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万葉集の読めない歌(前編)

いえーい!
久しぶりに万葉集について語ります!万葉集大好きだー!!!

・・・日向神話も途中だというのに勝手にテンション上がっててスミマセン(^_^;)
この間Rieさまのブログで「磐田市香りの博物館」にて万葉集が特集されているという素晴らしい情報を拝見いたした。
私はちょっと遠いのでハンカチかみ締めながら心の中でエールを送るしかないわけですが、お近くの方はぜひご覧いただきたいです!(そしてよければその感想をぜひ教えてほしいです…!)
さて、その中の企画で先日20日に講演があり、「解読されていない万葉歌がある」という話題が出たと小耳に挟みました。
解読されてない万葉歌とはいったいどんな歌なのか。
僭越ながら、よりにもよって国語(特に古文)が苦手な私がその真相に迫ってみたいと思います!(無茶すんなー)

<解読されていない歌とは何なのか>

・万葉集の基本のキ!万葉集が書かれた時代はまだひらがなが無かったので、万葉歌は全部漢字で書かれています!

これはここで何度か書いたこともありますので、ここを読んでくださる方のほとんどがご存知のことと思います。
でも、それでは実際どんな漢字で書かれているのかを見たことのある方は、意外と少ないのではないでしょうか。
折角なので、超有名歌の原文とその書き下し文を載せてみましょう。

○原文
多麻河泊尓 左良須弖豆久利 佐良左良尓 奈仁曽許能兒乃 己許太可奈之伎

何だこれは・・・!?
大学時代第二外国語は中国語を選択していた私ですが、この漢字の並びにはまったく見覚えがありません。
それもそのはず。
これはほとんどが当て字で書かれているんです。
「よろしく」を「夜露死苦」と書くようなものです。
そうするとこの歌は・・・

○書き下し文
多摩川(たまかは)に さらす手作り さらさらに なにそこの児の ここだ(かな)しき
訳:多摩川に布をさらす…さらさら…さらにさらに、この子が愛しくなるよ

東歌の中でもとりわけ有名なこの歌でした!「愛しい」はスキンシップを想定した愛情表現でしたね!(重要な復習事項)

このように、万葉歌は漢字ばかりで書かれている歌なのです。
他にも「亦還見武」を「また帰り見む」と漢字の意味を酌んだ読みをしてみたり、「月西渡」を「月かたぶきぬ」と意訳調に読んでみたり(ただしこれは最近は「月西渡る」と読むという説もある)と、訓読は多岐にわたっております。
万葉歌は全部で4500首以上ありますが、それら一つ一つを後世の人たちが一生懸命訓読してくださったものが、現在私たちがよく目にする漢字仮名交じりの書き下し文になっている万葉歌なのです。
この話題だけで記事3つは消費しそうなほど非常に興味深い話題なのですが、今回は割愛します。
またいつか語ると思います。

で!
この約1000年の間人々が試行錯誤を繰り広げたにもかかわらず(万葉歌は平安中~後期には普通の人には読めなくなっていた)、未だになんと読むのか分らない歌があるわけで。
いよいよ本題の歌のお目見えです。
その歌とはどんな漢字で書かれているのかというと・・・

○原文
莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣 吾瀬子之 射立為兼 五可新何本

・・・!?(゜д゜;)
初っ端からさっぱり分りません。
どうすんだこれ・・・。
しかしこれ、実は下三句は訳されています。

○書き下し文(未完成)
莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣、我が背子(せこ)が、い立たせりけむ、厳樫(いつかし)(もと)

訓読されている部分だけなら訳は「私の愛しい人がお立ちになったであろう、聖なる樫の木の根元よ」となるでしょうか。
厳樫の「厳」は厳島の「厳」と同じで、「聖なる」とか「神々しい」とかそんな意味合いです。
本当にそういう神々しい木というよりは、言葉の上で寿いでいるのだろうと思います。

さてこの歌なんですが、読めない上二句は、眺めているだけでは到底分らないだろうと思われます。
なので、この歌を読んだ歌人や、どういう状況で詠まれたのかという方を調べてみたいと思います。
まず、これを詠んだのはなんとあの有名な「額田王」です!
ちょっとびっくりしませんか?
額田王といえば万葉集の女流歌人の中でもおそらく最も有名な人物でしょう。
有名な歌がいくつもありますね。
天智天皇の妻ながらその弟の大海皇子から求愛された(ことになっている)歌や、時の天皇斉明女帝の代わりとなって大勢の軍勢を鼓舞する神がかった歌など。
そんな凄い人物の詠んだ歌で、今に至るまで後世の人は誰も読むことができない歌があったのです。
額田王が詠んだ「読めない歌」。
こんないわくつきの歌なら、もっと有名でもいいのでは・・・と思わずにはいられないのですが、残念ながら意外と知られていませんね。
私も万葉集を勉強し始めても暫く知りませんでした。
しかも調べてみたら、この歌が詠まれた背景はものすごく重大な事件と関わっているかもしれないということが分りました。

「有間皇子」

この名前にピンときた方、そうです!あの事件です!


さて、記事が長くなってきたのでここで一旦区切ります。
次回はこの歌が詠まれた背景を書いた後、それを踏まえて学者さんたちが上二句にどのような訓読をしているのかをご紹介します!
お暇がございましたらぜひお付き合いください!

万葉集の一番

今日も万葉サークルに行ってきました!
その中で、万葉集の中で一番好きな歌を決めるのはいいことかも、みたいな話題が出たのでいろいろ考えてみたのですが・・・決められない。(優柔不断)
始めに思いついたのは、ここにも挙げたことのある

ま幸くと いひてしものを 白雲に たち棚引くと 聞けば悲しも(大伴家持)

離れて住んでいた弟の死を知った時に詠んだ歌ですね。
他は

熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな(額田王)

有名すぎるくらい有名ですが、額田王の魂の迸りとか想像すると古代好きの血が滾らずにはいられないわけですよ!
それから

春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つをとめ(大伴家持)

大変個人的な妄想によりこれは外せません。(まぁ、いろいろと・・・ごにょごにょ)

秀歌百選を選び出すのと、たった一首を選び出すのとでは意味が違ってくる気がします。(また何か言い出した)
秀歌百選なら絶対上の額田王の「熟田津に~」と大津皇子の辞世の句が選ばれていなければそれは万葉集ではないと断言したい。(※ただし「カルタ」のための百選だと挽歌は基本的に外されるのでそれの場合は大津が無くても致し方ありません)
たとえ選者の好みで家持が外されようとも納得するが(酷い)、額田王と大津皇子の二首は何があっても外してはならない。
しかしたった一首を選ぶなら、それは秀歌百選に入るような絶対の素晴らしい歌でなくてもいいんじゃないかと思うわけです。
おまwwそんな歌誰が知ってんだwwwみたいな歌でもいいんじゃないかと。
そういうわけで、一首を選ぶなら私は家持から選びたい。
や!家持の歌が素晴らしくないとはいってませんよ!!!
誤解してはいけませんよ!
家持の歌もいろんな方の百選にたくさん選ばれてますしね!!
いや、うん、あれです。
一首を選ぶんなら「秀歌」という理由以上の何かがある歌、もしくは「秀歌」という視点ではない別の視点の一番を、私は選ぶんだろうなぁっていうことですね。
東歌や防人歌もかなり心惹かれているのは事実ですが。
いつかオタク的万葉秀歌選とかやってみたいですね。(百は無理そうですが、二十選くらいなら何とか・・・)
「万葉秀歌選@薄紅天女」とか「万葉秀歌選@家持×大嬢」とか「万葉秀歌選@お笑い系」とか「万葉秀歌選@色々規格外系」とかその他諸々。
楽しそうだなぁ・・・誰かやらないかなぁ・・・(他力本願)
てか「万葉秀歌選@薄紅天女」なら過去に誰かやってそうですよね!
あぁ!もっと薄紅天女隆盛期にハマっていれば良かった・・・!
いや、今からでもまた盛り上がればいいんだ!
みんなもっと薄紅天女にハマれ!
薄紅天女の創作をするんだ!
萌えを・・・萌えを共有させて・・・くだ・・・さ、い・・・(萌え不足のため色々葛藤中)

そんなこんなで今日も一日楽しく生きていました。

つばらつばらに

この間の水曜日にまた万葉サークルに参加してきたのですが、その時からずっと耳に残っているフレーズがありまして。
それが題名にしている「つばらつばらに」です。
単独で「つばらに」とも使います。
初めて聞いた時、単純にとても耳触りのいい音だなぁと思いました。
意味は「しっかりと、じっくりと、つぶさに、折に触れて何度も、丁寧に、つらつらと」などです。
大伴旅人(家持の父)の歌で

浅茅原(あさつばら) つばらつばらに もの思へば 古(ふ)りにし里し 思ほゆるかも

というものがあります。
意味は、「浅茅原のつばらではないが、つばらつばらに(=つらつらと、折に触れて何度も)物思いに耽っていると、今は古びてしまった明日香の里で過ごした若き日のことが懐かしく思われるよ」となります。(兼倉の意訳ですので結構適当ですよ!)
あ、余談ですが関西(京都かな?)のお土産物に「つばらつばら」というどら焼き状のお菓子があって、サークルで頂きましたがとてもおいしかったです!
また、額田王の長歌で

味酒(うまさけ) 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際(ま)に い隠(かく)るまで 道の隈(くま) い積(つも)るまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放( みさ)けむ山を 情(こころ)なく 雲の 隠さふべしや

ずっと慣れ親しんできた明日香やその近くの奈良、その景色をつばらに(=しっかりと、つぶさに)見ていたいのに、心無い雲が隠してしまってもいいのかしら?そんなはずないわ、みたいな意味です。(省略してますが、ちゃんと訳すと枕詞とか反語とか色々凝らしてあって、物凄く技巧的で素晴らしい歌です)

古代史や古代文学に触れていると、確かに現在に通じる精神を感じて萌え萌えすることが多いのですが、実は同じくらい今は無くなってしまった古代特有の言葉とか感性にもかなり萌え滾ったりするわけです。
できれば創作の方にもこういう古代独特のものを取り入れてみたいと思っているのですが、なかなかネタにまで昇華できなくて胸の裡でくすぶっている感じです。
こういうのがうまくいかせる人の文章とか絵とかに出会うと凄く感動します。
伊藤博先生曰く「連衆者的態度(=古典を隣人として見る)」という姿勢が私の理想ではあるのですが、なかなかうまくいきません。
この他にも以前書いた「ま幸(さき)く」もかなり心をつかまれる言葉です。
いつか活かせる日が来るのか・・・。

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