Entry

日向神話~天孫降臨~(その三)【画像あり】

それでは続きです!
先導してくれる神様もきてくれたので、これでいよいよ天降る・・・と、その前に。
アマテラスから孫への餞別があります。
何だと思いますか?

(アマテラスは)(ここ)に、そのをしき八尺(やさか)の勾玉・鏡と(スサノヲが献上した)(くさ)()(ぎの)(つるぎ)(略)を()(たま)ひて(のりたま)ひしく、

「此の鏡は、(もは)()御魂(みたま)()て、()(まへ)(をろが)むがごとく、いつき(まつ)れ」

アマテラスがニニギに与えたのは

・八尺の勾玉八尺瓊(やさかに)勾玉)(アマテラスが生まれたばかりの時にイザナキから与えられた)
・草那芸剣(ヲロチの尾から出てきた)
・鏡八咫鏡(やたのかがみ))(天の石屋戸神話でアマテラスの姿を映した)

の三つです。
これはすなわち・・・そうです!三種の神器です!
うおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!
天孫降臨神話の中でも大変盛り上がってしまうシーンです!!
あの、三種の神器が渡されたのはここだったのかああああああ!!!
現在「八尺の勾玉」は皇居に、「草那芸剣」は熱田神宮に、「八咫鏡」は伊勢神宮に安置されているといわれています。
これですよ!神話!
少し前にも書きましたが、もう一度書きます。
「神話」と「昔話(御伽噺)」の違いは、「神話」は今に繋がっている(今を保証している)というところです。
「昔話(御伽噺)」は話そのもので完結です。
だから話の始まりが「むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんが・・・」でよいのです。
しかし「神話」は今に繋がっていないといけません。
だから「いつの時代」「どこで」「誰が」「現在(話が書かれた当時)はそれがどうなっているのか」がはっきりと書かれているんです。
また、上では省略しましたが、アマテラスは三種の神器のほかにもアメノウズメを含むお供の神様をたくさんニニギに与えました。
そのほとんどの神様が古事記が書かれた当時の大豪族や勢力を持っていた職業集団の祖神となっています。(これも神話が今を保証する機能の例ですね)

なお、参考までに記載いたしますが、古事記には「三種の神器」という言葉はありません。
それどころか、この勾玉・剣・鏡がその後の天皇の即位時に継承されたという記述もないのです。
よって最近の学説では「古事記は三種の神器を王権の象徴としては語っていない」という立場が主流となっているようです。
でもだからって盛り上がっちゃいけないってわけじゃないですからね!
「三種の神器」うおおおおおお!!ってなるのは自由ですから!(自分がなりたいだけ)

さて、準備万端整いました。
いよいよニニギが天降ります。

故爾(かれしか)くして、(あま)津日子番能邇々芸(つひこほのににぎ)命に(アマテラスは「天降れ」と)(のりたま)ひて、(ニニギは)(あめ)石位(いはくら)を離れ、(あめ)八重(やへ)のたな(ぐも)を押し分けて、いつのちわきちわきて、天の浮橋(うきはし)に、うきまじり、そりたたして、竺紫(つくし)日向(ひむか)(たか)千穂(ちほ)久士布流多気(くじふるたけ)天降(あまくだ)()しき。

ついに天降りました!!!
というわけで、ここをお読みのお方々はご存知のことと思いますが、去る3月16日に行ってきました!南九州宮崎県は高千穂町!!高千穂神社!!!
↓↓証拠写真↓↓(クリックすると少しだけ大きくなります)
①高千穂神社の鳥居
ファイル 818-1.jpg
うわあああ!!!遂に来てしまった高千穂神社!!!!
鳥居大きいです!うおおおおお!!!!!

②拝殿
ファイル 818-2.jpg
周囲の木の立派なこと!
まるで偉大な自然に守られているかのようにして高千穂神社はありました。
雨の中で凄く緑の匂いが濃く漂っていました。

③本殿
ファイル 818-3.jpg
拝殿の奥にある本殿です。
大変凛々しい趣きです。

結構雨が激しく降っていたのですが、参拝客は凄くたくさんいらっしゃいました。
流石は高千穂神社!
宮司さんや巫女さんもとても丁寧に対応してくださいました。
分らないことを聞いたら、とても優しく教えてくださり、その上いくつもの貴重な資料をくださいました。
宮崎の人はなんて優しいんだ!!ありがとうございました!!

④国見ケ丘からの眺め
ファイル 818-4.jpg
ここは実はニニギの伝承と直接結びつく場所ではないのですが、雰囲気満点だったのでついつい心の中で天孫降臨ごっこです。
物凄い霧ですが、古代において雲や霧などのもやもやしたものには霊力が宿るとされていましたから、ニニギが天降ったときもきっとこんな光景が広がっていたのではないかと思います!
・・・とかやってたら

⑤ニニギの像
ファイル 818-5.jpg
ニニギの像があった!!
説明文を読んでみると、どうやら日向国風土記逸文から着想を得て記念の像をつくったようです。
やっぱり私と同じこと考える人もいるんだ!
でも気持ちは分りますよ!だって本当に凄く凄く雰囲気有りましたから!
ちなみに雨が降ってなかったらここから見える光景はそれはそれは素晴らしかったと思います。
名前のとおり、国中が見渡せるのではないかと思えるくらい見晴らしのいい場所だったに違いありません。
天孫降臨ごっこにはうってつけの光景でしたが、やっぱり晴れたときにも見てみたいと思いました。

今回は読み解きよりも私の九州旅行回想録みたいになってしまいました。
たまには肩の力を抜いてボケっと写真でも眺めてみてやってください。

今回はここまでです。
次はニニギの婚姻譚を語ろうと思います。
・・・実を言うと、今日の話の直後にサルタビコが海で溺れる話なんかも挟まっているんですが、ちょっと解釈がややこしい上にその後の展開には大きく影響しないので飛ばします(語れる情報を仕入れられたら後で語るかもしれません)。

<次回予告>
赤ん坊で降臨したニニギでしたが、それから時が経ち、恋の出来るくらいの年頃に成長したもようです。
成長したニニギは、ある日美しい娘に出会います。
ニニギは思わず名を問いました。
皆様ご存知ですね!
古代において名を問うことの意味。
そしてそれに応えて名を告げることの意味。

【追記】
飛ばすつもりが結局語ってしまいました!
行き当たりばったりでスミマセン!
でも楽しかったです・・・!(楽しければ何でもいいと思っているのか兼倉)

それでは次回へ!

日向神話~天孫降臨~(その二)

4月になってしまった・・・!
遅くなってしまってスミマセン!日向神話再開します!

まず前回のあらすじから。

アマテラスは息子のオシホミミに葦原中国を治めるように言いましたが、オシホミミは葦原中国には野蛮な国津神がたくさんいるため行きたがりませんでした。
アマテラスは神々と話し合い、何とか国津神の最高神大国主命を隠居させました。
これで安心とオシホミミに再度葦原中国に行くように言うと、なんとオシホミミは生まれたばかりの息子ニニギを自分の代わりに葦原中国に遣わすべきと言い出したのです。
アマテラスはその意見を受け入れ、ニニギに葦原中国を統治するよう宣言しました。


「おれはけっして行きたくないわけじゃなかったんだよ。ただ、息子のニニギのほうが相応しいと思ったからそう言ったんだ。ホント、行きたくないわけじゃなかったんだよ!信じてね☆」(オシホミミさん談)

怪しいものです。

さて、そんなこんなでニニギの天降りが決まりました。
続きを見てみます。

(しか)くして、日子番能邇々芸(ひこほのににぎ)命の天降(あまくだ)らむとする時に、(あめ)()(ちまた)()て、

(かみ)は高天原を(てら)し、
(しも)は葦原中国を(てら)す神


(ここ)に有り。

なんか物凄いド派手な神様が出てきました!
高天原から葦原中国まで光が届くなんて相当凄いことではないのか!?
怪しいと思わないほうが無理というものです!

故爾(かれしか)くして、天照大御神・高木神の(みこと)(もち)て、天宇(あめのう)()売神(めのかみ)(のりたま)ひしく、

(なむち)は、手弱女人(たわやめ)にあれども、いむかふ神と(おも)()つ神ぞ。(かれ)(もは)(なむち)()きて()はまくは、『()御子(みこ)天降(あまくだ)らむと()る道に、(たれ)ぞかくして()る』ととへ」

とのりたまひき。

アマテラス「ねぇウズメちゃん、あなたは女神だけど、どんな神とにらめっこしても勝てる神よ。あなたならあの怪しい神も平気よね。お願いよ、『どうしてニニギの天降ろうとしている道にいるの?』って聞いてきて」

無茶振りもいいとこだよね!
ウズメさんはオー人事に電話しても許されるレベルだと思うのですが、学者先生方はそうはおっしゃいません。(当たり前)
なぜここでウズメさんが選ばれたのか。
面勝つ神とは?
いくつかの説を引用してみます。

(山田永さん説)
光は強烈です。
それに立ち向かえるのはアメノウズメしかいないというのも、これまた面白い話です。
なぜ、あの美しいアメノウズメが、と思ってしまいます。
「面勝つ神」とは、「にらめっこしても負けない神」という意味ですが少し補足します。
アメノウズメは、笑わない神だとか相手よりもすごい形相だというわけではありません。
強烈な光にも目をそむけることのない、正対して正視できる神だと思われます。
アメノウズメは、アマテラスが天の石屋にこもった時に踊った神でした。
暗闇の中でも踊れる神。
また、アマテラスが戸を少し開けた時に、「アマテラス様より尊い神様がいらっしゃいますよ」と告げた神です。
アマテラスと最も近い距離でしゃべった神です。
アメノウズメは、暗闇の中でも強烈な光に対しても大丈夫な目を持っていたのかもしれません。
それがアメノウズメが選ばれた理由だと私は想像します。


(三浦佑之さん説)
(面勝つ神とは)にらめっこをして絶対に負けない神。
裸体をさらし妖艶な踊りで神々を魅了したアメノウズメが、一方では、得体の知れない神の妖気をはね返してしまうほどの力を顔面に持つ女神だというのは興味深い。
おそらく、相手を魅了する肢体と相手を圧倒する顔面がウズメの二面性であるとともに、両者はじつは同じものだということもできる。
相手を圧倒する力とは、相手をこちら側に屈伏させることであり、それは、肉体によって魅了してしまうのと同じだからである。
そこにウズメのシャーマン性が窺えるはずである。


(西郷信綱さん説)
(面勝つ神とは)面と向かって敵に勝つ神。
日本書紀には「汝は是、人に()()つ者なり」とある。
シャーマンの目はきらきらと異常に輝いているといわれるが、アメノウズメも鋭い面貌の持ち主であったことが、これで分る。
(略)悪霊にたいし「目勝つ」こと、「面勝つ」ことは、シャーマンたるものの資格であったといえよう。


ほー!
いろんな捉え方がありますね。
三浦さんと西郷さんは結論にウズメがシャーマンであることを持ってきていますが、立場自体は違っているような気がします。
三浦さんはウズメが「屈伏させること」=「魅了してしまうこと」と、相手を取り込んでしまう(思い通りに動かす?)力があるのではと考えておられるようですが、西郷さんのウズメは敵の力を撥ね退けるような印象を受けます。
結局どちらもウズメが優位に立つ力があるといっていると考えれば同じともいえるかもしれませんが。
それに対して、山田永さんの説は相変わらず面白いですね。
アメノウズメがアマテラスを天の石屋戸から出すときに踊っていたり近くで会話していることに注目して、「暗闇の中でも強烈な光に対しても大丈夫な目を持っていたのかもしれません」と語るとは。
人によっては、それがシャーマンと結論付けるかもしれませんね。
それも有りです。
しかし、山田永さんはあくまでも古事記を物語として読むという姿勢を大事にしておられます。
古事記から実際の歴史や他の何かを読み取るのではなく、古事記を一つの文学作品としてその物語性を読み解くことを重視するという姿勢です。
こんな姿勢もとても面白いと思っています。
もちろん古事記を読むことで当時に思いを馳せるのが悪いというわけではありません。
学者の先生方はそれぞれ個性的な立場や意見があるんだということが、私にとってはとても面白く感じられるのです。

さて、話が逸れてしまいました。
続きです。
無茶振りされたウズメさん(笑)
怪しい神様の正体は分かるのでしょうか?

(かれ)、(アメノウズメが)問ひ(たま)ひし時に、(この光る神は)答へて(まを)ししく、

(やつかれ)は、国つ神、名は(さる)田毘古(たびこ)ぞ。()()所以(ゆゑ)は、『(あま)(かみ)御子(みこ)(が)天降(あまくだ)()す』と聞きつるが(ゆゑ)に、()(さき)(つか)(まつ)らむとして、()(むか)へて(はべ)り」

とまをしき。

怪しい神「私は国津神です。名前はサルタビコ。天孫様が天降っていらっしゃると聞いたので、道案内をさせていただこうと参ったのです」

怪しい神様の正体が分りました!
なんと国津神のサルタビコさんがニニギの道案内に来てくれたというのです!
思いっきり怪しいと思ってたら、実は親切な神様でした。疑ってごめんね!
ちなみに、サルタビコさんがこんなに光り輝いている理由の一つには、「サル」の顔やお尻が紅いからではないかといわれています。(こじつけ、か?)


さて、今回はここまでにしておきます。
天降るところまでいけなかった・・・!
次回はいよいよニニギが天降る場面です。
高千穂の写真を貼ります!

日向神話~天孫降臨~(その一半):どうしてオシホミミが天降らなかったのか

時間が掛かっててスミマセンでした!
15時台に拍手を下さった方はきっと私ががっくりきているのを心配してくださったんですよね?
本当にありがとうございます!心に沁みます(T_T)
仕事は仕事、趣味は趣味で割り切りながらもどちらも全力でやっていきたいと思います!

それでは、前回書いていた「オシホミミが天降らなかった理由」を書いてみたいと思います。
まずは山田永さんの文章を引用します。

・・・・・・・・・・・・引用・・・・・・・・・・・・

それにしても、なぜオシホミミ自身が降臨しなかったのでしょうか?
世代交代といいました。(※前の章で書いてあります)
しかしながら、生まれたばかりの(まだ赤ん坊と思われる)ニニギを降臨させようというのも不思議です。
ここで、古事記から離れてしまうけれど、二つの論考を紹介します。

西郷信綱氏は、本神話を天皇即位式である大嘗祭(だいじょうさい)とかかわらせて考察しました。
大嘗祭は新しい天皇が誕生する儀礼(毎年行われる収穫祭の中でも即位して初めて行う収穫祭を特別に大嘗祭と呼び、それ以後は新嘗祭(にいなめさい)と呼んだ。つまり大嘗祭は天皇即位式=天皇が誕生する儀礼としての役割もあったといえる)だから、それに対応する神話のニニギも「生まれたての嬰児(えいじ)」として描かれたのだと述べています。(古事記注釈第四巻p.13~14)

筑紫申真氏・上山春平氏は、古事記編纂時に女帝であった持統天皇が、夭折した我が子草壁皇子に代わって孫の軽皇子を天皇に即位させようとしたことと本神話を結び付けて考えています。
この三代と今扱う神話の系譜を並べて示せば、
 持統天皇41 - 草壁皇子 - 軽皇子(後の文武(もんむ)天皇42)
 アマテラス - オシホミミ - ニニギ

となります。(名前の横の数字は何代目の天皇かを表しています)
筑紫氏は、アマテラスのモデルは持統天皇だと述べています。
そして、史実を神話化したのだともいっています。

本授業は神話そのものを対象とするのであって、神話から史実をさぐることはしていません。
なのにあえて二つの論考を紹介したのは、天孫降臨神話を論ずるうえではずすことができないくらい著名だからという理由だけではありません。
神話の保証を考える具体的な例になると思ったからです。
筑紫論を使ってお話しましょう。
神話は保証です。
古事記神話は、天皇が日本を統治することを保証したものです。
その中でも本神話は、「天皇の子ではなく孫が次の皇位につく」という異常事態を「異常ではない」としてしまう機能があるのです。
「神話にこうあるのだから、孫が天皇になっても文句はないだろう」というわけです。
もっとも、「孫を天皇にするために、アマテラスの孫のニニギが統治する神話を作ろう」だったかもしれません。
たぶん、後者だと思います。
いずれにせよ、出来事の保証となる役割を神話がはたしていたのだということはいえるでしょう。

・・・・・・・・・・・・引用終了・・・・・・・・・・・・

なるほどー!という感じですよね!
二つの説、と一昨日書きましたが、実は三つですね。
まとめてみると、

【オシホミミが天降らなかった理由】

・天皇誕生の大嘗祭の儀礼を模している神話なので、天降るのは「生まれたばかりの嬰児」である必要があったから(西郷信綱説)

・古事記編纂当時の女帝持統天皇の孫の軽皇子が皇位についたということを神話化したものだから(筑紫申真&上山春平説)

・古事記編纂当時の女帝持統天皇の孫の軽皇子が皇位につくという異常事態を肯定するための保証として作られたから(山田永説)


最後の二つは似ていますが、実はまったく逆の立場ですね。
「事実」があったから「神話」にしたのか、「神話」を作って「事実」を肯定したのか。
山田永さんは、「神話」と「昔話(御伽噺)」の違いを「信じられているかいないか」だと述べています。
もちろん今の私たちは日本がイザナキとイザナミが生んだなんて思っていないわけですが、神話はその大部分が今現在に繋がることを述べているというところが大事になってきます。
昔話の一寸法師は今の私たちになんの関わりもありません。
しかし、例えば地名の起源説話などは今もその名前で呼ばれている地域に伝わっています。
スサノヲが「すがすがしい」と言ったから「須賀」という地名になったという神話はここでも前に書きましたが、この地域は今も須賀と呼ばれています。
須賀に行った人たちはこの話を聞いて、「そんなに昔から由来がある(続いている)土地なのか」と思うわけです。
由来は古ければ古いほどよいとされてます。
お店の創立の由来が大正時代よりも江戸時代のほうが何となく凄いような気がするような感覚です。
「孫が即位するという事態は神話の時代からあったんだ」といえればこれほど威力のある由来もないでしょう。
山田永さんの立場で西郷信綱さんの説を使うとしても同じことです。
天皇即位後の初めての新嘗祭を大嘗祭と呼んで他の新嘗祭と区別して特別視しだしたのは、持統天皇の前の天武天皇の時代といわれています。
天武天皇は古事記編纂を命じた天皇です。
つまり、この時代は大嘗祭(天皇誕生)がまだまだ新しい意識だったわけです。
西郷信綱さんはこの祭事に由来する神話と主張しておられますが、逆にこの祭事の由来を神話時代に求めて「天皇誕生はとても特別なことなんだ。神話では生まれたばかりの新しい命であるニニギの命が、同じく整えられたばかりの新しい国である葦原中国を治めるために天降っていらっしゃった話がある。この大嘗祭はその神話に由来しているのだ」といえば、やはりみんな大嘗祭がどれ程特別なものかと考えをめぐらせたことでしょう。

どの説が正しいのか、間違っているのかということはありません。
複合的な理由もあると思います、ここに挙げていないものも含めて。
何しろ神話を語り継ぐというのは本当に大変な労力が必要なことです。
神話は悠久の年月数多の人々を介するに足る、大きくそしてたくさんの意味があってこそ、今に伝わっているんですね。
今はその意味が失われているものもあるとは思いますし、逆に新たな意味ができたものもあるでしょう。
そいうものをあーでもない、こーでもないといろいろ想像したり話し合ったりするのが本当に楽しいです。
というわけで、皆様のご意見も随時お待ちしております!

それでは、次は本文の続きを書きます。
しかしちょっと時間がないので、サルタヒコのところはあらすじにしてしまうかもしれません。
ニニギの結婚の話はしっかりやります。
続きをどのようにするかはまだちょっと不透明です。
とりあえず書きたいことは、

・国譲り神話とニニギの降臨について(今回で書きました)
・ニニギの結婚と天津神(基本は不老)の子孫であるはずの天皇が人のように薄命になった理由
・コノハナサクヤヒメの火中出産(あらすじだけにするかもしれない)
・山幸彦と海幸彦のケンカ(綿津見神の宮訪問以降はあらすじにするかも)
・ウガヤフキアヘズの誕生
・神武天皇の誕生

のあたりです。
果たしてどれだけできるのか・・・。
よろしければ見届けてやってくださいませ。


あ!8日の23時台に10連パチを下さった方ありがとうございます!!!!!!!!!!!!
もしかして日向神話への期待の拍手でしょうか!?(だったらいいな・・・)
ありがとうございます!!
日向神話は出雲神話のように今まで小出しで語ったりしたこともない分野なので、語りたいことがたくさんありすぎて中々うまくまとめられません。(出雲神話の語りもうまくまとまっているかというとまったくそんなことはないわけですが・痛)
今後はもっと日向神話にも頻繁に言及していきたいと思います。
拍手ありがとうございました!!!!!!!!!!

Page

Utility

簡易メニュー

薄紅語り
(過去の日記の薄紅天女の妄想語り一覧)
古代史語り
(過去の日記の古事記とか万葉集とか他)
Web拍手
(お気軽に頂けると嬉しいです)
拍手は別窓、語りは同窓で開きます。

日記内検索

カレンダー

< 2024.11 >
S M T W T F S
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
- - - - - - -

コメント一覧