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官能部部誌感想その一

忙しい年の瀬、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
長いことお返事関係以外で日記を書いていなかったら、日記の書き方をすっかり忘れてしまっていたようで、書き出しを考えるだけで30分くらい浪費してしまった兼倉です。(なんてこった)
書きたくなったら書けばいいなんていうのは文章作成が神レベルに慣れている人にだけあてはまることで、そうでない凡百の民たる私のような人間は、無理にでもある程度定期的に文章を書いていないと恐ろしいほど文字が出てこなくなってしまうというのを身をもって実感しました。
今後はもっと日記を書きたいと思います。

そんなわけで!
「官能部部誌その2」
の発行を記念して感想を書かせていただきます!
まだ手に入れておられない方は先に上記のリンクからどうぞ。
ネタバレ部分を含みますので、以下畳ませていただきます。

官能部部誌感想その一@渡部ひのりさん

<過ぎ去りし 猛き季節を偲ぶ夜の 君と絡める指先凍え>

部誌の巻頭に飾られていたのは渡部ひのりさんの現代和歌でした。
まず、直接夏とせずに「猛き季節」と表現しておられるところに注目しました。
ただの季節としての夏が過ぎたのではなく、夏にこの二人の間に猛るような何かが起こったことを暗示している気がしたのです。
もしかして、二人の関係(恋)が始まったのが夏だったのかも。
猛る思いが生まれた夏から季節は移り、冬、二人の関係は少しずつ縮まってきている。
寒いけど、でも相手に直接触れたくて凍えるのを承知で手袋なんかしないで素手で手をつないでいるのでしょう。
いいなあ!こういうの!初々しい必死さに私は萌え狂いました。まあ完全なる私の妄想なのですが。(知ってます)
また、和歌は言葉が少ない分、ほんのちょっと言葉を変えるだけで雰囲気がガラッと変わるのが魅力の一つであると思っています。
いくつか見てみましょう。

「過ぎ去りし 猛き季節を偲ぶ夜の 凍える指先君と絡める」
「過ぎ去りし 猛き季節を偲ぶ夜に 凍える指先君と絡めた」
「過ぎ去りし 猛き季節を偲ぶ夜 君と絡める指先凍え」
「過ぎ去った 猛る季節を偲ぶ夜は 君と絡める指が凍えた」

どうでしょう。
結構違いますよね。
実は私の祖父も和歌を嗜んでいるのですが、和歌を詠む人はあの短い言葉を編み出すのに、裏でかなりの推敲を重ねています。
松尾芭蕉なんかも弟子に何度も相談していたという記述が残ってますね。
数限りなく存在する表現の中で、詠み手の方がなぜこの言葉をこの順で選んだのか、自分でいろいろ読み替えて比べてみるとさらに和歌の味わいが増すとともに、詠み手の方のこだわりや個性が見えてきてさらに面白いのではないかと思います。
渡部ひのりさんがこの和歌を編み出すのにどのくらい推敲をされたのか、または一発でこれしかないと思い定める言葉だったのか。
ちょっと聞いてみたいですね。
私自身は歌詠みではありませんが、自分の文章でもこだわる個所はかなり推敲を重ねますし、またその作業がすごく好きです。
何度も推敲を重ねた結果結局初めに書いたものを採用することも多々ありますが(苦笑)、推敲している最中は自分の中のすごくすごく深い部分を探っているような気がして面白いんです。
みなさんはどうですか?

長くなってしまったのでいったん切ります。
続きは明日にでも!

因幡の素兎神話~大穴牟遅神と兎~

※コメントの返信はこの記事の一番下にあります※

随分間が空いてしまいました!
ちょっと前回の復習から!

そもそもこのお話は「大国主神」が兄たちに国を譲られた理由を長々と説明する、その一番初めの話でした。
つまり、古事記が書かれた時点では、大国主神が広い国を治めていたという過去(現在?)が当時の人々の共通認識としてあったのだろうと想像できます。
これまで何度も書いてきましたが、「神話は現在の保証」としての役割があるのです。
因みに前回は特に触れませんでしたが、大国主神の兄たち「八十神」はもちろん八十柱(神様を数える単位は「柱」)もいるという意味ではなく、たくさんという意味で、西郷信綱さんによると「大国主にかく庶兄弟が多いのは、(略)大国主が国主たちの典型化であることとも無縁ではあるまい」とのことです。ほほう!なるほど!

さて、前回ウサギは先に通りかかった大国主神(この話の時点では大穴牟遅(おほなむち)神)の兄たちのアドバイスに従ったところ、怪我がよりいっそう悪化してしまったのでした。
ますます泣いているウサギの元に現れたのは・・・

(かれ)、(ウサギは)痛み(くる)しび泣き伏せれば、(もと)(のち)()大穴牟遅神(おほあなむぢのかみ)、その兎を見て()ひしく、

「何の(ゆゑ)にか(なむち)が泣き伏せる」

といひき。

兎「うわあーん!痛いよう!痛いよう!」
大「(う、兎が泣いてる!?うわあ、かなり痛そうな怪我だな。素通りしちゃダメだよな。一応理由を聞こうかな)一体どうしてお前は泣いているんだ・・・?」

ここでの大穴牟遅神のセリフはちょっと注目かもしれません。
兄たちはウサギが伏せっているのを見て「怪我を海水で洗って風に吹かれながら高山の尾の上に伏せっていろ」と一方的に言っただけでした。
ところが大穴牟遅神はまずウサギに理由を聞いています。
この次からウサギが怪我をした理由を長々と語ります。
皆様ご存知の、あの話です。

兎が(こた)へて言ひしく、

(やつかれ)淤岐(おきの)(しま)()りて、此地(ここ)に渡らむと(おも)ひしかども、渡らむ(よし)()かりき。(かれ)、海の和邇(わに)(あざむ)きて言ひしく、

(あれ)(なむち)と、(くら)べて、(うがら)の多さ少なさを(はか)らむと(おも)ふ。故、汝は、その族の()りの(まにま)に、(ことごと)()()て、この島より気多(けた)(さき)に到るまで、皆()()し渡れ。(しか)くして、(あれ)、その上を踏み、走りつつ読み渡らむ。ここに、吾が族といづれか多きを知らむ』

といひき。かく言ひしかば、(ワニは)欺かえて()み伏す時に、吾、その上を踏み、読み渡り来て、今(つち)に下りむとする時に、吾が曰く、

『汝は、我に欺かえぬ』

と言ひ(をは)るに、即ち(もと)(はし)に伏せりし和邇(わに)、我を捕へて、悉く我が衣服(ころも)()ぎき。

兎「私はもとは隠岐島にいましたが、どうしても因幡国の気多の岬に渡りたかったのです。でも私にはその術がありませんでした。そこで私は一計を案じました。海にたくさんいたサメにこう言ったのです。

『サメさんたちよ、私とお前たちとで、どちらの一族が多いか比べてみよう。お前たちは一族を連れてきてこの島から気多の岬まで並んでくれ。私がその上を渡りながら数を数えてあげよう』

こうして私はサメたちの上を渡ってここまで着ました。しかし、渡り終わる直前で

『サメたちよ、騙されたな。私はただこちらに渡りたかっただけなのさ』

と言ってしまったのです。それを聞いた一番端にいたサメが私を捉えて皮を全部剥いでしまいました」

なかなか賢いウサギですね。
神話や昔話では、「目の前の困難を知恵によって乗り越える」話がたくさんありますが、これもその一つといえるでしょう。
ただ、この話が他の神話や昔話と違うのは、最後の最後でウサギが失敗しているところです。
守屋俊彦さんはこれを「最後にウサギが失敗するのはオホアナムヂのすぐれた治療能力を導くため」と考察していらっしゃいます。
それでは続きを見てみます。

これによりて泣き(うれ)へしかば、まず行きし八十神の(みこと)(もち)て、(をし)へて()らししく、

海塩(うしほ)()み、風に(あた)りて伏せれ』

とのらしき。故、教の如く()しかば、我が身、(ことごと)(やぶ)れぬ」

といひき。

兎「サメに皮を剥がれた痛みで泣いていたところ、先に通りかかった八十神様たちがこう仰いました。

『怪我を海水で洗って風に吹かれながら高山の尾の上に伏せっていろ』

だからその教えの通りにしたら、私の体は更に悪化してこのような有様になってしまったのです。ううう」

八十神のこのアドバイスについては前回も書いたとおり、山田永さんは「海水で洗うことも風で傷口を乾かすことも治療の一種です。いじめではありません。問題は、その治療方法が正しかったかどうかなのです」という解釈をなさっています。
では、その正しい治療法とは?

ここに、大穴牟遅神、その兎に教へて告らししく、

「今(すむ)やけくこの水門(みなと)()き、水を(もち)て汝が身を洗ひて、即ちその水門の蒲黄(がまのはな)を取り、敷き(ちら)してその上に輾転(こいまろ)ばば、汝が身、もとの肌の如く必ず癒えむ」

とのらしき。故、教の如く()しに、その身、もとの如し。これ、稲羽(いなば)素兎(しろうさぎ)ぞ。今には兎神(うさぎがみ)()ふ。故、その兎、大穴牟遅神に(まを)ししく、

「この八十神は、必ず八上比売(やかみひめ)を得じ。袋を()へども、()(みこと)、(ヤカミヒメを)()む」

とまをしき。

大「まず急いで河口に行って、真水でお前の体を洗うんだ。次に河口近くの蒲の穂をとって敷き詰めたら、その上に体を転がせなさい。そうすればお前の体は元通りになるよ」
兎「・・・(治療中)・・・うわあ!本当だ!元通りになった!」

これ、稲羽の素兎ぞ。には兎神と謂ふ。
これですよ!
神話の常套句!
「今、ウサギ神といわれているのはこのウサギのことだ」
神話の話が今につながりましたね!
この表現をみると、大国主神だけではなくこの「ウサギ神」も1300年前は広く知られた神だったようですね。

ウサギは大穴牟遅神の「正しい治療法」によって、無事元の体に戻りました。
「真水で洗って、蒲の穂を使う」という方法について少し見てみます。
真水で洗うのはいいとして、蒲の穂がウサギの毛皮になるというのは流石に神話としての呪術的展開ですね。
でも、江戸時代の百科事典『和漢三才図会』で蒲の穂を止血剤に使っていたことが記載されているので、実際の医療知識に基づいたアドバイスともいえるのです。
人間が行えば止血になる治療も、大国主神が行えばウサギの毛皮にもなってしまうというイメージでしょうか。

さて、最後にウサギが予言しています。
「八十神は絶対に八上比売を娶ることは出来ません。袋を負わされるような立場でも、必ずあなたが八上比売を娶るでしょう」
このウサギのセリフ、助けてもらったお礼のようにも読めますが、一方では八十神たちのような知識のない男たちよりも正しい知識を持っている大穴牟遅神を、八上比売は必ず見抜くだろうという予想をしているようにも思えます。
その理由は二つ。
まず、報恩譚(ほうおんたん)(恩返しの話)は仏教説話集から始まりますが、これは古事記よりも100年ほど後のことだそうです。
もう一つは、このすぐ次のシーンですが八上比売が自ら直接「私はおまえたち(八十神)の言うことは聞かぬ。大穴牟遅神に()う」と宣言します。
古事記の婚姻譚はここでは二つ過去に語ったことがありました。
スサノヲとクシナダヒメ、そしてニニギとコノハナサクヤヒメです。(本当はイザナキとイザナミにもほんのり触れてますが)
思い出してみてください。
両方とも結婚の決定は「父親」が下していませんでしたか?
アシナヅチと山津見神です。
しかし、八上比売は違うのです。
自ら進んで婚姻の相手を選ぶのです。
鳥取県立博物館の某学芸員の方は「女首長的な人物だったのでは?」と想像していらっしゃいました。
そんな人物だからこそ、人を見抜く目は確かだったのではなかろうか・・・?と思ってみたり。
あくまで私の想像です。
この件に関しては浅見徹さんが「ヤカミヒメを、ウサギの言葉が言霊となって動かした」と考察していらっしゃいます。
これもまた面白い見解ですね!


さて、因幡の素兎神話はこれにて終了です。
もちろんこの後も古事記は続いていき、大穴牟遅神は試練に見舞われることになります。
また機会があれば書きたいと思います。

旧年は皆様本当にお世話になりました。
来年もよろしくお願いします!


そして大変遅くなりましたが拍手のお返事です!

オトツキさま

コメントありがとうございます!
>こんばんは!今日、恒例「古事記講座」に行ってきました。「古事記」を文学として捉え、古えの日本(大和)を深く掘り下げています。今日はイザナキノミコトの禊ぎでした。話があちこちに行くので「因幡の素兎」も出て来ました。「古事記」で「読む」は「数える」というイミだそうですね。毎回奥深い勉強をしています。来年中には「素兎」まで行きそうです。来月は「三貴子」です。では!

「古事記」を文学として捉えるのは私の大好きな山田永さんも主張しておられました!
いろいろな楽しみ方があるなぁとしみじみ思います。
「読む」が「数える」という意味というのは初めて知りました!面白いです!うおおおお!
ぜひ三貴子も素兎も楽しんでいただきたいです!

>追伸:
>「大黒様」の歌も、昔の子供は結構知ってたと思うんですよ~~。私は元々「昔話」は相当読んでたので、「海幸山幸」や「白兎」が、実は神話で「古事記」だったので、逆にビックリしました(笑)。


そうなんですね!
私はこの時代にはまり始めてすぐに古事記を読んだので、「古事記」=「神話が書いてある本」、「因幡の白兎は神話」=「古事記に書いてある」という感じで特に何の抵抗もそして感慨もなく、順序正しく(?)受け入れてしまいました。
本当に何も知らなかったので、今は古事記が私の中の基準になっているような気がします。
今後はもう少し視野を広げていろんな文献を読みたいです。

コメントありがとうございました!
ななこさま
コメントありがとうございます!
>お疲れ様です。
>年末で忙しさMAXです。
>社会人二年目ですが去年より当然任されてる分、年を越せるか不安になってきました。。

うわあああ、お疲れ様です!
社会人二年目は私は物凄く疲労していました。
連日ストレスのため一人カラオケとかしてた気がします(黒歴史)
任される量が増えたということは、着実にななこさまがご成長なさっていて、さらにそれを周りの方々が認めていらっしゃるということですね。
それでもやはり大変だと思いますが、お互い全力で乗り越えましょうね!(といってもこれをご覧になられることはすでに終わっておられるはずですが・・・)

>年末の企画楽しみですね!
>私は年越し旅行で日本に居ないのでリアルタイムでは楽しめませんが、帰国するのが楽しみです^ ^

本当に楽しみですね!
私は今まさにリアルタイムで楽しんでいます!
楽しいです!本当に皆様の素晴らしい力作と愛情をいっぱい拝見させていただいています!

>追加で投稿した分、そうですね!解禁して頂けるならそれが良いと思います。それにしても私の約10年の妄想量はすごいのでまだまだネタあります!笑
>ただ文章に起こす気力が問題ですよね。。
>また気の向くままに投稿させて頂きますねー!お互い年末を乗り越えましょう!

解禁のご快諾ありがとうございます!!
私はこれから実家に戻るので、こちらに戻ってきたらすぐにUPさせていただきます!
約10年の妄想・・・!
年季が違いますね!!
ななこさまの筆が向いたときにでも、その妄想を拝見させていただける日がくることをとても楽しみにしております!!

コメントありがとうございました!!


りえさま
コメントありがとうございます!
>今年も残すところあとわずかですね。お忙しいことと思いますが、どうぞお体にはお気をつけて…!
うわあああああ!!やさしいお言葉をありがとうございます!!
体はとても元気です!!
心も常に妄想と現実の狭間を全力で泳いでいます!(いいのか悪いのか)
気合の全チェックもありがとうございます!!
りえさまもどうかお体をおいといくださいませ!

コメントありがとうございました!


拍手のみのお方々もありがとうございます!!
年末年始を古事記と勾玉まみれで過ごすことができる幸せを思いっきり満喫しています!!
これからもどうぞよろしくお願いします!!
拍手ありがとうございました!!

因幡の素兎神話~兄たちは大国主に国を譲ることになりました。その理由は…~

うおおおおおおおおお!!!
遂にこの日がやってきた!
因幡に住んでいる私が、「因幡の素兎神話」を語るよ!(※別に何かあるわけではない)
オトツキさま、早速のコメントありがとうございます!!この記事の最後に返信を載せております!
また、他2名の方からご期待と思しき拍手(内1名、情熱の全チェック)を頂きました!
ありがとうございます!!!
どうぞよろしくお願いします!!

さて、本文に入る前に私が白兎のことを「素兎」と書いているのに違和感を感じていらっしゃる方がおられるかもしれませんので、そのご説明を。
今「因幡の白兎」と呼ばれている兎は実は古事記では「素兎」という表記をされています。
「白兎」という表記はありません。
今回の語りはあくまで「古事記の神話」について語ろうと思っているので、表記を古事記に合わせて「因幡の素兎」とすることにしました。
これは以前古事記の「素兎」が「白兎」になるまで (別窓)を語ったことがあったので、ご興味がございましたらご参照ください。

さあ、それでは早速入ります!

(かれ)、この大国主神兄弟(あにおと)は、八十神(やそがみ)(いま)しき。
(しか)れども、(みな)、国をば大国主神に()りき。
避りし所以(ゆゑ)は、・・・・・・

ところで、大国主神にはたくさんの兄弟神(八十神)がいた。
しかし、皆、国を大国主神に譲った。
譲った理由は・・・


まずは導入部分!
この神話の直前には以前語ったスサノヲの「ヤマタノヲロチ神話」が入っています。
古事記によると大国主神はスサノヲから数えて六世の孫にあたるということで、ここから新たな時代が語られているわけです。
大国主神の兄たち(八十神)が、大国主神に国を譲るに到った過程が、このあと長々と書かれています。
ところで、実は上で「避りし所以(ゆゑ)は、」の続きから、いきなり「因幡の素兎」神話が始まります。
この文章の繋がり方が、すごく奇妙な感じなんです。
どう奇妙なのかというと、フライングして現代文で書いてみるとこんな感じ。

皆、国を大国主神に譲った。譲った理由は、八十神がそれぞれ因幡の()(かみ)比売(ひめ)と結婚したいと思って一緒に因幡へ向かっていた時、大穴牟遅神には袋を背負わせて従者として率いてきた。気多の岬に着た時、裸の兎が伏せっていた。八十神は兎に・・・

ね!なんか文章がですよね!
「譲った理由は、」という主語に対応する述語が「率いてきた。」では、すごく違和感があります。
それではどれが「譲った理由は、」に対応する述語なのかというと、それはここには無いのです。
この「譲った理由は、」の後に続く膨大な文が全部理由になっているんです。
これはいわゆる「ねじれの文」というものだそうで、現代には無い古事記独特の言い回しです。
どうしてこんなことが起こるのか?ということですが、いろんな説があるようです。
私としては「これは古事記によく出てくる表現方法なので、当時はねじれ(不自然)とは考えられていなかった(説:山田永)」というのが一番分かりやすかったです。
よく考えてみると、古事記の時代は句読点は存在しません。
読み下し文にするにあたって、後の人が勝手に「、」や「。」を付けたに過ぎないのです。
つまり、古事記を書いた人(たぶん太安万侶さん)はこんなところで文章を区切るつもりは無かったわけですね。
もっといえば、古事記時代は今と違って日本語をそのまま表す方法がありませんでした。(※古事記は万葉集と同じく漢字だけを使って書かれています)
そんな中で、日本独特の神話や歴史を書こうとしたため、日本語として素直に読むには違和感がある文章になったのかもしれません。
この時代は日本語の書き言葉が成長していく過渡期に当たっていたといえるでしょう。
そんな先人たちの苦慮の跡をこの「ねじれの文」が伝えてくれていると思えば、なかなか萌える気がしますね!フォウ!

いきなり長々と語ってしまいました!(ひっ)
次にいきます!
「因幡の素兎」の一番始めのシーンです。
ちょっと長めに引用しますが、とても簡単なのでぜひ読んでみてください!

その八十神、(おのおの)稲羽(いなば)()(かみ)比売(ひめ)()はむと(おも)ふ心有りて、共に稲羽に行きし時に、大穴(おほあな)牟遅(むぢ)神に袋を(おほ)せて、従者(ともびと)として、()()きき。
ここに、気多(けた)(さき)に到りし時に、(あかはだ)(うさぎ)()せりき。
(しか)くして、八十神、その兎に()ひて()ひしく、

(なむち)()まくは、この海塩(うしほ)()み、風の吹くに(あた)りて、高き山の尾上(をのへ)に伏せれ」

といひき。
(かれ)、その兎、八十神の(をしへ)(したが)ひて、伏せりき。
爾くして、その塩の乾く(まにま)に、その身の皮、(ことごと)く風に吹き裂かえき。

痛あああああああああああ!!!
読む度私はこのシーンが痛そうで痛そうで堪りません。
兎よ、そんな明らかに痛そうなアドバイスにどうして素直に従ったんだ。
このシーン、基本的には八十神たちが兎をイジメたシーンと解釈されることが多いですね。
確かにそうのようにも読めるのですが、山田永さんは「海水で洗うことも風で傷口を乾かすことも治療の一種です。いじめではありません。問題は、その治療方法が正しかったかどうかなのです」という解釈をなさっています。
とても面白い解釈だと思います!
あ、ところで「大国主神」の名前ですが、この「因幡の素兎」神話では「大穴牟遅神」と出てきます。
読み方は様々で「おおあなむぢ」「おおなむち」「おおなむぢ」などなど。
私が読んだ本の中で一番多いのはこの中では「おおなむち」のようですが、皆様どうぞお好きな名前でお読みください。
本当にどう読むのかは分かっていませんので。
で。
なぜ大国主神が別の名前で出てくるのかというと、これにも大変たくさんの解釈があるのですが、とりあえずここでは
「大国主神」は成長した後の名前
「大穴牟遅神」は成長する前の名前

くらいに思っておいてください。
ところで、この「大穴牟遅神」という名前、万葉集がお好きな方の中にはピンときた方もいらっしゃるのでは?
大汝(おほなむち) 少彦名(すくなひこな)の 神代より~」「大汝(おほなむち) 少彦名(すくなひこな)の 神こそば~」「大汝(おほなむち) 少彦名(すくなひこな)の いましけむ~」などで始まる歌がいくつも載ってますね。
万葉時代の名コンビ!オホナムチとスクナヒコナ!
これについても以前語っているのでご興味がある方はご参照ください。

さて、兎は現在兄たちのアドバイスに従ったため怪我が悪化しております。
兎「助けて誰かー!うわあん!(号泣)」
そこへやってきたのは兄たちの荷物持ちをさせられていた大穴牟遅神です。
というところで次回へ!(因幡の素兎神話【後編】)


オトツキさま

ようこそお越しくださいましたオトツキさま!!
お待ちしておりました!!
粗茶ですが・・・つ[そば茶]<余談ですが、上の語りはBGMで「What's the justice?」を聴きながら書いていました。定期的に聴きたくなります。「誰がために」も好きですが、どちらかというと白黒版の「あか~いマーフーラ~ なぁび~か~せて~♪」の方がより一層好きです。

>私は、「いなばの白うさぎ」は昔話で読みました。しかもですね、大昔、我が家にあった童謡関係のレコードに「大黒様」が入ってたんですよ(他は「うさぎとカメ」「桃太郎」「浦島太郎」などなど。)。幼い私は、これを飽きることなく聞き続けていたので、「大黒様」がどういった方なのかはハッキリとはわからなかったものの、「いなばの白うさぎ」のストーリーはちゃんと頭に入りました。どんな歌か興味がおありでしたら、「童謡 大黒様」で検索してください。私は今も歌えます♪

おおおお!!!
まさか県外の方でこの歌をご存知のお方がいらっしゃったとは!
鳥取県ではデパートのみやげ物売り場で毎日流れております。
ついでに映像もいっしょに流れていますが、兄たちのブサメン(しこお)ぶりと大国主のイケメン(ますらお)ぶりが大変顕著に描かれています。
鳥取にお越しの機会がございましたらぜひご覧ください。

>追伸です。自分の持ってたっぽいレコードの音源が検索できました。http://www.youtube.com/watch?v=wQ4nO7VNW4Q
です。あぁ、懐かしい(涙)。昔はこういうのが普通に売ってたんですね。童謡として聞く機会がちゃんとありましたので。(最後に「オオクニヌシ」とは言ってるのですが、子供にはその神様がイマイチわかりませんでしたが。)


なんと!ユーチューブに!
懐かしいです!
私も小さい頃はレコードを聞いていた世代です。
今の子どもたちはレコードはおろかカセットテープすら知らないんでしょうね・・・。VHSも。
媒体は変わっても、歌や伝承は受け継いでいってほしいものです。

拍手を下さった方々もありがとうございました!!
勇気を貰いました!!
ぜひ一緒に古事記で盛り上がりましょうね!
拍手ありがとうございました!!

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