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伊勢阿高:賀美野オチパート2

「ねえさまのそばには、今も阿高がいます。思い出の中の阿高が」

っていう台詞を賀美野に言ってもらいたい。
そんな伊勢阿高妄想が最近ふつふつと。

ここでも何回か言ってますが、ウチの伊勢阿高の方向性としては、阿高が確信を持っていたのは鈴の阿高への恋心ではなく、「離れたくない」とか「そばにいたい」とかいう気持ちということでいきたいわけです。
で、それではその確信を得るに至った過程とかきっかけとかはいったいなんだったのかというのが大事になってくるのですが、いい案が思いつきません。
日々の妄想課題の一つです。(毎日楽しいです)(だろうね)
伊勢阿高的に鈴の最重要台詞は「もどってきて」と「忘れない」という二つに絞って考えたいと思っているんですが、これは両方とも「そばにいたい」という感情が込められている台詞だと思います。
「もどってきて」は「生身の阿高」のそばにいることを欲している台詞。
「忘れない」は「思い出の中の阿高」と共に生きることを選んだ台詞。
阿高にとっては二つは相反する行動となって現れますが、思いは同じところから出てきているものです。
でも阿高は自分ではこのあたりに気付かなそうな気がするわけで。(鈍い阿高)
そこで案の一つとして上記の賀美野の台詞になるわけです。
んんー・・・難しい。
いつか書ける日が来るのか・・・。

※※追記※※
これを書いていてふと「あれ、そういえば?」となって見返してみたらやっぱり間違えていたー!!!!
掲載している伊勢ものの賀美野オチの中で賀美野に「姉上」と呼ばせていた!
間違えた!賀美野は作品中ずっと「ねえさま」って呼んでるのに!
何となく鈴が「兄上」と呼んでいるのでそれにあわせて賀美野に「姉上」と呼ばせてしまいました。
まぁぱっとみ鈴への呼びかけでの呼称だから、実は他の人の前では「姉上」と呼んでいる可能性もありますが、オギワラーとしてはありえない失態ですよ!
うわああああ!多分気付いていらっしゃる方おられましたよね!
うううう恥ずかしいいいいいい!!!
とりあえず、こっそりと直しておきました。

字を主体で創作をする上で一番気をつけているのは登場人物たちの「一人称」「二人称」「三人称」です。
表にするとこんな感じ。
阿高苑上(鈴)藤太千種美郷
阿高おれ鈴、おまえ藤太、おまえ千種美郷姉
苑上(鈴)阿高、あなたわたくし藤太千種さん美郷姉さま
藤太阿高、おまえおれ千種、きみ美姉
千種阿高鈴ちゃん藤太、あなたわたし美郷姉さま
美郷阿高、あなた、あんた鈴ちゃん、あなた藤太、あなた、あんた千種ちゃん、あなたわたし

ただし藤太の千種への二人称は結婚後は「おまえ」になる可能性もあると思っています。
ウチでは「きみ」で通していますが。
あと、色が薄いのはウチ設定です。
うーん・・・今後のために他の登場人物も含めた大き目の表を作っておいたほうがいいだろうか。

あとはこの他にも作中の台詞を引用する時の漢字の使い方ですね。
「もどってきて」はひらがな表記に統一、とか。
その代わり通常の地の文は割りと多めに漢字を使っています。
原作は「言う」は「いう」というひらがな表記になっていますが、このサイト内では漢字表記も多く使っています。
・・・というか、始めは地の文の漢字も統一しようかなぁと思っていたんですが、途中で挫折しました(爆)
ゆえに結構「言う」と「いう」は混じっています。他にも色々。
書いているうちに、原作に忠実になる部分と自分に甘く(笑)する部分とが出てきたという感じです。
今後も色々訂正しつつ模索しながら書いていきたいと思います。
間違いなどございましたらどうかご指摘をよろしくお願いします。(切実にTT)

ありがとうございます!

21時台に拍手を下さった方ありがとうございます!
しかも連続で!ありがたやー!
タイミング的に昨日のエスニックジョークネタでしょうか?
ウチカスタマイズされた内容になっててスミマセンww
でも楽しかったのでまたこういうネタやりたいです!
拍手ありがとうございました!

弥生時代の風景

5月29日に鳥取県の妻木晩田遺跡にいって、考古学講座を聴講してきました!
凄くすごく楽しかったです!

今年度の妻木晩田遺跡考古学講座は年間通じて「むきばんだの景観を考える」を共通テーマに全5回行われるそうです。
「景観=ムラの姿+自然環境」とのご説明でした。
これを聞いて物凄く興奮しましたよ!
なんせ私が一番興味のあることですから!
弥生時代の人々はどんな景色の中で、どんなことをしながら、何を考えて生きていたのか。
もちろん個人個人や弥生時代の中でも時期によって大きく違いがあることですが、大まかに迫ることくらいなら出来るのではないかと常日頃から思っています。

で。
今年度第一回の講座は

「妻木晩田遺跡の植生環境と弥生時代の植物利用」

というタイトルで行われました。
内容は大まかに

1. 過去の植生環境を知るには?
⇒遠い遠い遥かな昔を私たちが垣間見る魔法

2. 弥生人の植物利用
⇒弥生時代の人たちが傍らに置いていたモノ達

3. 妻木晩田遺跡周辺の植生環境
⇒妻木晩田のムラの人たちが愛した風景

夢見がちな副題は私が勝手につけました(笑)
歴史やってくには夢(ロマン)が大事なんですよ!(言い訳という名の照れ隠し)

ではではまず1.から見てみます。
当時は今のようなコンクリートやアスファルトは当然ながらありません。
弥生時代は今よりもずっとずっと自然の近くでそれを利用しながら(=依存しながら)生きていたのです。
よって、弥生時代の風景を知るにはまず、当時生えていた植物を調べることになります。
でも二千年も昔に生えていた植物をどうやって調べるの?
そもそもそんなこと本当に出来るの?
と、思う方もいらっしゃると思います。
結論から言うと、出来ます!
その方法をご紹介。
主に以下のようなプロセスを踏みます。

① 発掘調査
 ⇒土器や木器、建物の部品などの大物を掘り出す
② 地質調査
 ⇒地下数十メートルの深さの土を取り出して花粉や種子
などの微小な物を取り出す
③ 化学分析
 ⇒①②で得られたものを科学的に分析する

な、なるほどねー!
これまで他の講座ではこのあたりで出てきた花粉がどうの使われてた建築部材のスギがどうのみたいな話が突然出てきていましたが、このような段階を踏んで得られたものだったんですね!納得!
講座ではこれらの方法についてそれぞれ細かく説明してくださいましたが、専門的な話なのにとても分かりやすくて(分かったつもりになっているだけなんですが^^;)面白かったです!

では次。
1.の方法で2.の弥生人がどんな植物を利用して生活していたのかが分かりましたのでご紹介。
当時の植物の利用方法としては大きく分けて2種類です。

① 生活資材
 ⇒木器(食器、農具、狩りの道具など)、建築材、土木材、燃料、染料
② 食料
 ⇒自生植物(採集)、栽培植物(農耕)

これも講座ではそれぞれ詳しくこの道具にはこれ、この建築部材にはこれ、みたいなものを詳しくご紹介いただきましたが、いやー、驚くほど豊富な種類がありました!
しかもそれを用途によって細かく使い分けているんですよね。
ちょっとご紹介すると
<建築材>
⇒シイ、クリ、ケヤキ、スギ(堅く重い、湿気に強い)
<農工具>
鋤、鍬⇒カシ(堅く非常に重い)
木包丁⇒ケヤキ(堅く非常に重い)
斧の柄⇒サカキ(堅く緻密)
槌、鎌、匙(さじ)⇒ヤブツバキ(堅く緻密)
高杯、椀⇒クワ(堅く重い、木目が美しい)
曲物の底板、蓋(ふた)⇒ホオノキ(柔らかい)
<武器>
楯(たて)⇒モミ(白色で美しい、適度な堅さ)
弓⇒カヤ(緻密で弾力性がある)



などなど
・・・いやぁ。
覚えられない(爆)
それぞれの道具で使う材料が違うのが凄いです。
重なってるの殆ど無いし。
弥生時代の人々は本当に自然に対して豊富な知識と知恵をもっていて、それを生かしながら生活してたんですね。
この他、木の皮で編んだかごの写真も紹介していただきましたが、かなり高い完成度のカゴでした。
絶対千種レベルで手先の器用な人じゃないと作れないと思います。
凄すぎるぜ弥生時代の人・・・。
当時はカゴつくり名人とかいたのかなぁ・・・。
木包丁つくり名人とか。

※※妄想※※
<パターンA>
男「おい、昨日木包丁作ったけど、作りすぎちまったから欲しいなら一つやるよ」
女「え、本当!?(←不器用)ありがとう!」
男「(照れ)・・・お、おぅ」(←実は片思い)

とか

<パターンB>
女「ね、ねぇ。カゴがうまく作れないの。その・・・だから、また作り方を教えてもらえないかしら」(←実は片思い)
男「またか。まったくおまえはいつまで経っても下手くそだな。・・・ほら、貸してみよろ」(←まんざらでもない)
女「ありがとう!」

とかね!(止まらない妄想)

まぁ私の妄想はどうてもいいとして、妻木晩田遺跡は全体的に広葉樹が多かったようです。
針葉樹はマツが目立つくらい。
実はこれ、現在の妻木晩田遺跡の自然とかなり近いようです。
つまり、あの遺跡の景色は弥生時代の人々が見ていた景色と同じ(かもしれない)わけですよ!
そう考えると遺跡を見る目が変わるではないですか!
今までは復元建築物や四隅突出型墳丘墓なんかの遺構を主に見ていましたが、これからは周りの木々も萌え対象というわけですね!大興奮!イエア!

では最後!3.妻木晩田遺跡周辺の植生環境とは!?
レジメをそのまま転記させていただきます。
<特徴>
居住域外の森林部は、アカガシ亜属、コナラ亜属等の広葉樹を含むアカマツ林(マツ属)。林床部にササ類。
居住域縁辺の林縁には、カラスザンショウ、アカメガシワ等の先駆種。
居住域内は、明るい乾燥した草地で、キク亜科、イネ科、タンポポ亜科、ヨモギ属、ササ類等。

⇒ある程度伐採され二次林化した森、先駆種が生える林縁部、切り開かれた明るい居住区、の3つを推定
⇒激しい体積や浸食など荒地で人為的なとち改変が推定


弥生時代は今とは比べ物にならないくらい森林(木材)に依存して生きていました。
よって、木々は伐採され、森は今よりももっとまばらで、かなり明るくなっていたことが推定されるそうです。
弥生時代は花粉の残りも悪いらしく、明るくなった結果、花粉が紫外線で消滅したのではないかとのことでした。
なるほどー!
講座では<縄文時代><弥生時代><古墳時代~中世><近世~現代>がそれぞれ当時の様子を描いたイラストで説明されていてとても分かりやすかったです!
やっぱり文字で説明されるよりも、目で見るほうがよほど分かりやすいですね!
というわけで、撮影した写真を掲載させていただきます。
写りが極端に悪い上に斜めっててスミマセン(汗)
全部私の席位置と腕の問題です。


<縄文時代>

※噴出し内は「カシ類やコナラなどの木が多い森」と書かれています。
また、この時代の地層からは何千もの落とし穴が見つかっているそうです。
ということは、縄文時代のこの場所は、人間ではなく動物などが多く暮らす深い森だったということなのでしょうか。

<弥生時代>

※噴出し内は「居住域周辺 クリ、コナラ、アカマツなどの林、林床にはササ類」「居住域内 タンポポやヨモギなどの草地」と書かれています。

<古墳時代~中世>

※噴出し内は「コナラやカシ、アカマツなどが生える林」と書かれています。

<近世~現代>

※噴出し内は「アカマツ林、畑などに利用されていた」と書かれています。

やっぱり目に見えるのっていいですねー!
一気に当時の情景に心が飛んでしまいます。
もうホントにホントに楽しかったです!
私の説明は大変下手で分かりにくいかと思いますが、講座自体は凄く分かりやすくて楽しかったんですよ!本当です!
上の内容はかなり省略しています。
実際はもっとたくさんご説明いただきました。
・・・いつも説明が下手でスミマセン・・・。
きっと私のつまらない文章をここまで読んでくださった方はいらっしゃらないと思いますが、もし万が一いらっしゃった場合は本当にありがとうございました&お疲れ様でした!

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