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磐姫の解釈(完成)

いろいろ深めたい心意気だけはあります!
あります・・・が、、、、
実は古事記は基本上巻メインに読んでいることもあり、中巻・下巻の解釈に特化してる本が手元にたった数冊だけというハイパー駄目クオリティーなので(上巻関係は読めてないのも含めると数十冊程度ある)、磐姫についての考察はいつも以上に自信がない感じです。(いつも自信ないですが)
そんな状態ですが、まあ出来ることだけでもやってみようという気持ちだけ買ってください的なノリでいってみます!

<注釈から抜粋>

今回手元にある本の中から「古事記注釈第七巻(西郷信綱さん)」「口語訳古事記(三浦佑之さん)」「記紀の考古学(森浩一先生←兼倉心酔の考古学者の先生。もちろん面識はありません)」を主にして抜粋していくことにします。
引用元を一々表記する手間を省くために、引用の際はそれぞれ上記の色を使用します。


いは之日売のひめ

この名義は、「磐石いはごと堅くとこに坐せと、祝ひ称へたるにやあらむ」(古事記伝by本居宣長)という。しかしコノハナノサクヤビメが美女であるのにたいしその姉イハ、、ナガヒメはおそるべき醜女しこめであったという上巻の話(十六ノ四)などからすると、イハ、、ノヒメがそのようにめでたい称え名であったとは思えない。少なくともこの名はかの女が美女ではなかったのを暗示する。さらに以下の話にみるとおり岩のようにがん、、としてゆずらぬ嫉婦であった点も、そこにはいいふくめられているかも知れぬ。

葛城氏出身の皇后であり、政治的には、葛城氏をバックボーンとしなければならないオホサザキの立場が、このような嫉妬深い皇后の伝承の背景にあるのかもしれない。イハノヒメの作ったという四首の歌が万葉集・巻二の巻頭に載せられているが、そこでは、夫の帰りを待つ女の心情が歌われている。
※オホサザキ=仁徳天皇

三浦さんはともかく、西郷さんはかなり辛らつな感じですね(^_^;)

磐姫の家系「葛城氏」

 オホサザキの皇后イハノひめ(『紀』では磐之媛、『記』では石之日売)の父は、葛城かつらぎの曾都比古そつひこである。曾都比古は『紀』では襲津彦と書き、朝鮮半島の問題で活躍をする。以下ソツ彦とする。
 ソツ彦の根拠地は、奈良盆地の西部の葛城地方であろう。葛城地方には、北葛城郡と南葛城郡があって、奈良県の人はホッカツ、ナンカツとよぶことがある。どちらの郡域にも大型古墳はあるが、最近は御所ごせ市にある室大墓むろのおおはか宮山みややま)古墳を、ソツ彦の墓の候補とみている。(略)巨大な前方後円墳で、奈良県では八番目の規模である。
 (略)難波と葛城は一つの水系の河口と上流の関係にあったから、オホサザキ勢力にとってもソツ彦の勢力にとっても、強く結びつかないと勢力の維持がむずかしい。


磐姫が八田皇女の件で、難波の高津宮を通り過ぎて川を上って途中の山城国に篭城しますね。
そしてそこで「ホントはこの先にある実家の葛城国がみたいのよ」と歌う場面が出てきます。
この位置関係が頭に入っているとよく分かる話になりますね!

皇后の地位と外戚

 話は少しそれるが、天皇に皇后や妃を出した家(氏)は、その父をも含んで突然に繁栄するのではないかとおもわれがちである。たしかに、史料的には皇后や妃をだしたことだけが述べられているようだが、実際にはその父なり家が大きな働きをしたり、特別の役割があって、それが妃をだすことにも連なるのではないかと思われる節がある。
 イワノ媛の場合にも、父のソツ彦の力と経験、端的にいえばヤマト内にもつ勢力と朝鮮半島での役割が、オホサザキには重要であり、その重要性から娘をさしだすことになるのだろう。細かいことは省くが、先ほどオホサザキは無類の恐妻家だとしたが、その恐妻の中味には、イワノ媛が恐ろしいということだけではなく、その実家の力からの威圧をうけていたのだろう。


なるほど!
さすが森先生は鋭い!
「父なり家が大きな働きをしたり~それが妃をだすことにも」という部分では、私たちがよく知っている坂上田村麻呂将軍も、後に娘を桓武天皇(鈴の父親)の妃に出していることからもかなり納得のいく話になりますね。
蝦夷との間での武功が評価されて、娘を天皇に差し出す権利を得たということでしょう。

///////////////

八田若郎女やたのわかいらつめ(八田皇女)

宇遅能和紀うじのわき郎子いらつこの(同母の)妹、仁徳天皇にとっては異母妹にあたる。

なお、古事記では仁徳天皇と磐姫(古事記では石之日売)は和解し、八田若郎女が身を引いていますが、日本書紀では磐姫は最後まで仁徳天皇を許さず、山城国で亡くなってしまいます。
磐姫がなくなった後、仁徳天皇は八田皇女と婚姻しますが、後に彼女と同母の妹である女鳥王に手を出しているところは同じです。
天皇が姉妹を娶るのはよくあることですが、本人たちにとってはどのような心地だったのでしょうか。
ここでは女鳥王は仁徳天皇とは結ばれずに殺されてしまいますが。(古事記と同じ結末です)

女鳥王めどりのみこ

応神の系譜に「宮主矢河枝比売を娶して、生みませる御子、宇遅能和紀うじのわき郎子いらつこ。次にいも八田若郎女。次に女鳥王」とある。つまりこれは八田若郎女の実妹で、仁徳の異母妹にあたる。

メドリの言葉は、意志の強い主体的な性格を示している。古代で好まれるのは、待つ女、つまり受身の女性なのだが、この天皇が好きになる女たちは、嫉妬深かったり、すべてをなげうって逃げて行ったり、自分から思いを打ち明けたり、なかなか積極的である。そして、それが伝承の多様性をもたらしている。
 系譜的にいえば、メドリはウジノワキイラツコの同母妹であり、オホサザキの求婚を拒む理由の一つとして、オホサザキとワキイラツコとの関係を引き摺っているとも考えられる。



宇遅能和紀うじのわき郎子いらつこと仁徳天皇

元々この宇遅能和紀郎子が皇太子として天皇を継ぐことになっていましたが、彼はオホサザキの方が天皇に相応しいとして、最終的に自殺することで、オホサザキに皇位継承権を譲ります。
そうして仁徳天皇は即位しました。
※磐姫の話には関わり無い人ですが、上で出てきたので書いておきました。

<磐姫の嫉妬の現れ方>

普段

嫉妬うはなりねたみすること、いと多し。かれ天皇すめらみことの使へるみめ他の妃は、宮のうちを臨むことを得ず宮殿に入れさせなかった(仁徳天皇が他の妃に)言立ことだつれば何か言っただけで、足もあががにジタバタさせて嫉妬うはなりねたみしき。

・普段から嫉妬することがとても多かった。
・他の妃たちを天皇に近づけさせないようにしていた。
・天皇が他の妃たちに話しかけただけで、「足もあががに」嫉妬していた。

足もあががに

アガクの未然系に助詞ニのついた副詞で、あしをばたつかせてとか、地だんだふむばかりにということだが、ここの文脈では意味的にもっと働いていると思う。アガクは足掻アガクであり、(略)古代でのその用法は(略)すべて、、、馬が前足で地面などを掻くのにかんしている。これはアガクという語が馬の動作に由来するらしいことを示す。(略)大后の動作はまさしく馬のアガキに似たものがあるといえないだろうか。

吉備の黒日売
黒髪の美女という義(略)。その点、大后イハノヒメが既述したように美女でないらしいのと対照をなす。
※地方豪族の女で、磐姫と同格か下位。

その大后おほきさきイハヒメねたむをかしこみて恐れてもとくに故郷の吉備に逃げ下りき。(略)
かれ、大后、このうたを聞きて、おほきに忿いかりて、人を大浦難波の海つかはし、追ひ下ろして、かちより追ひ去りき陸路を歩いていかせた

・嫉妬に狂う。(特に何をしたかは書かれていない)
・帰る黒日売を船から下ろして徒歩で帰らせる。
・その後仁徳天皇が嘘を付いて黒日売に会いに行くが、磐姫は(嘘を信じたのか?)何もせず

八田若郎女
※皇族(前天皇の娘で、仁徳天皇の異母妹)なので、磐姫よりも高位の血筋

・仁徳天皇が八田若郎女を娶ったことを知って、祭りに使う予定だった柏葉を全て海に投げ捨てた。
・さらに宮に戻らず山城国に篭城した。
・天皇から使わされた使者を無視した。(後に同情して謁見を許す)
・天皇の訪いを受け入れて和解。
※八田若郎女は身を引くが、磐姫が直接引かせてはいない

※黒日売と八田若郎女

 書紀のほうには吉備の黒日売のことは見えず、大后イハノヒメのネタミはもっぱら八田若郎女(八田皇女)に向けられる形になっている。しかし黒日売と八田若郎女という出身階層を異にする複数の女人がネタミの相手になる方が、物語として面白いのはいうまでもない。黒日売が出てこぬと、話しは宮廷内のことに狭まってしまう。
 もっとも、イハノヒメのネタミの真の相手が八田若郎女であったのは疑えぬ。なぜなら自分が葛城氏の出であるのにたいし、向うは王族の女であったからだ。イハノヒメは、ひととなり嫉妬ぶかかったと見るだけでは、この話の本質にふれたことにはなるまい。八田若郎女という皇女と仁徳が婚したと聞いて、大后イハノヒメのネタミ心はいよいよ燃えさかり、かくして紀国から難波宮にも立ち寄らず、船で山城河を上ってゆき云々の大立回りをやるわけで、そしてそれがすでに指摘したとおりまさに「足もあががに」妬むとされるゆえんであったと思う。


女鳥王
※同じく皇族(宇遅能和紀郎子と八田若郎女の実妹。仁徳天皇とは異母妹)で、磐姫より高位の血筋

・何もしなかったが、女鳥王は姉の処遇を見て磐姫の嫉妬を恐れて仁徳の妻にはならなかった。
・殺された女鳥王に対して、殺されたことに関してはそれが当然であったことを強調したが、臣下が礼節に欠ける行いをしたことに関しては極刑を与えた。

玉釧(女鳥王の腕輪)
※磐姫が某将軍の不敬を見破るきっかけになった、殺された女鳥王がつけていた高価な腕輪

 女性の装身具だが、ただ身を飾るだけではなく呪術的な意味を持っていたと考えられる。また、シャーマンなどはたくさんのクシロを巻いていたらしく、出土する人骨などとともにさまざまなクシロが出土している。

 大后イハノヒメは、なぜそのクシロがメドリのものであるということがわかったのかというのは気になる点である。(略)発掘されたクシロを見ると多種多様な形をしており、その材質にもさまざまなものがある。そこから、その形や材質の違いは、それぞれの出身氏族を表わすもので、クシロを見ただけで、どこの氏族の出身の女かが分かるというようなものだったのではないかとも考えられるからである。それなら、イハノヒメが一目見ただけでメドリのものだと気づいたというのもよく理解できる。
 女性が、その出自を明かす品として身につけているものとしては、万葉集の歌に数多く詠まれている「下紐したびも」がある。これは、アイヌの女性たちに伝えられていたウ
ソル(下紐)と呼ばれる紐状のものに近いのではないか。アイヌの下紐は古くは貞操帯だといわれていたが、実際は女性の家系を示すしるしで、初潮を迎えたころに母あるいは祖母によって作られ、それ以降、ずっと身につけているものらしい。万葉集の下紐もおそらくアイヌのウソルと同様の性格をもつと考えられ、女系を表示するしるしだった。このクシロにもそうした役割があったのではないか。

はてさて。
長々とお疲れ様でした。(よ、読んでくださった方があったとしたら・・・)
自分でもちょっと予想外に引用ばかりの上に物凄く長々しくなってしまいました。
これで磐姫のことや当時の状況などが少しでも分かってきたらいいのですが・・・。
内容的には興味深いことがたくさんあってとても面白かったです。
下巻も楽しいなぁ!

磐姫の嫉妬+α(完成)

さてさて前回予告しました磐姫の嫉妬の話でオギワラーなら外せない話題をやりますよ!
まずはそこまでのあらすじをダイジェストでお送りします。

黒日売をうまく追い返した磐姫ですが、今度は自分の不在時に夫がまんまと別の女(田若たのわか郎女いらつめ)を宮に招き入れてしまいます。
しかも相手の女はよりにもよって皇族(仁徳天皇と腹違いの妹)です。
臣下の娘である磐姫よりも断然に血統のいい女。
これにぶちギレた磐姫は、祭りの準備のために集めた神聖な柏をすべて海に投げ捨てると、宮に戻るどころか、そこを避けて通り過ぎてさらに奥の山城国まで行ってしまいました。
「上様、上様の行状が皇后様にばれました」
「・・・え」
「皇后様はたいそうお怒りで、ここ難波を素通りなさいまして、その先の山城国に籠ってしまわれたとのことです」
マジで!?
「しかもそこで歌われた御歌では、『わたしが見たい国はさらにこの先にある、実家の葛城国なのよね』とのたまわれたそうでございます」
!!!

さあ大変。
仁徳天皇はすぐに使いを向かわせ、すったもんだの末に最後には自ら迎えに出向き、それでようやく許してもらいました。
なお、八田若郎女は身を引くことになってしまったわけですが、その後も仁徳天皇は彼女に未練ったらしい歌を送っております。

////////////////////////////////

さて、すったもんだの仁徳天皇と磐姫ですが、仁徳天皇はまた懲りずに別の女に目をつけます。
しかもまた皇族の女「女鳥王めどりのみこ」。
あーあ、また磐姫の逆鱗に・・・とは、私でなくても当事者たちが一番最初に考えること。
早速本文を見てみましょう。

また天皇すめらみこと、其のおと速総別王はやぶさわけのみこを以ちなかひろ仲立ちて、庶妹ままいも女鳥王めどりのみこひたまひき。しかして女鳥王、速総別王に語りて曰はく

「大后イハヒメこはきに皇后の嫉妬深さのため、八田若郎女を治め賜はず宮に召し上げられないかれつかへ奉らじと思ふ。いまし命のに為らむ

といふ。

「兄上がおまえを召し上げたいとの仰せだ」
「嫌よ。八田皇女のことは今や有名な話だわ。私もきっとそうなるでしょう。それくらいならいっそあなたの妻になるわ
「・・・え!?」


臣下(弟)を迎えにやらせたら娘がそっちの嫁になっちゃった!
どっかで聞いたことのある話ですね。(ex.ヤマトタケル)
古事記には巻を跨いで相似性のある話が幾つか収められているようですが、これもその一つに上げられます。
この後速総別王は仁徳天皇に報告せず(できず?)、勝手に女鳥王と結婚してしまいました。
一方、弟からの連絡がないので、痺れを切らした仁徳天皇は自分で女鳥王の元へ出向いていきます。
しかしここで女鳥王本人から速総別王への思いを明かされ、それを思いやって身を引くのです。
なんと、意外に理解があるみたいですよ。
このまま幸せに終わるのかと思いきや、しかし、周りがそれを許しませんでした。
仁徳天皇に「速総別王と女鳥王は謀反を考えている」との噂が伝わってしまいました。
女を取られるくらいなら許せるけれど、流石に謀反は見過せません。
仁徳天皇は二人を殺すために兵を差し向けます。
続きを見ましょう。

しかして速総別王・女鳥王、共に逃げ退きて、倉椅山くらはしやまにのぼる。是に速総別王歌ひ曰く、

 はしての<枕詞> 倉椅山を さがしみと
  岩かきかねて岩に手をかけられないで 我が手取らすも

また歌ひ曰く、

 梯立ての 倉椅山は 険しけど
  いもと登れば さがしくもあらず

其地そこより逃げせ、宇陀うだ蘇迩そにに到りし時に、いくさ追ひ到りて、殺す。

以下、「空色勾玉」文庫版P.439、l.1~9より引用
 二人は、足場が狭いため、座ることもできないままに、立ちどまって休まなくてはならなかった。狭也は岩に頭をもたせかけてひと息ついたが、急に自分たちのしていることがおかしくなった。稚羽矢は空を舞う鳥を目で追っていたが、彼女が小声で笑いながらつぶやくのをきき、ふり返った。
「今、なにか言った?」
「――いもと登ればさがしくもあらず」
狭也はくり返したが、稚羽矢がとまどうのを見て説明した。
「かがいの歌のひとつよ。どんなにけわしいやまも、あなたといっしょなら険しくありません、という歌なの。いい歌でしょう?みんな、よく歌っていたわ」


狭也が稚羽矢をむかえにいって帰ってこようとしている場面ですね。
この後月代王がやってきて狭也を攫っていく場面につながります。
そういえば「カガイ」という漢字が変換できなかったのでひらがなになっていますが、ご容赦の程を。

古事記の方では、速総別王が歌を歌って女鳥王を励ましながら逃げますが、とうとう追いつかれ、今の奈良県宇陀郡曽爾村の辺りで殺されてしまいました。
二人の謀反の意思が真実だったのかどうか、真相は闇の中です。
なお、この話には続きがあります。
この追っ手の軍勢の将軍は、殺した女鳥王の腕に巻いていた高価な玉釧たまくしろを奪い、自分の妻に与えました。
後日、妻がその玉釧をつけて宮の集まりに参内します。
その日、磐姫は自ら御綱柏みつながしわ(酒を盛る柏葉)の杯を手にして、各氏族の女たちめいめいにお与えになっていましたが、件の玉釧をつけた女には柏の葉を与えず、すぐに退席させてしまいました。
そして彼女の夫を呼び出して、

「女鳥王は不敬であったから、天皇はこれを退けられた。これは間違ったことではない。けれども、おまえは、自分の主君(※ここで女鳥王を男の主君と呼んでいるのがよく分かりません。皇族なので直接の主でなくても主君と呼ぶのかなと考えてみたのですが、どなたかご存知の方がいらっしゃったらご一報よろしくお願いします)が御手に巻いた玉釧を、死んですぐ肌もまだ温かいうちに剥ぎ取ってきて、すぐに自分の妻に与えるとは!」

といって、直ちに死刑にしてしまいました。
この話を読むと、磐姫は嫉妬だけの皇后ではなかったんだろうかと思いました。
罪があるとはいえ、皇族への態度を厳しく戒めているところは、皇后としての磐姫の矜持を強く感じます。

さて、古事記本文の磐姫の話はこれで大方終了なのですが、今回はいつもよりもちょっと突っ込んだ解釈もみてみたいと思います。
ただ本文読むだけでは正直発表の方が不安でならないわけですよ!(ビビリ)
いろいろ聞かれたときのために、少しでも磐姫についての情報や解釈を仕入れてみようと思います!
磐姫の話、あと1回お付き合い下さいませ~!

磐姫の嫉妬@古事記下巻

イエーイ!ノリノリでやります!
磐姫いわひめの嫉妬」!

実は、磐姫の話を取り上げることになったのには理由があります。
万葉集に磐姫の作といわれる歌が載っているのです。
これは万葉集の中でも最も古い謂れのある歌ということになります。
万葉集の冒頭を飾るのは雄略天皇(5世紀頃の天皇)の歌ですが、磐姫はその前の4世紀頃の人物なのです。
どんな歌が載っているのかは、この話の最後にまとめて書きますね。

まずは古事記を見てみましょう。
そもそも古事記は上・中・下巻の全三巻からなる書物です。
詳しくは前に書きましたが、古事記は

上巻・・・神話の時代(神代の巻)
中巻・・・神と人が交流する時代(英雄時代)
下巻・・・人の時代(人代の巻)


という構成に大きく分かれています。
今までは上巻メインで語ってきましたが、今回はいきなり下巻に収められている話をします!
今までと違って、ぐっと人間味溢れる話が展開しますよ!

磐姫いわひめというのは、古事記下巻の冒頭に書かれている「仁徳天皇」の皇后です。
仁徳天皇は聖帝として大変有名な方です。
その昔(4世紀頃・古墳時代前期)に高い山に登って治めている国を見渡すという、所謂「国見くにみ」を行います。
その際、国中に(飯を炊いたりするための)煙がたっていないのを見て、民が貧しくて苦しんでいると知り、三年間税を免除し、その間は倹約のために宮殿の屋根が雨漏りするのも放っておいたほどだった、という善政を行ったことが有名です。
また、私と同世代の方なら中学時代に「日本で一番大きな古墳」として「仁徳天皇陵」を習った記憶がある方も多いのではないでしょうか。
しかし、今ウィキを見てみたら日本第2位となっていて、ちょっと驚きました。
その後の発掘でもっと大きい古墳が発見されたんでしょうか?

さて、そんな古代史上大変褒め称えられている仁徳天皇の皇后「磐姫」とは、どんな皇后だったのでしょうか。
さっそく本文にいってみましょう!

その大后おほきさきいは売命めのみことは、嫉妬うはなりねたみすること、いと多し。かれ天皇すめらみことの使へるみめ他の妃は、宮のうちを臨むことを得ず宮殿に入れさせなかった(仁徳天皇が他の妃に)言立ことだつれば何か言っただけで、足もあががにジタバタさせて嫉妬うはなりねたみしき。しかくして、天皇すめらみこと、吉備の海部直あまべのあたひむすめ、名はくろ日売ひめ、その容姿かたち端正きらぎらしと聞こしめして、し上げて使ひき。

今回から少し書き方を変えてみました。
本文の中に現代語訳をちょっとだけ混ぜています。
これで少しは意味が取りやすくなっていればいいのですが・・・。

さて、件の磐姫(本文では石之日売)ですが、どうやら大変なヤキモチ焼きの皇后のようです。
他の妃たちを天皇に近づけず、さらに天皇が他の妃たちに声を掛けるだけでも足をジタバタさせて癇癪を起こすというお方です。
中々アグレッシブな行動派の磐姫。
そんな皇后のいる難波の高津宮(仁徳天皇は難波に都を置いて統治した)へ容姿端麗な娘が新に召し上げられることになりました。
さあ大変です!どうなるのでしょうか。

しかれども、その大后おほきさきイハヒメねたむをかしこみて恐れてもとくに故郷の吉備に逃げ下りき。天皇、高きうてな高殿いまして、その黒日売が船の出でて海に浮かべるを望み見はるかして、歌ひてはく、

おきには ぶねつららく連なっている
 黒鞘くろざや<枕詞> まさづ子我妹わぎもいとしいあの子 国へ下らす

かれ、大后、このうたを聞きて、おほきに忿いかりて、人を大浦難波の海つかはし、追ひ下ろして、かちより追ひ去りき陸路を歩いていかせた

す、凄い勢いですね。
まさかここまでとは・・・。
上巻でヤキモチ焼きで有名な姫といえば何といってもスサノヲの娘にして大国主の正妃「スセリヒメ」ですね。
彼女の嫉妬は激しくて、因幡のヤカミヒメはそれを恐れて、産まれた子どもを木の根に挟んで、そのまま故郷の因幡に帰っていったという話がありました。
しかし磐姫はそれを上回る癇癪ぶりです。
ただ追い返すだけではなく、船で帰ろうとしていたところを追いかけて徒歩で帰らせるようにしてしまったとか。
仁徳天皇はこの後も「淡路島が見たい」と言って、こっそり黒日売の後を追ったり、磐姫が祭りの準備のために遠くへ行っている隙に異母妹の田若たのわか郎女いらつめ(八田皇女)と懇ろになったりします。
結局八田若郎女との仲も磐姫にバレて終わってしまうわけですが、まぁ仁徳天皇も懲りないですね。
当時の結婚観念はもちろん一夫多妻なのですが、だからといってそれを誰もが当たり前に納得していたわけではないということでしょうか。

・・・まぁ男女の痴情の縺れと見るのも単純明快でいいのですが、ここは実は「日本の正史上初めて臣下の娘が皇后になった」事例とされています。
それゆえ、当時の磐姫の立場はかなり微妙なものだった可能性があるわけです。(先例がないから)
一方八田皇女はもちろん皇族ですから、これを后(正妃ではないにしても)にするというのは、仁徳天皇にとっても磐姫にとってもかなり大きな意味があったのだろうと思います。
周囲の歴史を重んじる輩の圧力だとか、磐姫の実家の権勢を削ごうとする動きだとか、いろいろ想像すると、何だか仁徳天皇も磐姫もちょっと可哀相になってくるような気がします。・・・まぁ想像ですが。

因みに本文中の歌の訳は、まぁそのままなのであまり必要ないと思いますが、全体の気持ち的には「あーあ、行っちゃった・・・」くらいの意味と思っていただけたらいいと思います。(適当でスミマセン)

さて、こんなに嫉妬深く、また行動派な磐姫ですが、実は万葉集では少し違う顔を見せてくれます。

君が行き 長くなりぬ 山尋ね
 迎へか行かむ 待ちにか待たむ  巻2-85

(訳)あの方のお出ましは随分日数が経ったのにまだお帰りにならない。山を踏み分けてお迎えに行こうか。それともこのままじっと待ちつづけようか。

かくばかり 恋ひつつあらずは 高山の  
 岩根しまきて 死なましものを  巻2-86

(訳)これほどまでにあの方に恋い焦がれてなんかおらずに、いっそのこと、お迎えに出て険しい山の岩を枕にして死んでしまった方がましだ。

ありつつも 君をば待たむ うち靡く
 我が黒髪に 霜の置くまでに  巻2-87

(訳)やはりこのままいつまでもあの方をお待ちすることにしよう。長々と靡くこの黒髪が白髪に変わるまでも。

秋の田の 穂の上に らふ朝霞あさがすみ
 いつへの方に が恋やまむ  巻2-88

(訳)私の田の稲穂の上に立ちこめる朝霧ではないが、いつになったらこの思いは消え去ることか。この霧のように胸のうちはなかなか晴れそうにない。

迷いつつ、結局待つことにしちゃいましたよ!
古事記ではかなり行動派だった磐姫ですが、万葉集ではじっと耐える女のようです。
ただこの歌は後の柿本人麻呂が磐姫に仮託して詠んだ歌だったのではないかともいわれているので、いろいろ定かではない部分もあります。
なお、ここでは古事記主体で語っているので省きましたが、日本書紀には別の記述もされています。
そこでは磐姫は八田皇女の騒動の際に仁徳天皇を許さず、結局別居したままその土地で一生を終えます。
磐姫がなくなった後、仁徳天皇は八田皇女を正妃に迎えますが、やはり女癖は治らず、八田皇女も苦労したようです。
古事記では八田若郎女が身を引いて、磐姫は戻ってくるという話になっています。

で。
勘のよいお方は、私が磐姫について語りますと書いた時に、「じゃあ当然オギワラーとしては外せないあの歌のことも書くよね!」と思われたのではないでしょうか?
もちろん書きますよ!
ただ、磐姫はあまり出てきてくれないので、ダイジェスト版になると思います。
何卒ご容赦の程を・・・。
また、何のこと?と思われた方にはキーワードをご提示させていただきます。
キーワード
「空色勾玉の終盤」
「狭也」
「女鳥王」

更にヒントです!
最近Rieさまの空色創作にでてきてましたよ!

それではまた次回~。

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