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【後編その一】「藤太」でなければならなかったこと、「苑上」でなければならなかったこと

まとまりのない呟きみたいになってきててすみません。
続きです。

藤太はずっと阿高に孤独を忘れさせることで救っていましたが、それも限界がきてしまいます。
それは藤太の秘密がきっかけでした。
阿高はずっと藤太と一緒にいることで、孤独であることを忘れていましたが、それは自分と藤太がまったく違う人間ということに阿高自身が目を逸らして、自分と藤太は一心同体であるかのように錯覚していたからこそ、出来たことではないかと思います。(孤独を知らないで朗らかに生きる藤太に阿高は自分を重ねていた?)
しかし、藤太は阿高の知らない秘密を知っていました。
阿高は今までずっと自分は藤太のことは何でも分かると思っていました。
しかしこれにより、藤太は阿高とはまったく違う人間だった(よく考えれば当たり前のことですが)と思い知らされました。
・・・ちょっととっぴな考え方でしょうか。
もう少し詳しく書いてみます。
原作中、阿高は何度か藤太と自分が違うことを気にしている箇所があります。
恋が出来ないこと、容姿が違うことなど。
けれど、そういうことを気にしても、あまり深く考えようとはしていません。
そういう考え(「心にしこりがある」状態?)に陥るたびに、藤太が気づいてひっぱり戻してくれたからではないかと思います。
衾にもぐりこむころには、阿高の胸のつかえは消え去っていた。
今までどおり、藤太のすることについていこうとしみじみ思った。(新書p.25)

こういうことが、きっとそれまで飽きるほど繰り返されてきていたのだろうと想像します。
考えてみれば、阿高にとっては藤太や父親と同じであること(似ていること)は竹芝(武蔵)人と同じであること、そして母親似であることはそうではないこと(=武蔵では孤独)に繋がっていたかもしれません。
一生懸命、自分はここの仲間であると信じたかった阿高の心を思うと胸が締め付けられる気がします。
ちなみに藤太の方についても少し。
藤太は阿高と違って大勢の人に囲まれて孤独を知らずに生きてきました。
でも孤独を知らずに恵まれすぎていたからこそ、失うことに対する恐怖心は人一倍だったのではないかと推測しています。
藤太が阿高といることは、一方的に阿高を救うだけではないと思います。
藤太もまた、阿高が必要としてくれることで、そういう恐怖心から縁遠くいられた。
それが、ふとしたきっかけで離れていってしまった。
誰かを失うという体験したことのない恐怖に、藤太はきっと耐えられなかった。
藤太も阿高とは別の理由で、阿高を自分と同じに思っていたはずなんです。
無条件に一生一緒にいられると信じて疑わなかった。
そういう阿高が離れていってしまったことで、このとき藤太も阿高が自分とは別の人間であり、失う可能性があるのだと自覚してしまったことでしょう。
二人は陸奥の地で再会します。
その時の藤太が阿高に言った台詞を見てみます。
「阿高。それがおまえのためになのかどうか、正直にいえばわからないよ」(新書p.193)
この言葉はきっと武蔵にいたころの藤太には言えなかった、思いもしなかった言葉だと思います。
自分と阿高が別の人間だと初めて自覚して、それに戸惑いながら一生懸命に語りかけているのでしょう。
「だけどおれは、追ってこないではいられなかった。おまえにいてほしいんだ。おれたち武蔵の仲間の中に、竹芝のおれたちの家にいてほしい。たとえおまえがおれのことを見限っても、ほかのどんなものになっても、おれは願うのをやめないだろう。今までおれが気づかなかったのは、おれたちはけっして双子じゃないということだ。生まれついてひとつのように、当然の顔をしてそばにいてはならなかったんだ。だから今からたのむよ。おまえの思いをおれに分けてくれ」(新書p.193)
藤太はお互いにお互いが「双子」ではなく、ただの他人であり、ともに居られることの奇跡に感謝することと、これからもともに居るためには努力が必要だということを学びました。
阿高としては、お互いが別の人間であっても、仲間として求められることはどんなに嬉しかったことでしょうか。
違っていても、それでも一緒にいたいと望んでも許されることを、藤太は命を賭けて阿高に伝えてくれたと思います。(よかったね阿高!)
これは苑上のように阿高と本質的なところで同じ部分を持っている人間では意味がなかったことです。
藤太だったからこそ、阿高と本質的に違う人間が、「違っていてもいいんだよ」と言ってくれることが大きな意味を持っているわけです。
ここで、阿高は自分が一人の人間であるという自覚を持つとともに、自分のために命を賭けてくれた藤太の勇気に応えたいと思ったのではないでしょうか。
雷の力という巨大なものへ立ち向かう強い意志と勇気は、きっとこのときの藤太のお陰で持つことが出来たと思います。
前編で書いていた
・藤太と苑上の何が阿高に己を取りもどさせたのか⇒阿高が孤独に打ち勝つための武器になったもの
・己を取りもどした阿高が得たもの。

は、それぞれ
・藤太の信頼と勇気
・一人の人間としての自覚と困難に立ち向かう勇気

ということになると思います。

これが、阿高にとって『「藤太」でなければならなかったこと』のとりあえずの結論とさせてください。
この後苑上の方も書きます。
後編なのに「その一」とか書いててホントスミマセン・・・。
行き当たりばったりなのがバレバレですね。

お返事です・その152&ありがとうございます!!

みんさま

ようこそお越しくださいましたみんさま!
お待ちしておりました!
これをどうぞ・・・つ[梅昆布茶]<たくさん飲みすぎると気持ち悪くなるんですが、たまに飲むと堪らなくおいしいと思います。

>恐れ多くもRie様のサイトでキリ番を踏んでしまい、リクエストをどうしようか悩んで悩んでまだお願いしていない次第です(笑)

マジですか!
おめでとうございます!
それはぜひ、練りに練ったお題をお見舞いして差し上げてください!
私は青田彦の嫁取りが気になって仕方ありません。(青田彦=かみなぎ@オリジナル)
いつの日か青田彦の嫁となって科戸王の姑になるのが私の理想の未来です。(聞いてないよ)
薄紅リクもかなりおいしいですが、Rieさまなら何でもおいしく料理してくださると思います。
みんさまのリクエストが私も楽しみです。

>薄紅考察大変楽しませてもらってます!それで原作読み返してみましたが(中2からかれこれ7年ほど何十回も読み返しているのでもうヨレヨレです笑)やっぱり苑上は魅力的だなーと思います。

お読みくださってありがとうございます!
できるだけ早く書き上げたいと思っていますので、何卒よろしくお願いします。
私も苑上はとても魅力的だと思います。
その魅力に出来る限り迫ってみたいです。

>一生懸命さ、人への思いやり、周りの意見に惑われず人の本質を見ようとするところ、責任感のつよさ、全部大好きだし憧れです。本当に強い人は何かに真っ直ぐな人ではなくて、柔軟で曲がっても折れない人と聞いたことがありますが苑上はまさにその柔軟さがあると思います。真っ直ぐな人はその道がダメになると折れてしまうけど、柔軟な人は窮地に追い込まれてもそこでどうするか考え行動することができる。いつだって苑上は自分に出来る限りのことを行動にしていますよね。苑上のそんなところが一番好きです。兼倉さんの考察内容とは全く違う内容ですが(笑)
原作読み返すと色んな発見がありますよね!


苑上の魅力は本当に語りきれないほどありますよね。
違ってても気にしないでください!
好きなものを好きと伝えて貰えるのが嬉しいです。
私も自分の好きなものを全力で好きと叫びたい!と思っています。
「柔軟さ」そうですね。
パスカルの「人間は考える葦である」にも通じるものがあると思います。
葦は風が吹けば倒れてしまう弱々しい存在だけど、風が過ぎ去ったらまた必ず立ち上がってくる。
そういう柔軟な強さが人としての理想の強さですね。

>考察楽しみにしています!毎日お邪魔しています〜(笑)

ありがとうございます!
少しでも面白がっていただけたら凄く嬉しいです!

コメントありがとうございました!
みんさまのまたのお越しを心よりお待ちしております!
Rieさま
ようこそお越しくださいましたRieさま!
お待ちしておりました!
これをどうぞ!つ[だいがく芋]<芋料理のレパートリーが増えてきました

>藤太は阿高に「孤独を忘れさせてくれる」存在で、苑上は阿高の「孤独を癒す」存在…。原作を読んで、阿高は藤太にずいぶん救われているなあと思っていました。忘れさせてくれていたのかと思うと、藤太のいろいろな行い(女の子がらみも含む)も肯定できそうな気がします(!?)

苑上の表現は少し変えてしまいました。
「癒す」というのは、阿高が強さを得てからかなぁと思い直したのです。
癒されるのは、阿高が癒されることを望んでいないといけないような気がしました。
立ち直りたいという前向きな気持ちになってこそ、初めて癒されることを受け入れられるのではないかと。
まだまだ十分練りきれてなくてスミマセン(^_^;)
藤太は本当に阿高を救っていると強く思います。
藤太はいいやつだ!というひとことをひねり出すために、長々と語る予定です。
藤太の女の子がらみも阿高一人なら絶対に関わらない事柄だと思うので、阿高は本当に藤太にいろんなことを体験させられていますね。
そのあたりを後々鈴に活かしてもらいたいものです。
そうなる前に、まず阿高は乗り越えなければならないことがあるわけですが。

>孤独を知るものしか孤独は癒せない…名言ですね!
>痛みを知るものしか、本当の意味で共感・理解はできないのかもしれないと思いました。


そういうことがいいたいわけです!
汲み取っていただけてて良かった!(感涙)
癒されるにはやっぱりそれに目を向ける勇気が必要です。
だからこそ、一緒にそれを見てくれる(共感・理解してくれる)人の存在がとても力になるのではないかと思います。
このあたりをもう少しネチネチ語らせてもらう予定です。

コメントありがとうございました!
Rieさまのまたのお越しを心よりお待ちしております!


23日の21時台と23時台に拍手を下さった方ありがとうございいます!!
もう少しで結論までたどりつけそうです!
ぐだぐだになってきててスミマセン・・・後ほど推敲などなどこっそりやってしまうと思いますが、言いたいことには始めからブレはないので、どうか見守ってやって下さいませm(__)m
拍手ありがとうございました!!

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