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閑話休題~本歌取りに興味を持ったきっかけ~

単パチ&10連パチのお方々ありがとうございます!うおおおお!
返信不要のまるで電報のようなコメントに思わず笑ってしまいました!りんこさんありがとうございます!
こんな独断と偏見だらけの趣味日記を誰かが見て下さっているということはあまりにも奇跡的なことだと思います。
この僥倖にあやかりまくりながら今後もいろいろ好きなことを書き散らしていく予定です!


さて、続きに行く前に閑話休題と称して私が本歌取りに興味を持つきっかけになった歌をご紹介します。
因幡に住んでいた時からお世話になっていた万葉集サークルで「万葉集が元になっている本歌取の歌」が取り上げられたのですが、その際に次回の記事で書く予定の鎌倉幕府第三代将軍「源実朝」さんの和歌の一つにビビビッと来てしまったのです。
その歌はこれです。

大海の 磯もとどろに 寄する波
  割れて砕けて 裂けて散るかも

「われてくだけて さけてちるかも」のゴロの良さ!
これぞ武士!という潔さ!
なんだこの歌は!!
有名な歌らしいので、もしかしたらご存知のお方もいらっしゃるかもしれませんが、私はこの時初めて知りました。
知った瞬間のまさに火花が散ったような衝撃は今もまだ鮮烈に記憶しています。(去年の7月でした)
万葉歌は基本的にその背景を知ってさらに深く味わうことが多いのですが、この歌はもうこれだけでズドンとくる感じでした。
万葉歌もいいけど、他の和歌もいいですね。(兼倉に散財フラグが立ちました)
ちなみに、この歌の本歌となっている万葉歌もちょっと注目の歌なんです。
詳しくは次回の記事にて。

というわけで、万葉歌をメインに楽しみつつもこの「本歌取りと万葉集」のシリーズでは、万葉歌以外の和歌の魅力に沸き立つ兼倉ののぼせっぷりを書き散らしていく予定です。
どうぞよろしくお願いします。

本歌取りと万葉集~藤原定家と本歌取り~

次の日曜日唐突に京都へ行くことになった兼倉です。
京都はこれまで3回くらい行きましたが、いまだに行ったことが無い場所があったんです。
それは

金閣寺!(←フォント名を「Gold」にしたらこんな色に)

金閣寺楽しみですフォウ!
さらに別のつてで来週末は一泊予定で大阪へ行きます。
大阪に住んでいる友達と会えたらいいなあ。


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本日5連パチをくださった方ありがとうございます!
本歌取りは学べば学ぶほど奥が深くて大変興味深いです。
特に片方を知っていると、もう片方を知った時の感動が大きい気がします。
この感動を少しでもお届けできれば・・・!


というわけで、続きの「本歌取りと万葉集」です!
まずは本歌になった万葉歌から

苦しくも 降り来る雨か
 三輪が崎 狭野のわたりに 家もあらなくに
(巻三 265)

歌意:どうも雨がひどく降って来て困ったことだなあ。
あいにくこの三輪が崎の佐野の渡し場には雨宿りする家もないのに。ああ。(伊藤博)

紀伊熊野地方は多雨で有名な土地です。
これは作者がその地を旅した時の歌のようです。
ここでの「家」は、雨よけの家、または泊まる宿、さらには家族の待つ我が家とする説があります。

で。
実はこの歌を元にした本歌取りの歌は、本歌取りの解説本で最も代表的な歌であるとよく紹介されているようです。
上の歌の雰囲気をよく覚えておいて、次の本歌取りした歌をご覧ください。

駒止めて 袖打ち払ふ 陰もなし
  佐野のわたりの 雪の夕暮れ
(新古今和歌集 第六 671)

歌意:馬を止めて袖の雪を払うような物陰もない。
佐野のあたりまでやって来てこの雪だ、もう日も暮れようというのに・・・。

この歌を詠んだのは、百人一首の選定に深くかかわったとされる藤原定家です。
どうでしょう。
本歌からは言葉としては「佐野のわたり」を取っただけですが、旅先での雨や雪による苦しさと心細さという発想そのものを取り込んで、見事に換骨奪胎していると思いませんか!?
この歌を読んだとき、定家の才能のすさまじさを感じました。
何が凄いって、まず、定家は確実に想像で詠んでいるんですね。
実際彼が旅に出てその気持ちを詠んだわけではないんです。
だから万葉歌の方に感じられるリアルな現実の苦しさ、泥臭さが消えてしまっている。
なのに、本歌の持っていたテーマを完全に活かしきっている気がするんです。
万葉歌を十分に読みこんで、さらに自分の中でかなり高いレベルで昇華している人でないと、こうは出来ないのではないでしょうか。
凄い人だ、定家さん。

本歌取りは、適当な実力しかない人がやると、ただのパクリみたいになってしまいますが、定家さんをはじめ、実力派の方々の作品はそのもののすごさももちろんのこと、本歌の魅力もさらに引き出すような力作になっていると思います。
本歌取りは調べれば調べるほど本当に楽しいです!

それでは、定家さんにかかわる作品をもう一つ。
まずは万葉歌をご覧ください。
今度は長歌です。

名寸隅(なきすみ)の 舟瀬(ふなせ)ゆ見ゆる 淡路島(あはぢしま) 松帆(まつほ)の浦に
朝なぎに 玉藻(たまも)刈りつつ 夕なぎに 藻塩(もしほ)焼きつつ
海人娘女(あまをとめ) 有りとは聞けど 見に行かむ (よし)の無ければ
丈夫(ますらを)の (こころ)はなしに 手弱女(たわやめ)の 思ひたわみて
徘徊(たもとほ)り 吾はそ恋ふる 舟梶(ふなかぢ)を無み

歌意:名寸隅の船どまりから見える淡路島、その松帆の浦では朝の凪に玉藻を刈り、夕べの凪に藻塩を焼く漁師の少女がいると聞く。
しかし逢いに行こうにも術がないので、りっぱな男子の心根も消え、か弱い女のように心もしおれて、私はさまよいつつ恋うることだ。
船梶もないので。(中西進)

万葉時代において、海女の女性というのは、ちょっとエキゾチックでロマンを抱く存在だったようです。
海女の乙女を詠んでいる歌は万葉歌にたくさんあります。
何せ都は海がない場所ですからね、もう海というキーワードだけで異国情緒や憧れみたいなものがあったのではないかと想像しています。

これを本歌として定家が詠んだ歌。
ご存知のお方も多いかもしれません。
百人一首の中の定家自身の歌です。

来ぬ人を 松帆の浦の 夕なぎに
  焼くや藻塩の 身も焦がれつつ

歌意:待っても来ないあの人を、私は待っています。
松帆の浦の夕凪のなか、藻塩焼く火に、さながら、わが身もじりじりと焦がれるばかり。
恋に悶えながら・・・(田辺聖子)

異国情緒へのロマンだった歌が、一転して今度は切なく一途な恋の歌に・・・!
二、三、四句を本歌から引用しつつ、「来ぬ人を待つ(松帆の浦の「まつ」と掛けている)」「焼く、身も焦がれる」など、本歌をさらに発展させているところは見事という他ないです。


定家さんは、マジですごい人かもしれません。
ちょっと興味が出てきましたが、気持ちをぐっと抑えて今回はここまでに。
次回は定家さんの弟子にして、鎌倉幕府第三代将軍様の本歌取りについて書きます。
文人と武人の違いが非常に興味深いです。
次回もお付き合いいただけると嬉しいです!

本歌取りと万葉集~古今和歌集の中の本歌取り~

最近随分暖かくなってきましたね!
このあたりでは山の方はまだ雪が積もってますが、海沿いは桜も随分散ってきています。
このまま春まっしぐらになってくれればいいなあと思いつつ、でも寒いからこそあったかいお茶がおいしく飲めていたので、あまり暖かくなりすぎるのもちょっと素直に喜べないような・・・。
秋から冬にかけて大活躍してくれた私の机の脇に置いている電気ポットもそろそろ休憩期間が近づいてきているのをひしひしと感じつつ、でもやっぱり今日も2.2リットル満タンにして沸かしております(飲みすぎ)


さて、昨日から始めた「本歌取りと万葉集」。
今日はさっそく具体的な歌を取り上げていきます。
まず元になった「万葉歌」を挙げて、次に「本歌取りした歌」を載せます。
ぜひ読み比べてみてください。
なお、万葉歌の方には私が分かる限りちょっとした補足説明をつけますが、古今和歌集や新古今和歌集などほかの和歌についてはまったく素養がないので、分かる方どなたかご協力をお願いします!(他力本願)

三輪山を しかも隠すか
 雲だにも (こころ)あらなも 隠さふべしや
(巻一 18)

歌意:ああ、三輪の山、この山を何でそんなにも隠すのか。せめて雲だけでも思いやりがあってほしい。隠したりしてもよいものか。(伊藤博)
これは中大兄皇子の発案で都を住み慣れた飛鳥(奈良県)から近江(滋賀県)へ遷す旅の途中に額田王が詠んだ歌です。
先日少し触れた「白村江の戦い」で大敗した大和の人々は、さまざまな理由により都を遷すことにしたのです。
この時代の人々にとって山は神そのものでもありました。
ずっと慣れ親しみ、敬い慈しんできた三輪山が、旅が進むにつれてだんだん遠ざかっていきます。
それを惜しんだ人々の心の声をまるで代弁してくれたかのような額田王の三輪山を惜しむ歌は、今日でも名歌の誉れが高いです。

では、これを本歌として詠まれた古今和歌集の歌。

みわ山を しかもかくすか 春霞
 人に知られぬ 花や咲くらむ
(古今和歌集 巻二 94)

歌意:春霞が三輪山をこんなにも隠していることよ。三輪山には人に知られない花が咲いているのだろうか。(佐伯梅友)
読み比べてみて、どうですか?
全然イメージが違いますよね。
何だかすごく典雅な雰囲気になってます。
このように、本歌を意識しながら全く違う歌を詠んでしまうのが本歌取りです。

次の歌の紹介をします!

志賀(しか)白水郎(あま)の 塩焼く(けぶり)
 風をいたみ 立ちは(のぼ)らず 山にたなびく
(巻七 1246)

歌意:志賀の漁師が塩を焼く煙は、風が強いので真っ直ぐには登らず、山にたなびくことよ。(中西進)
これは万葉時代当時に存在した「古集」という歌集から採用された作者未詳の歌です。
この時代には志賀(福岡県北部の島)の漁師の塩焼きは都にも聞こえていたらしく、万葉集の中で同じ題材を扱った歌が他にも載っています。

この歌を本歌として詠まれた歌が、古今和歌集と伊勢物語に載っています。

須磨のあまの 塩やく(けぶり) 風をいたみ
 思わぬ(かた)に たなびきにけり
(古今和歌集 巻十四 708)
(伊勢物語 第百十二段)

歌意:須磨の海人が塩を焼く煙は風がはげしいので、思いもよらぬ方向に流されてしまいました――他の男からの誘いがひどく熱心だったので、あなたは思いもよらぬ他の男の方に心を移してしまったのですね。(石田譲二)
歌の中の「風」を「他の男の誘い」の暗喩として訳しています。
この訳は伊勢物語を意識して書かれたものです。
古今和歌集の訳では、「周囲の反対(風)が強いので女(塩焼く煙)が意外な方へたなびいてしまった」と解説されています。
こんなにたくさん本歌から語句を引用しているのに、内容は似ても似つかない見事な比喩の歌になっています。
これぞ本歌取り!という感じの歌ですね。
さらにこの歌は本歌では「志賀」と詠まれていた土地を「須磨」に詠みかえています。
平安時代当時の人々には遠く九州の島よりも、源氏物語で光源氏が都落ちした須磨の方がロマンを感じる歌枕の土地となっていたのかもしれませんね。

古今和歌集の歌だけでかなり長くなってしまいました。
ここで一旦区切ります。
次回はもう少し下った時代の和歌を取り上げます。

なお、今回の語りの資料として「小......人」さんの作成された資料を活用させていただいております。
この場を借りて心よりの感謝を申し上げます。

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