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防人の歌in武蔵国

昨日は地域で活動している万葉集のサークルに参加してきました。
ずっと歌人を追ってきたのですが、家持まで終わったので現在は東歌・防人の歌などの無名の歌人と呼ばれる方々の歌を鑑賞しています。
で。
昨日は防人の歌を鑑賞していたわけですが、まぁホントに東国の人たちはかなりラッブラブな表現をしてくださるので読んでるこっちはかなり楽しいですね!
「七枚重ねて着た着物よりもあの子の肌の方が暖かい
だの
「夜の床で愛しい妻よ、昼も愛しい
だの。
もうホント君たちラブラブしいにも程があるよ!(大興奮)っていう感じでした。
当時の「防人」という制度は行く方も残される方もそれはそれは大変な思いをしていたはずなので、歌を詠んだ人たちは大変切実な思いがあって、おかげでこんな風に情感に富んだ歌が残されたのかもしれませんね。
そんな気持ちもあっていろいろ鑑賞していたのですが、一番最後のところの解説に「なお、武蔵国の防人歌はその半数が夫を防人にとられた妻の歌であるが、このように夫と妻の両方の歌が見られるのは武蔵国のみである」という文章がそっと載せてあってかなり注目してました!
な、なんだってー!!
さすが武蔵国の人たちは夫婦揃って見せつけてくれるな!
いいぞもっとやれ!!
っていう、私としては物凄く大注目の一文でしたが、サークルでは軽く流されました。
い、いいけどさ!(残念)
あ、い、一応分かってますよ、防人歌を集めろという中央の命令に、他の国は忠実に従って防人自身の歌のみを集めたのに対して、武蔵国は役人の理解が他の国と差異があったか何かでたぶん偶然妻の歌もついでに集めて提出したか何かなんだろうなってことくらいは!
決して武蔵国だけが突出して夫婦愛が(ちょっといきすぎなくらい)強かったとかそんなことは思ってませんよ!
冷静に鑑賞しています。冷静に。(説得力無)

万葉集は本当に楽しいですね!
今後もコツコツ続けていこうと思います!

眠れない・・・

久しぶりに読書をしたせいか、脳内に変な麻薬が出てるらしく全然眠れません。
なんかすごく何かに追われているような・・・こう・・・レポートの締め切り明日なのにまだ資料すら読んでいないぜ☆みたいな・・・!(ダメすぎる過去)
書きたい気持ちもネタもあるのに練れてなくて書き出しすら出てこないよ(苦)みたいな!

とりあえずは今日読んだ部分をちょっと箇条書きで。
・草壁皇子の挽歌と高市皇子の挽歌⇒鹿と鶉(うずら)は比喩か事実か。それは重要かそうでないか。
・草壁皇子の陵と高市皇子の陵
・高市皇子の前半生と後半生in日本書紀
・藤原宮(大海人+鵜野讃良+高市)※鵜っていう字ホントは違うんですけど変換で出てきませんでした(泣)
・九州の豪族
・志斐の嫗(しひのおみな)とのやりとりが可愛かった
・持統天皇の伊勢行幸と三河行幸⇒信濃遷都計画(外圧)
・伊勢湾岸への情熱が沸騰(私が)

書き出してみてもなんか微妙・・・。
濃度が濃すぎて掻い摘めない感じです。
まだ自分の中でまとめきれない・・・。

知識を吸収する時って流れを掴めているかいないかで定着率がかなり大きく違うというのは経験上よく分かっているわけですが、その掴み方が分かってない感じです。
小説とか数学とかは読んでてそのまま流れていく感じなんですが、資料本は情報を吸収してその中で自分で必要なものを選りすぐって流れも自分でつけるというか、まず始めに何が知りたいのか、どう知りたいのかみたいな方向をきちんともって読まないと、ただ与えられるものをそのまま受け取っていたら情報過多ですぐギブアップしてしまうことになるわけで、今私はまさにその状態のような気がします。
もう一度自分が何が知りたいのかを明確にしなければ・・・。
私の場合は古代史から知りたいのは当時の人々の生活とか習慣とか信仰とか風土そのものとかそういうものです。
もちろん政治や国際情勢も重要ですが、そのあたりも最終的に庶民に繋がるという意識で見ています。
というか、政治は中々難しすぎて把握し切れてないというか・・・。
把握したい気持ちはありますが!(ぜひ茂里にマンツーマンで教わりたい!
あれです、ミクロ視点ばっかり見てるのでマクロ視点がまったく理解できてないんです。
両方やらないと見えるものも見えないですよね・・・。
頑張るぞ!

東北が復興したら

東北が復興した暁にはぜひ東北旅行がしたいと思っています。
というか、本当は今年の春か夏に行こうと思っていました。
そのために旅行資金を貯めたりいろいろ史跡や旅館を調べたりしていました。
去年は青森に行って三内丸山遺跡に感動して、今年は東北制覇するぞ!と思っていました。

まず行こうと思っていたのは何はなくとも宮城の多賀城跡。
それから岩手のアテルイ関連の遺跡や博物館など。
旅館はできれば三陸にとって、世界三大漁場と名高い三陸の海で獲れた海の幸を満喫したい。
福島は越の国との関連もあり、四隅突出型墳丘墓のような形をした墳丘墓があって、これが四隅突出型墳丘墓(と思われる墳丘墓)の最北端です。
そんなこと知ったら福島に興味を持たないわけがない!
こうしてまず東北の太平洋側を制覇して、次は日本海側。
森先生の本で読んだ秋田の埋没家屋(※森先生はあえてこれを別の名称で呼びたいとおっしゃっておられましたが現在手元に本がないので後程調べて修正いたします)関連の遺跡や博物館を回って、有名なハタハタを食べたい。
山形についてはまだいろいろ調べている途中で語れることも少ないのですが、最上川や荒川などの巨大な運河の存在は交通が非常に発達していたであろうことが容易に想像できるので、周辺地域との交易関係でかなり栄えていたはず。
また、東北はかなり早期の段階で古墳文化が到来していることから、畿内との関係も興味深いです。(それには確実にこの運河が使われていたと思います)
そんな空想で浮かれている日々でした。

古代史にハマって以来日本全国さまざまな場所に興味が尽きません。
古代史はただ昔の遺跡を見て楽しむだけではなく、それを作った人々の悲喜交々を想像し、またその人々から今の私たちへの繋がりを感じて、この先の未来をぼんやりと思い描くのが楽しいです。
今が好きだからこそ、今に受け継がれてきたであろう昔が好きで、これから受け継がれていくはずの未来を期待します。
「繋がり」というのが私の中のキーワードです。
別の言葉を使うなら「流れ」とも言い換えられるかもしれません。

国中の人が「繋がり」、様々なものが「流れ」、再びこの国がかつて謳われた「豊葦原千秋長五百秋水穂国(とよあしはらのちあきのながいほあきのみずほのくに)」(※豊かに葦が茂り、秋の実り多い、瑞々しく美しい国)という情景で満たされた国になれるように、今力を尽くしたいと思います。
ちなみに、「蜻蛉洲(あきづしま)」の名前も好きです。
蜻蛉とはトンボの古称です。
トンボは水田が水で満たされる時期に水中で孵化し、夏になると一旦山へ登りますが、秋になって稲穂が実る時期になると降りてきて産卵します。
水田とともに生きている虫なのです。
なので、トンボがたくさんいる土地は水田が広がっている土地であり、国中がトンボで満たされていることは、国中に田が広がっているとても豊かな情景ということになります。
ゆえに、「蜻蛉洲」は美称となります。
昨年10月に青森に行った時も途中の景色の中にはトンボがたくさんいました。
もちろん私の住んでいる地域にもトンボはいますが、こんなに離れた土地にもたくさんトンボが飛び交っているのかと思って胸が熱くなりました。
当時のツイッターの呟きの熱さが尋常じゃない(笑)
三内丸山遺跡にも赤トンボがたくさんいたのでテンションが急上昇して隅の方で一人「トンボのいる遺跡風景」と題した撮影会をやってました。(←不審者)
なお、テンションあがりすぎたためにこのあといろいろあって東北の人たちの優しさに心を打たれました!
東北の人はなんて優しいんだ!好き・・・!(マテ)

これからやってくる苦難を必ず乗り越えて、また共に笑いあえる日を目指して頑張ります!

無駄に当時のアホ(笑)ツイート↓
青森なう!青森なう!

はやて1号乗車中。一路八戸を目指して快調に飛ばしております!

青森なう!青森なう!(大興奮)

延々続く田畑と山の原風景…日本の田舎は北も南も同じようなものなんだな…と思いつつ、これが弥生時代ならこの風景は物凄く開かれた豊かな土地の風景だよね!と一人心が古代に飛んで大興奮

たんぼにたくさん飛んでる赤とんぼは豊かな土地の証!だから豊秋津洲(とよあきづしま)(秋津=トンボの古語)(=トンボがたくさんいる土地=たんぼがたくさんある土地)は日本の古い美称の一つなんだよねまさに今その風景が目の前にあるね!と興奮が抑えられない

そんなこんなで次の停車駅はついに青森駅なう

神社を見つけて断腸の思いで次の予定を1時間ずらして神社堪能

そんなこんなで1時間遅れでバス乗車。これから三内丸山遺跡。日本最大の縄文時代の集落遺跡。テンション上がりすぎて無表情を装えなくなってきた。でも表向きはあくまでもクールに。え、三内丸山遺跡?別に?みたいな顔で

青森は意外と暑かった。コートを持っていこうか出発直前まで迷ったけど、荷物になるのが嫌で結局止めたんだよね。良かった!念のため貼るホッカイロは持ってきたんだけどこの分じゃいらなそうだ。

あー…目の前でバスを乗り過ごしたおばちゃんがめっちゃ唖然とした顔してたー…

着いたー!!!!!!

楽しすぎて2周もしてしまう浮かれっぷり

あれもこれも写真や映像で見てたものそのままに実物が目の前にある感動をどう表現すればいいのか

デジカメは電池を一周目ですでに使いきるほど活躍してくれました。こんなこともあろうかと電池は予備を2つ持っている私に隙はない

もう少し回りたかったけどそろそろバスの時間だし、その上日が傾いてきた途端に半端無い寒さになったので室内に待機しつつ呟いているなう


この後やっときたバスに乗った瞬間荷物を博物館に預けっぱなしだったことに気付いて「すいません荷物がッ荷物がッ」ってバスの運転手さんに泣きついたら笑って「いいですよ。待ってますから」って言ってもらったという・・・。
その節は大変申し訳ございませんでした!
今でも大変感謝しています!
また行きたい!
ちなみにここの博物館のキャラクターの「さんまるくん」人形が栗を持ってるやつと竹網のポシェットをもってるやつとの二種類いて、極限まで迷った挙句に二つとも買ったという・・・。(そして今も目の前に飾られている)
青森楽しかった!

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