続きです!
仁徳天皇と磐姫の仲直りと八田若郎女のその後。
まずは珍しい虫を見に行くという理由でヌリノミの屋形にやってきた仁徳天皇が、磐姫に歌をおくります。
爾くして天皇、其の大后の坐せる殿戸に御立たして、歌曰ひたまひしく、
つぎねふ 山代女の
木鍬持ち 打ちし大根
さわさわに 汝が言へせこそ
打ち渡す やがはえなす
来入り参来れ
とうたひたまひき。
山また山の聳え立つ、山城の国の百姓女が、
木の鍬手に持ち、掘っておこした大根の、その掘りおこす音はざわざわ。
嫉み深いお前も、ざわざわとかしましく言い立てるから、見渡す限りの、青く茂った樹々のように、
伴人おおぜい引き連れて、こうして私がやってきたのだ。
この訳はこれまで使っていた「中村啓信」さんのものではなく、今回新たに購入した「福永武彦」さんのものです。(また買ったのか兼倉…)
福永さんは作家さんなので、研究者の方が訳すよりもさらに臨場感あふれる文章になってます。
まあそれはいいとして。
仁徳天皇はホントに仲直りをする気があるのかと聞きたい。
なんだこの超上から目線!(天皇だけど)
言い方も凄く押し付けがましいですよ!
福永さんの訳だと仁徳天皇のいやみっぷりが際立ちます。
離れている時はあんなに愛情たっぷりの歌を詠んでいたというのに、この差はいったいなんですか!?
仁徳天皇はツンデレなんですか!?
この歌を謡う時に、実は照れて顔を真っ赤にしてたっていうなら逆に萌えますが。(危険)
お前がうるさいから来てやったんだよ!寂しかったわけじゃないからな!誤解するなよ!(真っ赤)>オホサザキ
いや、さすがにこれはないか…。
まあしかし面と向かってこんな歌を謡ってしまうなんて、もしかして今までの情感たっぷりの歌は口子臣の代作だったんですかとまで疑ってしまいますね。
ちょ!おれがあんなにがんばってラブラブな歌を謡ってあげたのに!ぶち壊しだよ!>口子臣
ちなみにせっかくなので中村さんの訳も比較材料として載せてみます。
(花筏の生える山)山城の女が
木の鍬を持って 畑打ち起こした大根
その葉が擦れ合うようにざわざわと あなたが 言立てるから
見渡すと 桑の木がたくさんの枝を立てているように
大勢でやって来たのだ
若干ソフトな感じになりました。
※「つぎねふ」の訳が福永さんでは「山また山の聳え立つ」となっていて、中村さんでは「花筏の生える」となっているのは、この二つの説があるからです。
「つぎねふ」を「次嶺経(次々に続く嶺を経る)」とするか、「つぎね(花筏の古語)生ふ」とするかで違いがあるようです。
「あなたが 言立てる」というのは、何を言立てたのかは云ってませんが、福永さんはそれを「嫉妬」と解釈しているようですね。
他の本でもそういうニュアンスで訳されていました。(私が持っているものしか確認していませんが)
しかし私は言ってやりたい。
あなたが来たのは珍しい虫を見るためだったのではなかったのか、と。
やっぱり珍しい虫を見るというのは、磐姫に会うための口実だったのでしょうか。
しかしそれなら果たしてこんなにあからさまにホントのことを歌うのか。
それとも、磐姫には良い顔しといて(良いとは思えないけど)、本心では「虫が見たい!」と思っているのか。
いまいちこの歌と仁徳天皇の本心が分かりません。
この当時は当然一夫多妻が公然と認められていたわけで(そしてより多くの后とたくさんの子どもを作ることが為政者のトップたる天皇の重要な使命でもあったはず)、磐姫の嫉妬に駆られる行動はやはり褒められたものではないのかもしれないのですが、そのあたりを解釈の前提として入れるべきか否か。
それなら、「おまえがうるさいから会いにきてやった」的な歌も良き夫として正しいといえるのか。
しかしそれでも口子臣が伝えた歌とのギャップが大きすぎるような気がしてなかなかうまく納得できません。
まぁ、前にも書きましたが、古事記の歌謡は本人たちが謡った歌というよりは、その当時よく謡われていた歌を各場面に勝手に当てはめただけなので、つじつまが合わないこともあるという説明で納得することもできるのですが。
しかし、せっかく会いにきたときの歌を載せるなら、もっと選びようがあったんじゃないかと稗田阿礼さんと太安万侶さんに問いたいような気もします。
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一方、日本書紀の磐姫はこのとき仁徳天皇を許さず、五年後に死ぬまで山城国を離れることはありませんでした。
会いにきて歌を謡う仁徳天皇に、磐姫は顔も見せず「八田皇女を娶ったのは、皇女を后にしたかったからなのでしょう!?」と怒りをぶつけています。
日本書紀の磐姫は古事記の磐姫以上に「身分の違い」に苦しんだ人生だったようです。
本当の磐姫はどんな人だったのでしょうか。
さて、古事記に話を戻します。
すったもんだの磐姫との逢瀬が終わって、本文には記載はありませんが、次の女鳥王の話で磐姫が皇后として振舞っているのを見ると、どうやら仲直りは成功したと考えて良いようです。
しかし、仁徳天皇は八田若郎女に未練たらたら。
こっそりこんなやり取りをしています。
天皇八田若郎女に恋ひたまひて、御歌を賜ひ遣はしき。其の歌に曰ひしく、
八田の 一本菅は
子持たず 立ちか荒れなむ
あたら菅原
言をこそ 菅原と言はめ
あたら清し女
八田の野原に生える、一本菅は、
子を持たず哀れに立ち枯れるのか?
なんと惜しい菅だろう。
言葉では菅原と言っても、
実は清し女なのだ、
心ばえののすがすがしい美しい乙女なのに、なんと惜しいことだろう。
惜しい惜しいと言いながら、結局たいしたことも出来ないので、この後その妹に手を出そうとしたときに「仕へ奉らじと思ふ。」とか言われて振られるわけですね。
爾くして八田若郎女、答へて歌曰ひしく、
八田の 一本菅は
独り居りとも
大君し よしと聞こさば
独り居りとも
とうたひき。故、八田若郎女の御名代と為て、八田部を定めたまひき。
八田の野原に生える、一本菅は、
子もなく、ひとりでおりましても、
大君がそれでもよいと仰せられますなら、寂しいことはございません、
たとえひとりでおりましても
潔いのか恨み節か。
内容は非常に分かりやすい歌ですが、だからこそ判断に迷う歌ですね。
仁徳天皇は八田若郎女が「あなたがそれで良いって言うなら、ひとりでいてもいいの」と言ったことへどう返事をしたのか書いてはありませんが、御名代「八田部」を与えたと書かれています。
「名代」というものがいったい何なのかよく分かりませんが、調べたところによると、どうも「人の集団」のようです。
土地を与えるというのは褒賞としてよく聞くことですが、土地だけでなく人も与えられるものの選択肢の中のひとつだったようですね。
そういうものを与えたというのは八田若郎女の歌の「独り」という言葉への返事の代わりだったのだろうかとも思いますが、彼女の言った「独り」というのは「独り身」という意味なので、いくらたくさんの人を与えられても、「独り身」であることは変わりありません。
こういう対応も女鳥王は見ていたんでしょうね。
そして自分は名ばかりの王の妻よりも、臣下でもちゃんと自分の夫として振舞ってくれる速総別王を夫に欲したわけです。
人間関係のどろどろ具合が上巻とは比べものにならないくらい近く感じられます。
これが良くも悪くも下巻の特徴といえるでしょう。
これにて下巻の語りは終了です!
次回はヤマタノオロチとヤマトタケルのどちらかになりますが、さてどちらにしようか・・・。
若干の休憩を挟みつつまた折を見てはじめようと思います。