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オマケ・荻原作品と万葉集~「潮もかなひぬ」…

はじめにお返事いたします!

匿名希望さま

うおおお!
いろいろ安心しました!
それに万葉集のムック本をご購入なさったとのこと、もうこれは万葉集かなりお好きですよね!
万葉集好き仲間が増えて心底喜びを感じております!!!うおおおおお!!!
私もムック本いくつか持ってます。
・別冊太陽の「万葉集入門」
・洋泉社MOOK「万葉集を旅する」
・NHKテキスト「100分de名著 万葉集」
世の中もっと万葉集で盛り上がればいいと思っています。割とマジです。
和歌が婉曲的でなよやかなイメージ(=たおやめぶり)なのは平安時代以降の勅選歌集(=皇族・貴族だけが詠んだ歌)でより一層そういう傾向が強くなっていくんですが、それに繋がるのは万葉集の大伴家持の歌風ではないかとよく聞きます。
なよやかな歌を詠む平安時代以降の皇族・貴族の方々も、実はかなり万葉集を勉強している人たちがいるようで、万葉集は時代が下ってからもずっと歌を詠む人たちの中では重要な地位を占め続けていたようです。(もちろん全く読んでない歌人もいらっしゃるでしょうが)
ストレートな情動を歌った力強いイメージ(=ますらおぶり)をより一層強めているのはやはり庶民が詠んだ歌が多数含まれているというところだと思いますが、このあたりも私はもっともっと掘り下げていきたいです。
また、万葉集に収められている歌は「短歌」「長歌」のほかに「旋頭歌(せどうか)」という形式の歌もあります。
五・七・七・五・七・七・・・・と、ずっと「五・七・七」を繰り返していきます。
これは問答形式で初めの人が「五・七・七」と歌ったのを受けて次の人が「五・七・七」と答えたのが元らしです。
「旋頭歌」は「短歌」や「長歌」よりもより古い形式ではないかと言われています。
私が好きな旋頭歌をご紹介してみます。

白珠(しらたま)は 人に知らえず 知らずともよし
知らずとも 我し知れらば 知らずともよし

とある有名なお寺の僧が詠んだ歌です。
意味は「真珠は人に知られることはないが、知らなくてもよい。私が知っているのだから、それで十分なのだ」。
真珠はこの僧自身の比喩です。真珠のように素晴らしい才能のある自分だが世の中の人はそれを知らないけれど、私は自分が優れていることを知っているから別にいいんだ。ということです。
目で読むだけだと明らかに不貞腐れた歌のような気がするのですが、声に出して読んでみると、不思議とこぎみよくさっぱりした響きなんです。
それが気に入っています。
ちなみに、この歌も「し」という音がたくさん入っていてリズムや音を十分に活かして歌われています。
梓弓~の歌にへぇボタンありがとうございます!(会心の笑み)
万葉集の歌は純粋・素朴一直線な歌が多いと見せかけて、歌そのままの意味ではないものもたくさんあります。
でも、その裏を推測してみたとしても、結局やっぱり純朴なイメージが損なわれない不思議な魅力があるように思います。
ますます深みにはまっていってしまう私です。
あ!蟲師お読みになっておられたのですね!おおおおおおお同志!!
蟲師のアニメは原作を本当にそのままアニメにすることにこだわって作られているので、原作ファンにはこれ以上うれしいことはありません。
今後は4月~と10月~の二期に分けて未映像化作品をすべて作る予定とのことなので、本当にこれから楽しみです。
共に蟲師アニメを追いましょうね!

コメントありがとうございました!

りんこさん
>万葉歌もRDGも蟲師も楽しんでいきたいです

どっちも好きすぎて今年は私はもうすでにおかしくなっている気がします。
古事記編纂1300年が終わって少しまったりするかと思いきや、世の中は萌えの提供に余念がないみたいですね!(思い込み)

>RDGの感想を楽しみにしています

すでに知ってはいけないレベルのネタバレを知ってしまっている状況で読むのですが、銀金も似たような状況で十分楽しめたので、安心して読もうと思います。
銀金の時みたいに思い込みの激しい感想を書き散らすかもしれませんがどうかお許しください。

>何してるんだ…は、広島弁(地域限定?)だと
>なんしょん…です、たぶん
>広島を離れてからが長いのであいまいですが
>短くする傾向にありますよね
>広島に限らず話し言葉だとどこもそうかもしれません
>根拠のない勝手なイメージです


「なんしょん」は鳥取東部の「なんしょーる」にかなり近そうですね。
ちなみに私の生まれ故郷の鳥取西部では「なんしとる」となります。
話し言葉は書き言葉と違って凄い速度で変わっていっている気がします。
特に基本的に書き言葉にしない方言はずいぶん廃れていってしまっている気がして少しさみしいです。
私自身鳥取県民以外の前では極力標準語を使おうとしてしまっているので、今後はもっと方言も入れていこうかと思案中です。

コメントありがとうございました!


拍手のみの方もありがとうございます!
誰かが見てくれているのかと思うと俄然やる気が違ってきます!(単純)
一オギワラーとして万葉集を楽しんでいるという主張を全力で行っていく方針ですのでよろしければ今後ともよろしくお願いします!

熟田津(にきたつ)に (ふな)乗りせむと 月待てば (しほ)もかなひぬ、今は()()でな

鳥彦「時が満ちたんだな。おれにもそれがわかるよ。おれたちは今、漕ぎ出すときなんだ」
――熟田津から船出をしようと月の出を待っていると、待ち望んでいたとおり、月も出、潮の流れもちょうどよい具合になった。さあ、今こそ、漕ぎ出そうぞ。(伊藤博)


このお話は柾と奈津女のラブっぷりが凄まじかったですね!
あと稚羽矢が狭也一直線だったのも印象的でした。
ちーさやはやっぱり正義かもしれない。
哀れな科戸よ・・・(余計なお世話)

い、いや、今日はそういう話ではなかったですね!
万葉集の話をするんでした!(危ない危ない)

この歌は飛鳥時代に新羅・唐の連合軍との戦いに際して大和軍の兵士を鼓舞した歌です。
私の時代は教科書では「白村江(はくすきのえ)の戦い」と習いましたが、現在では音読みで「はくそんこうの戦い」と書かれているようですね。
新羅もしらぎではなくしんら、百済もくだらではなくひゃくさい、と今では習うようです。

これは新羅と唐の連合軍に攻められた百済が日本に援軍を要請してきて、それに応えて日本が大軍を率いて朝鮮に出兵するも、大敗を喫して戻ってきた、という戦いでした。
この歌はその白村江の戦いの二年前、朝鮮へまさに出兵しようとして日本国内を移動する旅の途中で詠まれた歌です。
これは時の斉明女帝の代理として額田王が詠んだ歌というのが一般的な説です。

この歌は万葉集中でも群を抜いて凛々しい歌だと思います。
あまりにも凛々しすぎて「これは女が詠める歌じゃない。皇太子の中大兄皇子が詠んだ歌だ」と主張する人もいるくらいです(他に斉明女帝が詠んだとする説もある)。
・・・あ、オギワラーの方々にはいらっしゃらないと思いますが、間違って検索で偶然たどり着いてしまう方もおられるかもしれないので、念のため書いておきます。額田王は王と付きますが女性です。
この当時額田王は皇太子中大兄皇子の弟の大海人皇子の妻として、戦に同行していました。
額田王だけではなく、他のたくさんの女性たちも同行しています。
難波を出発して熟田津(現在の愛媛県のどこか)に停泊し、この歌を詠んで、さらに北九州へ向かいます。
この旅の途中で大海人皇子の別の妻の太田皇女が大伯皇女と大津皇子を産んでいます。

戦だというのにどうしてたくさんの女性を連れて行ったのか、はっきりした理由は定かではありませんが、例えばこの戦がかなりの長期戦になることを見込んで、北九州に一時仮の都をおくくらいの意気込みがあったのではないかとか・・・そんな想像をしてみたりもしています。
真実は果たして・・・。

この歌はいろいろな名歌選で取り上げられることが多い、万葉集中の押しも押されぬ名歌中の名歌の一つです。
折角なので、いろんな方の評価をちょっとだけ載せてみます。

伊藤博さん
(戦いにやぶれた)こととは無縁に、「熟田津」の一首が、永遠のりりしさをもって、万葉に光彩を放つことに変わりはない。


土屋文明さん
万葉の歌といえば古い時代のただ素朴な歌というように考えるものもあるかもしれないが、この歌などで見ると、短歌の形式で到達し得べき点までは到達しつくしているように思われる。


坂口由美子さん
皇太子中大兄皇子、大海人皇子をはじめ、皇女たちも同行したにぎやかな旅で、額田王の歌は一行の高揚した気持ちを代表するように歌い上げている。


久松潜一さん
額田王は斉明天皇とどのように行をともにされたであろうかということが考えられる。
額田王は熟田津から都へ帰られたのであろうか。
これらの点が明らかになるとこの歌の作者もはっきりしてくるかも知れない。


中西進さん
天皇(の代理)らしく、堂々として、緊張感の漲った秀歌であるが、解釈上は、いろいろ疑問点が多い。


犬養孝さん
(この歌で)大事なことは、「月待てば潮もかなひぬ」というところです。このことばは、“月待てば月もかなひぬ 潮待てば潮もかなひぬ”、というのをグーっと圧縮した言葉です。
こう圧縮することによって、弾力ができてきますね。
この張り切った緊張感、緊迫感というもので、ピシッと区切りをつける。
だから次に、上の重さを受けるために、“今は漕ぎ出でな”というように、五・七・五・七・七ではなくて、五・七・五・七・という八音が必要になってくるのです。
(略)
恐らく、この歌が詠まれたのは海岸だと思います。
みんなが武具を整えて、早く月が出ないかと、真っ暗な中で随分待っていたのでしょうね。
そうしたら月が山の端を出て、みんなの武具がキラキラとするようになり、船端では潮の具合は西に行くのにちょうど良くなってきた。
その張り切った気持ちがみごとにでていると思います。


犬養さんだけ異様に長くてすみません。
ぜひ読んでいただきたくて、削るに削れなかったんです。
もちろん他の学者さんたちもとても面白い説を書いておられますのでおススメです。

これにて、「荻原作品と万葉集」の語りを終わります。
また面白い発見があったら追加で報告させていただきますね!
情報提供もお待ちしております!

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