Entry

イザナキとイザナミ後日談in黄泉国の続き

前回の続きです。

・「黄泉比良坂(よもつひらさか)」は上り坂?下り坂?
・「黄泉国(よみのくに)」と死後の世界である「根の国(ねのくに)」は出口は同じ「黄泉比良坂」だけれど、それでは二つは同じ国?それとも違う国?

というような話題でした。
前回は「黄泉国」と「根の国」は、私は違う国だと捉えたいということを最後に書いていましたが、その理由から書かせて頂きます。

なぜこの二つの国が違うのかというと、まず一つ目の理由は、イザナキがイザナミに会いに行った状況と、大国主がスサノヲのところへ逃れた状況に、決定的な違いがあると思うからです。
その決定的な違いとは「死後の経過時間」です。
イザナキがイザナミに会いに行ったのは、イザナミの殯(もがり)の最中です。
とは、人(イザナミは神ですが)が死んだ後、一定期間埋葬せずに安置しておく場所もしくはその期間のことをいいます。
なぜすぐに埋葬しないのかというと、殯の最中は生き返ることを願う期間であり、その間の遺体の腐敗などの変化を確認することで死を受け入れる準備をするのです。
つまり、殯が終わって初めて人が死んだということになるのです。
よって、殯の最中のイザナミはまだ確実に死んだということには(形式上は)なっていなかったと捉えることができるのです。
そしてそれはそのままイザナミがいた「黄泉国」は死後の世界ではなく、その一歩手前の世界といえるわけです。
一方後の大国主が兄神たちの迫害を逃れて逃げ込んだ「根の国」にはスサノヲがいました。
古事記では大国主はスサノヲの六世の孫ということになっています。
スサノヲの時代からかなりの時間が経っていることが分かります。
つまり、イザナキとイザナミの最後の逢瀬の時と違って、大国主が生きている時代にはどう考えてもスサノヲは生きていない(死んでいる)はずなのです。
よって、「根の国」とは間違いなく死後の世界です。
・・・スサノヲは神なので六世の孫の時代にも生きていたとしても不思議はないとお考えになる方もいらっしゃるかと思います。
実際スサノヲの姉のアマテラスは生きています。
なのでちょっと無理やりなこじつけ解釈になってしまうかもしれませんが、スサノヲは高天原を追放されているので、その時点で天つ神のような不死の力を失ってしまったと考えたいと思います。
また、古事記にはありませんが、日本書紀にはスサノヲはクシナダヒメとの間に大国主を産み、後に自ら「根の国」へ下ったとも書かれていますが、今回は古事記の神話にしぼって解釈したいので、日本書紀の神話は考えないことにさせてください(^_^;)
で。
つまり何がいいたいかというと。
現世にある「黄泉比良坂」の先にはまず、現と幻想の間の「黄泉国」があり、その更に先が死後の世界である「根の国」となるという解釈が成り立つのではないかと思うのです。
そしてこれが「黄泉比良坂」が上り坂なのか下り坂なのかという議論とつながります。
ここで、イザナキの黄泉国訪問神話の概要を書きます。

イザナキはイザナミの死が受け入れられず、「黄泉国」まで追いすがる

「黄泉国」でイザナキは「まだ国造りは完成していない。一緒にもどろう」とイザナミに語りかける

イザナミは「黄泉国の食べ物食べてしまったので、帰ることが出来ません。しかし、せっかく会いにきてくれたので黄泉国の神に帰れるように相談してきます。その間絶対に私の姿を見てはいけません」

イザナキは暫くイザナミの言いつけを守って待っていたが、イザナミが帰ってくるのがあまりにも遅いので、つい言いつけを破ってイザナミの姿を見てしまう

イザナミの死体はウジが集り、腐敗が始まっていた

あまりの醜さに怖ろしくなってイザナキは逃げ出した

恥ずかしい姿を見られたイザナミは怒ってイザナキへ黄泉醜女(よもつしこめ)や黄泉国の軍隊を差し向け、最後にはイザナミ自身が追いすがる

「黄泉比良坂」を走って逃げ切ったイザナキはその出入り口を大きな岩で塞いでしまう

岩を挟んでイザナミ「愛しいあなた、このような仕打ちをするのであれば、私はあなたの国(=現世)の人を一日千人くびり殺してやりましょう」、対するイザナキ「愛しい妻よ、君がそうするのなら、私は一日千五百人分の産屋を立てよう」

こうして葦原中国では一日千人死んで、千五百人生まれることとなった

という感じなのですが、重要なのはイザナキがイザナミの腐敗した遺体を確認しているということです。
「日本神話の考古学」で森先生が書いておられますが、この部分は「(森先生が黄泉国訪問神話をはじめて読んだ時)もっとも強烈な印象を受けたのは、"神"であるはずの、イザナミの死体の変化の描写の部分であった。この描写は『記・紀』の編者の机上の創作ではなく、実際の経験・体験に裏付けられた記述ではないかと考えた。・・・(中略)・・・(古墳時代後半の6世紀後半は閉じた後も再び入ることを前提とする横穴式石室という墳墓が流行する。この当時)大半の死者は木棺に納められた。しかも、前期古墳のように頑丈な木棺ではなく、今日のミカン箱を立派にした程度の薄板を使っているから、数年で棺が朽ち果て、石室内に入ると内部の遺骸の変化の状況がいやおうなしに目撃されることになる。目撃するだけではなく、白骨化した遺骸を動かすとなると、さらに生々しい観察を体験的に強いられるわけである。イザナミのあの遺骸の変化の描写は、この時期の体験が語られているとみてよかろう。」
殯の場の壮絶な状況が伝わってくるわけですが、この殯の場はつまりは石室内の様子が神話として語られる素地になっているわけで、つまりその場所とは横穴式石室が作られた場所=「山」とイメージされているのではないか考えられるのです。
また、「古事記講義」の中で山田永さんは「ヨミ」の語源は「ヤマ」という説があると書かれています。
そうすると、「黄泉国」≒「山」、「現世」≒「平地」となることからそれを繋ぐ「黄泉比良坂」は「黄泉国」から「現世」に向かって下り坂になっている坂となるわけです。

長々とスミマセンでした(^_^;)
この説は実は主流ではありません。
読んだ本の中ではやはり「黄泉国」=死後の世界=「根の国」であり、「根の国」は地下世界とされることが多いことから「黄泉比良坂」は「黄泉国」から「現世」に向かって上り坂と説明される方が多いです。
因みに上で著書の内容を引用させていただいた森先生は、この論には特に触れておられません。
この説は山田永さんの本にかなり影響を受けています。
しかし山田永さんは国文学の学者さんなので実際の歴史や背景の習俗には基本的には言及なさいません。
つまりこの説は私が自分で読んだ本から、自分に都合の良い部分を抜き取って出した結論というわけです。
そのあたりを何卒あしからずご了承くださいませm(__)m
ここまでお読み下さった方がもしいらっしゃいましたら本当にありがとうございました!
そしてまた長々とつまらない語りをしてしまってスミマセンでした!
どうやったら自分の意見が簡潔に述べられるようになるのやら・・・(-_-;)

イザナキとイザナミ後日談in黄泉国

「黄泉国」とは何かをご存知でしょうか?
これは火傷で死んでしまったイザナミをそれでも諦めきれずにイザナキが追いすがった場所です。
現(うつつ)とは「黄泉比良坂(よもつひらさか)」で繋がっています。
この「比良(ひら)」とは昔から「平(ひら)」なのか「崖(ひら←方言で今でもある)」なのか論争がありますが、私が読んだ本では「崖」を採用しているものが多かったのでこちらにならいます。
また、更に大きな論争となっているのが、この坂は「黄泉国」から「現」へ向かう上で「上り坂」なのか「下り坂」なのかという問題です。
これは私が読む本では半々くらいでした。
というのも、そもそも「黄泉国」がいったいどのような概念の国なのかがはっきりしていないのです。
皆様は「黄泉国」とはどのような場所にある、どんな場だと思いますか?
古くから「根の国(ねのくに)」との比較がされることが多くあります。
「根の国」は死後の世界です。(一般には地下世界と考えられていますが、古事記にははっきりとした記述はありません)
スサノヲが死んだ母親(イザナミ)に会いたくて「根の堅洲(かたす=片隅の意)国に罷(まか)らむと欲(おも)ふ」と父イザナキに直談判しているのですが、イザナミが「黄泉国」に行ったとは書いてあっても「根の国」に行ったとは書いてありません。
しかし、イザナキが「黄泉国」から命からがら帰ってくるときに通った「黄泉比良坂」は、のちの大国主が兄神たちの迫害を逃れて訪れた「根の国」からもどる時にも通っているのです。
どうやら「黄泉国」と「根の国」は出口が同じようです。
出口が同じということは、「黄泉国」と「根の国」も同じ国であると考えてもいいのでしょうか?
いろいろな本を読んでみて、私の中ではこの二つの国はどうやら違う国と捉えた方が良さそうだと思い始めています。
もちろん同じ国としている本もあるのですが、上記のイザナキと大国主は状況的に違いがあると思うのです。

ちょっと断筆。
後ほど加筆修正いたします。

イザナキとイザナミの国産み神話:後編

前回の続きです。

やっと12番目に出てきたイザナキとイザナミがいよいよ天降る場面です。

ここに、あまつ神もろもろみこともちて、伊邪那岐命・伊邪那美命の二柱の神にのりたまはく、「のただよへる国修理つくろひ固め成せ」とのりたまひ、あめ沼矛ぬほこを賜ひて、言依ことよし賜ひき。

天つ神の皆さん
 「このどろどろと漂っている状態をちゃんと固めて国を作りなさい」


天つ神さまたちはかなりの無茶振りをなさいます。
やり方の説明もなく、ただ、やれ、とだけ言ってきます。
因みに、古事記における「天つ神」とは高天原にいる神様の総称で、それに対して「くにつ神」は地上、すなわち葦原中国あしはらのなかつくににいる神様の総称です。
後に生まれる「天照大御神あまてらすおおみかみ」はこの「天つ神」の最高神であり、それに対して「大国主」は「国つ神」の最高神とされています。
で。
いきなりイザナキとイザナミは国づくりを任されることになってしまったわけですが、うまくできるのでしょうか?
続きを見てみましょう。
いきなり国づくりを任された二神は同時に渡された矛(槍みたいなものです)で混沌としてまだ何もない下界をかき回してみます。

かれ、二柱の神、天の浮橋うきはしに立たして、其の沼矛ぬほこを指し下ろしてきしかば、塩こをろこをろに画きして、引き上げし時に、其の矛の末よりしただり落ちし塩は、かさなり積りて島と成りき。是、淤能碁呂島おのころじまぞ。

なんか勝手に島が出来ちゃった!
名前もまんま、「己で凝り(固まった)島」です。
このオノコロ島について森先生の面白そうな説があったので以下でご紹介します。

 男女二神のオノコロ島づくりでは、『記』のほうでは、たとえば奈良盆地の人では持ちあわせない製塩の情景についての知識が、"コオロコオロ"と塩の結晶を道具でかき混ぜる音まで入れて、取り入れられている。(中略)
 宮城県塩竃しおがま市に陸奥一の宮の塩竃神社がある。この神社の境外末社に御釜おかま神社があり、(中略)藻塩焼もしおやき神事がおこなわれている。(中略)鉄釜の下に火打石で火をつけたのが午後一時半、最初は表面に浮くアブクをとるのに忙しいが、約一時間たつと急に釜底に塩の塊が姿をあらわしだし、『記・紀』のオノコロ島づくりの描写を思い浮かべた。(中略)
 このように製塩の情景を思い浮かべると、男女二神は製塩技術にもたけていたか、あるいはそのような仕事を日ごろ見なれている海人系として扱われているのである。
※「日本神話の考古学」(著:森浩一)より引用

へー!
日本民族はたくさんの民族(中華系・朝鮮系・南方系・北方系など)から成っていて、海の民や山の民の思想が入り混じっているといわれることがありますが、こんなふうに受け継がれていると考えるとロマンが掻き立てられますね!

さて、都合よく勝手に固まってくれた島に二神は降り立ちます。
そしてもうすぐ皆様お待ちかねのあの台詞が出てきますよ!(え?待ってるの私だけですか?)
まずは軽いジャブ。

其の島に天降りして、あめ御柱みはしらを見立て、八尋殿やひろどのを見立てき。是に、其のいも伊邪那美命を問ひてひしく、「汝が身は、如何いかにか成れる

イザナキ
 「ねぇイザナミ、きみの身体ってどうなってるの?」(直球)


オノコロ島に降り立って早々いきなりセクハラかますイザナキです。
いきなり何言いだすの!?って思いますね!
イザナミさんちょっと懲らしめてやってくださいよ!

答へてまをししく、「が身は、り成りて成り合わぬところ一処ひとところ

イザナミ
 「私の身体は大体出来上がっているけど、物足りないところが一か所あるわ


ちょっ!!!
イザナミは怒るどころか、かなりきわどいことを言い出しました!
これに気をよくしたのかイザナキが更に調子に乗って遂にあの台詞を言います!

伊邪那岐命ののりたまひしく、「我が身は、成り成りて成り余れる処一処在り。かれ吾が身の成り余れる処をもちて、汝が身の成り合わぬ処を刺し塞ぎて、国土くにを生み成さむと以為おも

イザナキ
 「俺の身体も大体出来上がっているけれど、余ってるところが一か所あるんだよね
 「でさ、俺の余ってるところで君の物足りないところを塞いだら、もしかして国ができるんじゃない?


塞ぎたいのはお前の口だよ、と言ってやりたいところですね。
イザナミが怒らなかったのに気を良くして、更なるふたりの進展を図っているようですが、いかんせん、その口説き文句がセクハラすぎる。
イザナミさん、今度こそ怒ってやって下さい!

伊邪那美命答へてひく、「しか

イザナミ
 「あら良いわね


物凄いあっさり承諾したー!

というわけで、二神はこのあとちょっとした失敗を交えつつ、無事日本の国土や様々な神様を産んでいきます。
順調に思えた国造りですが、日本の国土が産み終わり、神様を産んでいる途中で、イザナミを悲劇が襲います。
火の神「カグツチ」を産んだところで、イザナミはホト(女陰)に火傷を負って死んでしまうのです。
イザナミが死んだことにより国造りは中断してしまいます。
この中断した国造りは、その後の大国主によって引き継がれることとなります。


というわけで、以上が大まかな「イザナキとイザナミの国産み神話」でした!
かなり端折ったところもありますが、これはこれでなかなか面白い話題なので、今後も機会があったらもう少し突っ込んだ内容を語りたいと思います。
また、イザナミの死とイザナキの黄泉の国訪問の話もかなり気になる話ですね!
日本神道の最高神「アマテラス」、夜の闇のように謎の存在「ツクヨミ」、出雲国を救った英雄「スサノヲ」の三姉弟(=三貴子)の関係についても気になります!
そしてこの後高天原を追放されたスサノヲの、ヤマタノオロチ神話から始まる長大な出雲神話!!!気になりすぎる!!!
あ、Hさまにご指摘いただきました通り、私は出雲の近くに住んでいます。
…とはいえ、今住んでる処から片道4時間の距離ですが(^_^;)
位置的には鳥取県の東の方です。
実は実家(鳥取県の西の方)からだと2時間くらいの距離で、言葉も出雲に近いです。(鳥取県は東西で文化や言葉が違います)
この間の万葉集サークル(←隣町)で「一時期毎週出雲に通ってたんですよー」と言ったら、みなさんドン引きでした。
そんな距離です。
今後も周りからの生暖かくも若干イタイ視線を感じつつ、趣味に邁進していく所存です。

Page

Utility

簡易メニュー

薄紅語り
(過去の日記の薄紅天女の妄想語り一覧)
古代史語り
(過去の日記の古事記とか万葉集とか他)
Web拍手
(お気軽に頂けると嬉しいです)
拍手は別窓、語りは同窓で開きます。

日記内検索

カレンダー

< 2024.11 >
S M T W T F S
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
- - - - - - -

コメント一覧