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次は薄紅語り

次は久しぶりに薄紅語りを予定しております。
テーマとしては伊勢阿高を意識しつつ

1.阿高にとっての「苑上」と「藤太」の違い
2.阿高の感情の死と再生

の2つについて語りたいと思っています。
1.の方は、阿高にとってどちらも欠けてはならない存在ですが、その意味はそれぞれ対照的なのではないかという気がしています。
そのあたりを語ってみます。
2.の方ですが、感情の「命」のありかたをちょっと真剣に考えてみたいと思っています。
肉体的な命とは違う感情の「命」。
当時の人々の心というものの捉え方も含めていろいろです。
読んでやってもいいよという心の広いお方、今回も何卒よろしくお付き合いお願いします!


【追記】
20日の23時台に4連パチも下さった方ありがとうございます!!!!
ヤマタノヲロチ神話語り完結へのお疲れ様拍手でしょうか!?
そうだったらいいな!
古事記神話はまだまだ面白い話がたくさんあってどんなに時間があっても語りきれません!
次の日向神話もまた似たようなノリで語ると思いますのでよろしくお願いします!
拍手ありがとうございました!!!!

お返事です・その150

Rieさま

ようこそお越しくださいましたRieさま!!!
お待ちしておりました!!!
嬉しや3連パチ!!!ありがとうございます!!!
そして2時台にいらっしゃるとは!
もしや目覚ましよりも早く起きていらっしゃるのでは・・・?
スーパー朝型のRieさまにはこれを・・・つ[モーニングコーヒー]<高校時代はよく学校に行く途中に買って飲んでいたものでした。私は朝が弱いです・・・(旅行時を除く)

>読ませていただいて、またまたうおお!となりました。ずっと叫んでいますが、ふむふむ!ともなります。

私も書いている間中うおお!となってましたよ!
お陰であんな暑苦しいテンションです。
何が結論か決まらないっていうのがこの分野は本当に面白いですね。
決まらないのに、それぞれの中にはそれぞれの解釈があって、それを一生懸命言葉を尽くして説明してくださる学者先生方が愛しくなってきます。
私なんかじゃ1000年かかっても到底到達できないような高みにいらっしゃる方々のエッセンスの、上澄みだけでもいただけるありがたさよ!
自分はずっと理系だと思って生きてきましたが、この分野にハマって、勉強ってそういうことじゃないんだと気付きました。
理系とか文系とか関係なく、一つの物事にどれだけ情熱を持つことが出来るかだ!と思います!

>泣くことで神をよぶ、ということ。すぐそばに「あなたの知らない神界」といいますか、もうダイレクトにつながってる感がします。

まさにそういう感覚ですね。
私たちにとって、神様は遥か彼方の空の上にいるものではなく、人とは違うけどでも人がいれば必ずすぐそばにいるもの、というイメージを持ちました。どこか奇妙な隣人とでもいうような・・・。
神様の世界のルールは私たちの世界のルールと少し違いがありますが、そういうのを知っていく度にいつもうおお!となります。
またそういうのに限って心に響いたりするんですよね。
私はまだ数十年しか生きていないのに、私の心の中の奥の奥、底の底には数千年、数万年前の人々の何かが眠っているのかもしれない!とか思うとまたテンションが急上昇するわけです。

>スサノオの名乗りの不自然な点も、今までそういうものかと思っていたので、兼倉さまの考察を読んでなるほどと思いました。

こういうところで「おや?」と思えるのが、流石学者先生です!(私もなんとも思ってなかったんです実は・・・^^;)
気付かなければ通り過ぎてしまうような、でも気付くと凄く驚かされるような、そんな発見がたくさんあるものほど惹きつけられてしまいます。
好きなことを勉強するのはとても幸せで楽しいことだとつくづく思います。

>次回も楽しみにしています!

なんとか無事に最後まで語りきれました!
短期決戦が私には向いているのかもしれません。
いつかここの語りで古事記上巻全部コンプリートするのが最近の夢です・・・。

Rieさまの絶妙な合いの手のお陰でとても楽しく語ることが出来ました!
改めて御礼申し上げます!ありがとうございました!!
少しずつ復帰に向けてエンジンをかけていきたいです。
まずはここでいろいろ語ることから・・・。(低速発進)
よろしければまた気軽にお付き合いいただけるととても嬉しいです。
Rieさまのまたのお越しを心よりお待ちしております!

ヤマタノヲロチ神話!最終回~その後の二人~

ヤマタノヲロチ神話最終回です!

故、ここを(もち)て、その(はや)須佐之男命(すさのをのみこと)(みや)造作(つく)るべき(ところ)を出雲国に求めき。(しか)くして、須賀(すが)といふ(ところ)(いた)()して、(のりたま)はく、
(あれ)、ここに来て、()()(こころ)すがすがし」
とのりたまひて、そこに宮を作りて(いま)しき。(かれ)、そこは今に須賀と()ふ。

スサノヲはヤマタノヲロチを退治した後、クシナダと住む新居の地を探し求めて出雲国中をめぐります。
ある時とても気分が清々しくなる場所を見つけました。
「ここは何て清々しい気持ちになるのだろう」
きっとクシナダも気に入ってくれたに違いありません。
宮を建てる場所に決めました。
そして、この地を須賀と命名したのです。
典型的な地名起源譚ですね。
しかも出雲国中をめぐりめぐった中で一番素晴らしい場所というのです。
地名起源譚の中にはあまりいい意味ではない由来が語られているものもあることを考えると、須賀という土地は古事記が書かれた当時とても大事な場所だったのでしょう。
スサノヲはこの場所にさっそく宮殿を建てます。

この大神(=スサノヲ)、初め須賀の宮を作りし時に、そこより(くも)()(のぼ)りき。(しか)くして、()(うた)を作りき。その歌に()はく、

()(くも)()つ 出雲八重垣(やへがき)
(つま)()みに 八重垣作る
その八重垣を

有名な歌ですね。
ここの語りでも何度か取り上げましたし、結構古い漫画ですが樹なつみさんの「八雲立つ」でも出雲の象徴的につかわれていたので、ご存知のお方も多いことでしょう。
この歌は古今和歌集では日本最古の三十一文字とも書かれています。
なお、私たちは通常短歌を読むときは5・75-77のように三句切れで読むことが多いのですが、古い歌ほど二句切れで読んだ方が意味が取りやすいものが多いです。
万葉集は特にそういう歌がたくさんあります。(三句切れのもありますが)
この歌も57-57・7のように読んでみてください。
「八雲立つ」が「出雲」という言葉を引き出します。
そして「妻」を籠める「八重垣」を作る。
そう、「八重垣」を作ったんだ!というような気分になりませんか?
出雲国中を探し回ってやっと見つけた一番いい場所に、つい最近めおとになったばかりの初々しい妻との新居の垣根を、垣根を立派に作ったのさぁ!というスサノヲのうっきうきの気持ちを想像しながら読むと、大変萌えます。(私は)
もちろん垣根だけが立派なはずはありません。
垣根が立派なら、宮殿もそれに見合う立派なもののはずです。
また、歌に「妻」を読み込んでいるのも、ニヤリとしてしまいます。
なんせこの間までは独り身だったスサノヲです。
「妻」と呼べる存在が初めて出来て、浮き立たないはずがない。(邪推)
周りに「妻」って言いふらしたくってたまらないんじゃないのか、とか考えてまたニヤニヤするわけです。
あの歌を読んだときのスサノヲは、「妻」の部分を心持強調して歌ったかもしれない・・・。

妄想激しくてスミマセン・・・。
勉強のテンションは妄想によって維持されています。(ぶっちゃけた)
ちなみにこの宮殿跡地は現在では「須我神社」という神社になったと伝えられています。
この宮殿は日本最初の宮殿だったので、須我神社は「日本初之宮」と呼ばれ、またこの時にスサノヲが詠んだ歌が日本初の和歌ということで、「和歌発祥の地」ともされています。

それでは、いよいよ最後になりました。
続きを見ましょう。

ここに、その足名椎神を()して、()らして言ひしく、
「汝は、()が宮の(おびと)()けむ」
といひき。また、名を()ほせて稲田宮主須賀之八耳(いなだみやぬしすがのやつみみ)神と(なづ)けき。

スサノヲはせっかく作った宮殿の首長に足名椎を指名しました。
どうしてスサノヲ本人が首長にならなかったのでしょうか?
理由は分かりません。
古事記には書かれていないのです。
スサノヲが足名椎に与えた名前の「八耳」の部分は「山津見(ヤマツミ)」の子だから「ヤツミミ」(似たような音の名)としたという説(西郷信綱)と、古来「耳」という名を持つ存在は神の声を聞く「耳」を持っていた人たち(シャーマン)だったという説(三浦佑之)の二つが大まかなところのようです。
でも名前はこの説である程度は納得できるとしても、やっぱりスサノヲが首長にならない理由は分かりません。
とりあえず、私が知っている説をあげておきます。
1.スサノヲは入り婿だったから、足名椎をたてて首長とした(古事記が書かれた当時は通い婚が一般的だった)
2.スサノヲは黄泉国を目指していたので、ここに留まるつもりがなかった
3.スサノヲはあくまでも出雲国の国造りの下準備をする役目であり、そこに君臨するのはアマテラスの意志に反することだったから
4.スサノヲを首長にすると、出雲の土地がその子孫である大国主の土地ということになってしまい、国譲りに支障をきたすから

始め二つは物語的な解釈、後の二つは古事記全体を見た解釈です。
正直どれも微妙な気がしています。
数学的にいうなら1.2.は十分条件的(理由としては弱い)で、3.4.は必要条件的(あくまでも結果論でしかない)という印象です。
必要十分条件としてはどれも欠陥がありそうです。
もしかしたら理由は複合的なものなのかもしれません。
もしくは、ここは考える必要もなく流せばいい箇所なのかもしれません。
あと、もう一つの説として
5.この神話を語り継いできたのは当時この須賀の土地に力を持っていた豪族で、彼らは自分たちをスサノヲの由来とすると高天原(=大和)と敵対してしまうことになるので、それを回避するために足名椎を由来に選んだ
というものもあります。
一番ありがちで、あるとしたらこれかなぁという気もするのですが、この説は古事記の記述を大きく逸脱した話になってしまうので、結論とすることは出来ません。
最後の最後でモヤッとさせてしまってスミマセン^^;
この後スサノヲはクシナダとの間に子ども「八嶋士奴美神(やしまじぬみのかみ)」をもうけます。
この神をあわせて六世後に生まれるのが、現在出雲大社に祭られている国つ神の最高神「大国主」です。

以上、これにてヤマタノヲロチ神話語り終了です!
楽しかった!
古事記はやっぱり楽しいな!
何か面白そうな説をみつけたらまた追加で語りたいと思います!
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました!!

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