Entry

ありがとうございます!!!

本日0時台と10時台(2連パチ!)に拍手を下さった方々ありがとうございます!!!
万葉集ネタは少しでもお楽しみいただけましたでしょうか?
万葉集は私としては古事記以上に未開拓な分野なので、今後とも精力的に取り組んでいく所存です!
ぜひお付き合いのほどよろしくお願いします!

そういえば、Rieさまのサイトの小ネタで「アイス的なものを落としたときの反応」はとても楽しかったですね!

アイス的なものが落ちたことを指摘された稚羽矢は「わたしが落としたのではない。なぜかこれが勝手に落ちたのだ」とか言うんじゃないかと思います。
どんなときにも動じない、神クオリティを期待します。

阿高は子どものころからアイス的なものが好きではなかったので藤太にあげていた(ゆえに藤太はアイス的なものを常に二人前食べるのが当たり前になっていた)けれど、鈴と出会ってからは鈴にあげるようになった。
藤太は千種とイチャついてばっかりいるので面白くない阿高。
「もう藤太にはやらないからな」と心に決めて、代わりに鈴にあげてみた。
鈴はアイス的なものには馴染みがなかったので大喜びで食べる。
しかし食べるのが下手なので口の周りや手がべとべとになる。
阿高(なんであいつは藤太と違ってあんなに食べるのがへたくそなんだ)
>アイス的なものを食べたあとの人が、ほっぺたにつけたクリームなんかに興味がある。⇒汚されそうで気が気でない。
このまま周りを汚されるのも嫌だったので、ウェットティッシュで拭き取ってやる保護者的存在と化す阿高。
でも拭き取る力加減が乱暴だったので痛がる鈴。
鈴「阿高は、どうしてそんなに親切じゃないの」
阿高「ひとの食い物をもらっておいて、よくそんなことがいえるな」
鈴「だって、うちの執事はこんなに乱暴に拭いたりしなかった」
阿高「おまえは、子どもと同じ扱いでも恥ずかしくないのか。おれの家だったら十をすぎた子は、一人前に弟や妹の面倒をみるぞ。そしてそのことに誇りを持っている。おまえは、少しもそういう気概がないみたいだな」
鈴「それなら、きのうわたくしを帰り道に一人置き去りにしたのも、だからなの?」
阿高「あれは・・・その話をするんじゃない」
鈴「どうして。あれはあなただったのでしょう?」
阿高「きぐるみのバイトは二度としない。だから、藤太には話すんじゃないぞ」
鈴「どうして藤太にいってはいけないのです」
阿高「遊びにきたがるに決まっているからだ。あいつはいま千種とデートすることしか考えてない。面白そうな場所にはすぐに飛びついてくる」
鈴「きぐるみ姿をみせてあげてはいけないの」
阿高「だれにも見せるものじゃない。おまえはきぐるみを見たことがないから見たうちには入りやしないが、藤太はそうはいかない。女との遊園地デートに慣れすぎている。見つかったら最後、どんな恥ずかしいポーズでいっしょに写真を撮らされるか分ったものじゃない」
阿高の声に恐れがひそんでいることに気づき、苑上は少しずつ、自分がどれほどまれなことをしでかしたのか、のみこめてきた。

私はなにをやってるんだろう・・・。

この話の最後は、鈴が一生懸命阿高のお弁当的なものを作って阿高のバイト先に持っていくんだけど(結局きぐるみのバイトはやめられなかった)、後少しのところで鈴が途中で転んでダメになってしまって(お約束)、泣いてる鈴のほっぺたについているクリーム(なぜか弁当の中にクリームを入れる鈴)を、きぐるみの頭を外した阿高が舐めてあげるという超どんでん返し乙女展開が用意されていると予測しています。

万葉集の読めない歌(後編)

続きの前にお知らせです!
今日25日の新日本風土記は「神話の森 中国山地」がテーマです!

1300年前にまとめられた「古事記」をはじめ様々な神話の中で、多くの神々が活躍した中国山地。この地では、神と共に生きる暮らしが今も続いている。古代と現代とが交差する七つの物語。(公式サイトより引用)

なななななんと面白そうな話題なんだ!!!
これは見逃せません!
私の自宅はテレビが映らないので(地デジ対応しなかったため)、実家に早速録画を依頼しました。
私が見るのは来月以降になりそうですが、皆様はぜひライブでご覧ください!
BSプレミアムにてPM9時から1時間の放送です!

ちなみにこのページで予告動画を見ることができます。
「ここは全土が "ひのき舞台"」
この台詞に心臓が鷲掴みされること間違いなしです。


さて、それでは前回の続きです!

<万葉集の読めない歌が詠まれた背景>

○書き下し文(未完成)
莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣 我が背子(せこ)が い立たせりけむ 厳樫(いつかし)(もと)

この歌が詠まれた背景を調べてみました。
万葉集には、歌自体の他に「題詞」と呼ばれる歌の簡易的な説明が付けられている場合があります。
この歌の題詞はどのような内容かというと

紀伊()温泉()(いでま)す時に、額田王が作る歌

と書かれています。
これは日本書紀で「冬十月庚戌朔甲子 幸紀温泉」と書かれているものです。
書き下し文で書くと「冬十月(かむなづき)庚戌(かのえいぬ)(ついたち)甲子(きのえねのひ)に、紀の温泉()(いでま)す。」となります。
つまり「冬十月十五日、紀の湯に行幸された」ときに、この歌は詠まれたのではないかと思われるわけです。
以下、伊藤博さんの「萬葉集釋注一」のP.74から引用します。

題詞にいう、斉明女帝の紀伊の湯行幸は、斉明四年(658年)十月十五日から翌五年一月三日までの長い旅であった。
その間、十一月三~十一日に有間皇子の謀反事件があった。
留守官蘇我赤兄(あかえ)の手の者によって捕らえられて、紀伊の湯に連行された有間皇子は、中大兄皇子の訊問をうけてからの大和への帰途、紀伊の国の藤白坂で絞殺された。
齢十九。
この歌の上二句に定訓を得ないそもそもの原因は、ひょっとしたら、この事件に関係があるのではなかろうか。


ご存じない方のために「有間皇子」について簡単にご説明いたします。
ご存知の方は飛ばしてください。
「有間皇子」とは

有間皇子は、先代の大王「孝徳天皇」の息子です。
孝徳天皇は斉明天皇の同母の弟です。
つまり、有間皇子は先帝の息子で当時の天皇の甥でもあり、中大兄皇子の従兄弟でもある人物というわけです。
このあたりはかなり入り組んでいて非常にややこしい人間関係や思惑が渦巻いているわけですが、簡単に説明すると、中大兄皇子は自分が大王になるために邪魔になりそうな有間皇子をなんとか排除しようと画策していました。(※有間皇子の父であり先代の大王「孝徳天皇」は中大兄皇子と激しい対立関係にありましたが、このときにはすでに亡くなっています)
それを知っていた有間皇子は狂人を装ってその画策から何とか逃れていたのです。
しかし、斉明女帝が紀の湯行幸で中大兄皇子らがそれに付き従って都を留守にしているとき、留守を預かっていた蘇我赤兄が有間皇子に「天皇の政には三つの過ちがある」と天皇批判を語りました。
有間皇子はこれで蘇我赤兄は自分に好意を持ってこれを語ったのだと喜んで信じ「私の人生で初めて兵を用いる時が来た」と言いました。
しかし、これは罠だったのです。
蘇我赤兄はこの発言を以って有間皇子を「謀反の心あり」として捕らえ、紀伊に連行しました。
紀伊に向かう道中に有間皇子が詠んだとされる歌が万葉集に二首残されています。(※後年別の人物が有間皇子に仮託して詠んだ歌という説も有力)
・磐白の 浜松が枝を 引き結び ま幸くあらば また帰り見む
(磐白の浜の松の枝を結んで、幸いにも無事に帰ってくることができたらまた見られるだろう)
・家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る
(家にいたならば立派な器物に盛ってお供えする飯なのに、その飯を、今旅の身である私は椎の葉に盛る)
※どちらも旅の無事を祈る神事(松の枝を結ぶ・椎の葉に飯を盛ってお供えする)を表していると伊藤博さんは書いておられました。
こうして紀伊の湯に連れて行かれた有間皇子は中大兄皇子に訊問されます。
このときの台詞はあまりにも有名ですね。
有間皇子は中大兄皇子に何を聞かれても答えず、ただ一言
「天と赤兄と知る。吾れ(もは)()らず」
とのみ語ったと日本書紀には記されています。
有間皇子はここでいったん都に帰されることになりますが、その道中の藤白坂で中大兄皇子が放った刺客に襲われて殺されてしまいました。
その時わずか数えの19歳(満年齢なら18歳)の若さでした。
では、ここで再び伊藤博さんの「萬葉集釋注一」を引用します。

歌が有間皇子事件のあった折のものである以上、第三句の「我が背子」には、当の有間皇子を擬する道がありそうである。
有間皇子は、斉明女帝にとって同母弟孝徳天皇の子である。
古代では同母のきょうだいは、生母のもとで仲良く育てられる。
だから、異母きょうだいの結婚は認められるけれども、同母きょうだいの結婚は固く禁じられた。
そして、同母きょうだいの結束が、現代人の想像を絶して緊密であったことを示す資料は多い。
とりあえずは、天武天皇の子、大伯皇女と大津皇子を思うだけで充分であろう。
有間皇子は、斉明女帝にとってその同母弟の子である。
時の実権をにぎる中大兄皇子にとって、孝徳天皇やその子有間皇子がどういう存在であろうと、斉明女帝の心には、別途の、言い知れぬ感慨が秘められていたであろう。
そこで、この歌を、斉明女帝側近の御言持(みことも)ち歌人である額田王が、その女帝の心底を察し、女帝になりかわって詠んだ歌と見てはどうか。
そう推測すれば、この歌の「我が背子」は、斉明女帝の、弟や甥に対する複雑微妙な心情をこめた言葉として浮上する。
そして、結句にいう「厳橿」は、紀伊の湯から藤白坂に至る、有間皇子がたどった大和への道筋にあった霊木で、歌そのものは、斉明五年正月の還幸時にその霊木を見つつ詠まれたと推測できることになる。
「厳橿」に寄り立って、その霊力の感染を願い身の安全を祈ったけれども、かいなく終わった薄幸の皇子に思いを寄せることは、旅の歌の常として、同時に、通過する地の荒魂を慰撫してみずからの無事なる還幸を祈ることにもつながったと思われる。
まして、斉明女帝は、八番の熟田津の歌の左注が引く「類聚歌林」にいうように、また、七番の宇治の歌の深い回想の思いが示すように、過ぎ去った者への愛情を格別に強くいだく(さが)の持ち主であった。
伝来途上で入りまがう面もあったかもしれないが、一首の上二句は、本来斉明女帝とその側近たち数名にしかわからない謎の表記だったのではあるまいか。
以上の空想を前提に、旅の歌における「見る」ことの伝統を思いつつ、あえていうなら、古来の諸訓の中では、『万葉集注釈』の一案、

「静まりし 浦波見さけ」(静まった浦波をはるか遠くに見やって)

の訓に、最も心ひかれる。
歌人斉藤茂吉は、『万葉秀歌』の中で、「私は、下半の『吾が背子がい立たせりけむ厳橿が本』に執着があるので、この歌を選ん」だと書いている。
たしかに、この下三句は、どこかしら荘重で、神秘で、強く人を魅了する味わいがある。
これが尋常な背景を持つ歌でないことだけはたしかであろう。


かなり長い引用になってしまいましたが、いかがでしたでしょうか。
この伊藤博さんの説の通りに考えると、この歌は以下のようになります。

○書き下し文
静まりし 浦波見さけ 我が背子(せこ)が い立たせりけむ 厳樫(いつかし)(もと)

訳:静まった浦波をはるか遠くに見やって私の愛しい甥がお立ちになったであろう、この聖なる橿の木の根元よ。

たった19歳でこの世を去った甥がどんな気持ちでこの浦波を見晴るかしたのか。
聖なる橿の木は斉明女帝に教えてくれたでしょうか。

ここで上げている訓読は、実は「莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣」をそのまま読んだものではありません。
伝来途上に書き間違いがあったと仮定して「莫囂圓隣之大相七見謁爪氣」と書き換えています。
これで
シズマリシ  ウラナミミサケ
莫囂圓隣之 大相七見謁爪
となるそうです。
この訓読を行ったのは「澤瀉久孝」さんです。
伊藤博さんの恩師に当たる方です。
伊藤博さんは「愚者の賦」の中で澤瀉久孝さんを「六十年にわたる研究生活を"訓詁一筋"を以て生き抜かれた」と回想しておられました。
文字に対して誰よりも真摯に取り組む姿勢を持った方であり、だからこそこの書き換えは自分の都合に寄り安易に書き換えたのではないと信じられます。
また、この他「莫囂圓隣之 大相七」で「シズマリシ ウラナミサワケ」という訓も与えていらっしゃるそうです。
これだと訳はどうなるんでしょうか。
「静まっている浦波よ、音を立てて騒げ」とでもなるのでしょうか?(間違ってたらすみません・・・情報・訂正お待ちしております!)
後は他にも訓読しているものがあります。
鎌倉時代に書かれた万葉集の注釈書「仙覚抄」では「ユフツキノ アフギテトヒシ」と訓読されているそうです。
澤瀉さんと全然違うじゃないか・・・(唖然)
これは漢字仮名混じりだとどう書くんでしょうか。
素直に「夕月の 仰ぎて問ひし」と書くと、では訳は・・・「夕月をふり仰いで訪れた、きっと私の愛しい甥がお立ちになったであろう、この聖なる橿の木の根元」という感じでしょうか?
細かい助詞やら助動詞やらの知識に著しく自信が持てませんが、手元の辞書やら参考書やらをフル活用してみました。

いかがでしたでしょうか。
万葉集の未だ読むことができない歌を伊藤博さんの説を手がかりに迫ってみました。
手がかりというか、ほぼ引用ばっかりですが・・・!(スミマセン!)
万葉集に関しては古事記ほどは資料が手元に揃えられていないところもあり、かなり偏った内容になってしまいましたが、まだまだこれからもっとたくさん勉強したいと思っておりますので、今後ともぜひお付き合いよろしくお願いします!

お返事です・その228&たくさんありがとうございます!

万葉集の記事にご反応頂けてすごく嬉しいです!
万葉集人気がありますね!
もしかして万葉集の時代が来ているのか!?
もっと盛り上がってもいいのよ!?(何キャラ)

小梅さま

ようこそお越しくださいました小梅さま!!
お待ちしておりました!!10連パチ×2もいただけるとは!光栄の極みです!!うおおおお!!!!
あ、粗茶ですが・・・つ[麦茶]<最近は少し涼しい気候になっている因幡です。こんな日が続けばいいのに・・・(無理)

>そうなんです! Rieさまに、お会いしたんです!

羨ましいです!
私もその場にいたかった!(無理)

>兼倉さまのサイトにリンクがなければ、ただ会場で言葉をかわしただけの、偶然居合わせた母娘で終わっていたのです。
>兼倉さまに繋いでいただいたご縁です。娘さんのもっていらした、ち○あなごと因幡の兎ちゃんと、声をかけるきっかけになったコロッケ人形にも感謝です。


お二人を繋ぐことができるとは!
素晴らしき愛のキューピッド!大変光栄なことです!
でも繋ぐだけではなく私もその中に一緒に入りたかった・・・!
>ち○あなご
伏ww字ww
大変絶妙な表現で顔がニヤけました(怪)
因幡の兎はジャ○コで捕獲しました!
コロッケ人形とやらは私も見てみたいです。
一体何者なのか・・・。

>私は、もうしばらく長い間、国語(古文)が専門だとのたまわっていましたが、万葉集は中学生レベルのド素人です。
>恥ずかしいので、これからは「趣味、古文。紫式部愛好家」くらいにしておきます。
>あぁ、学生時代にもっと真面目に古文全般学んでおけばよかったです…。


Rieさまのところで、小梅さまは娘さんに古典の英才教育を施しておられるとの情報を拝見いたしました。
なんて素敵な母上でしょうか!
私にもそんな教育を施してくれる母が欲しかったです!
そうすれば少なくとも高校受験で国語だけが10点台とかそんな悲惨なことにはならなかったはずなのに!(しかしなぜか志望校には合格してしまったのが今でも不思議です。ミラクルな採点ミスのおかげではないかといまだに疑っています)
私はド素人どころか落ちこぼれレベルですが、得意か不得意かは好きか嫌いかにはあまり影響が無いみたいです!(私が鈍いだけか)
現在学生時代の国語便覧や歴史の資料集を引っ張り出していろんな場面で活用しています。
確実に学生時代より活用しています。
学生の頃ならそばに先生がいてすぐに分からないことが質問できたのに・・・と思わなくもないですが、好きになった時が私が勉強するのに適した時だったんだと割り切って、できる限りを尽くして楽しみたいと思います!
どうか一緒に楽しんでやってください!
>「趣味、古文。紫式部愛好家」
なんて素敵なご趣味でしょう!
こんなお嬢さんと出会ったら私なら一発で惚れます!

>万葉集について、兼倉さまのところで勉強させていただきます。

大して学問的なことはできませんが、何かのきっかけをつかんでいただけたら最高です!
ぜひお気軽にツッコミを入れてやってください!

>待ってました 万葉集!
>どうしましょう、ノートを用意しなければ。
>古語辞典とポストイットはどこだったかしら…


ノート!
そういえば私はプリントをファイルするものは持っていましたが、ノートは持っていませんでした!
今更ですが、ノートを用意してみようか・・・。
ポストイットとは付箋の業者ですか?
そういえばRieさまは出雲古代歴史博物館で図録をご購入された翌日には物凄い量の付箋を付けていらっしゃってびっくりしたものでした。
付箋はやはり調べ物をするには重要なアイテムですね!

>楽しい!!
>やっぱり、私は古文にどっぷり浸かる時間が大好きです。
>万葉集は中毒になりますね。危険な香りがプンプンします。


私もこの時間が大好きです!
気が合いますね。(馴れ馴れしい)
万葉集はやればやるほどドツボにはまる大変危険な分野だと思います。
歴史文学の分野にハマると本や旅行の金銭感覚がマヒしていきます。
本当に危険です。(体験談)

>続きを待ってます!

ありがとうございます!
続きも全力で語ります!
どうぞよろしくお願いします!!

コメントありがとうございました!!
小梅さまのまたのお越しを心よりお待ちしております!!
琴さま
ようこそお越しくださいました琴さま!!
お待ちしておりました!!
粗茶ですが・・・つ[麦茶]<暑いと思ったら忘れたころに涼しくなります。体調管理を気を付けたいと思います。

>13連パチ・・・。
>すみません!!わたくし、拍手のシステムをよくわかっていなかったため、13連パチになってしまいました・・・。


そうだったのですね!
実は私も拍手のシステムがイマイチ分っていません(^_^;)
とりあえず自分で把握できている設定は「連続拍手は10回まで」というのと「上限になったら次回は1分以降」というのだけです。
このCGIは配布元を見てみるといろいろ高機能らしいのですが、使う人間が低レベルなので宝の持ち腐れ状態です。
いつか暇ができたらいろいろ調べてみたいと思っています。

>気分的には50連パチでも100連パチでもしたいところなんですが・・・。
>なんかもうお恥ずかしいです・・・。以後気をつけます!!


うおおお!!!
光栄です!
今後も気をつけずに是非パチパチお願いします!(コラ)

>「近いと逆に足が遠のいてしまう」というのはよくわかります!意外とそんなものなんですよね。
>私も恥ずかしながら、上野国の一之宮である貫前神社に参拝したことがありません・・・。
>近いうちに必ず参拝に行きたいと思います!!


「上野国の一之宮である貫前神社」!!!
行ったことありますよ!

ファイル 870-1.jpg

ファイル 870-2.jpg

一昨年の10月下旬です。
このサイトを開設する直前に東北および関東旅行に行ってきました。
とても貫禄のあるステキな神社でした!
物凄い坂の上にあったので、歩きではちょっとキツかったのですが(日ごろの運動不足を痛感するにはうってつけでした・苦)、その分見晴らしの良さには感動しました。
神社自体は坂の上から少し掘り込んだようになった場所にあり、階段を降りながらまるで神社に吸い込まれていくような気持ちを堪能していた記憶があります。
この旅行の最後に訪れた場所で、ここを離れたらもう夢のような時間は終わってしまうんだと思ったらとても離れがたくなってしまい、結局2時間くらいウロウロしてしまいました。(明らかに怪しい人)
ようやく鳥居を離れる決心をしたときも、心の中で(必ずまた来ます)と強く念じていたのを昨日のことのように覚えています(笑)
とてもおススメの神社さんです!(と鳥取県民の私が群馬県の方にいうのもどうかと思いますが・笑)
ちなみにご存知かもしれませんが、ここで祭られている神様は「経津主(ふつぬし)神」という神様で、古事記の出雲国譲り神話に登場する神様です!
タケミカヅチと共に大国主に国を譲るように伝えにきた神様で、出雲国風土記にも逸話が残っています。

>それにしても兼倉さまの壮大な夢は素晴らしい!!
>応援しております!!


壮大すぎて自分でも無理だと思うのですが、夢なので許してください!
叶わない夢だからこそ、いつまでも追っていられるのかもしれません。

>「万葉集の読めない歌」を読みました。
>すごくおもしろいです・・・!!
>ぐいぐい引き込まれてしまって、うっかり「神話よりおもしろいかも・・・」なんて思ってしまいました!!(いや、もちろん神話もおもしろいですよ!!)


ひゃー!嬉しいです!ありがとうございます!(感涙)
万葉集は凄く面白いと思います!
それが少しでも伝わっているといいなと思いながら書いています。
そして神話ももっと面白く書けるように頑張ります!
神話も面白いのです!凄く面白いのです!

>額田王の歌で読めないものがあって、何通り(何十通り?)もの解釈がある、という話は聞いたことがありましたが、こちらがそうだったのですね。

ご存知でしたか!さすが琴さま、凄いです!
額田王自体もとても謎の多いお方ですね。
古事記をある程度やり終えたら、今度は万葉集を中心にすえて勉強しようと思っています。
成果をここでお伝えできる日がくるだろうか・・・(弱気)

>兼倉さまのおかげで、万葉集への興味・関心が今までの人生のなかで最大です!!

ま、ま、マジですか!?
うおおおお!!やった!やった!やった!(握りこぶし)
日々みんなもっと万葉集に注目するといいと思いながら生活しています!
ぜひいっしょに万葉集に盛り上がってほしいです!
どうぞよろしくお願いします!

コメントありがとうございました!!
琴さまのまたのお越しを心よりお待ちしております!!


りんこさま
ようこそお越しくださいましたりんこさま!!
お待ちしておりました!!
粗茶ですが・・・つ[麦茶]<暑かったり涼しかったりを繰り返しつつ、夜の蛙の合唱に夏の到来を否応無く感じている因幡の国です

>息子が小学生のころ、大仙古墳のことを習ってきたので、私が学んだ頃の知識で「仁徳天皇陵ね」というと、「? 聞いたことない」という反応でした。
>その疑問を、堺市の市役所の展望台で説明のおじさんにぶつけてみたところ、仁徳天皇陵であることは証明されていないので、今は古墳のある地名で学校では教えているということでした。(うろ覚え)
>ほんの(?)千数百年前の日本のことなのに、ちゃんとわかっていないんですね。


そうなんです!
私も中学生の社会の教科書で「日本最大の古墳は仁徳天皇陵」と習った世代です。
しかし今は古代の天皇陵のほとんどは正しくないと考古学界では考えられていて(ほぼ確実と思われるのは3~5個くらいしかないらしいです)、古墳の名前は字(あざ)名で呼ぶように変わってきたそうです。
森浩一先生の「天皇陵古墳への招待」に詳しく書かれています。(文庫になるのを待っていてまだ私の手元にはありませんが^^;)
これを見ると、古代天皇陵のほとんどが不明か間違っている可能性が高いということが一目で分ります。(巻末に表があります)
私がこの分野にハマり始めたころに読んだ本に「歴史は過去のことだから変わらないという認識は捨てなければならない。たった一つの発見で、それまで何十年も積み重ねてきた研究が一瞬で無意味なものになることは、実にありふれた話だ」と出ていてカルチャーショックを受けました。
過去のこと、今目の前にある遺跡は確かに動きません。
でも、それによって作り上げたものは現在の私たちが想像した世界です。
「歴史」という分野はたぶん「正しいこと」も「間違っていること」も存在しない分野です。
ただ、「歴史」が好きだったり、ロマンを感じたりする私たちがいるということだけが事実なのでしょう。

>「1か2分の1」もいつの間にか「1と2分の1」になってるし。こんな話で世代の違いが分かるらしいです。

帯分数ですね!
私は「1と2分の1」と学んだのですが、母は「1か2分の1」と言っていたのを覚えています。
この「か」は一体何なのだろうと子ども心に思ったものでした。
「ヶ」なのか、それとも「加」なのか・・・未だによく知らなかったりします(^_^;)
これで世代の違いが分かるとは!「か」を使うのはどの世代からなのでしょうか。
もしかしたら「仁徳天皇陵」と「大仙古墳」でも世代が分かるかもしれませんね!
ちなみに私の仮面ライダーはBLACKでした!(何の話だ)

>それでは、これからも応援しています。

ありがとうございます!!
そのお言葉にどれほど支えられていることか!
うおおおお!!頑張ります!

コメントありがとうございました!!
りんこさまのまたのお越しを心よりお待ちしております!!


23日の23時台と本日の0時台と3時台と11時台(2連パチ!)と13時台と21時台(単パチ&3連パチ!)に拍手を下さった方々ありがとうございます!!!
万葉集への拍手でしょうか!?
本当に凄く嬉しいです!
書いたものにご反応がいただけることほど幸せなことはありません!
後編もすぐに書きたいと思います!
どうぞよろしくお願いします!
拍手ありがとうございました!!!

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