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お返事です・その220・・・に代わり「猿」の意味について

小梅様より面白そうなコメントを頂きましたので、ご紹介します。

>私はウズメが「今日から猿女の君と名乗りなさいね」と言われて、「キャッホー」だったのか「え~…猿女ですか~」だったのか、とても気になります。
>平成24年現在、「猿女」は悪口ですよ…。
>そりゃ、ナマコの一つや二つ切り裂きたくもなるかもしれません。


クメ「おれもあれは間違いなくストレス発散だったと思うぞ。ナマコも迷惑な話だ」
ウズメ「きさまの口も余計なことしか言わないようだ。私が手ずから切り裂いてくれようか」
クメ「ぎゃあああああああああああ」


冗談はさておき。
このコメントを頂いたときちょっとびっくりしました。
>平成24年現在、「猿女」は悪口ですよ…。
気付きませんでした!確かに今の感覚ではそのとおりですね!
これに関しては、大分前の記事の目立たないところにひっそりと書いていたものがあるんです。
あの記事を読んでくださった方でも、あまりにもひっそり書いたものだからきっと覚えておられる方はいらっしゃらないでしょう。
折角コメントを頂いたので前回より少し詳しく書いてみようと思います。

そもそも「猿」という字は、おそらくは当て字です。
大事なのは「サル」という音なんです。
この「サル」の語源に関してはそれこそ千差万別の説があります。
有名なものは
「琉球語のサダルがサルダに訛ったもので、先導者という意味」
「地名由来」
「猿を山神とする民間信仰由来」
「サナダが語源で神稲の田の意味」
「演技などをする意味の『()る』が語源」

などなど。
この中でも私は最後の()る』の説について書いていました。
引用します。

西郷信綱さんの「古事記注釈(第四巻)」より
・ウズメが猿女の君と名乗るにいたった事情
男神猿田毘古の名を負い女を猿女君と呼ぶに至ったというわけだが、額面どおり正直に受けとるわけに行かない。
これはあくまでも起源説話である。
そしてあらゆる起源説話の場合にそうであるように、両者の関係はむしろ逆であって、猿田毘古の名よりは猿女という称の方が先にあったと考えねばなるまい。
先にあったといっても、それが伊勢伝来のものであったはずはない。
猿女の「猿」は猿楽の「猿」、つまり()る」であり、宮廷神事において職掌としてワザヲキ(俳優)を演ずるのにもとづく名だと思う。
猿女というこの宮廷の呼称が先にあり、猿田毘古の名はいわばその説話的こだまとして生じたのである。


なお、山田永さんは猿田毘古が溺れている描写を、このあとの話に出てくる「海幸彦が溺れる仕草を演じる『隼人舞』」に関連付けて、やはり「猿」は「戯る」ではないかと述べておられることも追記しておきます。

今と比べてこの時代は文字よりも音のほうが意味を持っていた時代でした。
人々は文字を読むよりも音で聞くほうがずっと身近だったと思います。
何よりこの時代はまだひらがなが無いので、文字は漢文かもしくは和語を漢字の似た音で当て字にしていたました。
なので、今の感覚からするとものすごくギャップがあることもたくさんあります。
そういうギャップに苦労しつつも、同時に楽しくもあります。
いっしょに楽しんでいただける方を随時募集中です!

小梅さま、楽しいコメントをありがとうございました!
小梅さまのまたのお越しを心よりお待ちしております!

また、拍手を下さった方々も本当にありがとうございます。
10連パチ下さった大変奇特な方もいらっしゃってもうもう!本当に嬉しいです!
五月になれば暇になるかと思っていたのに、逆に先月よりも二時間くらい帰宅が遅くなる現状で、中々更新が思うようにできません。口惜しい・・・!
待ってます、とか、楽しみにしています、のお言葉が支えです!
本当に本当にありがとうございます!
どんなになっても、この日向神話は最後まで書ききりますので、よろしければお付き合いお願いします!
拍手ありがとうございました!!!

日向神話~天孫降臨~(番外編:ナマコを切り裂くウズメ)

続きです!
先ずは以前書いていた古事記の現代語訳から載せます。

<ナマコを切り裂くアメノウズメ>

三浦版

さて、アメノウズメは、サルタビコをお送りして阿耶訶に帰り到るとすぐに海に出ての、伊勢の海にいる(ひれ)の広くて大きな(うお)も、鰭の狭くて小さな魚も、ことごとくにひと処に追い集めての、

「お前たちは、天つ神の御子にお仕えいたすか」

と問うた時に、もろもろの魚はみな、「お仕えいたします」と言うたのに、ナマコだけは何も申さなんだ。
するとの、アメノウズメは、ナマコに向こうて、

「こやつの口は、なにも答えない口」

と言うて、懐に入れた紐飾りのついた小刀で、そのナマコの口を切り裂いてしもうた。
それで今でもナマコの口は横に裂けておるのじゃ。
そんなわけでの、その後も、世々に変わらず、島の速贄(はやにえ)御門(みかど)に奉るおりには、猿女の君どもにおすそ分けが与えられることになったのじゃ。
ちと、話が横道にそれたかのう。


福永版

一方、アメノウズメノ命は、サルタビコノ神を伊勢の国に送って着くと、海に住む魚という魚を、鰭の広いのも鰭の狭いのもすっかり集めて、こう尋ねた。

「お前たちは、天神(あまつかみ)の御子にお仕えしますか?」

その時、魚どもはいっせいに答えた。

「みなみな、お仕えいたしましょう」

ところが、海鼠(なまこ)だけは、返事をしなかった。
そこでアメノウズメノ命が海鼠に言うには、

「この口は、答のできない口なんですか?」

こう言って、紐のついた小刀でその口を割いてしまった。
それゆえ、今でも海鼠の口は割けている。
このように、ウズメノ命が魚どもに誓わせたことがあるので、代々、のちの志摩である島の国(今の伊勢半島の先端あたり)から、海でとれた初物(はつもの)を朝廷に献上する時に、その初物を、子孫の猿女の君などに下されるのである。


中村版

仰せを受けた天宇受売命は、猿田毘古神を送ってから戻ってきて、海の魚の大・小すべてを追い集めて、問い尋ねて、

「おまえたちは、天つ神のご子孫にお仕え申し上げるか」

と言った時に、多くの魚がみな「お仕え致します」と申した中に、海鼠だけは申さない。
そこで天宇受売命は海鼠に、

「この口なのだな、返事をしない口は」

と言って、紐のついた小刀で海鼠の口を裂いた。
だから、今でも海鼠の口は裂けているのである。
こういうわけで、天皇の御世に至ってもずっと、志摩の海産物の特急便を献る時に、猿女君らにご下賜(かし)になるのである。


この話の「お仕えする」というのは、ニニギにつき従って何かするという意味ではありません。
魚たちはみんな「食べ物」としてお仕えするという意味です。
つまりは食べられてしまうということですね。
ここで他の魚たちはみんな挙って(内心どうかはわかりませんが)「お仕えする」と言っているのに、ナマコだけが何もいいません。
それに怒ったウズメがナマコの口を切り裂いてしまうという話です。

この話は二つの起源が語られていますね。
・ナマコの口が裂けている理由
・志摩の海産物が天皇に奉られるときに猿女の君の一族に下賜されるようになった理由


一体どうしてこの二つの起源が語られているのか。
一つ前の記事の猿田毘古の話でもそうでしたが、ここでもやっぱりなんだか疑問が残ります。
これに関しては山田永さんの「古事記講義」に面白そうな意見が載っていたので引用させていただきます。

私は、愛知県の知多半島の常滑市に住んでいます。
伊勢湾は目の前の身近な海だから少々自慢げにいうと、そりゃあ魚の豊富な所です。
そして、知多半島といえばコノワタ!
ナマコの腸(はらわた)を塩辛にしたもので、日本三大珍味(らしい)の一つです。
やはり萬葉集には、「御食[みけ]つ国 志摩」「御饌[みけ]つ国 神風の伊勢の国」など、伊勢湾の魚のことが歌われています。
「御食つ国」とは朝廷へ食物を献上する国のことで、宮内庁御用達の魚介類は伊勢・志摩が(ほかには淡路島も)有名だったようです。

(略)倭国(海なし県の奈良)では、魚介類は貴重な食材だったにちがいありません。
西郷信綱氏『古事記注釈』第二巻は、志摩国のそれが朝廷への献上品だったことを平安時代の文献から紹介しています。
その中にはナマコのこと(正確にいえば、生ではなく煮たイリコ)ものっています。ご参照ください。

どうも、古事記本文から離れたところでの解説ばかりになってしまいました。
ついでにもう一つ。
倭国の人にとって、魚介類の中でもとりわけナマコは入手がむずかしかったにちがいありません。
それが最後のナマコの話ではないでしょうか。
裂けた口を不思議に思ったとしても、その起源をここで説くのは古事記という書物にとってあまり有益とは思えません。
ひょっとすると、なかなか朝廷へ献上してこない理由を、「お仕えします」と答えるナマコが少ないからだとみなしていたのかもしれません。
その口を小刀で切ったのがアメノウズメなのだから、その子孫である猿女の君は、まれにナマコが献上された時はおこぼれを頂戴することができたのだといっているように思われます。


伊勢湾はのしアワビでも有名ですよね!
確かこれは伊勢神宮への御神饌になっていたような気がします。
古くからおいしい魚介類が豊富なことで有名だった土地ならではの起源説話といえるのかもしれません。

それにしても、ウズメは古事記において本当にクローズアップされてますね。
ニニギに付き従って天降ってきた神様の中でこれほど詳しく書かれているのは彼女だけです。
他の神様に関してはその逸話が散逸してしまっていたのか、それとも稗田阿礼が自分のご先祖様の由来を特別に語ったのか、真相は闇の中です。


さて、とりあえずこれで猿田毘古とウズメの話はひと段落です。
次回は「猿」の名前について少し補足してからニニギの結婚話を書こうと思います。

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