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お返事です・その82

Rieさま

ようこそお越しくださいましたRieさま!
お待ちしておりました!!
あ、これをどうぞ・・・つ[リンゴジュース]<他でも書いてるんですが、夏はどうしてもうちは麦茶かリンゴジュースしかなくてこのループです・・・

>リンクありがとうございました!
>紹介文を読ませていただき、にやついてしまいました。
>想像ですが、科戸はかげのほうで、たいへんもててるんじゃないかと思います。


おおおおお!!
確かにそんな感じがしますね!
かげでこっそり科戸を愛でるお嬢様方を全力で応援したいです!
井戸端で集まって<今日の科戸王様報告会>とかやっててほしいですよ!
皆が目撃した科戸を報告しあって皆でうっとりしてたらいい・・・。
<今日の科戸王様>
・狭也様に贈るための玉を真剣な表情で選んでいた(眉間の皺が素敵すぎるので直視禁止)
・剣の修練に襟を寛げていた(鎖骨の色気⇒個別に再討論)
・頑張って選んだ玉を狭也様に贈るが丁重に返されてしまい、無言で落ち込む(哀愁漂う背中に母性愛をくすぐられる釆女多数続出⇒個別に対策要検討)

とかね!(何を考えているんだ私は)

>好きな人に怖がられてかわいそうですが、わたしはなんとか片恋→諸恋になるように(なるのか)二次をもさもさと書いていきたいです。

何ですと!!!!!!!
も、諸恋!!!!???

是非お願いします。

物凄く見たいです。ホントに物凄く見たいです。(語彙が・・・)
楽しみすぎて心拍数がヤバいことになってきました。
どうしよう私・・・!

>オオナムチの国造りの記事を、とっても興味深く読みました。体制の思惑、おそるべし…。

うわああああ!!
あんな長ったらしい駄文をお読み下さってありがとうございます!!
少しでも面白いと思っていただけるところがあったならこれ以上望むことはありません。
大国主に関してはやはり身近な神様なので、思うところはたくさんあるのですが、中々形にすることが出来なくて情けない思いです。
今後少しずつでも何かしら吐き出していけたらと思っておりますので、よろしくお願いします。
あ!Rieさまのブログで「古事記(とくに大国主)を下敷きにした話」という記述を見てものすごく心が燃え上がりました!!
楽しみすぎます!
いつの日か拝見できる日を心待ちにしております!
あとこんなところからなんですが、登呂遺跡レポありがとうございます!
登呂遺跡は私が訪れたい遺跡ランキングでもかなり上位にランクインしているのでかなり嬉しかったです!
遺跡や神社仏閣などのレポートを読むのが大好きなので(一般的な需要は分かりませんが)、またRieさまの気が向くことがございましたら是非よろしくお願いします!

リンクの説明文がキモイくらい科戸科戸いっててスミマセン・・・。
一笑に付していただけたようで心底安堵いたしました!
今後とも全力で応援体勢ですので何卒よろしくお願いします!
コメントありがとうございました!
お暇がございましたらまたお気軽に構ってやってくださいませ!
Rieさまのまたのお越しを心よりお待ちしております!

ありがとうございます!

0時台に拍手を下さった方ありがとうございます!
新作への拍手でしょうか?
だったらいいなぁ!
苑上が御所で鬱々と過ごしていたあたりの妄想は結構私の中でこねくり回しているので、また書いてしまうかもしれませんが、その時はまたよろしくお願いします!
拍手ありがとうございました!

オホナムチとスクナヒコナ(補足)

さて、古事記の作者には意図的に(?)消されてしまったオホナムチとスクナヒコナの活躍を、当時の他の書物から抜粋してみようと思います。
万葉集は前々回ご紹介しましたので、ここでは風土記の記述をご紹介します。
・・・とはいえ、私は風土記の書き下し文が載っている資料が1冊しかなく、その1冊もかなり省略されてしまっているのでここでは現代語訳のみご紹介させていただきます。(現代語訳だけの本も1冊しかないのですが・・・)
その旨ご了承下さい。(風土記の原文や書き下し文が載ってるおススメの資料がございましたら是非ご一報下さい!)

播磨はりま国風土記>
・ハニ岡の里の地名起源説

ハニ岡の里。土品は下の下。
昔、大汝おほなむち命と小比すくなひ命が、言い争って
「ハニ(粘土)の荷を肩にかついで遠くに行くのと、くそをしないで遠くに行くのと、この二つのうちどちらがやり通せるだろうか」
とおっしゃった。大汝命は
「私は屎をしないで行こう」
といい、小比古尼命は
「私はハニの荷を持っていこう」
といった。そしてこんなふうに争っていたが、数日過ぎて大汝命は、
「私はもう我慢できない」
とおっしゃった途端、その場にしゃがんで屎をなさった。その時、小比古尼命が笑っておっしゃったことには
「そのとおりだ。私も苦しかったのだ」
とおっしゃって、これまたそのハニをこの岡になげつけられた。だから、この岡を「ハニ岡」と名付けた。(後略)

(一口メモ)
この里の土は粘土で「土品は下の下」とあるように、農耕には適さない。しかし、土器を作るのには適しており、工芸品製作がここの大切な産業であった。最後に賭けに勝つのが粘土を負う神であることは、粘土の荷を負って歩く苦しさを体で知っている村人ならばこその誇らかな感情が読み取れる。

稲種いなだね山の地名起源説

大汝命と小比古尼命の二柱の神が神前かむさきの郡のハニ岡の里の生野いくのの峰にいて、この山を望み見て、
「あの山には稲種を置くことにしよう」
と仰せられ、ただちに稲種をやってこの山に積んだ。山の形もまた稲積に似ている。だから名づけて稲種山という。

<出雲国風土記>
多禰たねの郷の地名起源説

多禰たねの郷 ここは郡役所に続いている。
天の下をお造りなされた大神大穴持おほあなもち命が須久奈比古すくなひこ命と天の下を巡って歩かれたとき、稲の種をここでこぼされた。だから種という。(神亀三年に字を多禰と改めた。)

<風土記逸文>
※現在風土記ふどき常陸ひたち・播磨・出雲・豊後ぶんご肥前ひぜんの五国しか残っていません。
しかも完本として残っているのは出雲国風土記のみで、他の国の風土記はその一部のみが今に伝わっています。
また、上記五国以外の風土記は、他の文献にその引用という形でその存在を確認できるだけです。
風土記逸文とは、その引用されたものを出来る限り集めて復元を試みたものです。(完全に復元できるものはありません)

<伊予国風土記逸文>
伊社尓波いさにわの岡の温泉説話

こおり
大穴持おほあなもち命が後悔するほどはずかしめられ失神していたところ(失神・死に至るまでの前文が省かれている)、宿すく奈比古那なひこな命が、大穴持命を蘇生させるために、大分おおきだの国の速見はやみの湯(別府温泉)を暗渠あんきょを通して伊予まで持ってきて(道後温泉の由来)、宿奈比古那命が大穴持命に温泉浴させたので、少しの時間の後に蘇った。そうして、声を引いて「暫くの間、寝たことよ」と口ずさんだのであった。蘇って雄たけびし踏みつけた跡は今も温泉の中の石の上に残っている。(略)

(一口メモ)
道後温泉は当時から都人に知られた温泉の一つ。冒頭にはスクナヒコナの治療神・蘇生神としての性格と温泉の効能とが活写されている事物の起源譚である。

伯耆ほうき国風土記逸文>

粟嶋あわしまの地名起源説

伯耆国風土記にいう、――相見あふみの郡。郡役所の西北方に余戸あまりべの里がある。粟嶋がある。すくな日子ひこ命が粟を蒔いてよく実ったとき、そこで粟に乗って常世の国に弾かれて渡りなされた。それ故に粟嶋という。

他にもありそうなんですが、とりあえずこんな感じで。
さらっと見ただけでもかなり広範囲にわたってたくさんの説話がありました。
本当に当時は広く親しまれていたんでしょうね。
たくさん面白いことが分かって楽しかったです!(自己満足・・・)
あ、上の中の一口メモは植垣節也さんの「風土記」から引用してます。

約二ヶ月間かなり神話に偏った日記になってました。
それも今週の水曜日の古事記発表のための下準備という部分がありました。
流石に今回は飛ばされないだろうとは思うのですが、どうでしょうね。
とりあえず、お付き合い下さった方は本当にありがとうございました。
これに懲りず、また古事記や他の古代史で面白そうなネタがあったら語ってしまうかもしれませんが、その時はまたよろしくお願いします。

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