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本歌取りと万葉集~古今和歌集の中の本歌取り~

最近随分暖かくなってきましたね!
このあたりでは山の方はまだ雪が積もってますが、海沿いは桜も随分散ってきています。
このまま春まっしぐらになってくれればいいなあと思いつつ、でも寒いからこそあったかいお茶がおいしく飲めていたので、あまり暖かくなりすぎるのもちょっと素直に喜べないような・・・。
秋から冬にかけて大活躍してくれた私の机の脇に置いている電気ポットもそろそろ休憩期間が近づいてきているのをひしひしと感じつつ、でもやっぱり今日も2.2リットル満タンにして沸かしております(飲みすぎ)


さて、昨日から始めた「本歌取りと万葉集」。
今日はさっそく具体的な歌を取り上げていきます。
まず元になった「万葉歌」を挙げて、次に「本歌取りした歌」を載せます。
ぜひ読み比べてみてください。
なお、万葉歌の方には私が分かる限りちょっとした補足説明をつけますが、古今和歌集や新古今和歌集などほかの和歌についてはまったく素養がないので、分かる方どなたかご協力をお願いします!(他力本願)

三輪山を しかも隠すか
 雲だにも (こころ)あらなも 隠さふべしや
(巻一 18)

歌意:ああ、三輪の山、この山を何でそんなにも隠すのか。せめて雲だけでも思いやりがあってほしい。隠したりしてもよいものか。(伊藤博)
これは中大兄皇子の発案で都を住み慣れた飛鳥(奈良県)から近江(滋賀県)へ遷す旅の途中に額田王が詠んだ歌です。
先日少し触れた「白村江の戦い」で大敗した大和の人々は、さまざまな理由により都を遷すことにしたのです。
この時代の人々にとって山は神そのものでもありました。
ずっと慣れ親しみ、敬い慈しんできた三輪山が、旅が進むにつれてだんだん遠ざかっていきます。
それを惜しんだ人々の心の声をまるで代弁してくれたかのような額田王の三輪山を惜しむ歌は、今日でも名歌の誉れが高いです。

では、これを本歌として詠まれた古今和歌集の歌。

みわ山を しかもかくすか 春霞
 人に知られぬ 花や咲くらむ
(古今和歌集 巻二 94)

歌意:春霞が三輪山をこんなにも隠していることよ。三輪山には人に知られない花が咲いているのだろうか。(佐伯梅友)
読み比べてみて、どうですか?
全然イメージが違いますよね。
何だかすごく典雅な雰囲気になってます。
このように、本歌を意識しながら全く違う歌を詠んでしまうのが本歌取りです。

次の歌の紹介をします!

志賀(しか)白水郎(あま)の 塩焼く(けぶり)
 風をいたみ 立ちは(のぼ)らず 山にたなびく
(巻七 1246)

歌意:志賀の漁師が塩を焼く煙は、風が強いので真っ直ぐには登らず、山にたなびくことよ。(中西進)
これは万葉時代当時に存在した「古集」という歌集から採用された作者未詳の歌です。
この時代には志賀(福岡県北部の島)の漁師の塩焼きは都にも聞こえていたらしく、万葉集の中で同じ題材を扱った歌が他にも載っています。

この歌を本歌として詠まれた歌が、古今和歌集と伊勢物語に載っています。

須磨のあまの 塩やく(けぶり) 風をいたみ
 思わぬ(かた)に たなびきにけり
(古今和歌集 巻十四 708)
(伊勢物語 第百十二段)

歌意:須磨の海人が塩を焼く煙は風がはげしいので、思いもよらぬ方向に流されてしまいました――他の男からの誘いがひどく熱心だったので、あなたは思いもよらぬ他の男の方に心を移してしまったのですね。(石田譲二)
歌の中の「風」を「他の男の誘い」の暗喩として訳しています。
この訳は伊勢物語を意識して書かれたものです。
古今和歌集の訳では、「周囲の反対(風)が強いので女(塩焼く煙)が意外な方へたなびいてしまった」と解説されています。
こんなにたくさん本歌から語句を引用しているのに、内容は似ても似つかない見事な比喩の歌になっています。
これぞ本歌取り!という感じの歌ですね。
さらにこの歌は本歌では「志賀」と詠まれていた土地を「須磨」に詠みかえています。
平安時代当時の人々には遠く九州の島よりも、源氏物語で光源氏が都落ちした須磨の方がロマンを感じる歌枕の土地となっていたのかもしれませんね。

古今和歌集の歌だけでかなり長くなってしまいました。
ここで一旦区切ります。
次回はもう少し下った時代の和歌を取り上げます。

なお、今回の語りの資料として「小......人」さんの作成された資料を活用させていただいております。
この場を借りて心よりの感謝を申し上げます。

本歌取と万葉集(前置き)

はじめにお返事いたします!

りんこさん

>「荻原作品と万葉集」の語りをありがとうございました。
>何度も読みにお邪魔しております。


何とうれしいお言葉!
書き手冥利に尽きます(感涙)
古墳&フォウチェックもいつもありがとうございます!フォウ!

>100分de名著で学んだこと
「勝ったものは歴史を作るけれども負けたものは文学を作る」 
>おおぉぉぉかっこいい~~~
>いつも解説の先生が素敵です。
>いじゅういんさんもするどくて素敵です。


実は「100分de名著」はまだ見てないんですよ。
4回揃ったら一気に見ようと思ってます。
「勝ったものは歴史を作るけれども負けたものは文学を作る」
ものすごい名言ですね・・・!ドキッとしました!
早速メモ帳に書き込みます。
解説の佐佐木幸綱さんは佐佐木信綱さんのお孫さんなのですね。
私が初めて万葉集そのものに触れたサークルで、
「現代の万葉集の本は佐佐木信綱さんの『校訂万葉集』が元となって、そこに新たに研究結果を加えたり訂正したりしています」
と紹介しておられたので、ずっと頭の片隅で気になっている人でした。
良い機会だと思ったので、幸綱さんの方の著作を数冊買い物かごに入れてみました。
たまったらまとめて購入しようと思います。
拍手のみのお方もありがとうございます!
すごく、すごくうれしいです!
一緒に楽しんで頂けそうな面白い話題をたくさん見つけていこうと思っております!
今後ともよろしくお願いします!


さて、それでは新たな話題を書こうと思います。

「本歌取りと万葉集」

「本歌取り」は「本歌取」と書かれることもかなり多いですが、ここでは「本歌取り」と書かせていただきます。読みは同じ「ほんかどり」です。
ここでは、万葉集の歌に由来するものに限定してご紹介いたします。
ところで、「本歌取り」ってそもそもどんな意味なのか?
確か中高生時代に習った時は、「元の歌の一部を使って新しい歌を作ること」みたいな意味だったような・・・?というあいまいな記憶だったので、調べてみました!
「本歌取り」の定義は意外と厳密なものでした。
例えば、以下のような歌は「本歌取り」には当てはまりません

あしひきの 山のしづくに
 妹待つと 我立ち濡れぬ 山のしづくに  (大津皇子)

吾を待つと 君が濡れけむ
 あしひきの 山のしづくに ならましものを  (石川郎女)

大まかな意味は
大津「いとしい君を待っていたら、山の雫に濡れてしまったよ(※待ちぼうけしたことを意味している)」
石川「私を待っていたあなたを濡らした山の雫になってしまいたいわ」

ちょっとドキドキする歌ですね。
万葉集に載っている恋のやり取りをしている歌です。
一見、「あしひきの 山のしづく」「待つと」「濡れ」などのキーワードが共通しているので、「本歌取り」といえそうな気がしますが、違います。

定義その一
意識的有名な古歌(本歌)の言葉、思想、趣向などを自作に取り入れて歌を作る方法。


まず「本歌取り」とは、あくまでも「有名な古歌」であることが必要です。
上記の恋歌は当然同時代の二人が個人的にやり取りしているので、「本歌取り」には含みません。
恋の歌は、もらった歌の一部を引用して返歌しているものが非常に多いです。
恋歌の返歌のお決まり表現なのです。
「本歌取り」はこのような表現とは定義を異にしています。
また、偶然同じような表現になっているものも、当然ですが含みません。
必ず「意識的」に引用しているものです。
※「偶然」とか「有名」とかは定義がちょっと難しいですが、私の時間と力量の都合上ここではそれには言及しません。
さらに、もう一つ重要な定義があります。

定義その二
・オリジナルの存在とそれに対する敬意を持った上で、独自の趣向をこらしている。


オリジナルをそのままコピーしている歌は当然ですが該当しません。
大体本歌の一~二句を引用しているものがほとんどです。
万葉集の歌が百人一首で少し形を変えて収録されていることは有名ですが、

(万葉集)
春過ぎて 夏来るらし
 白妙の 衣乾したり 天の香具山

(百人一首)
春すぎて 夏来にけらし
 白妙の ほすてふ 天の香具山

(万葉集)春が過ぎて夏が来たようだ。真っ白な衣が天の香具山に乾してある。
(百人一首)春が過ぎて夏が来たらしい。真っ白な衣を天の香具山に乾すという。

元の歌の大部分が引用されているのでこれも「本歌取り」には含まれません。


さて、「本歌取り」の定義が分かったところで、次の記事から具体的な例を挙げていきます!

小説と家持さん

先日消費税対策と称して大量の本を買った私でしたが、その中に家持さんが登場する小説も複数購入しておりました。
家持さんが主人公のものから脇役のものまで様々です。
まだパラパラ見ただけできちんと読んだものは少ないですが、それぞれの印象として、家持さんの妻・大嬢への対応が天と地ほど差があって驚いています。

一番冷たい家持さんは、大嬢が越中に連れていってと泣きながらお願いしても、正直なところ、顔を見るだけでうっとうしい・・・という理由で断ったりしてます。酷すぎる・・・!
この小説では家持さんと大嬢の贈答歌はすべて「恋歌の練習」という一言で片づけられています。
ちょっと待ってもらおうか。それは納得いかないよ私は。
夫婦になってからも贈答歌あるのに、どうして練習なんですか。なんの練習のつもりなんですか。
家持さんに冷たくされた大嬢は、家持さんが越中に赴任中に昔の恋人の大伴古麻呂と不倫して身籠るとか・・・まあこれは百歩譲って作家の創作の範囲内(歴史的に大きな矛盾をきたしていない範囲)と思ってもいいですが。
その後、家持さんが万葉集作りのやる気を失っているという理由で大嬢は自殺します。
無かったことにしようと思いますこの小説。(超展開すぎてついていけそうにないのですが、一応最後まで読む予定です)

かと思いきや、別の作品では越中で別れ別れの間家持さんは大嬢が恋しくてたまらなくてたくさん歌を贈るのですが、大嬢から返歌がほとんどこなくて、休暇(←この時代の国守に休暇…?)で奈良に帰った時に

「どうしてほとんど返事をくれないのか」
「ごめんなさい、私は歌が苦手だから書かなかったのです」
「なら仕方ない」

それでいいのですか家持さん!?
妻に可愛く謝られて瞬時に許す現金な家持さんは、これはこれで衝撃的でした。

あとは、越中で招かれた宴で若い遊行女婦(うかれめ)に舞を断られたことに腹を立てた家持さんが彼女の家はどこかと尋ねるのですが、先輩の遊行女婦に「慣れない場で緊張しているのです。どうか許してやってください」とたしなめられたのに対して「おまえが言わなくても、私はそれを知ることができるのだよ」とか堂々と職権乱用する悪党っぷりをみせつけてくれました。
でもこの家持さん、それが妙に似合っていて私はこのセリフに一瞬ときめいてしまった・・・。
チョイ悪家持さん、いいかもしれない(新たな扉)

とはいえ、「大伴家持」という人物像は全体的には落ち着いていて思慮分別のある知識人(ちょっと疲れている)という感じの描かれ方が多そうです。

さて、次もまた万葉関連の語りを考えています。
万葉集は万葉時代に編纂されたものですが、調べてみると、その後の時代の人たちにいろんな場面でちょっとずつ影響を与え続けているようです。

「本歌取りと万葉集」

という内容でちょっと書いてみる予定です。
またまったりとお付き合いいただけると嬉しいです。

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