気になっては、いる
- 2011/04/28 13:12
- Category: 趣味>万葉集にまつわる諸々
超訳百人一首 うた恋。 2
万葉集でやってくれればいいのに・・・!(本音)
気にはなっています。
1巻は買いました。
面白かったと思います。
2巻はどうしようかな・・・と。
ていうかホント万葉集で(ry
できれば防人歌か東歌で(ry
家持でも(ry
旅人でも(ry
人麻呂でも(ry
超訳百人一首 うた恋。 2
万葉集でやってくれればいいのに・・・!(本音)
気にはなっています。
1巻は買いました。
面白かったと思います。
2巻はどうしようかな・・・と。
ていうかホント万葉集で(ry
できれば防人歌か東歌で(ry
家持でも(ry
旅人でも(ry
人麻呂でも(ry
突然な話題ですが(いつもですが)、歴史関係の本を読んでいて思うことは、著者の方はこの本一冊を書くのに一体どれほどの本を読んだんだろうということです。
後ろに載せてある参考文献もさることながら、文章中の引用文献の量が物凄い。
もちろん自分に都合のいい部分だけしか引用して無い場合もあって、引用文献がかならず著者と同じ主張をしているとは限らないけれど、それにしたって本当に凄い量だと常々思っています。
本を読むのが遅い私にはもはや神業としか思えない・・・。
私が読むなら一生かかるかもくらいの量をみなさん読んでおられてさらにそれを含めて自分の主張を組み立てていくとか、ホント凄い。
私はただただそのおこぼれというか上澄みを頂いてニヤニヤしているだけなのですが、著者の方々はこの一冊を書くためにたくさんの努力を積み重ねてこられたんだろうなぁと思うと頭が下がります。
あと、この分野だからこそですが、同じ研究をしておられる方々の間でも見解がかなり違っているのがまた凄い。
一冊読んだだけで分かったつもりになることは出来ないなぁというのを常々感じます。
一人の著者の主張を鵜呑みにしてはいけないということをこの分野ほど痛感されられたことは今までありませんでした。
ただ、結論を出すことが出来ない分野で賢い人ほど断定的な表現や飛躍的な論を避ける傾向にあるのは分かりますが、私は歴史にはロマンを求めているので、論のある程度の飛躍はむしろ望むところです。
大事なのは、飛躍している論をいかに緻密な裏づけをされた理論で説明できるかということですね。
・・・えらそうなことばっかいっててスミマセン。
実は今日本屋でちらっとみた本の主張が私的に納得いかなかったので、つい(^_^;)
あまり批判的なことは書きたくないですし、私にそんな資格は元から無いと思っているので具体的な書名や著者名は書きませんが、ちょっとあまりにも論の根拠が脆弱すぎる上に結論がお粗末過ぎると思いました。
しかもビギナー向けの本だったので何も知らない人はこれを鵜呑みにしてしまって大変なことになってしまうのでは・・・と余計な心配もしてみたり。(ホント余計ですね)
まぁその論を疑うべきか否かみたいな勘(?)はある程度の冊数の本を読まないとどうしても身につかないところだし、読んでいけばいくほど、初期の頃に訳も分からず得た情報も自分の中で修正されていくでしょうから、心配するほどのこともないかもしれないんですが、どうしても自分が今こだわっている分野なので気になってしまいました。
んんん・・・ぐだぐだとスミマセン・・・。
今日の私は何だかちょっと愚痴っぽい・・・。(T_T)うう
さて、昨日はまた因幡の兎の話を聞きに鳥取県立博物館に行ってまいりました!
今回はさらにつっこんで、白とは書かれていなかったはずの兎が、いつの間に白兎と言われるようになったのか、というお話でした。
♪大きな袋を肩にかけ~だいこくさまが来かかると~♪
♪こ~こに因幡の白兎~か~わを剥かれて赤裸~♪
有名な童謡、因幡の白兎です。
これは完璧に「白兎」となっています。
もちろんこれは現代に作られた歌ですが、ではいったいこの「白兎」と言われだしたのはいつからなのか?
まず、もっとも古い記述は古事記の「素兎」です。
前回も書きました通り、これは何と読むのか分かりません。
今回お話を伺った学芸員の方は「すうさぎ」と読んでおられました。(前回も書きましたが)
結論から言うと、江戸時代に書かれた「因幡志」の中に「白兎」の記述がでてきて、これが最も古い記述のようです。
しかし!騙されてはいけません!これはまだ「しろうさぎ」ではないのです!
これは「あおうさぎ」と読みます。
な、なにー!!??
「白」と書いて「あお」と読むんです。
これは「白馬の節会」を「あおうまのせちえ」と読むのと同じこと・・・と、因幡志に説明されていました。
おお!「白馬(あおうま)の節会」なら知っている!
無駄に出雲に行きまくっていろいろ調べている時に、年始の宮廷行事の中に出てきたからね!
鈴も皇女時代は見ていたのかな~。
で、この因幡志によって因幡国では神社や伝記などの表記を「白兎」に統一したところ、読みまで「しろうさぎ」になってしまったということでした。
なるほどね~。
しかし、ここで新たな疑問が出てきます。
この「あおうさぎ」という読み方は、そもそもいったいどこから出てきたのか?
これには実は変遷があります。
そもそも兎の変遷が、
素兎(古事記。読み方不明)
↓
老兎(おいたるうさぎ・おいうさぎ)
↓
大兎大明神(おおうさぎだいみょうじん)
↓
あおうさぎ
↓
白兎
となっているのです。
読み方だけ追ってみると、
「おいうさぎ」
↓
「おおうさぎ」
↓
「あおうさぎ(白兎)」
↓
「しろうさぎ(白兎)」
という変遷。
いったいどうしてこんなに記述がころころ変わったのかといいますと、まず「老兎」が出てくるのが鎌倉時代に書かれた「塵袋(ちりぶくろ)」の中の「因幡ノ記」。
そこでは古事記には書かれていなかった、①兎がどうして沖ノ島にいたのか②兎がどうして因幡に渡りたかったのか、が記述されています。
<塵袋の記述>※鎌倉時代※
①兎がどうして沖ノ島にいたのか
⇒元々因幡国にいたが、洪水で沖ノ島まで流されてしまったから
②兎がどうして因幡に渡りたかったのか
⇒元いた場所に戻りたかったから
※ここで重要なことがあります※
この二つの①②の記述はあくまでも「塵袋」の記述です。
古事記に書かれた因幡の素兎神話の原型とは限りません。
というより、恐らく古事記の因幡の素兎神話を元にこの時代に創作されたのではないかと考えられるとのことでした。
で、ここに「老タル兎」の記述が出てきます。
因みにこの「老タル兎」さん、因幡の「竹草郡(もしくは高草郡)」にいましたが、洪水が起こって「竹の根」に乗って沖ノ島まで流されます。
その後ワニと駆け引きをして、沖ノ島から因幡国の「気多の岬」まで並ばせて渡っていきます。
ご存知の通り渡りきる前に嘘がばれて毛をはがされてしまうわけですが、その後通りかかった大国主命(大穴牟遅命)に教わって蒲の穂に包まっていたら元に戻ります。
ここの記述が以下のようになっています。
ヲシヘノママニスルトキ、多ノ毛モトノゴトクイデキニケリト云ヘリ。
多ノ毛・・・毛が多い・・・毛多
何が言いたいかというと
「竹(タケ)草郡(もしくは高(タカ)草郡)」
「竹(タケ)の根」
「気多(ケタ)の岬」
多ノ毛⇒毛多(ケタ)
という、言葉遊び的な要素が見え隠れしているわけです!
大体兎さんは元々「竹(タケ)草郡(もしくは高(タカ)草郡)」にいたくせに、どうして戻ってくる場所が「気多(ケタ)の岬」になってるのか甚だ疑問なわけですが、これも「塵袋」の作者が毛が増える(毛が多くなる)のに適した舞台を「気多(ケタ)の岬」と考えたとしたら、結構すんなり納得できます。
おおお!おもしろい!!!
どうせ「塵袋」の作者さんは因幡には来ていないでしょうから、ちょっとくらい地理がおぼつかなくてもしょうがないです。
学芸員の方はちょっと自信なさ気でしたが、私はこれは凄く面白い観点だと思いました!!
あ、話が脱線しました。
兎の色の話に戻します。
で、次に兎さんが出てくるのは江戸時代初期に書かれた「因幡民談記(いなばみんだんき)」です。
実はここで「白兎」の記載は出てくるのです。
しかし、ここの「白兎」は神話の兎ではなく、地元の豪族の夢に出てくる兎です。
<因幡民談記の記述>※江戸時代初期※
ある日因幡の一人の豪族が夢で白い兎に会います。
兎は夢の中で「われは白兎(しろうさぎ)と云ふものなり、吾かすむべき社なし、本の所に社を建て給はるべし」と一方的に神社を建てることを要求してきました。
で、何だかんだあって結局神社を建立するわけですが、その建てた神社を「大兎大明神」として祭るのです。
「因幡民談記」の作者はこの「大兎」は「塵袋」に出てくる「老兎」のことかな?(疑問)と書くに留まっています。
決して「老兎」=「大兎」とは云ってません。
が、とりあえず道筋が出来ました。
「老兎(おいうさぎ)」⇒「大兎(おおうさぎ)」?
次に出てくるのが始めに書いた「因幡志」(江戸中期)です。
<因幡志の記述>※江戸中期※
ここではさっきの「因幡民談記」では疑問視されていた「老兎」⇒「大兎」?が勝手に断定的に引用されています。
さらにこの「大兎」は「白兎(あおうさぎ)」の転訛したもので、もともとは「白兎」であった、と言い切っています。
か、かなり強引だな!
「白兎」を「あおうさぎ」と読む理由は始めにも書いたとおり「白馬の節会」を「あおうまのせちえ」と読むことから分かるとおり『「白」の字、「靑」とよみかゑるは和訓の故實(こじつ)と云へり。』とのことでした。
おおおお、かなり強気な態度です。
こうして因幡志の作者の主張を受け入れる形で、「大兎大明神」を「白兎大明神」と書き改めた結果、読み方まで「しろうさぎ」となって現在に至るわけです。
<ついでの作者メモ>
「塵袋」・・・編者不明
「因幡民談記」・・・小泉友賢(ゆうけん)
「因幡志」・・・阿部恭庵(きょうあん)
か、かなり長くなってしまいました。
誰も読みませんよねこんな話・・・。
まぁ私の備忘録ということで。
つまらないことばっかりやっててスミマセン(汗)