマセン・二回目)
示す方向に従って道を逸れて少し中に入っていくと・・・

何か見えてきた!

正面。

再現スペースがみえました!!
直接近づくことはできませんが、スペースの向かい側に同じくらいの高さにのぼれる台のようなものが作ってありますのでぜひそこから眺めてみてください。
カメラでズームしてみると確かにたくさんの銅剣や銅鐸があります。


隣。


荒神谷遺跡は出雲の弥生時代を語るときに真っ先に名前が挙がる遺跡です。
過去、出雲というもの自体がまるで虚構としか思われていなかった時代がありました。
出雲とは名前だけの架空の存在で、今の出雲地方とはまったく関係なかったと言う人もいたようです。
もちろん当時から出雲王国は実在したといっている方もいらっしゃったようですが、少数派でした。
神話の中だけに存在する出雲という概念。
それが、この遺跡の発見をきっかけに俄かに現実の形と重みを持ったのです。
今、古事記神話を語るときに欠かすことのできない出雲神話。
その価値を飛躍的に高めたのは、間違いなくこの荒神谷遺跡の発見です。
いろいろな人が出雲という場所自体に注目する、その一番のきっかけとなった遺跡を是非堪能してください。

ちょっと長くなったので記事を分けます。
次は「出雲弥生の森博物館」のご紹介です。
ここではぜひ、巨大な四隅突出型墳丘墓を作ったり広大な地域との交流をもつなど、弥生時代に大いに繁栄していたであろう「古代出雲王国」の息吹を感じてほしいです!
館長さんの細部へのこだわりも見逃せませんよ!

【追記】
おおお!
20日の0時台と本日の0時台(2連パチ!)に拍手を下さった方々ありがとうございます!!!
九州に行ってきたのに出雲紹介をしている私は一体何をしているのか?
九州旅行の成果は後日日向神話語りの時にお見せできればと思っております!
そして出雲も楽しんでいただけると嬉しいです。
日本は全国面白いところであふれていて楽しい毎日です!
拍手ありがとうございました!!!

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