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磐姫の嫉妬(追加)@八田若郎女・その3

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勢いのまま続きです!

予告どおり、口子臣の受難シーンから。

かれ口子臣くちこのおみ、此の御歌をまをす時、いたあめふりき。しかくして其の雨をけず、まへ殿とのまゐせば(口子臣が)正面の戸の前に伏せばたがひてしりでたまひ(皇后は)反対に裏の戸の前にお出になって、後つ殿戸にまゐせば、違ひて前つ戸に出でたまひき。
しかくして匍匐すすおもぶきて、にわなかひざまづきし時、水潦にはたづみ(雨で)溜まった水が腰に至りき。其のおみくれなゐひもけたるあをずりきぬ紅い紐をつけた青い衣(官人の制服?)たり。かれ水潦にはたづみくれなゐの紐にれて、あをみな紅の色にりぬ。

口子臣が正面の戸の前に伏せば、皇后は反対に裏の戸にお出になって、口子臣が裏の戸の前に伏せば、皇后は反対に正面の戸にお出になった。

磐姫さまなんというイヤガラセww
雨の降りしきる中、口子臣は上司の痴話喧嘩の仲裁のためにずぶ濡れになりながら頑張っています。(イイ迷惑)
しかしそんな懸命な口子臣を嘲笑うかのように大降りの雨がたたきつけ、中庭に溜まった水は、伏している口子臣の腰にまでいたるほど。
紅に染めた紐が水に浸かって色が染み出し、臣の青い衣を紅く染めてしまったのでした。
ああ、これは他人事じゃない。
私も昔ワインレッドの皮の手袋を間違って洗濯機の中に入れてしまって、洗濯物全部くすんだワインレッドに染め上げたことがありました。
あれ、もう一度洗っても落ちないんだよ!!(辛い思い出)
口子臣可哀相に・・・!(同情の涙を流しつつ)
と勝手に感情移入していたら、本文でも泣いている人が。

爾して口子臣のいもくち日売ひめ大后おほきさきつかまつれり。かれ、是の口日売歌曰うたひしく、

 山代の 筒木つつきの宮皇后がいるので宮と称すか?に 物申ものまを
 きみは 涙ぐましも

とうたひき。爾して大后其の所由ゆゑを問ひたまひし時、答へてまをししく、

やつこ口子くちこのおみなり」

とまをしき。

妹「お兄ちゃあああああああん!!(号泣)」

洗濯物の心配をしたわけではありませんよ。(知ってるよ)
兄を思う妹の涙に磐姫様も(さすがに可哀相かしら・・・)と思ってくれたらしく、口子臣を屋敷に入れてくれたようです。
磐姫「でもまだ許したわけじゃないのよ!」
(注・兼倉の趣味により若干ツンデレ気味にお送りしております)
なかなか解けない磐姫の怒り。
そこで口子臣・口比売・奴理能美ぬりのみの三人は知恵を出し合います。

是に口子臣、また其のいも口比売、また奴理能美ぬりのみ三人みたりはかりて天皇すめらみことまをさしめてひしく、

「大后の幸行でましし所以ゆゑは、奴理能美がへる虫、一度ひとたびふむしにり、一度はかひごに為り、一度は飛ぶ鳥に為りて、三色みくさはるあやしき虫有り。此の虫そこなはしにししにこそ。さらしきこころ無し」

といひき。

~古代会議想像~
奴「このままじゃマジでヤバい。どうしよう・・・」
兄「どうすんの?どうすんの?」
奴「とにかく二人を会わせないことには・・・」
妹「わたくしにいい考えがあります」
二人「マジで!?」
妹「オオサザキ様を『ヌリノミの屋形に類稀な美女がおります』と言って誘き寄せるのです。完璧な作戦です」
兄「・・・うん、多分大君はそれむっちゃ引っかかると思うけどね」
奴「皇后様に殺されるよ、俺」
妹「それもそうですね・・・残念」
兄「・・・あ、でも大君を誘き寄せる作戦は結構イイ線いってるかも。大君が直接お出でになれば、皇后様も俺の時みたいに避けるわけにはいかないし」
奴「問題は何をエサに誘き寄せるかだな」
妹「宮には珍かなものは大抵あるし・・・」
奴「虫は?」
兄「虫?君の飼ってる虫ってカイコじゃん。珍しくもなんともないよ」
奴「ここで問題です。はじめは這ってて、次につづみになって、最後に鳥になる虫なーんだ」
兄「なにそれ!?そんな虫もってるの!?」
妹「見せて見せて!」
奴「答えはカイコでしたー」
妹「・・・・・・(ギリッ)」
兄「・・・うん、まぁ、そんなオチだとは思ったけど。でも大君もそれなら興味もってくれるかもね。皇后様もまさかカイコにまではやきもち焼かないだろうし」
奴「じゃあ皇后様はこの珍しい虫を見にウチにいらっしゃったってことで」
兄妹「そうしよう」

勝手な捏造でスミマセン。
この三人の作戦会議にもぜひ参加してみたい!
因みに豆知識。
古代において「なんかうねうねしてるもの」は全部「コ」と呼ばれていたらしいと聞きました。
家で飼うから「飼いコ」、生で食べるから「生コ」などの名前で今でも残っているそうです。

かくまをす時に、天皇りたまひしく、

しからばあれ奇異あやしと思ふ。かれ、見に行かむとおもふ」

とのりたまひて、大宮よりのぼでまして、奴理能美の家に入り坐しし時、其の奴理能美、おのが養へる三種みくさの虫を大后にたてまつりき。

三種の虫キター!!!
作戦の第一段階成功です!
第一段階というか、来てもらったらもう後は二人の問題なので、ほとんど成功のようなものといってもいいかもしれませんが。

因みに、私これを始めて読んだ時は別の解釈だったんですよ。
奴理能美たちが考えた言い訳は、あくまでも磐姫が奴理能美の屋敷にいることに他意がないこと(そしてそれを匿っている奴理能美にも他意がないこと)を示すためであって、仁徳天皇がそれに興味を示すのは想定外で、また、仁徳天皇も騙されたのではなく、カイコのことと分かっていた上で(なんせ私にもカイコのことだとすぐ分かったし)、あえてそれを利用して、磐姫のいる奴理能美の屋敷に向かう口実にしたんだ(なので奴理能美の屋敷に向かったのはあくまでも磐姫に会うのが目的)と思い込んでました。
そんなのどこにも書いてないのにね!
私は昔からこういう文章に書いていないことを自分で勝手に捏造して思い込んでしまうという非常におバカな癖を持っておりまして、しかもそれをみんながそう思っていると信じ込んでいるので本当にタチが悪いです(苦笑)
話が逸れました!戻します!
養蚕はそもそも稲作と同時期くらいに日本に伝わったといわれているので、大体縄文晩期から弥生初期あたりと考えていいでしょう。
仁徳天皇の時代は古墳時代なので、養蚕は日本の国家にはすでに根付いていて、重要な産業の一つになっていたことと思います。
奴理能美の家業が養蚕だったかどうかは分かりませんが、天皇と皇后の痴話喧嘩の仲裁に持ち出してきたくらいなので、恐らくは日ごろから気に掛けている存在だったのではないでしょうか。

今日はここまで!
次回が最後です。
「仁徳天皇と磐姫の和解と、八田若郎女のその後」
次回もよろしくお願いします!!

磐姫の嫉妬(追加)@八田若郎女・その2

さて、前回で磐姫は「実家に帰りたいレベルで怒ってます」的歌を詠んで山城国の韓人・ヌリノミの屋敷にこもってしまいました。
一方仁徳天皇は磐姫が帰ってこないと報告を受けて(ま、まさかバレたんじゃ・・・)と思ったかどうかは分かりませんが、急いで迎えの使者を派遣します。

天皇すめらみこと大后おほきさき山代より上りでましぬときこして、舎人とねり名は鳥山とりやまふ人を使つかはして、うたを送り、りたまひしく、

 山代に い急げ!鳥山とりやま
 いけいけ  愛妻はしづまに いはむかも急いで会うのだ!

またぎて和邇わにのおみくちつかはして歌曰うたひたまひしく、

 もろ奈良県の三輪山の その高城たかき高いところにある狩場なる
 おほはら
 おほが はらにある
 きもかふ 心をだにか肝の向かい側にある心だけでも あひおもはずあらむ

一首目は分かりやすい歌ですね。
とにかく急いで磐姫に会ってくれ!という歌です。
使者の名前が「鳥山」なのも、鳥が山を飛び越すように急いでほしいという気持ちでつけられたと推測できます(@西郷信綱)
しかし、二首目の歌はなかなか難解です。
「口子」という名前は先ほどの「鳥山」同様、口述することを前提につけられた名前と思うのですが・・・
何でいきなり御諸山(三輪山)?
大猪子が原ってどこ?
胆向かふ心(肝の向かい側にある心)??
まったく意味が分からないので、訳を見てみましょう。
ついでに一首目の歌の訳も載せます。

山城で 追いつけ!鳥山よ
追いつけ追いつけ! 我が愛しい妻に
追いついて会ってくれ

御諸山(三輪山)のその高みにある狩場
大猪子が原 獲物の大猪の腹にある肝
(肝が向かいあうその中にある)心だけでも
思い合わずにいられないものか


訳を読んでもいまいち分からないよ\(^o^)/
一応「肝が向かい合うその中にある心」というのは、以前万葉集関連の本で読んだ「万葉のいのち」の中で、それに該当する記述もあったので、それで納得しておこうと思います。
(以前日記にちょっと書いたことがありましたので、興味がある方は参照してみてください。⇒コチラの下の方にあります)
三輪山はこれまでも何度か言及したことはありましたが、大和の人にとっては心のよりどころになるような身近で大事な山です。
また、とても神聖な山で、その山の神様である大物主の伝承もたくさん残っています。
大猪子が原がどこかは分かりませんが、三輪山のどこかにそう名づけられた原っぱでもあったのでしょうか。
猪はヤマトタケル伝承でも山の神の別の姿として登場したりするので、こんな大事な山で狩る猪には、単なる獲物としてだけでなく、何か特別な意味があったかもしれません。
「原」⇒「腹」は語呂合わせ的に導いているとして、そいうい特別な猪の肝はやはりその中でも特に重要で特別なものという気がします。
まあここまで全部私の妄想ですが!!
そういういろいろな要素をたくさん語ってやっと「肝」を導き出しました。
その「肝向かふ」「心」を導く枕詞となっています。
「理由や謂れを長く述べればそれだけ箔がつく」というのは古事記のみならず、現代にも通ずる「モノの価値を高めるための常套手段」でもありますしね。
とりあえず、言いたいことは一番最初か最後にある法則(@国語読解)に照らし合わせて、「お前(磐姫)と心を通わせたいんだよ」というのが結論なんだと思うことにします。
では続き。

歌曰うたひたまひしく、

 つぎねふ 山代女やましろめ
 鍬持ぐわもち 打ちし大根おほね
 じろの しろただむき
 かずけばこそ 知らずともはめ

とうたひたまひき。

これもさっきの二首目と同様、仁徳天皇の磐姫への切実な思いを述べている歌でしょう。
まず訳から載せます。

(花いかだが生える山)山城の女が
木の鍬を持って 畑打ち起こした大根
その根の白さの 白い腕を
交わさずに来たというのなら 知らないと言ってもいいけれど


古代において、女性の肌の白さを表現する比喩には「大根おおね(=ダイコン)」が使われていたようです。
古事記には「淤富泥(おほね)」と出てきますが、古名は「すずしろ」漢字では「清白」となります。
他には「栲綱(タクヅノ)」というクワ科の植物「タク」の繊維で作った綱(ツナ)もその白さが八千矛やちほこ神(大国主の別名)の妻問い歌にでてきます。(ex.栲綱たくづのの 白きただむき
この「タク」で織った布が「タへ」で、持統天皇の「白妙しろたへの 衣ほしたり 天の香具山」でもその白さが印象的に歌われています。
あ、ちなみにこれを読んでて気づいたんですが、この間の伊勢妄想in藤千で、千種の肌の白さを「雪」と藤太に表現させていて、これの出展が何かというと、上で書いている「八千矛神の妻問いの歌」の「沫雪あわゆきの 若やる胸を」からだったんですが(※淡雪とは違うものです)、西郷信綱さんの本に、これは白さを表しているのではなく、若妻の胸の柔らかさを表していると書かれていました。
やっちまった\(^o^)/
しかも「大根という日常の食いものでもって女の腕の白さをほめたところに、この歌の古代歌謡らしさがあるのも疑えない。例えば雪のように白いといったりしたら、それは古代歌謡の世界とは確実に縁のないものとなろうって書かれてました。
・・・・・・!\(^o^)/(絶句)
薄紅の時代の武蔵国がどのくらい古事記の古代歌謡の世界と重なるのか分かりませんが、確実にやっちまった感がぬぐえない発見でした。
今後は気をつけます(号泣)

長くなってしまったので(余計な言い訳があったk)、今回はここまで。
ちょっと動きがない回になってしまいましたね^^;
次回は口子臣の受難とその妹口比売の涙にほだされる磐姫の予定です。
あと2回くらいで終わるかな?
次回もご覧いただけると嬉しいです!よろしくお願いします!

磐姫の嫉妬(追加)@八田若郎女・その1

時間がかかってしまった・・・!
磐姫の嫉妬@八田若郎女です!
若干復習も含めつつはじめます!

磐姫は仁徳天皇の皇后でしたが、大変嫉妬深いと有名なお方でございました。
それは自身が史上初めての皇族以外から立った皇后だったからという理由も大きく関わっていることと思われます。
天皇が他の妃と言葉を交わしただけで「足もあががに」暴れる磐姫の嫉妬物語。

此れよりのち大后おほきさきとよあかり祭り・宴したまはむとて、御綱みつながしは祭りに使う神聖な柏を採りに、きのくに幸行でまししあひだに、天皇八田やたのわか郎女いらつめひたまひき。

皇后が宴の準備のために外出している時、夫は他の女に手を出していた!
コラ!
磐姫がいる時はまともに他の女と会話も出来ない状態なので、仕方ないといえば仕方ないのですが。
磐姫が帰ってきたらどうするつもりだったのでしょうか。
既成事実で押し通すつもりだったとか?
それとも秘密にするつもりだったとか?
まぁ男の浮気は見破られるのが物語の常というものですが・・・。
続きを見ましょう。

ここに大后、御綱みつながしはを御船にてて(いっぱいに積んで)かへでます時、水取司もひとりのつかさ(飲み水を司る役所)使はゆる、吉備国の児島の仕丁よほろ役人おのが国に退まかるに、難波の大渡に、後れたる倉人女側近の女の船に遇ひき。乃ち語りて云ひしく、

天皇おほきみは、此日このごろ八田若郎女にひたまひて、昼夜ひるよる戯遊たはぶれますを、大后おほきさきの事きこさねかも、静かに遊び幸行でます」

といひき。

仕丁
「大君は今、八田若郎女という女に夢中ですよ。そりゃあもう昼夜なくイチャつきまくり!このこと磐姫さまはご存知なんでしょうかね?」
倉人女
「・・・ちょっとあんた、そこ、詳しく教えなさいよ


ソッコーばれたよ!\(^o^)/
アノ嫉妬深くて有名な磐姫さまがおとなしくしてるなんてありえねぇ!とでも思われてたんでしょうか。
少なくとも名もない役人にまで響き渡る皇后の嫉妬深さはかなりのものですね。
御綱みつながしはを御船にててというのも、「これだけあったら十分よね!ほほほほ(上機嫌)」って感じを想像させる表現なので、その後の急展開はよりいっそう際立ちます。
では続き。

しかして其の倉人女くらひとめ、此の語ることを聞きて、すなはち御船に追ひ近づきて、ありさまつぶさに仕丁よほろことの如くまをしき。ここに大后いたく恨み怒りまして、其の御船に載せし御綱柏は、ことごとに海に投げてたまひき。かれ其地そこなづけて御津前みつのさきふ。

磐姫
「御綱柏がたくさん積めたわ。これで宴も成功間違いなしよ。ふふふ♪」
倉人女
「皇后さま大変です、ヤツがまた浮気しました
磐姫

「御綱柏全部海に捨てておしまい(噴火)」

ちょww
やること極端ですよ姫さま(そこが面白いんですが)
個人的な感想ですが、古事記の磐姫の話の中で、この八田若郎女の話が一番痛快だと思います。
本人たちにとってはもちろん笑い事じゃないんですが、この上演を宴会で見ていた人たちはきっと笑い転げていたのでは?と思ってしまいます。
このコミカルな調子はこの後も続きます。
浮気を知った磐姫の次なる行動は・・・

即ち宮に入りさずて、其の御船を引ききて、堀江にさかのぼり、河のまにま山代やましろのぼでましき。此の時歌曰うたひたまひしく、

 つぎねふや 山代やましろがは
 河上かはのぼり のぼれば
 河のに てる
 を の木
 したに  てる
 びろ 椿つばき
 が花の 照りいまし
 の ひろりいますは 大君おほきみろかも

とうたひたまひき。

即ち山代よりめぐりて、やまくちに到りして歌曰うたひたまひしく、

 つぎねふや 山代やましろがは
 宮上みやのぼり のぼれば
 あをにより 奈良ならを過ぎ
 小楯をだて やまとを過ぎ
 くには 葛城かづらき 高宮たかみや
 吾家わぎへのあたり

かく歌ひてかへりて、しま筒木つつきからひと、名はが家に入りしき。

磐姫
「もうあんな浮気者の顔なんて見たくないのよ!」

・・・と言ったかは分かりませんが(笑)、磐姫は難波の高津宮を素通りして山城国に行ってしまいました。
途中の風景を眺めて若干夫を思い出しつつ、「わたしが見たい国はさらにこの先にある、実家の葛城国なのよね」と歌っているところからして、怒りはまったく治まっていないようです。
ちなみにはじめの歌は天皇を褒めているように訳されることが多いのですが、個人的にはの ひろりいますは 大君おほきみろかも」の部分は「手が広い」⇒「いろんな女に手を出す」みたいな意味に取れなくもないのでは・・・と疑っています。
一応歌の全訳を載せておきます。

(花いかだが生える山)山城川を
川を上り わたしが上っていくと
川の岸辺に 生え立つ よ 烏草樹の木
その下に 生い立つ 葉の広い 清らかな椿
その花のように 輝いていらっしゃって
その葉のように ゆたかに大きくおられるのは 大君でいらっしゃることよ

(花いかだが生える山)山城川を
皇居をさしおいて上り 私が遡っていくと
あをの)奈良山を過ぎ
(小楯のような山の)大和を過ぎ
わたしが見たい国は 葛城の高宮の
わたしの家のあたり


今日はここまで!
次回は皇后の暴挙を知って焦った仁徳天皇から入ります!

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