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【補足】荻原作品と万葉集~「RDG」天地の…その二

始めにお返事いたします!

りんこさん

>「ちょっと変」を楽しんでいます! 
>ああちょっと変な歌なんだな…から先を考えたことなかったので嬉しいです。 


りんこさんのサイトで「ちょっと変」という言葉を拝見したおかげで書くことができた記事です。
RDGでこの歌をみても私は特に変とも思わず、万葉歌が取り上げられていたことに単純に喜んだだけでした。
貴重な情報をまとめてくださって本当にありがとうございます。
おかげでRDGも万葉集もよりいっそう楽しく読むことができます。
このシリーズへもコメントを頂けてこちらこそ本当にとても嬉しいです!
これからもちょっとでも楽しんでいただける記事が書きたいです!
どうぞお付き合いよろしくお願いします!
単パチをくださった方もありがとうございます!
荻原作品も万葉歌も何と親和性の高いことか!(当たり前か)
両方楽しみたい心意気でモリモリ続けていきたいと思います!


さあ、続きです!
前回の記事で、「天地の~」の歌は実は全部で七首ある「玉」をモチーフに詠んだ歌の冒頭の一首で、七首全部読んだらもしかしたら「ちょっと変」(上二句と下三句のギャップ)は解決するかも?と書きました。
本当に解決するのかどうなのか。
とりあえず下記に七首全部とその訳(伊藤博さん)を載せましたので、まずは読んでみてください。

天地(あめつち)の 寄り合ひの(きは)
 玉の()の 絶えじと思ふ (いも)があたり見つ

(いき)()に 思へば苦し
 玉の緒の 絶えて乱れな 知らば知るとも

玉の緒の 絶えたる 恋の乱れなば
 死なまくのみぞ またも逢はずして

玉の緒の くくり寄せつつ
 末つひに 行きは別れず 同じ緒にあらむ

片糸もち ()きたる玉の 緒を(よは)
 乱れやしなむ 人の知るべく

玉の緒の (うつ)(ごころ)
 年月の 行きかはるまで (いも)に逢はずあらむ

玉の緒の (あひだ)も置かず
 ()まく()り 我が思ふ妹は 家遠(いへどほ)くありて

天と地とが寄り合う果てのいついつまでも、玉を貫く緒の絶えることのないように、仲は絶えまいと思っている子、その子の家のあたりを今こそ目にすることができた。

命がけで思っていると苦しくてならぬ。いっそのこと、玉の緒が切れて玉が散るように、悶え死ぬばかりに思い乱れよう。人が知るなら知ろうとも。

玉の緒の切れるように消えてなくなった思い、その思いがまた乱れて動くことがあったなら、もはや死ぬしかない。二度と逢うこともなく。

玉の緒の両端を(くく)って玉を寄せてぴったりくっつける、そのように、しまいには、離れ離れになったりはせず、同じ一つの緒になって繋がる仲になりましょう。

一本()りの糸で貫き通した玉の緒が弱いので切れて乱れるように、われと我が身を支える気持ちが弱いままに私は千々に思い乱れてしまうのではないか。人がはっきり知ってしまうほどに。

玉を貫いた緒の現し心――魂を繋ぎとめている平静の気持ちのままで、年月の移り変わるまでも、あの子に逢わないでいられるものであろうか。

びっしり連なる玉の緒の玉のように、あいだも置かず絶えず逢いたいと私が思っている子は、遠く離れた家に住んでいて……。

(訳:伊藤博)


どうですか?
何か感じることはありましたか?
私は最後の歌を読んで思いました、これ、ループしてる!!って。
いや、誰しもそう思うかどうかは甚だ疑問ではあります。
でも最後の歌を読んで、もう一度最初の歌に戻ったら、何だか繋がっている気がしませんか?
どこが?と思われた場合はスミマセン、私の完全な独断と偏見による意見です。
特に誰かが主張していることではありません。

実はこれらの歌は一人が詠んだのではなく、「玉」に寄せた歌という共通点以外は何もない歌群なんです。
どこの誰なのかはもちろんわかりませんし、性別すらもよく分かりません。
恋人を「妹」と表現している歌は男性が詠んだものでしょうが、四首目や五首目は女性が詠んだ歌ではないかという評価も少なくありません。
つまり、この歌をこの配列にしたのは万葉集を編纂した人物かまたはその人物へこの歌の存在を伝えた人物だと思われるのです。
私は、この歌の配列は意図的だと思うんです。
遠く離れ離れになっている男女双方の視点を利用しつつ、「玉」という共通のモチーフで空間的な距離を気持ちの上で繋げてそれぞれの思う気持ちを強調している(体は遠くに離れているけど同じことを思ってる)・・・みたいな感じを妄想せずにはいられなかった・・・!
家持さんか、別の人かは分かりませんが、この七首をこのように並べた人物のセンスに脱帽です。

いつも以上に自己満足な解釈を垂れ流しているだけの記事で大変申し訳ございません(汗)
私の個人的な意見は脇に置くとして、残り六首もとても素敵な歌だと思うので、ぜひオギワラーの皆様にご紹介したかったというのが一番の狙いでした。

次はいよいよ最後の歌です。
この歌と、あとおまけに勾玉読本のスピンオフの題名に取られているフレーズがある万葉歌にちょっと触れて、最後のまとめにする予定です。

【補足】荻原作品と万葉集~「RDG」天地の…その一

単パチ、三連パチ、五連パチをくださったお方々ありがとうございます!
好きなことばっかり書いてますが、できれば今後もお付き合いいただけるととてもうれしいです!


今日はホワイトデーですね。
各サイトさまやツイッター上ではさぞかし盛り上がっていることと存じます。
素晴らしいことですね。
しかしそんな甘い空気を切り裂いて「荻原作品と万葉集」シリーズの続きを書く硬派なサイトがこの「干し柿の数え歌」です!(ズバーン)

天地(あめつち)の 寄り合ひの(きは)
 玉の()の 絶えじと思ふ (いも)があたり見つ(作者不明)

天と地とが寄り合う果てのいついつまでも、玉を貫く緒の絶えることのないように、仲は絶えまいと思っている子、その子の家のあたりを今こそ目にすることができた。(訳:伊藤博)

問:この歌は万葉集の中のどんな場所にある歌なのか?

前回から間が空いてしまいましたが、どんな話題だったか覚えていただけているでしょうか(弱気)
荻原先生がこの歌をRDGに採用した理由が「好きな歌の中からちょっと変なものを選んだ」だったということで、どう変なのか?ということを前回意味の上から考えられるものを書いたのですが、今回は、さらにいろいろ調べたら、もう一つ「ちょっと変」なところを見つけたのでご紹介します。

そもそも、この歌は万葉集の中で寄物陳思(きぶつちんし)という分類がされているものの中にあります。
寄物陳思とは文字の通り「物に寄せて思いを陳べる」歌です。
これ、すごく面白いんですよ!
何が面白いって、この寄物陳思に載せられている歌、とにかくいろんなものに寄せて恋の思いを詠んでいるんです。
上記の歌は「玉」に寄せた歌ですが、他に「神」「天地」「海」「川」「沼」「岩」「雲」「雨」「霞」「風」「月」「菅」「草」「蚕」など、とにかく多岐にわたります。
もう何を見ても恋する人のことに繋がるんだねっていうツッコミを入れたくなります!
萌的に大変素晴らしい!
ちょっと話が逸れますが、この寄物陳思の中に「隼人の夜声に寄する歌」というのがあるのでご紹介します。

隼人の 名に負ふ夜声 いちしろく わが名は告のりつ 妻と恃ませ

隼人の夜警の声ですよ!覚えておられるでしょうか!?
以前「日向神話こぼれ話~隼人と隼人舞~」という記事を書いたことがありました。
ここの西郷信綱さんの引用の中に

「諸の隼人等、今に至るまで天皇の宮墻(ミカキ)(モト)を離れずして、(ヨヨ)吠ゆる(イヌ)して奉事(ツカヘマツ)る者なり」

という記述があったのでした!
弟の山幸彦との争いに敗れた兄の海幸彦の末裔である隼人は、子々孫々に至るまで山幸彦の末裔である皇族に仕えることを約束した神話(古事記)は、ここでもご紹介したとおりです。
古事記で知ったことが万葉集でも出てくると、ちょっと得した気分になる私(笑)

おっと、ちょっとどころではなくずいぶん逸れてしまいました。
戻します。
「玉」に寄する歌について、もうちょっと詳しく書きます。
この歌のもう一つの「ちょっと変」なところがこの寄物陳思の分類なんです。
寄物陳思の歌は、その寄せたものの種類によって大きく三つに分類されています。
「神祇部」「天地部」「動植物部」です。
「玉」はこの中でどこに含まれると思いますか?
まずはヒントです。
「玉」は今でいう「真珠」のことです。
この時代「真珠」を作っているのはであることは知られていました。
と、いうわけで、「動植物部」(の動物)に属しているのです!
説明を聞けばなるほど、と思いますが、でも「玉(真珠)」動物に分類されているってやっぱり「ちょっと変」という気がします。

というわけで、この歌の「ちょっと変」なポイントを私なりに調べた結果、

1.意味の上で上二句と下三句にギャップがある
2.「玉」が寄物陳思の中の動植物部(の動物)に分類されている


というところではないかと思いました!
荻原先生が意味する「ちょっと変」とは違う可能性もかなりあると思いますので、ぜひ皆様もいろいろ考えてみてくださいませ。
そして思いついたら私にも教えてください!

さて、前回の最後に「この歌はちょっと変だけで終わる歌ではありません」と書きました。
本当はこの記事でそのことについて書くつもりだったのに、上のことを見つけてしまったのでついつい書いてしまいました。
次こそこの歌のちょっと変だけじゃないところを書こうと思います。
この「玉に寄する歌」は全部で七首載せられていて、この歌はその一番初めの歌です。
残りの六首を読むと、1.意味の上で上二句と下三句にギャップがあるもしかしたら解決するかも?
という感じの内容を次の記事で書きます。

荻原作品と万葉集~「RDG」天地の…(概要)

私信<りんこさん
お引越しお祝いコメントありがとうございます!
これからちょっとずつエンジンをかけていきたいと思います!
拍手をくださった方もありがとうございます!これからまた書いていきます!


さてさて、だいぶ間が開いてしまいました。
もはや誰もが忘却の彼方かと思われますが、「荻原作品と万葉集」シリーズ再開します!
今回から「RDG」の内容に入ります。
私、買いましたよ!文庫版最終巻!
来月あたりから読み始める予定です。

天地(あめつち)の 寄り合ひの(きは)
 玉の()の 絶えじと思ふ (いも)があたり見つ(作者不明)

天と地とが寄り合う果てのいついつまでも、玉を貫く緒の絶えることのないように、仲は絶えまいと思っている子、その子の家のあたりを今こそ目にすることができた。(訳:伊藤博)

さあ、この歌が出てきたのは泉水子が一巻の最後に和宮と深行の前で舞った時ですね。
荻原先生がこの歌を選んだ理由は、ぴっころさんりんこさんのサイトで「理由はない」「好きな歌の中からちょっと変なものを選んだ」とのことですが、はてさて、この歌、どう「ちょっと変」なのか?
何となく変なような気もしますが、はっきりここが変と説明できる人は少ないかもしれません。
この歌はあまり有名な歌ではなくて、私の手元の名歌選にもほとんど採用している本がありません。
伊藤博さんの本では

上二句が荘重雄大であるにしては、下三句があっけない。
それだけ思い入れが深くいとしくてならぬ女の住むあたりを目に納めて感動したということか。


と紹介されています。
万葉学者である伊藤さんの「ちょっと変」の説明は「上二句と下三句のギャップ」ということのようです。
ほほう。
しかしこの歌、ただ「ちょっと変」なだけで終わる歌ではありません。(と、私は思っている)
補足にて、この歌が万葉集の中でどんな場所にある歌のなのかを書こうと思います!

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