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妻木晩田(むきばんだ)遺跡考古学講座

昨日は出雲のお隣伯耆(ほうき)国で妻木晩田(むきばんだ)遺跡考古学講座を聴講してまいりました!
弥生時代の考古学はホント楽しすぎてたまらない!!ああああ!!!
この時代は基本埋葬施設で首長の有無や権力の変遷なんかを見るわけですが、今回の講座では、埋葬施設だけではなく、住居跡なんかから村の様子を見ていく試みがなされていました!
考えてみれば人間お墓だけで判断するものじゃないですよね!
生活している場所そのものの遺構から当時を推定するのだって凄く楽しいはず!楽しくないわけが無い!
その中で凄く興味深かったのは、「超巨大住居跡」は弥生時代後期後葉~終末期にかけて各地に見られることが多く、それは集落が最も繁栄していた時期(=住居跡が最も多い時期)とはずれているということでした!
むしろ、衰退していく直前に多く見られるのです!
単純に考えれば、最も繁栄していた時期が最も優れた首長がいて、権力も一番大きかったのではと思うのですが、そうではありませんでした。
むしろ盛りを過ぎて、段々と衰退していく直前の時期に、超巨大住居跡は集中して見つかるのです。
つまり、そのような「目に見える権力の象徴」を作って他を威嚇しなければならない「圧力」のようなものが出てきていた時期だったのではないかと言われていました。
なるほど!なるほど!
こういう遺構はお墓(古墳や墳丘墓)も含めて、大きなものほど権力があるというよりは、そう見せる必要がある「何か」があったと考える方が自然なのですね!
目から鱗でした!凄いな凄いな!確かにそのような気がする!
歴史は奥が深い!!楽しい!!
妻木晩田遺跡は研究が本格的に始まってまだ日が浅い遺跡なので、どんどん新たな研究が出てきているようです。
専門的なことは何一つ分からないけど、それでも凄くワクワクしながら見守っていきたいと思います!
ちょっと遠いけどこれからも頑張って通います!
頑張れ!妻木晩田遺跡!そしてスタッフの皆様!心から応援しています!


サイトのインデクスをほんのちょっとだけイメチェン。
これからちょっとずつやっていこうかなぁ・・・。

オロチについて

さて、昨日書けなかった(眠くて)オロチについてちょっとだけ書いてみたいと思います。

「ヤマタノオロチ」は古事記の中でもかなり注目度の高い存在です。
古事記神話関連の本にはほぼ例外なく登場します。
その解釈は人によっても立場によっても専門や目的によっても、かなり違いはあるのですが、大抵はヤマタノオロチの「物語の中での意味」と「正体」について分析されることが多いようです。
特に正体は幾つかに分類されます。

1.大蛇(古事記にそう書いてあります)

2.川(特に斐伊川)の氾濫の神格化

3.製鉄民族のイメージ

1.については、主に文学的な立場での読み解きによく見られます。
文学的にはその裏にある比喩的な時代背景(儀礼や争い、自然現象など)は必ずしも提示する必要はなく、あくまでも文献自体を主な世界観として捉えるからです。
オロチは古事記で始めは「遠呂智」もしくは「遠呂知」と書かれていてスサノヲが倒した後に、その正体は「大蛇」だったと判明します。
つまりオロチは、倒される直前まで「正体不明の化け物」だったわけです。
倒したことによって初めて正体が分かるのです。
よって、始めにアシナヅチが説明した「オロチ」という言葉自体は大蛇という意味ではないのです。
あくまでも「正体不明の化け物」として「オロチ」という言葉を使っています。
文献によっては始めからオロチに大蛇という字を当てて書かれているものもあるのですが、本来は倒す前は正体が分からないわけだから、こう書くのは適切ではない、という考え方があります。(ex「作品」として読む古事記講義)
※私の個人的な想像ではオロチの「オロ」は朧(おぼろ)に通じていて、「チ」は知という字を当てられてはいますが、これはあくまでも音だけの表記であるとして知ではなく力(=霊力としての力)の「チ」で、「オロチ」は「正体は朧気で分からない、(霊)力の強大な存在」という意味かな、と思っています。
何の根拠も無い推量ですが(^^;)、そう考えると音からもすんなり入れる気がしています。

2.はかなり一般的な説のようです。
私が読んだ本ではほぼ90%くらいこの説を肯定していました。
そして、この説を採用するならオロチを倒したスサノヲは治水工事を行った人ということになります。
元々斐伊川は地質学的にも度々氾濫を起こしていたことは確かなようです。
そして、人々は被害に遭いながらも、同時に肥沃な土を運んでくれる斐伊川のお陰で豊かに暮らしていたのだろうと推測しています。
世界の古代文明が大河のほとりで花開いたことを考えれば、斐伊川の流域に出雲王国が繁栄を築いたのも納得できることです。
そして、そのような畏れと感謝の気持ちが、ヤマタノオロチ伝説を長く語り継ぐ土壌となったのかもしれません。

3.も多くはありませんが、根強い説のようです。
一番の根拠は、オロチの姿かたちにあります。
まず、体(腹)が血で真っ赤にただれていること。
これはタタラ製鉄の際の炎や真っ赤に焼けた石および流れ出した鉄を表していると考えられます。
次に、目が赤いこと。
製鉄をするには長時間火を見つめ続けなければなりません。
そのため、その長である村下(ムラゲ)は目が瞑れてしまいます。
余談ですが、このため製鉄民は天目一箇神(あめのまひとつのかみ)という一つ目の神を信仰しています。
この神様は古事記には出てきませんが、「古語拾遺」、「日本書紀」、「播磨国風土記」にその記述を見ることが出来ます。
また、「出雲国風土記」にも「一つ目の物の怪」が出てきます。
これは阿用の地名起源の部分に出てくる化け物で、農作業をしていた男がこの化け物に襲われて食べられている時、男の両親が竹やぶの中に隠れているのですが、両親は恐れおののいて震えてしまい、竹やぶがかさかさと音を立ててしまいます。
男が食べられながらも必死に「動々(あよあよ)」と言ったので、この地名は阿欲(あよ)となり、現在(風土記の当時)は阿用となったとのことでした。
余談が長くなってしまいました。
このことから、オロチは製鉄民族(製鉄の技術を持って攻め入ってきた民族)と農耕民族(土着の民族)の争いをあらわしている、とも言われています。

オロチ伝説はいつの時代に誰によって作られたのか分かりませんが、その解釈の多様性はとても面白いと思います。
また、語り継いできた時代や人々によって様々に変質したり別の意味を持ったりしていた可能性もあります。
そういうことを想像するのはとても楽しいですね!

ちなみに、上で出てきた「出雲国風土記」(古事記や日本書紀と近い時代に編纂された出雲のお国紹介的な書物)にはなんとこの「オロチ伝説」は載っていません!(その筋のお方々には有名なことらしいですが、私は知りませんでした)
他のスサノヲ関連の神話や国譲り神話は載っているんですけどね。

「出雲国風土記」には古事記には無いとても勇壮な「国引き神話」や大国主命関連の話や当時の人々の暮らし(食べ物とか地名とか色々)も載っているので読んでみるとすごくすごく面白いです!(薄紅創作の参考にもごにょごにょ)
現存する風土記の中では唯一の完本でもあるので、そのあたりもすごく興味深く見ています。

今後とも出雲に大注目です!

風の陣きた!

日記をRSS登録して通いまくっている一時創作歴史サイト様のブログに「風の陣」を読み始めたという記事が・・・!
おおおおおお!
こっそり情報をリークしてみたりしていたのですが、管理人様ご自身も前からご興味があったそうで!
やったーーー!!
これから感想が楽しみです。

「風の陣」は奈良時代を舞台にした小説です。
薄紅天女の時代からは40年くらい遡った750年代頃から話が始まります。
これに続く「火怨」はまさに薄紅天女の時代で、主人公は薄紅天女でも出てきた「阿弖流為(アテルイ)」です。
どちらもなかなか時代考証的にはツッコミどころが多いのですが(特に文化史的に)、エンターテイメントとしては一級品だと思います。
というか、私がそもそも時代にあまり詳しくないので、この時代の大まかな政治的流れを把握する上では、大変楽しく読ませていただけました。
おすすめですので、よろしければご一読くださいませ~。(そして私と語ってほしい・・・)

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