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荻原作品と万葉集~「空色勾玉」海ゆかば…(概要)

語りの前に私信です。

インフルの某さま

インフルエンザ治りかけですか!
良かったです!
早く全快されますよう祈っております!
拍手をくださった方もありがとうございます!
10連パチもいただいてしまって有頂天です!
単パチの方もありがとうございます!頑張ります!


さて、それでは続きの語りです!
今回はこの歌

海ゆかば 水漬(みづ)(かばね) 山ゆかば 草むす屍
 大君(おほきみ)の ()にこそ死なめ 長閑(のど)には死なじ

家持さんの歌だフォオオオウ!
・・・と、思ったけど念のため続日本紀を見てみたら、・・・あ!
家持さんより先に当時の今上帝たる聖武天皇がこのような歌を大伴氏と佐伯氏に送っておられました。

大伴佐伯の宿禰は常もいふごとく天皇朝守り仕へ奉ること顧みなき人どもにあれば汝たちの祖どもいひ来らく、海行かば水漬(みづ)(かばね)山行かば草むす屍 王の辺にこそ死なめのどには死なじ、といひ来る人どもとなも聞召す、ここをもて遠天皇の御世を始めて今朕が御世に当りても内の兵と心の中のことはなも遣はす(以下略)

大伴・佐伯の宿禰は、常にも言っているように、天皇の朝廷を守りお仕え申し上げることに、己の身を顧みない人たちであって、汝らの祖先が言い伝えてきたことのように、

「海行かば 水漬く屍、山行かば草むす屍、大君の辺にこそ死なめ、のどには死なじ(海に戦えば水につかる屍、山に戦えば草の茂る屍となろうとも大君のおそば近く死のう。ほかにのどかな死をすることはあるまい)」

と言い伝えている人たちであるとお聞きになっている。そこで遠い先祖の天皇の御代から、今の朕の御代においても、天皇をお守りする側近の兵士と思ってお使いになる。(訳:宇治谷孟)


家持さんの歌は、これに応える形で詠まれたものでした。
ちなみにその歌が気になる方はウィキペディアをご参照ください。
かなり長いです。

こうしてみると、この歌は大伴・佐伯両氏にずっと伝わってきていた戦歌のような存在だったようですね。
つまり、誰が初めに詠んだのか分からないというわけです。
また、知っている人は知っているかもしれませんが、万葉集の家持さんの歌を元にして、先の世界大戦中に日本では「海行かば」という軍国歌が作られました。
訳を一度知ってしまえばかなり簡単に意味が通じるのと、何より大変勇壮な歌であることが要因の一部になっているかもしれません。
この歌に限らず万葉集は戦争時代日本人に広く受け入れられ、また利用されていた側面があります。
それゆえ、戦後しばらくは逆に万葉集を忌避する風潮があったとか。
今でも一定以上の年齢の方の中には「万葉集」と聞くと「戦争」を連想する方も少なくはないようです。
私たちはそんな先入観はまったくありませんが、そういう背景も少しは知っておいた方がいいのかもしれないなと思ったのこの機会に書いておきます。

さて、それでは次はこの歌に対する研究者さんたちのご意見を見てみましょう!
次の記事に書きます。

ちなみに、私は明日(日付的にはもう今日ですが)、また伊勢に行ってきます!
仕事が終わってからまっすぐ向かって、翌11日に伊勢神宮に行く予定ですが、今回はいつもと違ってガイドさんを雇いました。
何度も行った伊勢ですが、毎回何となくお参りしていたんです。
でもちょっと真面目に伊勢神宮について勉強したいという欲求が出てきたので、まず手始めに詳しい方に案内してもらうことにしたんです。
かなりの強行軍になりますが、安全運転で行ってきます!

そういえば、空色勾玉の文庫ではこれは「續日本記」と書かれているんですが、正しくは「續日本」ではないかと。記は古事記の記で、日本書紀や續日本紀は紀ですよね。細かいことですが。

【追記】ちなみに福武書店版(一番最初に発表されたハードカバーの空色勾玉)は正しく「紀」と書かれていることを確認しました(2018年8月14日)

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