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イザナキとイザナミ後日談in黄泉国

「黄泉国」とは何かをご存知でしょうか?
これは火傷で死んでしまったイザナミをそれでも諦めきれずにイザナキが追いすがった場所です。
現(うつつ)とは「黄泉比良坂(よもつひらさか)」で繋がっています。
この「比良(ひら)」とは昔から「平(ひら)」なのか「崖(ひら←方言で今でもある)」なのか論争がありますが、私が読んだ本では「崖」を採用しているものが多かったのでこちらにならいます。
また、更に大きな論争となっているのが、この坂は「黄泉国」から「現」へ向かう上で「上り坂」なのか「下り坂」なのかという問題です。
これは私が読む本では半々くらいでした。
というのも、そもそも「黄泉国」がいったいどのような概念の国なのかがはっきりしていないのです。
皆様は「黄泉国」とはどのような場所にある、どんな場だと思いますか?
古くから「根の国(ねのくに)」との比較がされることが多くあります。
「根の国」は死後の世界です。(一般には地下世界と考えられていますが、古事記にははっきりとした記述はありません)
スサノヲが死んだ母親(イザナミ)に会いたくて「根の堅洲(かたす=片隅の意)国に罷(まか)らむと欲(おも)ふ」と父イザナキに直談判しているのですが、イザナミが「黄泉国」に行ったとは書いてあっても「根の国」に行ったとは書いてありません。
しかし、イザナキが「黄泉国」から命からがら帰ってくるときに通った「黄泉比良坂」は、のちの大国主が兄神たちの迫害を逃れて訪れた「根の国」からもどる時にも通っているのです。
どうやら「黄泉国」と「根の国」は出口が同じようです。
出口が同じということは、「黄泉国」と「根の国」も同じ国であると考えてもいいのでしょうか?
いろいろな本を読んでみて、私の中ではこの二つの国はどうやら違う国と捉えた方が良さそうだと思い始めています。
もちろん同じ国としている本もあるのですが、上記のイザナキと大国主は状況的に違いがあると思うのです。

ちょっと断筆。
後ほど加筆修正いたします。

イザナキとイザナミの国産み神話:後編

前回の続きです。

やっと12番目に出てきたイザナキとイザナミがいよいよ天降る場面です。

ここに、あまつ神もろもろみこともちて、伊邪那岐命・伊邪那美命の二柱の神にのりたまはく、「のただよへる国修理つくろひ固め成せ」とのりたまひ、あめ沼矛ぬほこを賜ひて、言依ことよし賜ひき。

天つ神の皆さん
 「このどろどろと漂っている状態をちゃんと固めて国を作りなさい」


天つ神さまたちはかなりの無茶振りをなさいます。
やり方の説明もなく、ただ、やれ、とだけ言ってきます。
因みに、古事記における「天つ神」とは高天原にいる神様の総称で、それに対して「くにつ神」は地上、すなわち葦原中国あしはらのなかつくににいる神様の総称です。
後に生まれる「天照大御神あまてらすおおみかみ」はこの「天つ神」の最高神であり、それに対して「大国主」は「国つ神」の最高神とされています。
で。
いきなりイザナキとイザナミは国づくりを任されることになってしまったわけですが、うまくできるのでしょうか?
続きを見てみましょう。
いきなり国づくりを任された二神は同時に渡された矛(槍みたいなものです)で混沌としてまだ何もない下界をかき回してみます。

かれ、二柱の神、天の浮橋うきはしに立たして、其の沼矛ぬほこを指し下ろしてきしかば、塩こをろこをろに画きして、引き上げし時に、其の矛の末よりしただり落ちし塩は、かさなり積りて島と成りき。是、淤能碁呂島おのころじまぞ。

なんか勝手に島が出来ちゃった!
名前もまんま、「己で凝り(固まった)島」です。
このオノコロ島について森先生の面白そうな説があったので以下でご紹介します。

 男女二神のオノコロ島づくりでは、『記』のほうでは、たとえば奈良盆地の人では持ちあわせない製塩の情景についての知識が、"コオロコオロ"と塩の結晶を道具でかき混ぜる音まで入れて、取り入れられている。(中略)
 宮城県塩竃しおがま市に陸奥一の宮の塩竃神社がある。この神社の境外末社に御釜おかま神社があり、(中略)藻塩焼もしおやき神事がおこなわれている。(中略)鉄釜の下に火打石で火をつけたのが午後一時半、最初は表面に浮くアブクをとるのに忙しいが、約一時間たつと急に釜底に塩の塊が姿をあらわしだし、『記・紀』のオノコロ島づくりの描写を思い浮かべた。(中略)
 このように製塩の情景を思い浮かべると、男女二神は製塩技術にもたけていたか、あるいはそのような仕事を日ごろ見なれている海人系として扱われているのである。
※「日本神話の考古学」(著:森浩一)より引用

へー!
日本民族はたくさんの民族(中華系・朝鮮系・南方系・北方系など)から成っていて、海の民や山の民の思想が入り混じっているといわれることがありますが、こんなふうに受け継がれていると考えるとロマンが掻き立てられますね!

さて、都合よく勝手に固まってくれた島に二神は降り立ちます。
そしてもうすぐ皆様お待ちかねのあの台詞が出てきますよ!(え?待ってるの私だけですか?)
まずは軽いジャブ。

其の島に天降りして、あめ御柱みはしらを見立て、八尋殿やひろどのを見立てき。是に、其のいも伊邪那美命を問ひてひしく、「汝が身は、如何いかにか成れる

イザナキ
 「ねぇイザナミ、きみの身体ってどうなってるの?」(直球)


オノコロ島に降り立って早々いきなりセクハラかますイザナキです。
いきなり何言いだすの!?って思いますね!
イザナミさんちょっと懲らしめてやってくださいよ!

答へてまをししく、「が身は、り成りて成り合わぬところ一処ひとところ

イザナミ
 「私の身体は大体出来上がっているけど、物足りないところが一か所あるわ


ちょっ!!!
イザナミは怒るどころか、かなりきわどいことを言い出しました!
これに気をよくしたのかイザナキが更に調子に乗って遂にあの台詞を言います!

伊邪那岐命ののりたまひしく、「我が身は、成り成りて成り余れる処一処在り。かれ吾が身の成り余れる処をもちて、汝が身の成り合わぬ処を刺し塞ぎて、国土くにを生み成さむと以為おも

イザナキ
 「俺の身体も大体出来上がっているけれど、余ってるところが一か所あるんだよね
 「でさ、俺の余ってるところで君の物足りないところを塞いだら、もしかして国ができるんじゃない?


塞ぎたいのはお前の口だよ、と言ってやりたいところですね。
イザナミが怒らなかったのに気を良くして、更なるふたりの進展を図っているようですが、いかんせん、その口説き文句がセクハラすぎる。
イザナミさん、今度こそ怒ってやって下さい!

伊邪那美命答へてひく、「しか

イザナミ
 「あら良いわね


物凄いあっさり承諾したー!

というわけで、二神はこのあとちょっとした失敗を交えつつ、無事日本の国土や様々な神様を産んでいきます。
順調に思えた国造りですが、日本の国土が産み終わり、神様を産んでいる途中で、イザナミを悲劇が襲います。
火の神「カグツチ」を産んだところで、イザナミはホト(女陰)に火傷を負って死んでしまうのです。
イザナミが死んだことにより国造りは中断してしまいます。
この中断した国造りは、その後の大国主によって引き継がれることとなります。


というわけで、以上が大まかな「イザナキとイザナミの国産み神話」でした!
かなり端折ったところもありますが、これはこれでなかなか面白い話題なので、今後も機会があったらもう少し突っ込んだ内容を語りたいと思います。
また、イザナミの死とイザナキの黄泉の国訪問の話もかなり気になる話ですね!
日本神道の最高神「アマテラス」、夜の闇のように謎の存在「ツクヨミ」、出雲国を救った英雄「スサノヲ」の三姉弟(=三貴子)の関係についても気になります!
そしてこの後高天原を追放されたスサノヲの、ヤマタノオロチ神話から始まる長大な出雲神話!!!気になりすぎる!!!
あ、Hさまにご指摘いただきました通り、私は出雲の近くに住んでいます。
…とはいえ、今住んでる処から片道4時間の距離ですが(^_^;)
位置的には鳥取県の東の方です。
実は実家(鳥取県の西の方)からだと2時間くらいの距離で、言葉も出雲に近いです。(鳥取県は東西で文化や言葉が違います)
この間の万葉集サークル(←隣町)で「一時期毎週出雲に通ってたんですよー」と言ったら、みなさんドン引きでした。
そんな距離です。
今後も周りからの生暖かくも若干イタイ視線を感じつつ、趣味に邁進していく所存です。

古事記と日本書紀(閑話休題)

イザナキとイザナミの国産み神話について続きを書いているんですが、そこでふと気付きました。
普段特に何の説明もなく書いていますが、皆様、「古事記」と「日本書紀」とは何かご存知でしょうか?
「何を今更、知ってるよ」という方はこの記事をお読みになる必要はございません。
「聞いたことはあるかもしれないけど、何のことかさっぱり」という方のために簡単にご説明させていただきます。

古事記」と「日本書紀」は両方とも日本の歴史書で、神話時代に始まって飛鳥時代までのことを書いています。
いろんな本ではよく合わせて「記紀」と略されています。
「きき」と読みます。
古事記=記
日本書紀=紀

ということですね。
また、日本神話のことは記紀神話といわれることもあります。
両方とも同じような意味ですが、記紀神話という場合は特に古事記と日本書紀に記載されている神話をさす場合に使います。
日本神話には記紀には載せられていない神話も多くあるので、それと明確に差別化したい場合に使われるようです。

で。
私が普段よく話題に取りあげている「古事記」は現存する日本の歴史書としては最古のものです。
成立は奈良時代初期の712年。(平城京遷都の二年後です)
来年で「古事記」成立1300年ということで、各地で色んなイベントが予定されています。正直かなりウハウハです。(だろうね)
「古事記」には神話時代~第33代推古天皇までの内容が書かれています。
上巻・中巻・下巻の全三巻です。
それぞれ
上巻・・・神話の時代(神代の巻)
中巻・・・神と人が交流する時代(英雄時代)
下巻・・・人の時代(人代の巻)

というような内容に分かれているという学説が一般的です。
私はこの中でも特に上巻の神話の時代に関する本を多く読んでいますが、中巻や下巻にもかなり興味があります。
中巻で一番人気があるのはやはり古代における悲劇の英雄として名高い「ヤマトタケル」でしょうか。
父を慕いながら、その性格と力ゆえに父から疎まれて各地に遠征に出される幼い皇子。
それぞれの地で戦功を上げるも、最期は故郷を想いながら遠く離れた地で死んでしまう。
しかしその魂は白鳥となって故郷の方角へ飛び去ったと伝えられます。
なんとも美しい英雄譚ですね!
下巻では色々と気になる人が多いのでアレなんですが、中でも以前猛り狂って旅行に行った大阪の今城塚古墳に眠っておられる「継体天皇」や、万葉集の冒頭を飾る歌に名前が挙がっている「雄略天皇」が特に気になる存在です。

語り始めると長くなるのでさくさく次へ。(既にちょっと長くなっている・・・)

一方「日本書紀」とは何かというと、「古事記」から遅れること八年後に編纂された歴史書です。
しかも古事記と違って六国史の中に数えられるれっきとした国史の一つです。(六国史・・・日本書紀、続日本紀、日本後紀、続日本後紀、文徳天皇実録、三代実録の計六編)
神話時代~第41代持統天皇までの内容が書かれています。
古事記よりも若干後の時代まで収められていますが、概ね同じような時代のことを書いています。
なお、どうして古事記が国史でなくて日本書紀が国史なのかは厳密なところ私にはよく分かりません。
まぁ単なる趣味でやっている人間としては、このあたりのことはあまり気にしなくてもいいかなと思っています。

しかし、日本書紀は古事記と内容的にはかなり大きな違いもあります。
例えば神話部分は古事記ではその約三分の一~四分の一を出雲神話という、大国主を中心とした長大な神話で構成していますが、日本書紀ではそこの部分を全く記述していません。
唯一最後の国譲り神話の部分だけが入っています。
因幡の素兎神話もスサノヲと大国主の舅婿争いも載っていません。
日本書紀ではスサノヲがヤマタノオロチを倒してクシナダ姫と結ばれ、その子どもとして大国主が産まれます。
そして次の章でいきなり国譲りです。
また、その後の内容も違いが見られます。
上記のヤマトタケルの伝承は、父思いの息子と息子思いの父親の話になっているし、雄略天皇のところで出てくる、白鳥異伝の菅流のモデルとなった「小子部栖軽(ちいさこべのすがる)」は古事記には記載が見られませんが、日本書紀には残っています。その他も多々。

一般的に、「古事記」は国内向け、「日本書紀」は諸外国向け(主に当時の中国や朝鮮?)の内容であるという見方が強いようです。
このあたりに関しては私もまだまだ勉強中で、あまり多くを語ることが出来ません(^_^;)
今後の課題として残したいと思います。

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