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古代について

昨日日記を書こうと思っていたのに本を読んでいたらそのまま寝てしまい(ry

そんなことより行ってきましたよ!
え?どこへって、出雲へ。
は?は?また?
おまえ先週も行ったじゃないか!
先々々週も行ったじゃないか!
なんで一ヶ月で3回も行ってんの?ばかなの?兼倉なんなの?

い、いや・・・
違うんです・・・
あ、違わないけど(どっち)
今回はあれですよ。
去年12月25日に行って大絶賛の日記を書いた「四隅突出型墳丘墓のナゾを解く!」の第三回目の講座を聴講に行ってきたんですよ!
第三回目にして最終回の本日を二ヶ月前からどれほど楽しみにしていたことか!!!
第一回は都合がつかなくて泣く泣く不参加だったのですが、第二回は本当に面白くて面白くて、聴講した直後から二ヵ月後の続きの講座を物凄く楽しみにしていたのです!!
それが今日だったんですよ!
いやーホント面白かった!
四隅突出型墳丘墓(よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)へのロマンが掻き立てられる素晴らしい講座でした!

で。
折角なのでこのあたりの時代について簡単に書いてみたいと思います。(薄紅天女のみの目的のお方には大変申し訳ございません。ちょっとだけ付き合ってやっていただけたら大変嬉しいです)

まず。
古代日本の歴史は

・ 旧石器時代

・ 縄文時代(世界史的には新石器時代)

・ 弥生時代および北海道・沖縄のみ続縄文時代
(※これ以降も北海道と沖縄は独自の文化圏を形成していきますが、このあたりはまだ勉強不足なので以下では省かせてください。該当地域の方はスミマセン!いつか必ずやろうと思ってますが!というか実はちょっとずつやってるんですが・・・港川人にはかなり注目してます。あと擦文文化について詳しく知りたい・・・おおお、やりきれないほどやりたいことがたくさんある・・・)

・ 古墳時代

・ 飛鳥時代

・ 奈良時代

・ 平安時代

というのが大まかな区分となっているのはご存知の通りです。
で、四隅突出型墳丘墓はこの中の「弥生時代」の終わりのあたりに相当する時代のものです。
上記の旧石器~古墳時代の特徴を簡単に書くと以下の通りです。

・旧石器時代(日本)
1. 大型の動物(マンモスやオオツノジカなど)を石器などの武器を用いて集団で狩りをして生計を立てていた。
2. 氷河期だった。
3. 日本は大陸と繋がっていた。←北海道部分のみ
4. 北からは陸伝いに、南からは海を渡って人間が日本へ渡ってきた
5. ~1万6千年前頃まで

日本における旧石器時代の始まりの時期は微妙です。
人類の足あとの化石は9~8万年前のものもあるそうですが、世界史的には旧石器時代は約400万年前から始まっているので、日本ではいつから始まったかというのは中々言いづらいところだと思います。
因みに400万年前というと、まだホモ・サピエンスはいません。
400万年前というと、ご存知アウストラロピテクスの時代です。
ホモ・サピエンスは大体25万年前には確実に存在していたのではないかと考えられています。(クロマニヨン人は4~1万年前ですよ!)

余計な話をしすぎました。
次に行きます。

・縄文時代
1. 氷河期終了
2. 大型動物減少→絶滅による食料事情の変化
3. 縄文土器、土偶
4. 末期頃から稲作の開始(水田ではない)
5. 1万5千年前~3千年前くらい(異説多々あり)

縄文時代の有名な遺跡は青森の三内丸山遺跡ですね!
長年憧れていたのですが、去年ついに行ってきました!
凄く凄く楽しかった!
勢いでさんまる人形(←三内丸山遺跡のマスコット)を2体も買ってしまいました!(だって栗を持ってるのとポシェットを持ってるのといたんですもの!)
有名な六本柱建物も見ました!(復元ですが)
凄く格好良かった!感動でした!(そして写真を撮りまくりました)
この時代は氷河期が終わって氷が溶け出し、海水面がかなり上昇しています。
もちろん日本はもう大陸とは切り離されていますが、それ以上に海水面が高くなっていて、俗に「縄文海進」などと呼ばれて今よりもずっと海が内陸に入ってきていました。
さらに海流の影響でかなり暖かくて、青森辺りでも栗の木が育つほど!(そして三内丸山遺跡の大繁栄が起こる)
日本列島中がとても温暖で豊かでもあった時代かもしれません。

・弥生時代
1. 弥生土器
2. 大陸から人々が渡ってくる
3. 水田を使った稲作が広がる(2.の人たちがこの技術を持って渡ってきたと思われる)
4. 各地で国?が出来る(邪馬台国、出雲王国、吉備王国など)
5. 魏志倭人伝として当時の人々の生活が記録されている
6. 国?同士で争いや同盟があった
7. 3千年前(BC10世紀)~AD3世紀くらい
8. 末期に四隅突出型墳丘墓

ここが卑弥呼の時代でもあり、ヤマトタケルの時代でもあり、私が何度もぐちゃぐちゃ言っている四隅突出型墳丘墓の時代です。
有名な遺跡だと佐賀の吉野ヶ里遺跡ですね。
もちろん行きましたよ!楽しかった!写真撮りすぎて満タンにしてたはずのデジカメの電池を午前中で使い切ってしまうほどでした!(以降反省してデジカメの電池は3つ携帯することにしました)
周りを大きな堀(=環濠)で囲んでいる弥生時代の村の遺跡です。
地元の人は「ここが邪馬台国だったのでは??」とかなんとか。
事実は分かりませんが、実際の場所を目にしてみると確かにそう思わせるだけの大変立派な遺跡でした!
そして地元の人の愛情も凄く感じました。
遺跡が愛されてるっていいなぁ!
あ、妻木晩田遺跡もこの時代です。
妻木晩田遺跡に関してはまた個別で熱く語りたいので今回は割愛します。

・古墳時代
1. 各地に一定の特徴がある墳丘墓が作られるようになる(=古墳)
2. 四隅突出型墳丘墓は作られなくなる
3. ヤマトタケル伝説の元になった英雄たちが活躍していた?
4. はにわ
5. 3世紀半~7世紀末(6世紀半?)

本州諸島がほぼ大和政権に統一されたのではないかと思われる時代です。
天皇名で言えば応神天皇あたりから用明天皇くらいまでの代を特に古墳時代というかなぁと思ってます。
飛鳥時代は古墳時代末期と重なってます。
古墳時代で有名な天皇では何と言っても「雄略天皇」ですね。
このお方はこのお方だけで記事がかけるくらい濃密な話題があるお方ですが、オギワラーとしてはやはり「小子部栖軽(ちいさこべのすがる)」が一番関心の高いワードですね!
蚕をたくさんもってこいと言われて子どもをたくさんつれてきたり、雷様を捕まえてきたり、とにかく凄い(いろんな意味で)伝説を持っているお方ですね。
白鳥異伝の菅流のモチーフになったと噂の彼です。


た、大変だ!
全然まとまってない!(おい)
折角今日聴講してきた講義のことも全然書けてない!
っていうか、絶対これ誰も読んで頂けて無いですよね・・・。
書いてて分かってましたよ・・・私だけしか楽しくないってことは・・・!
それぞれの時代で語りたいことがありすぎて全然まとめられないです。
能力のなさが恨めしい・・・。
何が言いたいかって、旧石器~古墳時代も凄く楽しいんですよってことが言いたいのですよ!(絶対伝わって無いと思いますが・痛)
この後が万葉時代であり、我らが薄紅天女の時代へと繋がっていくわけです。

あぁ・・・もっと、こう、うまくまとめられる能力がほしい・・・。
友達にも語れば語るほど「凄いんだね」とか「難しいね」とか言われて敬遠されてしまう・・・(T_T)
違うんだよ!凄いとか難しいとかは私の説明の仕方が悪いだけであって、本当は凄く楽しくてロマン溢れるものなんだよ!
・・・私もう余計なこと喋らない方がいいかもしれないですよね。
喋れば喋るほど敬遠されていく・・・。
ここでももうちょっと、こう、控えめにした方が・・・。
でもここ以外で語れる場所が無いのでどうか許して下さい・・・。
絶対いないと思いますが、もし万が一奇跡的にここまで読んで下さった天使のようなお方がおられましたら本当に本当にありがとうございました!!
そしてつまらないもの読ませてしまってスミマセンでした!!
あなた様に幸あれ!!

欲しい本メモ

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1.絶対買う
古文の読解 (ちくま学芸文庫)
漢文法基礎  本当にわかる漢文入門 (講談社学術文庫)
萬葉集釋注 1~10 集英社文庫ヘリテージシリーズ
新版 万葉集 一~四 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

2.余裕ができたら買う
農耕社会の成立〈シリーズ 日本古代史 1〉 (岩波新書)
楚辞 (新書漢文大系)
詩経 (新書漢文大系)
文選 文章篇賦篇賦篇2詩篇 (新書漢文大系)
古事記の世界 (岩波新書 青版 E-23) (岩波新書 青版 654)
萬葉のいのち (塙新書 55) ※手元に置きたいのでいつか購入予定
愚者の賦 ―萬葉閑談― ※手元に置きたいのでいつか購入予定

愚者の賦以外は1冊2000円未満・・・のはず。
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お薦めです!

万葉時代メモ

「ころも片敷く」

・旅などの最中に「ころも片敷く」という表現をする歌がある
・ころも・・・所謂「肌着」や「下着」の意。「上衣」は「きぬ」と発音した
・旅に出る場合、夫婦で「ころも」を交換してそれぞれ身に着けていた
・この時代、寝る時は「ころも」を敷いてその上に人が寝ていた
・男女で寝る場合は当然双方の「ころも」を敷いて寝た
・それゆえ、「ころも片敷く」とは、片方だけ(一人分)の「ころも」を敷く、という状態
・男の場合、妻(恋人)の「ころも」を敷いて寝ている
・つまり「ころも片敷く」とは、旅などで伴侶(恋人)と離れている悲嘆を表現する言葉
※当時はその人が長く使っているものや肌に直接触れているものなどには、使っている人の魂や思いが宿り、預けた相手を守ってくれるという信仰があった※


「霧」

・この時代、悲しい思いや、辛い気持ちは、募ると外に「霧」となって現れると信じられていた
・いとしい男を遠くの新羅の国に旅立たせようとしたある女の歌
―君が行く 海辺の宿に 霧立たば 我(あ)が立ち嘆く 息と知りませ
※訳※あなたのおいでになる旅の、その海辺の宿に、もし霧が立ったならば、それは家で待っている私の嘆く息だとお知りくださいませ
他多数の「霧」を嘆きの象徴として使用する類似表現あり


「心」

・この時代、人々は心を「緒(お)」(ひも)のようなものと考えていた
・根元があって、そこから数条の「緒」が伸びており、普段はぴんと張っている
・しかし、平常心を失くすとそれが揺れたり、絡まったり、萎れたりする
・この「緒」は肝の向かい側にあると考えられていた
・つまり、現代人の考えるは「心」は体全体を支配する抽象的なものだが、当時の人々にとっての「心」は臓器の一つに属するものという感覚だった
・「心も解けず」「心も萎(しの)に」などの表現あり


こんな辺りまで読んでます。
大体半分くらいまで来ました。
新書は読むのが楽で助かる!
あと、「愚者の賦」一冊を読んだお陰で、伊藤先生のテンポが少しずつつかめてきて進めやすくなってきたのもあるかもしれません。
この調子でどんどんいくぞ!

あ、因みに上に書いているメモは、創作で使えそうかなと思った部分だけ抜粋してます。
ホントはもっとたくさん面白いことが書いてあるんですよ!

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