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額田王

万葉集をよく知らなくても名前だけは日本人なら誰でも知っているでしょう。

「額田王」

折角万葉集を読んでいるので、今回は有名どころの話を書いてみたいと思います!

読み方はご存知の通り「ぬかたのおおきみ」です。
一般的には大海人皇子の妻として娘を産んだ後、大海人皇子の兄である天智天皇に嫁いだといわれている人ですね。
「天智天皇(兄)と大海人皇子(弟)が額田王を取り合った」という説がかなりまことしやかに囁かれています。
少し詳しく書くと、まずこの額田王という人は歴史書である日本書紀に「天皇、初め鏡王の娘額田姫王を娶りて、十市皇女を生む」とだけ記載されている人です。
他の記載は一切なく、その人となりや境遇は万葉集からのみ推測されています。
その割には本当にかなりの有名人ですよね!
常人離れした歌詠みの才能に合わせて、時代の大きな転換点で当時の最高為政者との繋がりが、現代人の興味を大いにそそったのでしょうか。
因みに万葉集で額田王と二人の天皇の関係を見るときによく取りあげられる歌は次の四首です。

――茜指す紫野行き標野(しめの)行き野守(のもり)は見ずや君が袖振る(巻1・20・額田王)
――紫の匂へる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我(あ)れ恋ひめやも(巻1・21・大海人皇子)

――君待つと我(あ)が恋ひ居れば我(わ)が宿の簾(すだれ)動かし秋の風吹く(巻4・488・額田王)
――風をだに恋ふるは羨(とも)し風をだに来むとし待たば何か嘆かむ(巻4・489・鏡王)

それぞれの現代語訳は以下の通り。(伊藤先生の訳ですよ!)

「茜色のさし出る紫、その紫草の生い茂る野、かかわりなき人の立ち入りを禁じて標(しめ)を張ったその野を往き来して、あれそんなことをなさって、野の番人が見るではございませんか。あなたはそんなに袖をお振りになったりして」
「紫草のように色美しくあでやかな妹(いも)よ、そなたが、好きでなかったら、人妻と知りながら、私はどうしてそなたに心惹かれたりしようか」
※天智天皇の眼前で詠まれた歌と推測されています。
この時額田王は既に大海人皇子の元を去って天智天皇の妃の一人となっています。
天智天皇から見ると、妻が元夫と意味深な言い交わしをした、ととれる場面です。
※※因みにここの「人妻ゆゑに」の部分で毎回「鷹男!」と思ってしまうのですが、これは私だけではないはず・・・。

「あのお方(=天智天皇)のおいでを待って恋い焦がれていると、折しも家の戸口のすだれをさやさやと動かして秋の風が吹く」
「ああ秋の風、その風の音にさえ恋心がゆさぶられるとは羨ましいこと。風にさえ胸ときめかして、もしやおいでかと持つことができるなら、何を嘆くことがありましょう」
※天智天皇の訪れを待ちわびる額田王の歌と、それを受けた鏡王(かがみのおおきみ)の歌です。
鏡王は元は天智天皇の妃の一人でしたが、大化の改新で功を立てた中臣鎌足(藤原氏の始祖)へ贈られて正室となっています。(一説には不比等の生母とも)
なので上の歌は額田王が「秋の風が動かしたすだれを天智天皇の訪れかと勘違いしてしまった」と詠んだ事へ、鏡王が「私は勘違いすることすら出来ないから、勘違いできるだけあなたが羨ましいわ」と詠んだ歌です。(大まかな解釈)

で、この人について、森先生と伊藤先生の解釈が全く違って大変面白かったのでご紹介します。
まず<森浩一先生説>
(引用)
――彼女の意識では自分は天智天皇の后妃ではなかったけれども一番よき理解者で、妃というより女友達だったのであろう。(萬葉集に歴史を読むP.58)

女友達!なるほど!まさに!
実は個人的に件の若干スキャンダラスな三角関係説には正直引き気味な私なので、この説は私の中でかなりしっくりきました!
強い国を作るという天智天皇の理想と、それを御言持ち歌人として手助けした額田王のある意味で盟友ともいえる関係はかなり気持ちを惹かれる説ですね。
この説についての詳細な解説は是非「萬葉集に歴史を読む(森浩一・著、筑摩書房)」にてご覧下さい!

次に<伊藤博(いとうはく)先生説>
(引用)
二つの歌(※上の始めの二首です)は、遊猟を無事終えたあとの、一日の幸を祝う宴における座興であったとみなされる。(萬葉集釋注一P.98)
(※後の二首については額田王たちの作ではなく、後の時代の)奈良びとの優雅な浪漫性が生みおとした仮託の歌であったと考えられる。(同P.102)

また、この歌を詠んだ当時の額田王がおそらく38~9歳という、当時としては初老に近い年齢であったのを大海人皇子が「紫の匂へる妹」(←主に若い女性に使う表現らしいです)と詠んでいる事からも、お互いがそれぞれの「役者」(=「天皇の妃」役の額田王とそれを狙う「間男」役の大海人皇子)になりきって(つまりは本人の歌ではなく、その場を盛り上げるために興として)詠んでいるものであり、実際には額田王は天智天皇の妃ではなかった。
もっとはっきり言えば伊藤先生の立場は額田王は天智天皇には嫁いでおらず、ずっと大海人皇子(天武天皇)の妃であった、という説です。
これにはかなり驚きました!
引用は「萬葉集釋注」からですが、「愚者の賦」の方がさらに突っ込んで書いてありますのでそちらがおススメです!是非!

万葉集の勉強は古事記関連や弥生時代関連にもましてまだまだ日も読み込みも浅くてあまりご紹介できる内容もないのですが、自分の復習や覚書の意味も含めて少しずつご紹介させていただきたいと思っておりますので、少しでも興味のある方、お暇がおありの方などお付き合い頂ければとてもありがたいです。
また、万葉集に限らず日本神話や古代史などでおススメの本や研究者の方などございましたら是非教えてください!
何度か書いていますが、専門が全くの他分野(数学)なので、日本史関係の基礎知識が中学生レベルで止まってます。(T_T)(因みに高校の社会は世界史選択です)
おススメの勉強法や参考書などあったらこちらも是非!
ご自分の受験時代の勉強法や思い出など教えてもらえると凄く助かります。
おおお、他力本願が過ぎるお願いですみません。
さらっと読み流していただければ良いので・・・おおお。
自分でも頑張ります。

因みに水面下で薄紅ももりもりやっています。
このままだと伊勢阿高(の断片的なやつ←またか)になりそうな雰囲気ですが・・・どうだろう・・・。

新校注萬葉集

「新校注萬葉集(和泉書院)」・・・。
万葉集が全首万葉仮名で載っている本です。
・・・ポチッ・・・とな。

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こ、これで一応目処がつきましたよ!
万葉集関連に関してはとりあえずこれで一区切りとなると思いますよ!
だ、大丈夫!

萬葉のいのちの感想

そういえば読み終わった感想を書いていなかったことを思い出したので書いてみます。
とはいえ非常に濃厚な伊藤先生直伝万葉エキスが随所に散りばめられていてとても俄か万葉ファンの私には全体を簡潔にまとめた内容は書けそうも無いので、読み終わった段階での感情を記して、感想に変えさせていただきたいと思います。

まず、古典を読み進める態度は、次の三つの種類に分けられるそうです。

(イ)学者的態度(=古典を巨人として見る)
(ロ)評論家的態度(=古典を矮人として見る)
(ハ)連衆者的態度(=古典を隣人として見る)

それぞれ

(イ)多くの実例を集積し参照することで、作品の世界を客観視しようとする姿勢
(ロ)現代的な問題意識や外的な研究方法によって、対象を自由に切り取っていく姿勢
(ハ)作品が作られ享受された世界に仲間入りすることで、古い作り手や受け手たちと悲喜や哀楽を共にしようとする姿勢

伊藤先生は長年この中の(ロ)古典を隣人として見る姿勢を目指してきたとお書きになられてました。
確かに伊藤先生の文章は感情を隠さない情熱的な筆致で展開されており、読者としては単純に驚きました。
それまでの私の学者像はまさに(イ)の姿勢の人々で、それこそ豊富な知識と長年の経験に裏打ちされた緻密で造詣の深い論理的な思考で、素人の私たちからすれば雲の上のような高みで構築された業績を持っていて、その一端を講演や図書で私たちに還元されているのだと思っていました。(大げさかもしれませんが)
しかし伊藤先生の文章は読めば読むほど目の前のおじいちゃんが熱弁をふるって力説している様がまざまざと浮かんでくるような調子で、たまにちょっと「え、それはちょっと飛躍してるんじゃ・・・」とか「お、おじいちゃん、落ち着いて・・・」とか言いたくなる場面もちらほら(偉大な学者先生に対してなんて失礼な!)。
まさに「隣人的姿勢」です。
伊藤先生は万葉人の隣人となることで、それを伝える相手ともまさに隣人となるお方なのだと思いました。
ずっと敷居が高く感じていた古典が一気に身近なものになったのは伊藤先生のお陰です!
原文こそ専門的知識がなければ読めませんが、そこに記されているのはまさに当時の人々の魂の声であり、それは今も私たちに受け継がれる(もしくはどこかに埋没している)想いだったのだと思いました。
私が歴史を好きなのは、長い時で隔たっているはずの当時の人々の生活や思いが、不思議とそれを越えて今にぴたりと重なる瞬間があるからです。
その瞬間がたまらなく嬉しくて楽しいのです。
しかしまさか長いこと算数や数学一辺倒だった私がこんなに古典にハマることになろうとは思ってもみませんでした。
人間生きていると何が起こるか分かりませんね。
これからも精力的に自分が興味を持った物事へ突き進んでいきたいと思います!

っていうかもうホント、聞いてください・・・。
あれから私止まらなくなって古本で「万葉集 上・下(角川ソフィア文庫)※書き下し文と注のみ記載。歌だけ調べるのに便利※」「萬葉のあゆみ」「萬葉集相聞の世界」を買ってしまったんですよ!
さらに「萬葉のいのち」「愚者の賦」も購入ボタン押しちゃったんですよ!
※上記は全部伊藤先生の著書です※
どうしよう!どうしよう!もう私ダメだ!ホントダメだ!ダメの極みだ!
誰か止めてください・・・。
お願いします・・・。

因みに今読んでる本は前にここにも書いた森浩一先生の「萬葉集に歴史を読む」です。
ホントはこのまま伊藤先生ワールドへ突っ走るのも良かったんですが、思考が偏るのが怖かったのと、自分が元々考古学方向から歴史に入ったのでそこに一旦帰ってもう一度立場を見直すということで。
いやー、さすが森先生。
チョー面白い!!(教養の欠片も無い感想)
っていうか、伊藤先生も森先生も超一流の学者先生だと思ってるんですが、専門が違うだけで同じ素材でこうも違う立場になろうとは!!物凄い驚きです!
まず、歌の引用が全部現代仮名遣いになっているのに驚きました!!
どうりで読みやすいと思いましたよ!
「は」⇒「わ」、「ふ」⇒「う」、「を」⇒「お」、「ひ」⇒「い」などなど。
これだけでホントびっくりするくらいスムーズに読めるようになりますね。
自分が今までどれほど頭の中で現代仮名遣いに直して読んでいたか思い知りました。
そのプロセスが無いだけでこんなにも読みやすくなるなんて・・・。
この表記は万葉集の「一語一語を考究する努力に徹する」という恩師澤瀉(おもだか)久孝先生を「生涯かけて追い求めた理想の人間像」となさった伊藤先生なら絶対ありえないですね。
森先生は冒頭に「ぼくは文学者ではないし、文学史の研究者でもない。」と述べておられます。
和歌を現代仮名遣いで記された理由はあとがきに「旧仮名遣いになじまない若者(←まさに私ですね!)が読んでくれることを意識したからである。」と書かれてました。
森先生・・・!
森先生の著書「古代史おさらい帖」ではこれから古代学を担う若い世代への真摯な期待が前面ににじみ出ている内容でした。
森先生は相手に「伝える」ということと本当に真剣に向かい合っていらっしゃる方だと思います。
「古代史おさらい帖」は他の先生の図書と違って、振り仮名や地図や図表が必要最低限しかついてなくて、正直読むのにはかなり苦労しました。(実はこれが古代史関係で初めて買った本でした)
しかしお陰で地図帳を調べたり、専門書籍やサイトを調べたりすることにある程度慣れることが出来ました。(まだまだですが)
読んでるときは本当に苦労してましたが、今にして思えばそれこそが森先生のねらいであったのかなと勝手に想像しています。

・・・話がだんだんずれてきました。
このあたりで区切りをつけたいと思います。
全く古代史ってホント楽しいよね!っていうのが結論です。(今更)

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