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阿高の心の「死」と「再生」【その一】

それでは始めます!
前置きにて、「死」と「再生」を語る上では、その前の段階の「生まれる心」「育まれる心」を意識したいというようなことを書いてみました。
それについていろいろ語る前に、そもそも【「心」とは何か】についてまずは整理しておきたいと思います。

【「心」とは何か】
「心」自体の正体については非常にあいまいですが、今回考える薄紅天女で描かれた阿高の心については、原作中にヒントがあると思います。
思い出してみてください。
阿高が故郷や藤太の元を離れる原因になったのは、

自分が藤太(故郷)にとって必要な存在ではなくなった

と感じたときでした。
一度目は藤太の秘密により、二度目は藤太の大怪我により。
なので、今回考えるべき阿高の「心」とは

「心」=「自分が必要とされていると感じること」=「自分の存在意義」

ということになるのではないかと思います。
もちろん「心」にはこれだけではなくもっと大きい意味があると思っています。
今回はこのことについて考えてみたいというだけのことだと思ってください。

さて、「心」を「自分の存在意義」として考えてみると、以下のことが整理できます。

「心が生まれる」・・・自分が誰かに必要とされていると自覚する
「心が育まれる」・・・上の認識を強くしていく。また、逆に誰かを必要と感じ、他人(家族を含めて)と相互関係を築いていく
「心が死ぬ」・・・自分が誰からも必要とされていない、もしくはそれどころが迷惑になると思い込む
「心が再生する」・・・上の認識が誤解であった、もしくはそれを乗り越えて必要とされる存在になったと自覚する

まだところどころ修正余地はあるような気がしますが、とりあえずこんな感じでいかがでしょうか。
整理するとちょっと味気なくなってしまいますね。
こういうことにいろんなトッピングや味付けをするのが小説や漫画なのかもしれません。

それでは、ここから薄紅天女の内容とリンクさせながらそれぞれの段階を少し細かく考えてみたいと思います。

・「心」はどうやって生まれるのか、「心」が生まれたらどうなるのか
・「心」が育まれる環境、両親の死に対する家族のタブー視が阿高に与えた影響
・「心」が死ぬということ、「心」が死んだ「身体」
・「心」が再生するには、その結果阿高が得たもの


という感じで、それぞれの段階を「要因」と「結果」について考える予定です。
相変わらず長くなりそうでスミマセン・・・!

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