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お返事です・その81

Rieさま

!!!!!!!!
お、お名前を見た瞬間心臓が止まるかと思いました・・・!
まさかウチのサイトにおいで頂ける日がこようとは・・・。
あ、そ、粗茶ですが・・・つ[麦茶]<台風で少しは涼しくなるといいのですが・・・

>古代史、万葉、いろいろ! わたしも大好きです。

知っておりますとも・・・!
それはもうRieさまのブログを隅から隅まで拝見させて頂いて、きっと古事記や古代がとてもお好きなんだろうなぁ・・・と、勝手ながら親近感を持っておりました(ホント一方的でお恥ずかしい・・・)。
「二人の踊り手」を拝読させて頂いて、その縄文的雰囲気に胸が熱くなりました。
縄文時代・・・いいですよね!
アイヌ文化は和人の文化の影響も上手に受け入れて共生している感じでこれはこれでとても好きなのですが、縄文文化はまだその影響がまったくない時代で、自然と人間の境界が希薄なところが物凄く興味をそそられます!
イノシシの「アカイコ」との関わりも、「カミ」-「ヒト」-「自然」が上下関係ではなく円のように隣り合ってお互いに影響を与え合っている近しい関係が感じられてとても素敵だと思いました。
「遠野物語」なんかはこの円の関係の片鱗とうか、残り香みたいな感覚が随所に出てきますよね。
実は私が歴史に興味を持つ最も古いきっかけがこの「遠野物語」でした。
お陰で貧乏大学生だったのに東北に何度出掛けたことか・・・今でもいい思い出ですが^^;
逆にこの境界や上下関係が絶対的な影響力をもっていて、お互いにお互いの領域や上下関係が不可侵で不可変な世界が西洋文化ですね。
こちらはこちらでまたその世界を知るのが楽しかったりもするんですが、やはり日本的なほうに興味の比重が偏ってしまっている最近です。
・・・あと、個人的に「アカイコ」のキャラクターにかなり心臓持っていかれたのですが、今後のアカイコ様のご活躍はいかがなものでございましょうか・・・?
期待しちゃだめですか・・・?

>兼倉さまの考察をじっくり読ませていただこうと思います。

ひっ・・・!
私の戯言はかなりテキトーなことが多いので、Rieさまにはツッコミどころが満載に見えることと思います。
何かいろいろ怖ろしいですが、もし何か間違いなどございましたら教えてやっていただけると大変助かります。
また、おススメの本とか遺跡とかございましたらこちらの情報も是非・・・!

>そして、身に余る紹介のお言葉、ありがとうございました! これからもよろしくお願いします。

いやいや、あれでもまだ全然Rieさまの素晴らしさは伝え切れておりませんとも!
科戸王を語らねばまぁ私の煩悩はいいか。
とにかくとにかく荻原創作をしてくださって本当にありがとうございます!
Rieさまは間違いなく空色ファンの宝です!
他の創作ももちろん大好きですが、科戸空色の更新も心からお待ちしております!
こちらこそどうぞよろしくお願いします!

あ、あとあの、ブログの方のコメントで私の科戸ファンコールが科戸の四連続登場に繋がったとのお返事を拝見いたしまして、もう空が飛べるほど舞い上がりました!
私なんかの科戸コールで科戸の登場率が上がるなら何百回でも叫びます!むしろ逆立ちして腕立て伏せしながら科戸の名前を連呼どんな修行だ(煩悩にまみれた修行・・・)
あ、しかももしかしてウチのサイトにリンクを張っていただけたのでは・・・!?
うわああああ!ありがとうございます!
凄く凄く励みになります!!
あの、ご、ご迷惑でなければウチのサイトからもリンクを張らせて頂いても宜しいでしょうか?
ご覧頂いたとおり薄紅にまみれたサイトですが、ご迷惑でなければ是非!!
次回の更新時に一緒に行わせていただきたいと思いますので、ご不都合などございましたらご遠慮なく仰ってくださいませ。
一応、ブログのトップページを張らせていただく予定です。(目次ページの方がよいでしょうか?)

ちょっとまさかのビップ訪問にうろたえすぎて物凄く動揺した内容のご返信になってしまっててスミマセン・・・。
決してそのような気持ちは無いのですが、もしご不快になられるような記述がございましたら早急に訂正し臥してお詫び申し上げます。
こんなどうしようもない人間が細々とやっているサイトではございますが、もしお暇がございましたらお気軽に構ってやって頂けると飛び上がって喜びますので、何卒よろしくお願い申し上げます。
Rieさまのまたのお越しを心よりお待ちしております!


心楽さま
心楽さま!ようこそお越しくださいました!
お待ちしておりました!!!
どうぞこれを・・・つ[リンゴジュース]<麦茶かリンゴジュースという選択肢しかな現状で誠に申し訳ございません・・・。ウチの冷蔵庫は夏はこの二つが常備されております。(どうでもいい情報)

>今日はさらりと読ませて頂きました。土日にしっかりと拝読したいなと(汗)新たなお話楽しみにしています

うぉう!(何)
さらりでもどろりでもちらりでも、ご覧いただけるのが何よりの喜びです!
相変わらずわけ分からないことばっかり叫びまわってるサイトで申し訳ございません(^q^)
しっかりご覧頂くような内容は何一つございませんので、どうぞお気軽にさらりさらりとお読み流しくださいませ。
一目でもご覧いただけるのが、管理人としては何より嬉しいことなのです。

>短い文章ですがこれにて
>今宵、素敵な夢を


ご反応をいただけるだけで既に夢のような心地ですが、よく考えてみたらしょっちゅう寝言みたいなことばっかり叫びまくってる自分に気付いてちょっと人としてヤバいんじゃ・・・という気持ちになりました。
まぁいっか!(だからいつまでも駄目なんだよ兼倉は・・・)

暖かいコメントを下さってありがとうございました!
またお暇がございましたらお気軽に遊んでやってくださいませ!
心楽さまのまたのお越しを心よりお待ちしております!

オホナムチとスクナヒコナの出会い(前編)

前回の続きです!
万葉集では親しまれていた神様コンビ「オホナムチ」と「スクナヒコナ」は、古事記ではどんな風に書かれているのか!
・・・ここでまず、「オホナムチ」と言ってますが、実は古事記ではスクナヒコナと出会う時はすでにオホナムチは「大国主」になっています。
万葉集では「大汝」と書かれていて、当時の馴染みの名前は大国主よりも「オホナムチ」だったのだろうと思うので、題名の方はあえてこのようにしております。
その旨ご了承下さい。m(__)m

では、さっそく本文を見てみます。

大国主神おほくにぬしのかみ、出雲の御大みほ御前みさきいます時に、波の穂よりあめ羅摩かがみの船に乗りて、かりの皮を内剥うつはぎに剥ぎて衣服ころもとして、り来る神あり。

ある日のこと、大国主(オホナムチ)は出雲の美保の岬で、とても不思議な神様を見つけました。
波の中をガガイモの実(※羅摩かがみはガガイモの古語)を二つに割った舟に乗り、かりの皮を丸ごと剥いで衣にしている神様です。
ガガイモというのは植物で、その実の大きさはいろいろありますが、大体手のひらサイズくらいと思っていただければここでは問題ないと思います。
かなり奇抜な登場をしたこの神様の正体は、もちろん「スクナヒコナ」ですが、このガガイモの舟に乗っている姿は、何かを連想しませんか?

♪お椀の舟に箸のかい~♪

手のひらサイズの可愛らしい姿(たぶん)。
実はこの「スクナヒコナ」は御伽噺「一寸法師」のモデルに成ったともいわれています。
神話をモチーフにして物語を作り出す、逆の視点から見れば、神話が後の物語に影響を与えるというのは、いつの時代でも変わらないのかもしれないですね。

さて、続きを見てみましょう。
この妙な登場をした神様が気になってしょうがない(笑)大国主。
そこでとりあえず本人に名前を聞いてみるのですが、どうしてか答えてくれません。
そこで家来のヒキガエルが進言します。

しかしくて、その名を問えども答えず。(略)しかしくて、たにぐくまをしてはく、

「これは、久延毘古くえびこ必ず知りたらむ

といふに、即ち久延毘古くえびこを召して問ひし時に、答へてまをししく、

「これは神産巣日神かむむすひのかみ御子みこ少名毘古那神すくなびこなのかみぞ」

とまをしき。

久延毘古くえびこきたああああああああ!!!(うるさい)
前にも名前をちらっと出したことがありましたが、天つ神の頭脳派担当が思金おもひかね神なら、国つ神ではこの久延毘古くえびこがそれに当たります!
カカシなので動くことはできないのに、世界中のことを知っているんです!
凄いぞ久延毘古!!
誰も知らないと言っている中で
「久延毘古なら、必ず知っているでしょう」
とか言われているのってかなり格好いいですよ!
もう惚れるしかない・・・!(頭脳派にいつも弱い兼倉)
因みに去年奈良旅行に行ったとき、大神おおみわ神社に参ってきたのですが、その近くにこの「久延毘古」が主祭神になっている「久延彦神社」があって、そこにも当然参ってきましたよ!
知恵の神様ということで、勉強関連の願い事が書いてある絵馬がたくさんありました。
実は私もこっそり書いてしまいました…。
確か「日本古代史もっと頑張りたい」的なことを…。
参拝してから約1年経った現在この状況ですので、少しはご利益があったと思ってもいいのでしょうか?^^;
あ、大神おおみわ神社はこの間「幸魂奇魂」の時に語った「大物主」が奉られている神社ですよ!
「幸魂奇魂」の話は、この大神神社の創建譚にもなっているわけです。

話がだんだんずれてきてますが、本文に戻る前にもう一つだけ。
上であえて「たにぐく」(※ヒキガエルの古語)を太文字にしているのには理由があります。
実は以前荻原先生がブログでご紹介なさっていた"「古事記」トリビア"の、これが元ネタの部分なんです。
オギワラーの皆さんの中にはこの記事を覚えておられる方もいらっしゃるのでは?^^
この記事を拝見させて頂いた当時、すぐにここの日記で語ろうかなぁと思ったのですが、なんとなく行動に移せずに流してしまっていたのでした。
今更だけど、書けてよかった!

さて、やっと正体がわかったところで大国主が次にとった行動は・・・


///////////////////////////
ちょっと時間切れになってしまったので、ここで一旦区切ります。
次の記事で続きを書く予定です。

万葉神話:名コンビ!オホナムチとスクナヒコナ

いきますよ!
万葉人が思い描いた神話時代とは!

昨日も書いたとおり、実は万葉時代に語られていた神話は、今に伝わる古事記や日本書紀の神話とかなり違いがあるようなのです。
その証拠に、万葉集に収められている歌に「イザナキ」「イザナミ」の名前が入った歌は一首も無いのです。
ここで語ったこともあるとおり、この二柱の神は日本を始めに造った神様です。
なのに、当時の人々はこの二柱の神様の名前を歌に詠んでいない。
ではどんな神様の名前を詠んでいるのかというと・・・

大汝おほなむち 少彦名すくなひこなの いましけむ 志都しつ石室いはやは 幾代いくよぬらむ
(巻三・355 生石村主真人)

<訳>大国主命や少彦名命が住んでおいでになったという志都の岩室は、いったいどのくらい年代を経ているのであろうか。


大汝おほなむち 少彦名すくなひこなの 神こそば 名付けそめけめ 名のみを 名児山とひて が恋の 千重ちへ一重ひとへも 慰めなくに
(巻六・963 大伴坂上郎女)

<訳>この名児山の名は、神代の昔、大国主命と少彦名命がはじめて名付けられた由緒深い名だということであるけれども、心がなごむという、名児山という名を背負っているばかりで、私の苦しい恋心の、千のうちの一つさえも慰めてはくれないではないか。


大汝おほなむち 少御神すくなみかみの 作らしし 妹背いもせの山を 見らくしよしも
(巻七・1247 柿本人麻呂歌集)

<訳>その大昔、大国主命と少彦名命の二柱の神がお作りになった、いもの山、ああ、この山を見るのは、何ともいえずすばらしい。


大汝おほなむち 少彦名すくなひこなの 神代より 言ひ継ぎけらく 父母を 見れば貴く・・・(略)
(巻十八・4106 大伴家持)

<訳>大国主命と少彦名命が国土を造り成したもうた遠い神代の時から言い継いできたことは「父母は見ると尊いし、・・・(略)



以上をご覧になってお分かりでしょうか。
なんと、万葉集では

国土を造ったのは「オホナムチ(※後の大国主)」と「スクナヒコナ」ということになっているのです!!

「イザナキ」「イザナミ」じゃないの!?
えーーー!!?

歌によると、この二神はその昔、

一緒に暮らしていたり、
山の名前をつけたり、
山自体を作っちゃったり

してたらしいですよ!
びっくりですよね!
今では、古事記のみならず、絵本や色んな小説でも国土を造ったのは「イザナキ」「イザナミ」ということになっていますし、認知度も「オホナムチ」と「スクナヒコナ」に比べると断然「イザナキ」「イザナミ」の方が上です。
私は神話を勉強し始めるまで「オホナムチ」や「スクナヒコナ」という名前をまったく知りませんでしたし、大国主に別名があるなんて思いもしませんでした。
ところが、上記の歌を見ると、どうやらこの時代は「オホナムチ」や「スクナヒコナ」の方が広く親しまれていたようです。
この二柱の神様は古事記にも、もちろん出てきます。
しかし、古事記では国土を造ったのはご存知の通り「イザナキ」と「イザナミ」です。
それでは、古事記が書かれた当時、神話世界の名コンビとして親しまれていた「オホナムチ」と「スクナヒコナ」は、古事記の内では一体どのように書かれているのでしょうか?

次回は大国主と少彦名の出会いから書きたいと思います!

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