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お返事です・その157

Rieさま

ようこそお越しくださいましたRieさま!!
お待ちしておりました!!
これをどうぞ・・・つ[そば茶]<今日も会社でそば茶です。暖かい物が美味しいのが冬の何よりの醍醐味だと思っています。

>押し込められていた感情が外に出てきたとき、竹芝からの出奔はやはり避けられないことだったのだなあと思いました。

この辺りは読んでいて本当に辛いですよね・・・。
「克服する」とか「乗り越える」にはあまりにも人としての核になるところに要因があって、そういうものはどうしても一人ではどうすることもできないのかもしれないと思いました。
阿高は藤太のことを本当に好きだけど、同時に大きな劣等感ももっていたのかな、とも。
だからこそ苑上のような存在が必要だったのかもしれません。

>藤太が秘密を持っていたと知ったことが、二人は違う人間なのだと阿高にしらしめて、「じゃあ、おれはだれなんだ」となったということでしょうか。

おお・・・!まさしくその通りだと思います。
本来は「自分は愛されている」とか「必要とされている」と自覚することでパーソナリティーを確立させていくのだと思いますが、阿高は「自分は必要とされていない」とかむしろ「迷惑をかけている」と感じていたことで、自分自信に自信が持てず、結局確実に自分に愛着を持ってくれている(と信じていた)藤太という存在に自分を必要以上に投影して仮初の安心感を得ていたのかもしれません。
藤太が明るくて人から好かれる性格だったのも、阿高にとってはとてもまぶしく、またあこがれることだったと思います。
苑上が男の子になりたかったのと同様に、阿高は藤太でありたかったのかもしれません。

>自分の存在がゆらぐ・・・成長のためには必要な痛みだとしても、原作を読んでいてすこし辛くなります。

本当にそうですね。
誰しも多かれ少なかれ自分に自信が持てなくなった経験あるでしょうが、阿高の状況はあまりにも過酷です。
だからこそ、その先に得たものが光り輝いているのだと思います。
幼い時から心にはらんでいた歪さは原因が解消されたからといっても、そう簡単に切り替えられるものではないかもしれません。
もしかしたら一生ついてまわるものかも・・・。
そんな阿高にとって、鈴の存在はずっとこの先も大きな支えと癒しになっていってくれることを望んでいます。

>続きも楽しみにしています!!

ありがとうございます!
そのお言葉が何よりも嬉しいです。
ぜひともお付き合いお願いします。

コメントありがとうございました!!
Rieさまのまたのお越しを心よりお待ちしております!!

阿高の心の「死」と「再生」【その二】※補足追記

前回までのおさらい

・心に「死」があるなら「生」「育」などもあるはず
・今回語る「心」とは特に「自分の存在意義」として考えてみる


このあたりを前提としてお読みいただけるとより分かりやすいと思われます。
「心」の「生」「育」を見ながら、阿高の「孤独」は何が原因だったのか、「死」「再生」を見ながら、阿高は「孤独」をどう克服したのかを探るのを最終目的と考えています。

それではいきます!


【「心」のそれぞれの段階の「要因」と「結果」】

・「心」はどうやって生まれるのか、「心」が生まれたらどうなるのか

「心」が生まれるというのは、今回の「自分の存在意義」という視点からいうなら「自分が必要とされているという初めの自覚をどうやって得るのか」と言い換えることができますね。
この自覚はどうやって生まれるのか。
それはやはり乳児~幼児の時期の「両親の愛情」によって生まれるんだと思います。
人が人生で一番初めに認識する他人は両親です。
「愛してるよ」とか「かわいいね」とか「生まれてきてくれてありがとう」とか、あとは笑顔とか優しい声とか。
そういう「愛されている」と自覚することが「心」が生まれる瞬間ではないかと思います。
逆にこの段階で親から十分な愛情が得られないと、のちのちまでトラウマとして残るでしょう。
「クレプトマニー」という言葉を聞いたことがある方もいらっしゃるかもしれませんが、この時期に原因があるとされているようです。(スミマセン、詳しくは分かりません)
人の子どもは他の生き物に比べて非常に未熟(非力)な状態で生まれてくることが知られています。
立って歩くことすら生後1年程度必要な人の子どもは、絶対に親(もしくはそれに代わる存在)の助けなしでは生きることができません。
無条件で自分を預けることができる存在(信頼できる人)が強制的に必要な時期です。
逆に言えば、この時期に親の愛情を十分に得ることで、自分という存在を確かに自覚するとともに、他の人間との信頼関係を築く第一歩にもなると思います。

※「心」が生まれる段階のまとめ
・要因:親の愛情
・結果:他人との信頼関係の始まり


阿高の場合はどうだったでしょうか。
阿高は親はいませんが、原作に
もの心ついたときには、もう藤太とともに育てられていた。(略)すべて同じにして大きくなった(略)(新書p.16)
藤太の母に不満はなかった(新書p.106)
という記述があります。
親はいなくても、親の代わりになる人はいたのです。
阿高の孤独感は確かに「親の不在」が大きく関わっていますが、ただ「いないこと」だけが原因ではなかったと思います。
私は阿高の生育に関して、この時期は何も問題はなかったと考えています。



・「心」が育まれる環境、両親の死に対する家族のタブー視が阿高に与えた影響

その後阿高は跡目を継ぐきゅうくつさを持たず、年長者の中で放任されて大きくなりました。(新書p.8)
隣には常に叔父の藤太がいて、他にも若衆宿の同期の仲間と徒党を組んで人の役に立つことや迷惑になることを行いながら、笑いあったりふざけあったりしていたわけです。
原作にも坂東のごくふつうの若者と変わりなくと書かれています。
明らかに変わっているところといえば恋をするより鼻歌歌って鳥や雲を見ているようなところくらいのものです。
このくらいなら、周りから浮いてしまうほどのことはありません。
信頼できるたくさんの仲間の存在は阿高の「心」をよりよく育てていったことでしょう。
・・・ただ、この時期の阿高は心の中に一つだけ淀みのようなものを持っていたようです。
それは普段は考えないようにしていること。
原作から引用してみます。

(親父さまは、忘れてはいないのだ・・・・・・語らないだけだ)
阿高の父、勝総を忘れてはいない。
彼が死んだ戦地へは、総武も後からおもむいていた。
最初の息子を供養し、そして、忘れがたみの阿高を竹芝へつれて帰ってきたのは、この総武だったのだ。
以前、阿高がまだ七つか八つだったころ、祖父に「とうさんのことを話して」とたのんだことがある。
たしか、今上帝の最初の軍隊が北へ向かったことに触発されてのことだった。
だが、総武は首をふり、待てといった。
阿高が二十歳を迎えたら話してやるから、それまでは待て、と。
(なぜ、待つのだろう・・・・・・)
重苦しさが阿高の胸をふさいだ。

それははじめて考えることではないが、いつもなるべくさわらないようにし、大急ぎでふたをしてしまう考えだった。
(なぜ、親父さまは、それ以来、家から一人も兵士を出さないことを誓ったのだろう。裕福さをかさにきてと非難されるのを承知で、兵役免除を買い取っている。ふつうならば、もっと蝦夷を憎むのではないだろうか。殺された息子のかたきをとりたいと考えるのではないだろうか・・・・・・)
うすうす察する、察せずにはいられない結論はひとつだった。
(おれが生まれたせいなのか・・・・・・)
阿高の母親については、父親以上にこの家で語られたことがない。
まったくないといってもいい。
あまりの沈黙に、阿高自身がたずねてはならないことを覚えこんでしまったほどだ。
ばかでないなら、沈黙もひとつの答えであることがわかるものだ。
だが、これまで阿高は、そのことをさほど気に病んで暮らしてはこなかった。
母親がどこのだれであっても、あまり関係のないことだと思っていた。
顔など知らない人なのだし、重要なのは彼に竹芝の血が流れていることであり、その一族に囲まれて暮らしていることなのだから。(新書p.20~21)


阿高は自分が蝦夷の血を引いているから、総武が兵を出さないのではないかと考えていました。
実際は、勝総を殺したのが仲間のはずの大和の人間だったことが原因だったのですが、何も知らない阿高は悪いほうに考えてしまってもしょうがないですね。
しかし、私はこれこそが阿高が孤独を抱え込む原因になったと思っています。
誰が悪いというのではありません。
幼い阿高に話すことが出来ない内容だったこともとてもよく分かります。
ただ、阿高はそのことで自分の存在が家族に迷惑をかけていると考えているのです。
美郷の言葉を借りれば、柄ばかり大きくなっただけの大人になっていない=子どもの阿高にとっては、どんなに信頼できる仲間がいたとしても、やはりもっとも大きな存在なのは家族であり、彼らにとって自分の存在が迷惑をかけていると感じることは「心」が育つ段階においては相当なストレスだったことでしょう。
特に十代の多感な時期にそう感じていたことはおそらく阿高の「心」が育つ段階で歪さをはらむことになったはずです。
この歪さが修正不能な「孤独感」を引き起こしたのではないでしょうか。
これが例えば「寂しさ」程度なら誰でも感じるはずで、阿高はそれを紛らわすにはうってつけな半身が常に傍にいました。
本来ならばそれで段々と埋められていくはずなのです。
しかし、苑上が

(だれがそばにいようと、たとえ藤太のような人がそばにいようと、この人は孤独なのに違いない・・・・・・)(新書p.363)

と察するような深すぎる孤独感は、簡単には埋まらないでしょう。
ここまで深くなってしまったのはもちろん展開が進む過程で、母と父のことを知ったり、オオカミの化け物になったり、雷の力をもったりなどなどの影響があってこそですが、しかし阿高はこうなるまえにすでに自分のことを異質であるとどこかで承知していたのです。

「藤太、おれは、だれなんだ」
先ほどの千種の問いが、阿高の中でこだまをくり返していた。
今の今まで、阿高は自分を竹芝の一族であり、総武の孫であり、藤太の甥だと信じていたはずだった。
けれども砕け散ってはじめて、その確信がどれほどもろいものかを、あらかじめ知っていたことに気がついた。
父につながる血を打ち消す大きな流れが、阿高自身の中にある。
阿高の体には、藤太が決して持ちえないものがある。
本当は阿高にも、そのことがわかっていたはずだったのだ。


このあと七~八歳のころからずっと抑えてふたをしてきたものが、一気に爆発するのは、みなさまご承知のとおりです。
阿高が藤太にこそ思いのたけをぶつけたのは、阿高が藤太をある意味親代わりの人(総武や藤太の母)以上に親の不在を埋める存在としていたからでしょう。
確かに藤太の裏切り(誤解)が直接の原因ではありますが、ここに到るまでにすでに限界状態に近かった可能性が高いのではないでしょうか。
健全な形で生まれた「心」が、歪さをはらんで成長していく段階で、とうとうその負荷に耐えられなくなったのだと思います。
阿高の心にどれ程の痛手を負わせるものだったかと想像すると胸が痛くなります。
しかし、これはまだ致命傷を負わせるほどのものではないと私は思っています。
まだ、この段階では阿高の「心」は死んでいません。
なぜなら、まだここではわずかな希望が残っていたからです。
やけっぱちな希望ではありますが、阿高はこのとき「蝦夷」という希望がありました。
竹芝には不要な存在となった自分でも、もしかしたら母の家族である蝦夷なら居場所があるかもしれないと阿高は考え、陸奥へ向かいました。

※「心」が育まれる段階のまとめ
・要因:親の愛情・仲間との信頼関係・・・阿高は親の愛情を信じられなくなり心に傷を負う
・結果:不要な存在と思い込んで出奔


今回はここまでです。
阿高の「孤独感」の要因を私なりに書いてみたつもりです。
次は

・「心」が死ぬということ、「心」が死んだ「身体」
・「心」が再生するには、その結果阿高が得たもの


を書く予定です。
どうぞよろしくお願いします!


【追記】
2日の22時台に3連パチくださった方ありがとうございます!!!
きてくださる方が一人でもいると分かると俄然元気が出てきます!!!
毎日妄想たぎりまくりでスミマセン・・・!
好きなことを好きなように語りつくしたいと思っておりますので、お暇がございましたらお付き合いいただけると嬉しいです!
拍手ありがとうございました!!!

【補足】
上の記事についてちょっとだけ補足です。

阿高が孤独感を抱え込むことになった要因は、「両親の死」そのものではなく、「家族がそれをタブー視したこと」ではないだろうかと書きました。
それについてもう少しだけ。

私の勝手な思い込みですが、例えば阿高の両親の死因が「事故死」や「病死」だったとしたら、おそらく阿高はここまで孤独感を抱え込むことにはならなかったのではないかと思っています。
両親の代わりになる存在があるといっても、やはり本当の両親の存在は大きな意味があるのではないでしょうか。
自分のルーツたる存在、自分がここにいる一番の理由はどうしたって産みの親です。
その部分をネガティブにとらえてしまったことが、阿高の心に歪な部分が生まれてしまう原因になったと思います。
そういえば、人間は二十歳までは人生の中でも非常に感受性が強い時期という研究結果(心理学)もあると、いつかのディスカバリーチャンネルの犯罪心理学特集でいっていたのを思い出しました。
この結果が正しければ、この時期までに受けた影響がその後の人生に大きな影響を与えるということになります。
総武が「二十歳まで待て」といったのは、実は大事な判断だったのかもしれないと思いました。

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Re:当サイトは11歳になりました
2021/12/09 20:35 兼倉(管理人)
Re:当サイトは11歳になりました
2021/11/27 12:01 りえ
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2021/05/09 13:07 兼倉(管理人)
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Re:お返事です!
2021/05/03 11:19 兼倉(管理人)