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磐姫の嫉妬(追加)@八田若郎女・その2

さて、前回で磐姫は「実家に帰りたいレベルで怒ってます」的歌を詠んで山城国の韓人・ヌリノミの屋敷にこもってしまいました。
一方仁徳天皇は磐姫が帰ってこないと報告を受けて(ま、まさかバレたんじゃ・・・)と思ったかどうかは分かりませんが、急いで迎えの使者を派遣します。

天皇すめらみこと大后おほきさき山代より上りでましぬときこして、舎人とねり名は鳥山とりやまふ人を使つかはして、うたを送り、りたまひしく、

 山代に い急げ!鳥山とりやま
 いけいけ  愛妻はしづまに いはむかも急いで会うのだ!

またぎて和邇わにのおみくちつかはして歌曰うたひたまひしく、

 もろ奈良県の三輪山の その高城たかき高いところにある狩場なる
 おほはら
 おほが はらにある
 きもかふ 心をだにか肝の向かい側にある心だけでも あひおもはずあらむ

一首目は分かりやすい歌ですね。
とにかく急いで磐姫に会ってくれ!という歌です。
使者の名前が「鳥山」なのも、鳥が山を飛び越すように急いでほしいという気持ちでつけられたと推測できます(@西郷信綱)
しかし、二首目の歌はなかなか難解です。
「口子」という名前は先ほどの「鳥山」同様、口述することを前提につけられた名前と思うのですが・・・
何でいきなり御諸山(三輪山)?
大猪子が原ってどこ?
胆向かふ心(肝の向かい側にある心)??
まったく意味が分からないので、訳を見てみましょう。
ついでに一首目の歌の訳も載せます。

山城で 追いつけ!鳥山よ
追いつけ追いつけ! 我が愛しい妻に
追いついて会ってくれ

御諸山(三輪山)のその高みにある狩場
大猪子が原 獲物の大猪の腹にある肝
(肝が向かいあうその中にある)心だけでも
思い合わずにいられないものか


訳を読んでもいまいち分からないよ\(^o^)/
一応「肝が向かい合うその中にある心」というのは、以前万葉集関連の本で読んだ「万葉のいのち」の中で、それに該当する記述もあったので、それで納得しておこうと思います。
(以前日記にちょっと書いたことがありましたので、興味がある方は参照してみてください。⇒コチラの下の方にあります)
三輪山はこれまでも何度か言及したことはありましたが、大和の人にとっては心のよりどころになるような身近で大事な山です。
また、とても神聖な山で、その山の神様である大物主の伝承もたくさん残っています。
大猪子が原がどこかは分かりませんが、三輪山のどこかにそう名づけられた原っぱでもあったのでしょうか。
猪はヤマトタケル伝承でも山の神の別の姿として登場したりするので、こんな大事な山で狩る猪には、単なる獲物としてだけでなく、何か特別な意味があったかもしれません。
「原」⇒「腹」は語呂合わせ的に導いているとして、そいうい特別な猪の肝はやはりその中でも特に重要で特別なものという気がします。
まあここまで全部私の妄想ですが!!
そういういろいろな要素をたくさん語ってやっと「肝」を導き出しました。
その「肝向かふ」「心」を導く枕詞となっています。
「理由や謂れを長く述べればそれだけ箔がつく」というのは古事記のみならず、現代にも通ずる「モノの価値を高めるための常套手段」でもありますしね。
とりあえず、言いたいことは一番最初か最後にある法則(@国語読解)に照らし合わせて、「お前(磐姫)と心を通わせたいんだよ」というのが結論なんだと思うことにします。
では続き。

歌曰うたひたまひしく、

 つぎねふ 山代女やましろめ
 鍬持ぐわもち 打ちし大根おほね
 じろの しろただむき
 かずけばこそ 知らずともはめ

とうたひたまひき。

これもさっきの二首目と同様、仁徳天皇の磐姫への切実な思いを述べている歌でしょう。
まず訳から載せます。

(花いかだが生える山)山城の女が
木の鍬を持って 畑打ち起こした大根
その根の白さの 白い腕を
交わさずに来たというのなら 知らないと言ってもいいけれど


古代において、女性の肌の白さを表現する比喩には「大根おおね(=ダイコン)」が使われていたようです。
古事記には「淤富泥(おほね)」と出てきますが、古名は「すずしろ」漢字では「清白」となります。
他には「栲綱(タクヅノ)」というクワ科の植物「タク」の繊維で作った綱(ツナ)もその白さが八千矛やちほこ神(大国主の別名)の妻問い歌にでてきます。(ex.栲綱たくづのの 白きただむき
この「タク」で織った布が「タへ」で、持統天皇の「白妙しろたへの 衣ほしたり 天の香具山」でもその白さが印象的に歌われています。
あ、ちなみにこれを読んでて気づいたんですが、この間の伊勢妄想in藤千で、千種の肌の白さを「雪」と藤太に表現させていて、これの出展が何かというと、上で書いている「八千矛神の妻問いの歌」の「沫雪あわゆきの 若やる胸を」からだったんですが(※淡雪とは違うものです)、西郷信綱さんの本に、これは白さを表しているのではなく、若妻の胸の柔らかさを表していると書かれていました。
やっちまった\(^o^)/
しかも「大根という日常の食いものでもって女の腕の白さをほめたところに、この歌の古代歌謡らしさがあるのも疑えない。例えば雪のように白いといったりしたら、それは古代歌謡の世界とは確実に縁のないものとなろうって書かれてました。
・・・・・・!\(^o^)/(絶句)
薄紅の時代の武蔵国がどのくらい古事記の古代歌謡の世界と重なるのか分かりませんが、確実にやっちまった感がぬぐえない発見でした。
今後は気をつけます(号泣)

長くなってしまったので(余計な言い訳があったk)、今回はここまで。
ちょっと動きがない回になってしまいましたね^^;
次回は口子臣の受難とその妹口比売の涙にほだされる磐姫の予定です。
あと2回くらいで終わるかな?
次回もご覧いただけると嬉しいです!よろしくお願いします!

磐姫の嫉妬(追加)@八田若郎女・その1

時間がかかってしまった・・・!
磐姫の嫉妬@八田若郎女です!
若干復習も含めつつはじめます!

磐姫は仁徳天皇の皇后でしたが、大変嫉妬深いと有名なお方でございました。
それは自身が史上初めての皇族以外から立った皇后だったからという理由も大きく関わっていることと思われます。
天皇が他の妃と言葉を交わしただけで「足もあががに」暴れる磐姫の嫉妬物語。

此れよりのち大后おほきさきとよあかり祭り・宴したまはむとて、御綱みつながしは祭りに使う神聖な柏を採りに、きのくに幸行でまししあひだに、天皇八田やたのわか郎女いらつめひたまひき。

皇后が宴の準備のために外出している時、夫は他の女に手を出していた!
コラ!
磐姫がいる時はまともに他の女と会話も出来ない状態なので、仕方ないといえば仕方ないのですが。
磐姫が帰ってきたらどうするつもりだったのでしょうか。
既成事実で押し通すつもりだったとか?
それとも秘密にするつもりだったとか?
まぁ男の浮気は見破られるのが物語の常というものですが・・・。
続きを見ましょう。

ここに大后、御綱みつながしはを御船にてて(いっぱいに積んで)かへでます時、水取司もひとりのつかさ(飲み水を司る役所)使はゆる、吉備国の児島の仕丁よほろ役人おのが国に退まかるに、難波の大渡に、後れたる倉人女側近の女の船に遇ひき。乃ち語りて云ひしく、

天皇おほきみは、此日このごろ八田若郎女にひたまひて、昼夜ひるよる戯遊たはぶれますを、大后おほきさきの事きこさねかも、静かに遊び幸行でます」

といひき。

仕丁
「大君は今、八田若郎女という女に夢中ですよ。そりゃあもう昼夜なくイチャつきまくり!このこと磐姫さまはご存知なんでしょうかね?」
倉人女
「・・・ちょっとあんた、そこ、詳しく教えなさいよ


ソッコーばれたよ!\(^o^)/
アノ嫉妬深くて有名な磐姫さまがおとなしくしてるなんてありえねぇ!とでも思われてたんでしょうか。
少なくとも名もない役人にまで響き渡る皇后の嫉妬深さはかなりのものですね。
御綱みつながしはを御船にててというのも、「これだけあったら十分よね!ほほほほ(上機嫌)」って感じを想像させる表現なので、その後の急展開はよりいっそう際立ちます。
では続き。

しかして其の倉人女くらひとめ、此の語ることを聞きて、すなはち御船に追ひ近づきて、ありさまつぶさに仕丁よほろことの如くまをしき。ここに大后いたく恨み怒りまして、其の御船に載せし御綱柏は、ことごとに海に投げてたまひき。かれ其地そこなづけて御津前みつのさきふ。

磐姫
「御綱柏がたくさん積めたわ。これで宴も成功間違いなしよ。ふふふ♪」
倉人女
「皇后さま大変です、ヤツがまた浮気しました
磐姫

「御綱柏全部海に捨てておしまい(噴火)」

ちょww
やること極端ですよ姫さま(そこが面白いんですが)
個人的な感想ですが、古事記の磐姫の話の中で、この八田若郎女の話が一番痛快だと思います。
本人たちにとってはもちろん笑い事じゃないんですが、この上演を宴会で見ていた人たちはきっと笑い転げていたのでは?と思ってしまいます。
このコミカルな調子はこの後も続きます。
浮気を知った磐姫の次なる行動は・・・

即ち宮に入りさずて、其の御船を引ききて、堀江にさかのぼり、河のまにま山代やましろのぼでましき。此の時歌曰うたひたまひしく、

 つぎねふや 山代やましろがは
 河上かはのぼり のぼれば
 河のに てる
 を の木
 したに  てる
 びろ 椿つばき
 が花の 照りいまし
 の ひろりいますは 大君おほきみろかも

とうたひたまひき。

即ち山代よりめぐりて、やまくちに到りして歌曰うたひたまひしく、

 つぎねふや 山代やましろがは
 宮上みやのぼり のぼれば
 あをにより 奈良ならを過ぎ
 小楯をだて やまとを過ぎ
 くには 葛城かづらき 高宮たかみや
 吾家わぎへのあたり

かく歌ひてかへりて、しま筒木つつきからひと、名はが家に入りしき。

磐姫
「もうあんな浮気者の顔なんて見たくないのよ!」

・・・と言ったかは分かりませんが(笑)、磐姫は難波の高津宮を素通りして山城国に行ってしまいました。
途中の風景を眺めて若干夫を思い出しつつ、「わたしが見たい国はさらにこの先にある、実家の葛城国なのよね」と歌っているところからして、怒りはまったく治まっていないようです。
ちなみにはじめの歌は天皇を褒めているように訳されることが多いのですが、個人的にはの ひろりいますは 大君おほきみろかも」の部分は「手が広い」⇒「いろんな女に手を出す」みたいな意味に取れなくもないのでは・・・と疑っています。
一応歌の全訳を載せておきます。

(花いかだが生える山)山城川を
川を上り わたしが上っていくと
川の岸辺に 生え立つ よ 烏草樹の木
その下に 生い立つ 葉の広い 清らかな椿
その花のように 輝いていらっしゃって
その葉のように ゆたかに大きくおられるのは 大君でいらっしゃることよ

(花いかだが生える山)山城川を
皇居をさしおいて上り 私が遡っていくと
あをの)奈良山を過ぎ
(小楯のような山の)大和を過ぎ
わたしが見たい国は 葛城の高宮の
わたしの家のあたり


今日はここまで!
次回は皇后の暴挙を知って焦った仁徳天皇から入ります!

(後編)木梨之軽王と軽大郎女(禁断の兄妹愛)・その3!本文ファイナル!

これでホントに終わりです!
兄と別れていることに堪えられなくなった妹が、ついに伊予に渡ります。

かれのちまたしのふにへずして、追ひきし時に、歌ひて曰はく、

 君がき 長くなりぬ随分日にちが過ぎた
 造木やまたづ<枕詞> むかへをかむ迎えにいきます
 待つには待たじもう待ちません

この歌・・・どこかで見たような・・・と思ったらこれでした!
君が行き 日け長くなりぬ 山尋ね
 迎へか行かむ 待ちにか待たむ  巻2-85

万葉集に載っている磐姫の歌とそっくりじゃないか!!
どうしてこんなところに!?と思って万葉集の該当箇所を見てみたら・・・
右の一首の歌は、古事記と類聚歌林るいじゅうかりんふところ同じくあらず、歌のぬしもまた異なり。
と出てました。
類聚歌林というのは、万葉集が作られた当時には存在していたと思われる歌集のひとつです。
万葉集はいろいろな歌集からも歌が集められていて、万葉集の磐姫の歌はこの類聚歌林からとられたようです。
それはともかくとして、万葉集を作った人も、ちょっと疑問に思っていたようですね。
万葉集には一応この後、日本書紀の記述を参照していました。
日本書紀では前にちょっと書いたとおり磐姫は浮気した仁徳天皇を許さずに死ぬまで山城から帰ろうとしなかったというオチになってまして、この歌もそのオチにのっとって書かれたものなので古事記には載っていません。
さらに木梨之軽王と軽大郎女の話も日本書紀では、伊予に流されたのは兄ではなく軽大郎女の方ということになってました。
兄はまがりなりにも皇太子なので流すわけにはいかない、というのが理由だったようです。
今更ですが、やっぱり古事記と日本書紀はかなり違いがありますね。
また、万葉集のこの記述が、万葉集の著者は古事記と日本書紀を読んでいたということになるわけで。(後の世の誰かによって追加されたものでないとすればですが)
このあたりも結構気持ちがたぎるポイントだったりします。
ついでにもうひとつ。
造木やまたづは「迎ふ」の枕詞です。
古事記が書かれた奈良時代ではミヤツコギ(国造くにのみやつこみやつこ)といって、ニハトコのことだそうです。(ニハトコはミヤツコが訛ったものと考えられます)
ニハトコはスイカズラ科の落葉低木で、枝葉が向かい合っているので「やまたづ」を、「迎ふ」を導く枕詞に用いたのだそうです。なるほどー!

では続き。
最後まで一気にいきます!

故、追ひいたりし時に、待ちむだきて、歌ひて曰はく、

 こも<枕詞> 泊瀬はつせの山の
 大峰おほをには大きな峰には はた旗を立て
 さ小峰ををには小さい峰には はた
 おほをにし(同じ山の)大小の峰のように 仲定なかさだめたる 思ひづまあはれ
 槻弓つくゆみの やるやりも(病で)臥している時も
 あづさ弓 てりてりも起きている時も
 のちも取り見る後々まで見取りたい 思ひ妻あはれ

又歌ひて曰はく

 こもの  泊瀬はつせかは
 かみつ瀬に くひ清めた杙を打ち
 しもつ瀬に くひ聖なる杙を打ち
 くひには 鏡を
 くひには たま立派な玉を懸け
 真玉なす いもそのような玉のように大事に思う妻
 鏡なす つま 有りと言はばこそよ
 いへにもかめ 国をもしのはめ

如此かく歌ひて、すなはち共にみづから死にき。

(山に囲まれて隠った処の)泊瀬の山
大きな峰に 旗を立て
小さな峰に 旗を立て
(そうしてひとつの山の中に寄り添いあっている)大小の峰のように 仲を思い定めたいとしい妻よ ああ
(槻弓を横に伏せて置くように)臥せている時も
(梓弓を立てかけておくように)起きている時も
行く末をずっと見守りたい いとしい妻よ ああ

(山に囲まれて隠った処の)泊瀬河の
上流には わい清めた杙を打ち立て
下流には 同じ聖なる杙を打ち立て
清めの杙には 鏡を取り掛け
聖なる杙には 玉を取り掛ける
その立派で美しい玉のように 私が大事に思う妻よ
その澄んで明らかな鏡のように 私が大事に思う妻よ
おまえがそこにいると言うからこそ
家に行きもするし 国を偲びもするのに

このように歌って、共に死んでしまった。


うわああああ!
し、死んでしまった・・・!(いや、知ってたけども)
悲恋はやっぱりやり切れませんね・・・。
なまじ大碓と明姫に重ねていただけにちょっとキツイですよ・・・。
あぁぁぁ(ため息)
歌も佳境ということでかなり対比やら美麗字句やらが使われて雰囲気を盛り上げてますね。
これが人々の前で歌い踊って演じられていた場はどんな感じだったんでしょうか。(参加してみたい・・・)(無理だけど)
で。
実はここの歌はかなりいろいろな人が「場面にそぐわない」とか「意味を取りかねる」とかいっていて、訳もかなり無理やり場面に合わせているような印象です。
泊瀬は今の奈良県桜井市初瀬に比定されていて、葬送儀礼の象徴的な場所です。
四国に流された木梨之軽王が奈良の地名を歌うのは、自分たちの死を覚悟した気持ちの現れでしょうか。
ちなみに「木梨」という名前は「無し」、つまり、越えてはならない実の妹との境を越えてしまったという意味でつけられたのではないかという説もあります。(ex西郷信綱)
また、「おほをにし」ですが、「大峰おほを」と「大小おほを」をかけたもので「中」の枕詞とも、大小が並ぶ様子から「仲」の枕詞ともいわれていて、解釈は一定していません。

さて、木梨之軽王と軽大郎女(衣通郎女)の話はこれで終わりです。
次回は前回の磐姫にもどって、飛ばしてしまっていたエピソードをご紹介いたします。
磐姫の話の中では一番痛快なお話になってます。
別名「口子臣の受難編」!(勝手に命名)

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