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欠史八代

初代神武天皇から後の二代目~九代目までの天皇は、やったことが書かれていない(名前しか分からない)天皇で、あわせて「欠史八代(けっしはちだい)」と呼ばれている人たちなんですが、この人たちの扱いがちょっとだけ気になっている今日この頃。
やはりオタク的に事実が分からないものは妄想しがいがあるわけなので、気にしないわけにはいかない。
しかし、読む本読む本かならずこの「欠史八代」は「天皇家の歴史を出来るだけ長くするために挿入されただけのでっち上げ(かなり要約)」といわれることが殆どです。
確かに初代神武天皇からして神話的要素が強いお方なので創作された臭はかなりするわけですが、だからといって、適当に(というと語弊がありますが)名前をでっち上げただけの天皇、というのはあまりにも残念な気持ちになるわけです。・・・もちろん気持ちだけではどうすることもできないものですが。
出来ればですね、「事績がない」=「事績を残すことが出来ない理由があった」みたいな視点からの論を張ってくれる人が出てきてくれないかとちょっと思っています。(超・他力本願!)
それに、天皇という存在を安易に(かどうかは定かではないですが)でっち上げるなんて事が感情的に出来たのかどうか。
ただ歴史を長くするためだけに人数合わせのでっち上げをする相手にしては、天皇というのはちょっと気持ち的に憚りがあったりはしないのか。
神話のように、長く多くの人々に語り継がれてきたフィクションと、自分たちの都合によって作られたフィクションを同じ歴史書の中にいれるというのは本当に簡単に出来ることなのか。
おそらく誇りを持って編纂したと思われる歴史書へ、もしかすると冒涜になるかもしれないようなことが本当に出来たのか。
大体創作するなら事績を載せないなんて事をせずに、事績も創作してしまったほうが自然だし、そのほうがより強固で説得力のある系譜になるはずではないかと思います。
・・・ホントに何の根拠もないんですが、出来れば「欠史八代」にも何かしらの裏づけとか根拠みたいなものがあって欲しいなぁと思っています。

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