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お返事です!

りんこさん

>歌のオチを知らずにドキドキしながら聞き始めるというのは知らなかった視点でした
>なるほどーと思いました


当時の情景を想像するのが大好きで、この歌に関しては、たまたまハッとしたのでその勢いのままに書いてしまいました。
分かりにくい所などたくさんあったと思いますが、お読みくださって本当にありがとうございます!
ちなみに、初めてこの話をした友達からは
「いや、普通の訳の方がわかりやすい」
と一刀両断でした(笑)

>紫野行き 標野行き
>の主語が「あなた」ではなく、大勢の人が楽しんでいるというのを読んだとき、風景がうわぁっと広がるのを感じました


主語を省略する日本語ならではの大どんでん返しの布石となっていると思っています。
最後まで聞けば、誰が行ったり来たりしていたのかおのずと分かるのですが、初めて聞いていた時は誰も想像していなかったでしょう。
額田王はやっぱり天才だ!
1300年の時を経てりんこさんの中にも風景を広げる彼女の言葉選びの巧みさもすごい!

>たいへん楽しく読ませていただきました

いつも記事を投稿してすぐご反応くださって本当にありがとうございます!
りんこさんのようなお方のおかげでこのサイトは続いています!
心より感謝申し上げます(土下座)
これからも少しずつ生存報告代わりの投稿を続けていけたらと思っておりますので、よろしければ付き合ってやってくださいませ!

コメントと、フォウ!のチェック(笑)ありがとうございました!
5日に一パチ下さった方ありがとうございます!
久しぶりでなかなかテンポと勘を取り戻すのに時間が掛かってしまいましたが、少しでもお楽しみいただけましたら幸いです!

そういえば、今日「ゲド戦記」を四巻まで読み終えました。
残すところ最終五巻と外伝の二冊のみ。
終わりが見えてきて楽しみなような寂しいような。

以下はネタバレ含みますので、これから読む予定の方は読んではいけません。
念のため畳んでおきます。
ゲド戦記簡易感想
一巻(少年ゲド)

カラスノエンドウ(という名前のゲドの親友)のゲドへの友情とオジオンの弟子(ゲド)への親愛の情が本当に素晴らしい!今思い返すとゲドの幼さゆえの無鉄砲ぶりが愛おしくなる

二巻(青年ゲド)

ゲドめ!結局君一目ぼれだったのか!というツッコミを入れてしまった。テナーの聞くゲドの声が大変好意的に書かれていて、侵入者のはずのゲドに最初から惹かれていたのだろうかと思った。最後、敵を倒して終わりじゃなくて、育った環境から出ていくテナーの葛藤の部分がとても丁寧に書かれていてとても良かった

三巻(壮年ゲド。一人称が「わし」に←衝撃)

アレンのゲドへの気持ちの振れ幅がものすごい。あと名言がとても多い。中でもゲドの「人間が探すのは宝物であるべきだ」(他人の粗や自分の敵になる者を探すのではなく)というセリフがとても好き

四巻(初老ゲド。一人称が「わたし」に戻った。テナー再登場に合わせて一人称が若返ったに違いない!ゲドの「わたし」喋り好きなので嬉しい)

まさか原作でこんなにがっつりくっついてくれるとは思わなかったゲドとテナー。てっきり妄想補完しかないものだと思っていろいろ思いを巡らせていたのに!ありがとうございます!ありがとうございます!あとは、ゲドが魔力を失ったことに対する苦悩が描かれているのがとてもリアルで胸が痛かった。結局自分で立ち直ったけれど、その時のセリフが好き。「なぜヤギ飼いのタカが大賢人ゲドのために悲しみ、元気をなくす必要がある?わたしは何か恥しいことをしたか?」(※確かこんな感じ)テルーに関してはいろいろ思うところがあるのだけれど、五巻で活躍するのかな?しかし、テルーとテナーの字面が似すぎてて何回か読み間違えた・・・ぐぬぅ


外伝はゲドが出てこないらしいから、ゲドに会えるのは後一冊・・・ちょっとさみしい気持ちになりながら読み進めていきます。

額田王と大海人皇子の例の歌(補足)

昨日は時間が時間だったこともあり勢いのままに投稿してしまったので、補足記事を。
二人の歌について、それが宴の席の歌であるという説を、学者の先生がどのように説明しておられるかを引用しておきます。
引用は伊藤博著「愚者の賦」より

あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る
紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我れ恋ひめやも


これは、あまりにも有名な歌です。
(中略)
これら二つの歌は「雑歌」の部立を押し立てる『萬葉集』の巻一の中に入っております。
『萬葉集』では、公的な場で歌った歌は「雑歌」に収めるという伝統があります。
歌が恋歌(相聞歌)のかたちをとっていても、公の場で歌い、披露した歌は「雑歌」に収めるという鉄則があるのです。
(中略)
ですから、この歌を文字通りの相聞歌と理解するのは、非常に危険であるということになります。
『萬葉集』では、宴会で相聞的な歌を歌い楽しむ、そしてその楽しみがまた、相手を讃えることにつながっていく、という歌の伝統があるのです。
(中略)
この歌を宴席で歌ったばあい、結句の「君」はだれであってもいい。その座にいる人のなかで、この歌に答える人が出てくれば、その人がこの場での「君」になるのです。
その人が擬制的にこの場の侵入者になるわけです。(※侵入者=野守が見張っている標野への侵入者)
これが当時の宴歌の一つの歌い方なのです。(後略)


以上でこの話題を終了します。
お読みくださった方がおられましたら本当にありがとうございました!

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