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「苑上」と「鈴」

初読時から気になっていたことの一つに、阿高の「鈴」呼びがあります。
阿高は本人から直接名乗られているので当然彼女の本名が「苑上」であると知っています。
しかし作中では一度も「苑上」と呼んでいません。
二次創作的には様々な角度から(文学的にも歴史風俗的にも単なるオタク萌心的にも)様々に妄想できるオイシイ命題ではあるわけですが、そんな風に第三者としての視点からの解釈ではなく、肝心の阿高の視点に立った解釈はどうなるのでしょうか。
阿高の中で「苑上」という名はどんな意味があるのか。
実は今回の祭り小話にもそのさわり程度のネタを最後にちょっとだけ覗かせているのですが、それ以外にも水面下で幾つか書いてみようとしてはいます。
しかし全く納得のいくものが出来ない。
自分の中でうまく練り切れていないせいなのですが。
あとそれに付随して、大した疑問でもないですが、藤太や広梨は鈴が「苑上」という名前であったことを知っているのかどうかも若干気になっていたりします。
帝や皇子と違って政治的にはそうそう話題に上ることはないと思われる皇女という存在。
百歩譲って中央に関心が高かった茂里は知っていたとしても、藤太や広梨は寺で田村麻呂少将が教えない限りは知らないのではないかと思うのですがどうでしょう。
本文を読む限り、教えた形跡は無いような気がします。
で、このことを拡大解釈するなら武蔵で「苑上」の名前を知っているのはひょっとして阿高だけということになるかも!?
鈴は武蔵では「苑上」とは名乗らないでしょうし(た、たぶん・・・)、そうなると鈴本人に直接「苑上」と呼びかけることが出来る人物はこの世で最早阿高一人しかいないことになるような気がする!?・・・・・・・ていういことを思いついた時点でかなりブワッと妄想が広がるわけですね。
というわけで、これに関してはもうちょっと練ってみたいと思います。(懲りない)

苑上という人

昨日鈴視点の阿苑夫婦について色々書いていたときに何となく原作が気になったので(自分の妄想が激しすぎる気がして←今更ですよね)、薄紅天女(下)苑上編を頭から読み返してみたのですが、かなり滾りました!(知ってたけども)
普段は竹芝での話を書くにあたって阿高編の前半の竹芝の描写のある部分を主に読み返してにやにやしてるんですが、苑上編は苑上の内面がかなり克明に記されていて、まず始めに初期の苑上がどれほど飢えていたのかを凄く思い知らされます。
小さい頃から活発で、祖母の高野上にも可愛がられて幸せだった頃。
高野上の台詞に

「この子はわたしと同じように、遠くまで行く活力があるよ」

というのがあるのですが、苑上はこの言葉がとても嬉しかったんだろうなと思いました。
自分の活発さを唯一ほめてくれる人。
そんな人から言われた言葉はずっと先まで苑上の自信に繋がっていったのではないでしょうか。
それをふまえてみると、初期の苑上の焦燥感は、この高野上の期待に応えたいと(無意識的に)足掻いているようにも見えてしまってかなり胸が詰まりました。
苑上にとって高野上は唯一の理解者であり、憧れの人でもあり、だからこそこの人に認められることは彼女自身何よりの誇りだった・・・・とかはかなり妄想の域ですが。
そんな高野上や、やはり娘として慕っていたであろう母親が相次いで皇のために命をかけて、そして死んでいったことは、苑上には悲しみ以上に使命感をかき立たせることであったかもしれません。
次は自分が皇のために何かしなければ。というような。
苑上にとって祖母と母の死は、単純な喪失ではなく、誇りと責任を持って成し遂げたその結果という思いもあったのではないかと思います。
だから「どんなに悲しみに目がくらんでも(文庫P234)」「思いを内に籠め(文庫P234)」て泣くこと(=死を悲しむこと=死を否定的に捉えること)はしなかった(=彼女たちの死に誇りを感じた。もしくは誇りを感じることで悲しみを乗り切った)。
しかし、苑上は途中でその誇るべき皇そのものが最も忌むべき怨霊を生み出していたことに気付いて「今までにつちかってきた誇りがみじんに砕け(文庫P164)」てしまう。
それこそ「胃の中のものを全部出してしまう」ほどの衝撃だったわけですね。
これは本当に相当なことだったと思います。
今まで生きてきた土台が崩れ落ち、自分の存在意義さえ曖昧になってしまう。
そうなると気持ちの上では生きているのか死んでいるのかもあやふやになるでしょう。
そして、そんな彼女のどん底の状態に、まるで惹かれたかのように「闇」がやってくる。
この「闇」は、たとえば空色勾玉の稚羽矢が囚われながら夢見ていた「闇」とは全く質が異なるもので、同じく「死」というものを内包していながら「憩う」のではなく「拒絶」や「激しい恐怖」を感じるものであり、「死」を「与える」のではなく「生」を「奪う」ものであり、「神の御業(みわざ)(=自然の摂理)」ではなく「人の業(ごう)(=人為的で淀んでいるもの)」によるもの。
そんな「闇」に一瞬囚われかけるけれど、間一髪で我に返って、そしてまた阿高に救われる。
そうして苑上は気付いてしまった。
怨霊が皇であるなら、阿高はそれに対抗し滅ぼす力を持っている=皇を滅ぼす人物となるということを。
この時点ではまだ皇を滅ぼしかねない「強大な力」に苑上は恐れを抱いている。
しかし苑上はその力を持っている「阿高という人物」が、驚くほどに等身大の青年でしかないと知る。(ex鈴鹿丸を男の子と思い込んでいた等)
「現実離れした力」を持つのが「普通の青年」でしかない阿高というギャップは、徐々に彼女の中で昇華し、別の視点と価値観をもたらすことになる。
そして彼女は新しく決意する。

(わたくしにはまだ、するべきことがある・・・・・・)(文庫P185)

この、この、台詞が、大・変!好きでして!(長すぎる前置き)
一度はメタメタに打ちのめされてしまったのに、それでも負けずに立ち向かっていく強さがとても好きです!
しかもそれが阿高の人間らしさに触れたから(曲解)というのがまたぐっとくる!
彼女はもともと女である自分が誰からも必要とされていないと思い込んでいて、男になることで現実から逃げ出してしまっていたわけですが、結局男のなりをしていても大したことは出来ないと短い旅の中で段々と痛感していく。
そんな中で阿高の人知を超えた力や恐ろしい怨霊に立ち向かうのが、等身大の青年のまま足掻いているという姿に自分を重ねて勇気を貰ったのではないかと思うのです。
そして、藤太に女とばれていたと言われて、ようやく「都合のいい理想の自分(男)」を夢見ることから吹っ切れて、弱い自分を受け入れて「今のままの自分(女)」でやれることを精一杯やろうと思ったのではないかなと!(曲解2)
それを阿高に一番に聞いて欲しかったので、転げまわりながら阿高を探しに行くところに繋がるのです。(私の中では繋がっているのです←勝手に言ってろ)
いいね!いいね!この強さ!直向さ!もうホント堪らなく好きだね!
そしてもう一つ。
苑上は「皇」に対して始めの頃に持っていた「誇り」や「自信」をこの旅を通して家族への「愛着」や「慈しみ」のようなものに変質させていくのではないかと思いました。
「弱さ」を知って受け入れたからこその「強さ」は、単なる理想だけの強さとは比較にならないほどの大きな力でしょう。
自分の弱さを認められたということは、さらに他の人の弱さも受け入れることができるようになる(慈しむということを知った)のではないでしょうか。
苑上が始めの頃頻繁に賀美野に「やさしくできない」と言っていたのは「やさしさ」は「責任」や「自尊心」などに立脚するものではなく、「愛情」や「慈しみ」から自然と生まれてくるものだからで、これ以降伊勢に行ってからの苑上は賀美野のために火の海に飛び込んでいくし、その後も賀美野が寝るまでずっと傍にいて世話を焼きますが、始めの頃のような不満は全く見えなくなります。
「強さ」と「やさしさ」を備えた苑上!なんて素敵!
ここで仲成の始めの予言めいた台詞が活きてきますね。

「やさしさは強さの裏打ちあってのものだということを、皇女さまもこれから知っていかれるでしょう」(文庫P57)

おおおおお!(落ち着け)
再読ってホントこういう事前の仕掛けというか伏線が分かるので初読とはまた違った楽しみがありまくりですよね!
ホント楽しい!凄く楽しい!
阿高編はこれはこれで楽しいのですが、苑上編の楽しさは物語の後半ということもあってまた格別ですな!
好きだ薄紅天女!

・・・暑苦しくて大変スミマセンでした。

阿高と鈴、藤太と千種

またW夫婦の妄想。

鈴は阿高に何でも言います。
して欲しいことも言うし、甘えたくなってもすぐ甘えるし、逆に甘えさせもする。
鈴は、阿高が女の子のことを何も分かってない上に物凄く鈍いので、待ってても何もしてくれないのを分かっています。
しかし、それは冷たいわけでも無関心なわけでもなく単に慣れていないというか純粋というか(裏を見ないというか)素直というかそういうあれなので(あれってなんだ)、本当はとても優しくて、面倒見も良くて、感情(恋愛感情やその他諸々含む)も持っていると知っているのです。
なので、して欲しいといえばやってくれるし、感情を伝えれば阿高もそれに応えるので、鈴は阿高に対してもの凄く素直に何でも言います。
ただ、たまに阿高は鈴の思惑を超えて暴走することがありますが、鈴はそれもきちんと受止める…というか、そういう暴走する感情をも含めて阿高から与えられるものを慈しんでいます(普段鈴が言わなければホントに何もしてくれないので)。
鈴のそういった行動は阿高の色々な心の隙間を埋めていき、その過程で鈴は阿高にとって自分の一部のような人になっていきます。
阿高の中の重要な部分の一部が自分によって埋まることにより、鈴は都で皇女として生きていた時にはもつことの出来なかった「居場所」を得ます。
この居場所というのは実際の場所(空間)ではなく、役目というか存在意義というか生きる意味というかそういったものです。
皇女として生きていた時には父帝も含めてただ「周りから与えられる」ものを諾々として受け入れるだけの存在でしかなかったので、逆に「自分に(与える側の役目を)望まれる」ことは鈴にとってとても大きな意味があります。

一方千種は逆に藤太に素直になれません。
元々一人っ子な上に機織小屋に篭っていたので、身内以外の人との人間関係を作るのが得意ではありません。
千種は自分に与えられていた役割というか期待みたいなものは良く分かっていて、一生懸命応えようとする意志の強い人です。
しかしそれゆえ自分の望みよりも相手の望みを優先して我慢してしまいます。
それは普段の生活においても彼女の中に常にあるもので、必要のないときでも自分の望むことを無意識に押さえ込んでしまう癖を持っています。
要は甘え下手です。
だけどやっぱり藤太が好きなので、普段の色々なものが積もり積もってその重みが限界にくると、勇気を振り絞って藤太に甘えようとします。
藤太は大抵はそれに気付いて適度に甘やかしてくれますが、たまに失敗することもあります。
でも藤太なので失敗してもそれを上回るフォローをしてくれるので、千種はますます藤太から離れられないことになります。


こんなことばっかり考えててホント私は馬鹿だと思うのですが、なんかもう止まりません。

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Re:当サイトは11歳になりました
2021/12/09 20:35 兼倉(管理人)
Re:当サイトは11歳になりました
2021/11/27 12:01 りえ
Re:お返事です!
2021/05/09 13:07 兼倉(管理人)
Re:お返事です!
2021/05/03 11:50 mikayasi
Re:お返事です!
2021/05/03 11:19 兼倉(管理人)