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阿高の着物を着せてもらう鈴

正直に告白します。
5月18日のさわ様の絵日記で「阿高が(自分の着物を)鈴に着せる」図に激しく萌え狂いました!う、うわあああああああああああああああああああ!!!!(落ち着け)
し、しかもシチュエーションに関しては「自己補完せよ!」って書かれてましたよ!何てお優しい!全力で「イエッサー!」と叫ばせていただきます!
そんなわけで阿高の着物を着せてもらう鈴。
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「(じー)・・・・・・」
「・・・なんだ、さっきから」
「ねぇ、阿高。わたくしずっと気になっていたのだけれど・・・」
「なにが」
「阿高の着ている着物、わたくしのものとは違っているように見えるわ」
「・・・そりゃ、男と女の着物は違うさ」
「阿高、試しに着てみたいのだけど」
「は?」
「どう違うか確かめてみたいの。だめかしら」
「おまえ、鈴鹿丸のときに男物を着ていただろう」
「狩衣とは違うように見えるの」
「まぁあんな上等の材質ではないけど」
「ねぇ阿高、ちょっとだけ貸してちょうだい。お願いよ」
「だめー(ニヤ)」
「えー・・・」
「別に、今おまえが着ているものと大して違いやしないよ」
「・・・どうしてもだめなの?」
「おまえもしつこいな。だめなものはだめだ」
「そう・・・それなら仕方ないわ。伴高兄さまにお願いしてみましょう」
「・・・なに」
「この間、着物が足りなければ遠慮なく言ってくれと言われたの。伴高兄さまならお願いしたら貸して下さるかもしれないわ」
「待て、と、伴高兄は今畑仕事で忙しくしている。そんなことで煩わせては迷惑を掛けるぞ」
「あら、そうなの?・・・では良総兄さまに・・・」
「良総兄もだめだ。良総兄は・・・今着物を持ってないって言ってた」
「うそ!」
「うそじゃない。必要な分以外は全部洗ってしまうと言っていた気がする」
「わたくしは聞いてないわ」
「おれは聞いた。今朝言っていたぞ」
「そうなのね・・・それでは・・・」
「しょうがないから今日のところはおれが貸してやる」
「まぁ、本当に?ありがとう阿高」
「(くっ・・・またかよ。前にも似たような状況があった気がするぞ。ちくしょう)」
「阿高?」
「なんでもない。着せてやるから動くなよ。・・・・・・・・・・ほら、袖を巻いて腕を上げろ」
「・・・・・・・・・・・・・」
「・・・そうだ。後は合わせの紐を結んで・・・よし。あ、帯も結ぶか?」
「・・・・・・・・・・・・・」
「鈴?」
「・・・み」
「え?」
「美郷姉さまあああぁぁぁぁぁぁぁ」
「は!?あ、おい、待て!なっ・・・あぁ、行っちまった。何で美郷姉なんだ・・・」
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全ては美郷姉さまの策略でした。
鈴は着てみたらなんか全身に阿高のぬくもりとか匂いとかを感じて急に恥ずかしくなって逃げました。
っていうか、今私もの凄く間違った気が!
もっと他に萌えるシチュエーションはあったはずですよね!?
寒そうにしてる鈴にそっと着物を着せてあげる阿高とか!(阿高にそんな気の効いたことが出来るのか細かいこと気にしちゃ負けだよ!)
こんなにラブラブなお題で全くラブ展開にいかないなんて前代未聞ですね。ホントにスミマセン・・・。
どなたかもっと萌えるシチュエーションを是非お願いしますm(__)m
さわ様、こんなところからなんですが、勝手にやっちゃってスミマセンでした(陳謝)
あと、トップ絵の二人の距離が微妙にいつもより近い気がして見るたびニヤついてます。気持ち悪いやつでスミマセン(陳謝2回目)

継体天皇!(完成)

継体天皇の人気にあやかって、継体天皇についてちょっと詳しく書いてみたいと思います!
継体天皇は今から千五百年前の天皇(大王)です!
その謎に包まれた魅力的な人物像とは!?

<継体天皇の基本>
・5C~6C頃(古墳時代)の天皇
・越前国(福井県)出身
・応神天皇5世の孫

※ちなみに応神天皇は3C~4Cの天皇で、ヤマトタケルの孫にあたるお方です。実在が濃厚な最古の天皇(この時代は大王)といわれています。

<注目の話題>
・王朝交代説
・磐井の乱
・今城塚古墳

継体天皇で最も注目度の高い話題はやはり「王朝交代説」でしょうか。
この「王朝交代説」について、私がいろいろ集めた俄か知識をメモ程度の内容で記述してみたいと思います!

<ロマンあふれる色々な「王朝交代説」>
・騎馬民族征服説
・三王朝交代説

「騎馬民族征服説」とは、「東北ユーラシア系の騎馬民族が、南朝鮮を支配し、やがて弁韓を基地として日本列島に入り、4世紀後半から5世紀に、大和地方の在来の王朝を支配ないしそれと合作して大和朝廷を立てたという説」です。(wikipediaより引用)

王朝交代説とは、戦後になって皇室の万世一系の思想にメスを入れた画期的な説です。
「騎馬民族征服説」という説が出されて学会に大きな論争を巻き起こしました。
これは1950年代に出された説なのですが、その後数十年にわたって賛否両論を含む大きな影響を与え続けたようです。
この学説が正しいか正しくないか以上に、それ程の内容を発表なさったという点において「江上波夫」さんは本当に偉大なお方だったのだと思います。
因みに手塚治虫さんの『火の鳥・黎明編』 は、この「騎馬民族征服説」を採用しているそうです!びっくり!
そして、この説の論争から生まれたのが次の「三王朝交代説」です。
この説を簡単に説明すると古代の王朝は「古王朝(4C)」「中王朝(5C)」「新王朝(継体天皇以降~)」となるという説です。
これを始めに唱えたのは「水野祐」さんという方なのですが、その後何人もの学者の方に受け継がれて大きく発展していきます。
この「古王朝」「中王朝」についても色々説はあるようですが、今回は継体天皇を中心に語らせていただくために、他の話題は省かせていただきます。
で、「中王朝」から「新王朝」への移行。

<「中王朝」から「新王朝」への移行はスムーズだったのか、波乱に満ちたものだったのか>
・簒奪による王位継承
・近隣の豪族の協力を得たスムーズな王位継承

武烈天皇の死後、(中略)中央に対する地方の動乱が生じた。この形勢に乗じ、風を望んで北方より立った豪傑の一人が、応神天皇五世の孫と自称する継体であったのではなかろうか。彼は徐々に(中略)勢力を培い、ついに大伴氏をも味方につけることに成功し、これを先導として大和に突入し、物部氏をも服さしめて反勢力の中心を打倒し、磐余玉穂にはいって、名実ともに皇位を継いだのではないかと考える。(「継体朝の動乱と神武伝説」直木孝次郎・岡田精司より引用)

風を望んで北方より立った豪傑・・・!
かなりロマンを掻き立てられる表現ですね!
歴史系の論文はたまにこういう小説にでも出てくるような表現がされててとても楽しい!(大半難しすぎて読めませんが)
で、これを読む限り、直木さんと岡田さんは継体天皇は簒奪によって旧王朝から王位を継承した、という立場のようです。
しかし他の立場の方もいます。

武烈が亡くなったあと、大伴金村大連によって、継体は擁立された。しかるに、大和や河内の豪族の一部にこれを快く思わなかった一派があり、継体の大和入りは阻止された。継体が樟葉や筒城・乙訓の地を転々としたというのも、おそらくそうした事情を語っているものと推察される。(「継体大王家の成立」山尾幸久より引用)

これはさっきの説とちょっと違いますね。
さっきのはほぼ100%簒奪での王位継承でしたが、こちらは大和内の豪族の協力を得ての王位継承のようです。
ただ内部に反乱分子もあったので割合的には50%くらいでしょうか。
あ、因みに云うまでも無いかもしれませんが上に出てくる大伴金村大連は万葉集の大伴旅人・家持のご先祖様ですよ!(家持にハマって以来大伴一族にかなり興味が出てきている今日この頃)
この他「雄略天皇没後、仁賢を擁立しようとする勢力と継体を擁立しようとする勢力の間に分裂が生じたが、最終的に継体が仁賢の娘と婚姻することによって妥協が成立した(「日本古代の王権と氏族」大橋信弥)」とする説や「継体の即位は大伴氏、物部氏によって承認され、平和裡に迎えられたものであって、地方豪族の武力による王位簒奪などではない(「応神王朝の衰亡」加藤謙吉)とする説など、様々な論が出されていていますが、未だに定説らしいものはないようです。

<継体天皇が後の時代に与えた影響の大きさ>
・天皇は皇族出身者しか即位できない
・天皇は臣下が擁立することが出来る

継体天皇の即位が実際どのようなものであったにしろ、その経緯は大変特異なものであったのは間違いありません。
これは後の時代の様々な場面で大きな影響を与えました。

継体天皇の即位は、その後長く王位継承が混乱するたびごとに思い返されてきた。とりわけ、正当性に問題のある天皇が即位するときには、必ずといっていいほど先例とされてきた。(中略)継体の即位は、その後の王位継承に二つの規定をしているようにみえる。
ひとつは(中略)かれのような遠い傍系の天皇の存在が、かえって何時いかなる場合でも王族しか天皇にはなれない、という原則を強調する効果をもっているのだ。
ふたつめに、(中略)臣下によって天皇が推戴された先例として継体の即位はとらえらえられている。王位継承の混乱時に臣下らが次の天皇を決定することは、一見王位を私する不敬なふるまいのようにもみえる。しかし臣下が君のため世のため、世を治める方向で君を立てたものであれば、それは正当化されるのである。(中略)これはのちには、臣下による天皇擁立を無原則に容認する方向に向かっていく。(「謎の大王 継体天皇」水谷千秋)

この後は皆様ご存知の通り、天皇の即位について段々と臣下(貴族や武士など)が介入してくるようになり、江戸時代にはついに武士の承認が無くては天皇は即位も退位すらもできなくなってしまうというところまでいってしまいます。
もちろんそれはもっともっと複合的な要因があってのことだとは思いますが、やはり継体天皇はその先例として各時代、各人物によって都合よく引用されたようです。

とりあえず、私が約2週間程度で得た知識を簡単に書いてみました。
いろいろツッコミどころは多いかと思いますので、ご意見ご感想などございましたらお気軽にお知らせ下さい。
なお、今回は端折りましたが「磐井の乱」「今城塚古墳」についても凄く面白そうですよ!

◎「磐井の乱」は壬申の乱に並ぶ古代の大戦乱です。
九州の豪族「磐井氏」と継体天皇時代の大和政権指揮する「官軍」との二十年に及ぶ戦です。
日本書紀にはその経緯がかなり詳しく書かれていますが、古事記には「磐井が天皇の命に従わず無礼が多かったので殺した」とだけ、「筑後国風土記」には「官軍が急に攻めてきた」と記述されていることから、かなり大きな謎があるように思われます。

◎「今城塚古墳」はやっぱり私が初めて訪れた「きちんと保存された本物の古墳(復元じゃなくて)」なので勝手に愛着が(むしろ地元の古墳よりも←ェ)湧いていて、帰ってきてからも過去に買い集めた考古学資料をひっくり返しては色々調べてニヤニヤしてます。
ここで発掘された家型ハニワは日本最大級の高さ170センチだそうですよ!
私の身長が176センチなので、ほぼ目線の高さです!ひえー!

あ、結構いろんな説を引用させて頂いていますが、ほとんどが「謎の大王 継体天皇」から孫引きさせて頂いてます。
とても読みやすい本でした!

古代は楽しいです!
これからももっと色々調べていきたいと思います!
ここまで私のつまらない文章を読んでくださった方(いらっしゃるのかどうか・・・汗)、お付き合い下さってありがとうございました!

お返事です・その51

萩野さま

お待ちしておりました萩野さまあああああ!
つ[リンゴ酢サイダー割り]<去年からよく作って飲んでるんですが、単純なわりになかなかおいしいです。水割りでもおススメです。

>乗るしかない、この継体天皇ブームに…!
・・・・・・!
も、もう一度・・・

>乗るしかない、この継体天皇ブームに…!
おおおおおおおおおおおおおおお!!!
の、乗ってもいいんでしょうか!?
むしろ乗るなら今しかないかもしれない・・・!
よし!乗ってやる!!
次の記事あたりで多少書いてみたいと思います!

>どうでもいいことですが、歴史上の人物のお名前を拝見しているとたぎってくるのは私だけでしょうか!?
私もです・・・!
いや、つい最近そうなったわけですが(俄か歴史ファン)
それでも昔から時代劇が好きだったし、日本古代史にハマる前は民俗学にハマっていたので(柳田國男の「遠野物語」を読んだり、実際岩手の遠野に行ったりしてました。遠野はホテル「あえりあ」がおススメです!)ずっと受け継がれてきたものや昔のことに興味があり続けていました。
歴史上の人物で特に古代は読み方が特殊な方が多いですよね。
でもその特殊な読み方がさらりと自分の中から出てくるようになってくると、ちょっと自分ににんまりしてしまったり(自己満足)
後は同じく遺跡の名前や地名、戦の名前や神社仏閣の名前、土器の名前なんかも同じ効果(自己満足感)が得られます。
歴史は考古学から入ったので初期の頃は須恵器(すえき)と土師器(はじき)が見分けられるようになった自分にちょっと優越感を感じたりしてました。
・・・ホントは色が全然違うので誰でも簡単に見分けられます(^_^;
でも分かるようになってくると凄く楽しくなりますよね!
特に歴史は読み方は難しいけれど、そう読む理由にもまた歴史やロマンがあったりするのでなおさら!(※神→「みわ」と読んだり※三輪山が聖なる山だったことから)

>すみません、また語りすぎました(スライディング土下座)
もっと語って下さってもいいのに・・・!
遠慮しなくていいですよ!
私のほうがさらに気持ち悪いくらい語りまくっているのに!(兼倉さんは自重しましょう)

>旅行を楽しまれたようで何よりです。これからもどうぞ楽しい旅を。
旅大好きです!
というか、古代史にハマったからこそここまで旅をするようになったと思います。
これからも古代史に熱い限り日本全国を巡りまくっていきたいと思います!

>確かに私は☆ファンです
やっぱり!(ニヤ)
私は鯉ファンですよ!
ウチのきょうだいは「私→鯉」「弟1→燕」「弟2→☆」という、昨年度のBクラスカルテットでした!
特に鯉はセ界全球団に負け越すという大変不名誉な状況になっていたので、真の最下位は鯉だと散々罵られて反論できませんでした・・・。
今年も鯉のぼりのシーズンまでと分かっていながら未だに順位や勝敗に一喜一憂しています。
分かってるんです、どうせ6月には定位置に戻るって事は・・・(泣)
すでにその兆候も見えてますしね・・・。
去年は鯉のぼりすら待たずに沈んでいたことを思えばまだ夢を見せてもらえたのでマシになったかな・・・と思っています。
鯉はセ界で最も優勝から遠ざかっている球団(私がファンになってから一度も優勝してません。最後のリーグ優勝は1991年です)ですが、それでもめげずに(いっそ諦めた気持ちで)今後も見守っていきたいと思います。
あ、ウチにきてくれたタクローさんとても素晴らしい方ですね!
個人的に☆時代から気になる選手だったので、ウチにきてくれてとても嬉しかったです。
大事にします!応援します!
っていうか、タクローさんほどの選手が戦力外になるほど打撃陣の層が厚いのが羨ましいです。
ウチは打てる選手が誰一人いないので・・・。とほほ
いつかは「鯉」「燕」「☆」でCSを争える日を夢見ていますよ!

>つ[鎌倉カスター]
うっはー!これまた凄くおいしそうなお菓子をありがとうございます!
鎌倉にお住まいなのですね!
私は学生時代埼玉にいたのですが、ある日唐突に鎌倉の大仏が見たくなって(午後2時回ってましたが)ふらっと行ってしまったことがあります。
見学時間ギリギリで見たのですが(残念ながら中に入れる時間は過ぎてましたが)、凄く存在感があって暫くボーっとしてしまいました。(圧倒されて)
奈良の大仏も見ましたが、それぞれで全然雰囲気が違うんですね!
鎌倉の大仏は凄く趣があってどっしりとした感じで素敵だと思いました!また行きたいです!

また物凄く語ってしまった・・・。
いい加減私は重いかもしれない・・・。
自重の仕方を忘れました(バカ)
こんなやつですが、どうか引かないでやってくださいませ!お願いします!(懇願)
萩野さまのまたのお越しを心よりお待ちしております!(切実に!)

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