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スサノヲとアマテラス・続き

続きです。

2.すれ違い

三姉弟(アマテラス・ツクヨミ・スサノヲ)たちはそれぞれの統治(高天原、夜の食国をすくに、海原)を任されました。
しかし、スサノヲだけが海原の統治を嫌がり毎日毎日泣き喚きます。
その迫力たるや、木々は枯れ、川や海は干上がり、果ては
しき神のこゑ狭蝿さばえの如く皆満みなみち、よろずわざわひことごとおこりきという状態にまでなるのでした。

凄いですね。
スサノヲは泣くだけで木々を枯らし、川や海を干上がらせ、魑魅魍魎まで跋扈させこの世を混沌に陥れます。
本文には書いてないですが、これは葦原中国の状況と思われます。
葦原中国は通常高天原の下位に属する国と解釈されているので、本来はアマテラスの領分なのですが、スサノヲはそれを荒らしてしまうことになるわけです。
このことが、この後のアマテラスのスサノヲに対する不信を生む一つの理由になっているんじゃないかと私は思っています。
しかし、スサノヲはいったいどうしてこんなに凄まじい勢いで泣いているのでしょうか?

伊耶那伎大御神いざなきのおほみかみ速須佐之男命はやすさのをのみことのりたまひしく、
「何のゆゑにか、なむち事依ことよさえし国を治めずして、きいさちる」
とのりたまひき。しかくして、答えてもうししく、
やつかれははの国の堅州国かたすくにまからむおもふがゆゑに、く」
とまをしき。しかくして、伊耶那伎大御神おほきに忿怒いかりて詔はく、
しからば、汝はこの国に住むべくあらず
とのりたまひて、すなはかむやらひにやらひたまひき。

イザナキ「スサノヲはどうして哭いているんだ?(優)」
スサノヲ「ははに会いたいからです(キリッ」
イザナキ「おまえもうここに住むな(怒)


親子喧嘩勃発。
イザナキは貴い子を得て喜んでいたのに、その末子に喧嘩別れした妻イザナミに会いたいと言われて大激怒です。
「神やらひ」というのは追放の意味です。
しかも同じ言葉を二回も重ねているのでかなりの勢いが感じられますね。
余談ですが、古事記は「文字の語り」ではなく「声の語り」であるとよく言われていて、このような言葉のくり返しがよくでてきます。
繰り返すことによって、音として聞いた時にリズムが良く感じられるというわけです。
古事記にはこの「神やらひにやらひ賜ひき」の他に、例の最古のセクハラシーン(違)の「成り成りて、成り合わぬ処」「成り成りて、成り余れる処」や、前回の三貴子誕生シーンの「生み生みて、生み終へに」や、後のアマテラスの天の岩屋戸神話の時に出てくる「神集ひ集ひて」など、たくさんあります。(他にももっとあります)
また、万葉歌や風土記にも同じような表現はたくさんあるので、この時代の一つのお決まりの表現だったのかもしれません。
今よりもずっとずっと声で伝えることが身近で重要だったであろう時代の空気が感じられて、個人的にはとてもワクワクします。

さて、続き。
この後スサノヲは根の国(堅州=片隅の意)に行くのかと思いきや、姉のアマテラスに暇乞いの挨拶をするために高天原に向かいます。
しかしこれが重大な事件を引き起こしてしまうのです。
・・・ここで以下次回!

スサノヲとアマテラス

ウダウダしててもしょうがない!
楽しいことを考えるぞ!

というわけでまた古事記語り始めますよ!

古事記を読んだことがない人でも、この二人の名前くらいは聞いたことがあるはず。

スサノヲアマテラス

この二人の関係は「弟と姉」であったり「国つ神と天つ神」であったり「無秩序と秩序」であったりと様々に論じられておりますが、そもそも古事記にはいったいどのように書かれているのかというところから見てみたいと思います!

1.誕生
2.すれ違い
3.和解と決別


という順番の内容で追っていきます。
因みにこの3つの副題は私が勝手につけてますのであしからずご了承くださいませ。
では1.誕生

(イザナキは妻のイザナミと決別し、黄泉国で汚れた体を清めるために、筑紫の日向でミソギをする。その時さまざまな神が化成し、最後に最も貴い三柱の神を得た)

ここに、左の御目を洗ひし時に成れる神の名は、天照大御神
次に、右の御目を洗ひし時に成れる神の名は、月読つくよみ
次に、御鼻を洗ひし時に成れる神の名は、建速須佐之男たけはやすさのを

俗にいう三貴子(さんきし)の誕生です。
イザナキの左目から「アマテラス」が、右目から「ツクヨミ」が、そして鼻から「スサノヲ」が現れます。(※建速というのは勇猛で勢急という意味です)
・・・スサノヲ鼻からかよ・・・と思う方もいらっしゃるかもしれません。
学者さんの中にもいらっしゃいます。
これについては色々な説があります。
正直私も、どう考えても「左目からアマテラス、太陽神」と「右目からツクヨミ、月神」の方が対象性があってすんなり納得いくと思います。
これに鼻から生まれる子どもとか加わらない方が神話的には綺麗だと。
で、とある学者さんの説は「スサノヲは後から付け加えられた神で、原神話(もとの神話)ではアマテラスとツクヨミだけだった」というのです。
つまり、スサノヲのポジションは元々ツクヨミだったのではないかという論です。
実際、この三柱の神様の中で圧倒的に知名度が低いのは二番目に出てきた「月読命(つくよみのみこと)」ですね。
古事記ではこの後父イザナキに「夜の支配する国を治めてね」と言われて以降は、一切出てきません。
まさに夜の闇のように謎の神です。
この神が本来もっと活躍するはずの神話が昔はあったのかもしれない・・・という人もいます。
真実は分かりませんが・・・。
続きをみてみます。

この時に、伊耶那伎命、大きに歓喜よろこびてのりたまはく、「は子を生み生みて、生み終へに、三柱のうづの子を得たり」とのりたまひて、即ちその御頸珠みくびたまの珠の、もゆらに取りゆらかして、天照大御神に賜ひてのりたまひしく、「汝が命は、高天原を知らせ」事依ことよして賜ひき。(略)次に、月読命に詔ひしく、「汝が命は、夜の食国を知らせ」と事依しき。次に、建速須佐之男命に詔ひしく、「汝が命は、海原を知らせ」と事依しき。

イザナキ
「アマテラスは特別に珠をあげるよ。高天原を治めてね」
「ツクヨミは夜の支配する国を治めてね」
「スサノヲは海原を治めてね」

いわゆる「三貴子分治(さんきしぶんち)」の段です。
アマテラスだけエコ贔屓(笑)で宝(珠=八尺瓊勾玉やさかにのまがたま←後の三種の神器の一つ)を貰っています。
この辺りからもこの後アマテラスが特別な神様となっていく(皇祖神)布石が見て取れますね。

あ、ちょっと脱線します。
私の個人的な好みなんですが、この「夜の食国」という表現が無茶苦茶格好いいと思ってます!
「食す」「おす」と読みます。(旧仮名遣いなら「をす」
「夜の食国」「よるのおすくに」と読むんです。
「食す」とは「統治する」「治める」「支配する」という意味です。
「夜の食国」・・・「夜の支配する国」・・・「夜の食国」・・・格好いいッ・・・!(はいはい)
数年前、島根県で神話関連の行事のポスターに「神の食す国」と書かれていたときもかなりテンション上がりました。
格好いいです!ホントに格好いい!
・・・個人的な好みの話でスミマセン。
なお、この時代の表現では他に「知らす」「見る」「聞こし召す」なども全部同じ意味を含みます。(「見る」は「国見」などで今でも残っている表現ですね)
「食す」も含めて全部「他物」を体の「内部に取り入れる」という意味から「治める」という意味をもつ言葉として使われたのではないかという指摘は「古事記伝」本居宣長が行っています。
本居宣長はご存知江戸時代の国学者であり、近世以降で本格的に古事記を研究した始めの人です。
今の古事記研究の祖ともいうべきお方です。
古事記研究が今の隆盛を迎えられたのは宣長さんの功績によるところが大きいです。(※江戸時代には古事記は読むことが出来ない書物になっていましたが、宣長が訓読と訓注を行って世に広めました)
宣長さんありがとうございました!

ってなところで、一旦区切ります。
また後ほど。

イザナキとイザナミ後日談in黄泉国の続き

前回の続きです。

・「黄泉比良坂(よもつひらさか)」は上り坂?下り坂?
・「黄泉国(よみのくに)」と死後の世界である「根の国(ねのくに)」は出口は同じ「黄泉比良坂」だけれど、それでは二つは同じ国?それとも違う国?

というような話題でした。
前回は「黄泉国」と「根の国」は、私は違う国だと捉えたいということを最後に書いていましたが、その理由から書かせて頂きます。

なぜこの二つの国が違うのかというと、まず一つ目の理由は、イザナキがイザナミに会いに行った状況と、大国主がスサノヲのところへ逃れた状況に、決定的な違いがあると思うからです。
その決定的な違いとは「死後の経過時間」です。
イザナキがイザナミに会いに行ったのは、イザナミの殯(もがり)の最中です。
とは、人(イザナミは神ですが)が死んだ後、一定期間埋葬せずに安置しておく場所もしくはその期間のことをいいます。
なぜすぐに埋葬しないのかというと、殯の最中は生き返ることを願う期間であり、その間の遺体の腐敗などの変化を確認することで死を受け入れる準備をするのです。
つまり、殯が終わって初めて人が死んだということになるのです。
よって、殯の最中のイザナミはまだ確実に死んだということには(形式上は)なっていなかったと捉えることができるのです。
そしてそれはそのままイザナミがいた「黄泉国」は死後の世界ではなく、その一歩手前の世界といえるわけです。
一方後の大国主が兄神たちの迫害を逃れて逃げ込んだ「根の国」にはスサノヲがいました。
古事記では大国主はスサノヲの六世の孫ということになっています。
スサノヲの時代からかなりの時間が経っていることが分かります。
つまり、イザナキとイザナミの最後の逢瀬の時と違って、大国主が生きている時代にはどう考えてもスサノヲは生きていない(死んでいる)はずなのです。
よって、「根の国」とは間違いなく死後の世界です。
・・・スサノヲは神なので六世の孫の時代にも生きていたとしても不思議はないとお考えになる方もいらっしゃるかと思います。
実際スサノヲの姉のアマテラスは生きています。
なのでちょっと無理やりなこじつけ解釈になってしまうかもしれませんが、スサノヲは高天原を追放されているので、その時点で天つ神のような不死の力を失ってしまったと考えたいと思います。
また、古事記にはありませんが、日本書紀にはスサノヲはクシナダヒメとの間に大国主を産み、後に自ら「根の国」へ下ったとも書かれていますが、今回は古事記の神話にしぼって解釈したいので、日本書紀の神話は考えないことにさせてください(^_^;)
で。
つまり何がいいたいかというと。
現世にある「黄泉比良坂」の先にはまず、現と幻想の間の「黄泉国」があり、その更に先が死後の世界である「根の国」となるという解釈が成り立つのではないかと思うのです。
そしてこれが「黄泉比良坂」が上り坂なのか下り坂なのかという議論とつながります。
ここで、イザナキの黄泉国訪問神話の概要を書きます。

イザナキはイザナミの死が受け入れられず、「黄泉国」まで追いすがる

「黄泉国」でイザナキは「まだ国造りは完成していない。一緒にもどろう」とイザナミに語りかける

イザナミは「黄泉国の食べ物食べてしまったので、帰ることが出来ません。しかし、せっかく会いにきてくれたので黄泉国の神に帰れるように相談してきます。その間絶対に私の姿を見てはいけません」

イザナキは暫くイザナミの言いつけを守って待っていたが、イザナミが帰ってくるのがあまりにも遅いので、つい言いつけを破ってイザナミの姿を見てしまう

イザナミの死体はウジが集り、腐敗が始まっていた

あまりの醜さに怖ろしくなってイザナキは逃げ出した

恥ずかしい姿を見られたイザナミは怒ってイザナキへ黄泉醜女(よもつしこめ)や黄泉国の軍隊を差し向け、最後にはイザナミ自身が追いすがる

「黄泉比良坂」を走って逃げ切ったイザナキはその出入り口を大きな岩で塞いでしまう

岩を挟んでイザナミ「愛しいあなた、このような仕打ちをするのであれば、私はあなたの国(=現世)の人を一日千人くびり殺してやりましょう」、対するイザナキ「愛しい妻よ、君がそうするのなら、私は一日千五百人分の産屋を立てよう」

こうして葦原中国では一日千人死んで、千五百人生まれることとなった

という感じなのですが、重要なのはイザナキがイザナミの腐敗した遺体を確認しているということです。
「日本神話の考古学」で森先生が書いておられますが、この部分は「(森先生が黄泉国訪問神話をはじめて読んだ時)もっとも強烈な印象を受けたのは、"神"であるはずの、イザナミの死体の変化の描写の部分であった。この描写は『記・紀』の編者の机上の創作ではなく、実際の経験・体験に裏付けられた記述ではないかと考えた。・・・(中略)・・・(古墳時代後半の6世紀後半は閉じた後も再び入ることを前提とする横穴式石室という墳墓が流行する。この当時)大半の死者は木棺に納められた。しかも、前期古墳のように頑丈な木棺ではなく、今日のミカン箱を立派にした程度の薄板を使っているから、数年で棺が朽ち果て、石室内に入ると内部の遺骸の変化の状況がいやおうなしに目撃されることになる。目撃するだけではなく、白骨化した遺骸を動かすとなると、さらに生々しい観察を体験的に強いられるわけである。イザナミのあの遺骸の変化の描写は、この時期の体験が語られているとみてよかろう。」
殯の場の壮絶な状況が伝わってくるわけですが、この殯の場はつまりは石室内の様子が神話として語られる素地になっているわけで、つまりその場所とは横穴式石室が作られた場所=「山」とイメージされているのではないか考えられるのです。
また、「古事記講義」の中で山田永さんは「ヨミ」の語源は「ヤマ」という説があると書かれています。
そうすると、「黄泉国」≒「山」、「現世」≒「平地」となることからそれを繋ぐ「黄泉比良坂」は「黄泉国」から「現世」に向かって下り坂になっている坂となるわけです。

長々とスミマセンでした(^_^;)
この説は実は主流ではありません。
読んだ本の中ではやはり「黄泉国」=死後の世界=「根の国」であり、「根の国」は地下世界とされることが多いことから「黄泉比良坂」は「黄泉国」から「現世」に向かって上り坂と説明される方が多いです。
因みに上で著書の内容を引用させていただいた森先生は、この論には特に触れておられません。
この説は山田永さんの本にかなり影響を受けています。
しかし山田永さんは国文学の学者さんなので実際の歴史や背景の習俗には基本的には言及なさいません。
つまりこの説は私が自分で読んだ本から、自分に都合の良い部分を抜き取って出した結論というわけです。
そのあたりを何卒あしからずご了承くださいませm(__)m
ここまでお読み下さった方がもしいらっしゃいましたら本当にありがとうございました!
そしてまた長々とつまらない語りをしてしまってスミマセンでした!
どうやったら自分の意見が簡潔に述べられるようになるのやら・・・(-_-;)

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